梅を買う

わが家の庭にも梅の木は2本あります。1本は花ウメ、もう1本は実ウメなんだけど、とんだ根性なしでまったく実りません(笑)。別の梅の木に挿げ替えようかという衝動にかられますが、自分の木じゃないので我慢、我慢。
先週、病院泊まりの明けに買ってくる予定が、ぼーっとしていて忘れてしまい、今日は忘れないよう行きがけに安中の直売所で買いました。真っ青な地元品種2キロと、若干熟し始めた南高梅1キロ、計3キロ。梅干と梅サワーを作るつもりです。
母親を見舞ったら、「何も食べたくない」と、激やせ状態・・・・・・。スーパーに行って、食べられそうなものとか、ごはんの味をごまかす副食品類を買い込みました。「梅酒の梅が食べたい・・・・・・」とのリクエスト。次回ですな。
何しろ、寝ているしかない日々のわけで、そりゃ食欲も落ちますよね。起き上がることが許されないって、相当しんどいと思います。がんばってもらうしかないのですが。私には無理かも、と思ってしまいました。
相変わらずいろいろな意味で落ち着かない今日この頃。
岐路こそまさに愛すべし、なんですが、敬愛する高橋和巳に言わせれば。
ではまた
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第14世ダライ・ラマ法王を支持します

10周年に向けて・その3

いろいろとご心配をおかけしているようで、すみません。
「やめるんですか」
と訪ねてきた方数名。
「やめるんですか」
とメールいただいた方数名。
すみません、あやふやでしたね、申し訳ありません。
営業そのものは続けます。布屋を辞めてしまうわけではありません。ただ、今までのように火曜定休での常時営業という形態は、この夏を最後にします。9月以降は金曜~日曜のほぼ週末営業にして、扱う品目も今まであまりにも幅がありすぎたので、もっと絞り込んでいこうと考えています。
それと、店名は変えると思います。なんで? と思われる方、ウチの店名でググってみてくださいな、そこに答えがあります。
大筋のところで、大きな転換点に立っている気がするこの頃です。長江にもあるんですよね、大屈曲点と呼ばれる場所が(どうでもいいか)。
その大屈曲点あるいは三江奔流のあたりの崖の高みから、渦巻いて流れる川を見下ろしながら、立ってる気分です。向こう岸に渡るのは、リス族の1本ロープ。行きますか、引き返しますか、どっち? って・・・。なに書いてるんだろう。
ホームページも変える予定ですし、このブログの位置も変える予定ですし、えー、それからそれから・・・・・・。やることたくさんありすぎて、うまくまとまりません。もうじき夏だというのに、今ごろこんなことで大騒ぎしている私たちって、やっぱりずれてますな。
ではまた。
とりあえず店としては存続する、というお知らせでした。
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雨の日曜日

お久しぶりです。
今日の軽井沢は昨夜からの雨が続き、肌寒いを通り越して寒い! です。もう6月も後半に入ってきているのに・・・。
先週は火曜日から病院暮らしでした。手術は予定通り成功し、術後の経過も今のところ順調です。不寝番が傍にいるせいか、せんもう もほとんど起きず。
ただし、3日目深夜からしきりに肋骨が痛いと言うようになり、ドクターに聞くと、「ああ、折れたんでしょう、よくあることで!」 なんだそうです。とほほ(笑) 
いやぁもう、なんなんだろ。
術後2日は「術後室」というところに、同日手術の2人と一緒に入っていて、3日目にはもう病室に戻りました。こちらは4人部屋。全員自力歩行はできない人ばかりです。手術後か、手術待ちか、そんなところでしょうね。
仮眠用のベッドを貸して貰ったのですが、これがちょっと腰掛けただけで轟音がする・・・。金属のパイプにビニールを貼り付けて、その張力の上に寝るって感じなので。あまりの音に使用がためらわれ・・・。結局椅子に座ってたり、ほんのちょっとだけ横になったり、の繰り返しで、まぁ当たり前ですが、ほとんど寝ませんでしたねぇ。寝てたら役に立たないですしね。
そういえば、私が子どもの頃はまだ、病院には「付添婦」という職業の人々が半ば住み着いてましたっけね。あの職業が廃止され、あの人々は家政婦さんなどに移行していったのかなぁ。いい人に当たるといいけれど、そうじゃないと悲惨だ、というようなことを大人たちが話していました。
話は飛びますが、昨夜だったか(すいません記憶が・・・)、聖火がラサを走ったというニュースをちらっと見ました。
もうさ、こうなることはわかってたし、中国としてはこうするしかないわけで、それを止めることなんかできないわけなんだけど、やっぱりポタラの下を走る聖火と、その歓迎の意味合いを込めて踊らなきゃいけない人々を映像で見ると、すさまじい脱力感というか、無力感というか、そういうものを感じますね。
中国人民解放軍がチベットに入っていく過程で、大量のプロパガンダ写真が撮影されていったのだけど、毛沢東の巨大な肖像画を押し立てた解放軍を「解放してもらった」住民たちが歓喜に打ち震えて迎える写真もたくさんあります。それは強制されてそうなったのか、あるいは、一時的には懐柔されていた時期もその地域毎にあるのでしょうから(中国も最初から攻め入ったところと、懐柔政策から入ったエリアがあるようです)、そういう時期の写真なのか。そのへんは私も専門家じゃないからはっきりとは言えないのですが。
2000年にチベットの東側、この間の地震のちょっと西のエリアをバスで何日も回ったとき、たまたまテレビ付きのバスに乗って、ミュージックビデオのようなものを見せられました。それはチベットの民族服で着飾った人々が緑の草原で歌い踊るものだったのだけど、隣に座っていた若い坊さんが、「あれは違うんだよ!」と、私に言うのです。「あれはチベット人じゃない、漢族がチベット人の格好をしているんだ、チベット人はあんなふうには踊らないしあんな歌だってチベットの歌じゃないんだよ、違うんだ、違うんだ!」
周囲には漢族の乗客も多かったから、声を殺すように、しかし激情にかられて、坊さんはそう語り続けました。彼はマニカンコとガンズーの間の何もない場所で、1人ぽつんと降りていきました。その近くにきっと僧院があったのでしょうね。頼んでついていっちゃえばよかったな。
なんか、そんなことを思い出しました。
また話は飛びますが、ヒマラヤハウスとしての看板はこの夏で下ろすと思いますが、閉店セールは行いません!(笑) ということはつまり。はい、そういうことで。
ではまた
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バラが咲いた

季節はめぐり、花は咲く。
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これはマチルダ、だったかな?
いいの、名前なんてどうでも。
(よくないですか・・・?)
ウチの店の名前はちょっと長めなので、親しい人や近所の人などは縮めて「ヒマラヤさん」と呼んでくれていました。その名前にはもちろん愛着もあるし、できれば変えずにいきたいと思ってきたのですけどね。
このへんの話はうまく丸く書けないなぁ。また落ち着いたら、どこかで書くこともあるかもしれません。
さてさて。気がつけば6月も半ばを過ぎました。タイ行きはどうなるでしょうか・・・。まだなんとも言えません。
母親の病院に泊まりになるので、明日から数日、更新止まります。
ではまたです。
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らっきょう漬けたり、フキ煮たり

朝、台所の窓から裏庭を見ると、フキがいかにも美味しそう。そろそろキャラブキでも作ってみようかと思いつつ、庭に出ると畑がそれどころではない草だらけ状態に。ここ何日かせっせと削っているのですが、追いつきません。削ったつもりでも生き返ったりするし。
で、今日はまず発芽した豆の周囲を草削り。
それからふと気になったネギのような葉っぱの密集を引っこ抜いてみると、らっきょうでした。ええ、わたくし、自分が植えたものすら忘れるんですの、ほほほ。
で、らっきょうを掘りあげて芽と根っこを切り、水場に。少し残したものは種球にするので芽だけ短くして分けつさせて、草削りしてきれいになったところに溝掘って、植えつけました。これでまた来年はらっきょうが収穫できるはずです。
らっきょうの横にもなにやらネギ類があるのでこっちも掘ってみると、ワケギらしい。誰かにもらって植えたのだろうか・・・。
これも根っこががんじがらめになっているのでとりあえず1球ずつ分けて、しっかりしたものを選んで、これも溝を切って植えつけました。
ついでにすももの下で雑草に負けているニラを数株救出して、これも分けて植えつけました。ニラはだいぶ救出できました。どうしても雑草がすごすぎてですね。
ここらへんでフキのことを思い出し、早速庭のあちこちからちょっとずつ収穫。なべにお湯を沸かしながらフキを洗い、塩で板ずり。それから重曹をちょっと入れて茹でて水にさらし、さらしながら皮をむきました。それを短く切って、砂糖・醤油・みりん・酒で適当に煮ました。
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これが万事テキトウなきゃらぶき。夕飯に出したら「もうちょっと甘ければもっと食べられる」とのご評価を。「まぁー、そんなこと言うなんてお子ちゃまねぇ~」(以下自重)
非常に美味しくできました、と思います。
ほか、大豆の足しまきをしたり、水遣りをしたり、草削ったり、草刈ったり、大根間引いたり、レタス収穫したり・・・・・・。忙しい一日でした。
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夕方、熱湯を回しかけてからビンに詰め、酢と砂糖とタカノツメを煮立てて注ぎました。多分うまくいくのではないか、と、思います。
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ちょっとターシャの庭っぽく見えません? 道路と国有地の接点あたりから撮りました。
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ハナモモ。
母ご贔屓の植木屋さん自慢の、赤・白・桃・絞り4色混ざりのハナモモの実生っ子。花はピンクが咲き、親に似ずに実をたくさんつけます。自家結実性もある! しかし食べられる桃にはなりません。硬くてマズい。酵母は作れましたが。
食べられない桃がこんなに咲いて実をつけるのになぁ・・・・・・。
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フランスギクが旺盛に咲いて看板を隠しています。
10周年を迎える夏で、この看板とはお別れする予定です。そう思って見ると感慨も深いですね。開業当初からこの看板だったのではないのですが。
明日も晴れる予報です。ではまた
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わが家の彩ちゃん

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これがわが家の彩ちゃん近況です。
実はかなりついていて期待がふくらむのですが、ご覧のように既に何らかの害を受けております。毛虫かな、それとも何か別のものでしょうか。実を食ってるというよりも、汁を吸ってる? これはほっといてよいものなのでしょうかねぇ。
とりあえず、目に付いた毛虫は捕まえて踏み潰してますが・・・
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最初見たときはかわいかった。
欲しくなった。
貰った(友人宅で)。
植えたらぐったりして心配だった。
翌年咲いた。
うれしかった。
そして今・・・・・・。
はびこりすぎなんだよ!
生命力強すぎ! 地面の中がもう、この人の根っこでびっしりになってる。どんどん勢力図を広げていく。勘弁して・・・。
今や、見かけると容赦なく引っこ抜く対象に。
お客さんにも欲しいと言われれば二つ返事であげる。「増えすぎたと文句言わないで」とだけは付け加えるけど。
因みにこれは、春咲きシュウメイギクと呼ばれています。ほんとの名前は?
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キャベツとレタスとコマツナと雑草が入り乱れる、の図。わが家の畑の隅っこ。
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元気なバラ。
これはツルヤのセールで母親が貰ってきたもの。名前はわかりません。完全に放任しておりますが、力強く大きく育ってガンガン咲きます。
店の前にはお客さんからいただいた名のあるバラが数株ありますが、まだ咲くにはちょっと時間がかかりそうです。
しばらく梅雨の中休みという予報です。植え替えたりしてるから、降って欲しいのですけどね。
今日は店庭のワスレナグサを片付けました。花が終わったので。すっきりして風通しがよくなりました。ほかにもいろいろとやりたいことは多いのですが、体が追いつかず、ちょっともどかしいです。と言いつつも、ゲラニウムの株を動かしたりしました(なんか株式の取引みたい?)
ではまた
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10周年に向けて・その2

明け方から激しい雨が降った軽井沢です。予報では今日は一日曇り、のはずだったのですが・・・。
さて。
古い写真を引っ張り出したので、今日はその古い話など。
私たちがこの追分の土地にめぐり合ったのは、1997年夏のことでした。
その頃は、隣の群馬県に住んでいました。東京を離れたのが96年春。1年埼玉県、1年群馬県、そして長野県・・・。一つずつ律儀に県境をまたぎながら、ここまで流れてきました。生まれ育った町をトラブル絡みで泣く泣く離れざるを得なかった、という事情もあり、啄木ではないけれど、この前後数年は私個人にとっても、そして夫との夫婦関係においても、かなり危機的な時期だったといえます。
犬がいて、夫が木工家だった。
これだけでマンション住まいは無理で、居場所を探してずいぶん各地を回りました。一都六県はもちろんぜんぶ回ったなぁー。廃屋も探したし、自治体の斡旋するものも見て回りました。
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これは房総の農家物件。高すぎて無理でしたが、房総は今も憧れの地だったりします(笑)。なんといっても気候温暖ですからね・・・。
房総には手を打つ寸前までいった物件もありましたっけ。その頃はまだ、私は東京で仕事をするつもりだったし、関東エリアを出ることは考えていませんでしたね。とにかく電車さえ通じていれば、と思ってました。
群馬県中条村なんてところも見に行きました。新築の村営住宅(タウンハウス)畑付きが、たしか家賃2万円! しかし、遠かったです・・・・・・。高崎までバスで2時間くらいかかるのじゃなかったかな。朝、そこを出ても東京にたどりつくのは昼。無理でした。
追分の土地を見たときは、「あぁ、これだわ。ここだわ」と思ったのを覚えてます。別荘地のいちばん奥。道は行き止まり。二方を国有地に囲まれている。誰もいない。その時はまだ、この「誰もいない」ということが商売には最悪のシチュエーションだということには、考えが至っていませんでした。
不思議なことに、この土地の原初の姿を写した写真が1枚もありません。撮ったはずなのですが、一体どこにいってしまったのだろう。
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代わりに、ごく初期の写真。1997年10月頃だろうと思われます。
97年の8月に伐採を始めました。最初は鋸と斧でやっていたのでえらく時間がかかりました。あらかた高木を倒したころにチェーンソーを買いまして(順序が逆なんだよね)、そこからはまぁまぁ順調に。
この写真の奥や右側にある林。ヒマラヤハウスもこれとまったく同じような密林状態でした。アカマツと雑木が混ざり合って土地全体を覆い、さらにツル性の植物やら潅木やらが絡み合って、分け入ることも難しいような状況でした。これぞまことの「原野」でありました。「原野・現況」であったことと、持ち主が急いで換金したかったらしいという事情が重なって、とんとん拍子に手に入れることができました。
倒した木の枝葉はすべてここで燃やして処分しました。当時はまだ、そういうことにうるさくなかったのです。
倒した木、その枝葉を、処分しつつ、しきれないものは土地の端っこに寄せて、重機を入れました。木の根っこを処理しなきゃならないからです。
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コンマ2、というサイズのユンボを操るわたくしです。ライター時代にとった免許が役に立ったなぁ・・・。
ウソです。免許など持っておりません。
でも自分の土地で運転するには免許はいらないのです。運搬はレンタル会社がトラックでやってくれますからね。
これで根っこをずんばずんばと抜いていきました。タコのようなその根っこをずりずりと引きずって土地の端っこに積み上げました。
長くなるので今日はこのへんで。続きはまたいつか。
ではまた
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10周年に向けて

えー。
この夏、ヒマラヤハウスは満10年を迎えます。
10年一日と言ったり、10年一昔と言ったり。
ま、節目の年であることには間違いありません。
10年、よくも持ちこたえた。
というのが実感です。
おそらく軽井沢中の方が、あるいは、お見えになったことのあるすべての方が、諸手を挙げて賛同してくださるでしょう。
なぜヒマラヤハウスが潰れないのか、町の七不思議のひとつですから。
へへ、実は金鉱を持ってるんです。
あと油田もね。
もちろん嘘ですが。
で、まぁ、10年です。その間試行錯誤を繰り返し、暗中模索の五里霧中状態を匍匐前進し、どうにかこうにか生きてはきたけれど、これが本当に自分たちが求めた形なのか、ということになるといささか筆が鈍ります。ほんとうにこの道でいいのか、とは、いつも考えます。
お客さんを相手にする仕事はむずかしい。
飲食店には飲食店の難しさがあり、物販には物販の難しさがあります。
もちろん、夫の仕事だった職人にはその難しさが、私がやっていたライターにはそのむずかしさが、あるわけです。何だってむずかしい。簡単な仕事なんてないですよね。
軽井沢という土地のむずかしさもあると思います。そしてまた、人里離れた山奥でやっているという形態にも、むずかしさを引き起こす要因が大いにあると思います。
私たちも人あしらいが苦手で下手です。
うん、むずかしい。
今年、10周年を一区切りとして、いったん、営業にキリをつけようと考えました。
決まったのはそこまでで、具体的なことはまだちゃんとは決めていないのですが。
そのへんの話はまた追々と。
畑では豆が続々と発芽中です。最初に出たのがたぶん大豆で、次に元気なのが金時、ということは、まだ出ていないのは小豆なのかな・・・。自分で蒔いた順番を忘れました。出てくればわかると思ってしまうので。いい加減だな、あいかわらず。
ではまた
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気丈すぎたのが仇になり・・・

ふぅ・・・。
病院から帰ってきました。
患者本人は割と元気なのですが(話もする、冷蔵庫が欲しいから借りて来いとか言う)、残念ながら再手術ということになってしまいました。
術後のせんもう、(一時的な認知症、わかりやすく言うとボケ)がひどく、ぴょこんと起き上がってしまったり、ベッドの下のものを取って上に置いたり、ということをしていたらしいです。背骨ほぼ全体に金属の支えを入れるような手術をしたのに、起きたり身体をねじったりしたわけです。それで骨が崩れて(年齢から言ってもう骨はもろいんですね)金属の支えがはずれてしまった、このままでは非常によろしくないのでもう一度手術をして、範囲を広げてあらためて固定しましょう、と、こういうことです。
一番びっくりしたのは、術後4日目の深夜に、廊下を普通に、淡々と、歩いていたのだそうで。点滴やドレーンといった全ての管を自分で丁寧にはずし、ご丁寧に消毒までしたらしい。そして淡々と廊下を歩いていた・・・・・・。
この時点というか、今日現在でも、彼女に立つとか歩くとかいうプログラムはなく、ベッドごと移動するのが常態なのですよ。
ドクターが言うには、今まで何百何千と手術をしてきたけれど、これだけの大手術の数日後に、立って歩いたなんてケースは初めてだそうです。
ギネスでも狙ってるのか、母よ。
いくら元医療従事者とはいえ、消毒とかしなくていいんだよ、おとなしく寝てなさいー!
しかも、非常に我慢強い気丈な人なので、まったく騒がず、静かに淡々ととんでもないことをしでかしているので、誰も気づかない・・・。のだそうです。普通は大騒ぎするらしいんですが、人様に迷惑をかけてはいけない、というのが人生の第一目的みたいな人ですから、ナースコールも押さずに自分でやる(しかも妄想の世界で)。
私がこの人から生まれたとは、とてもとても信じられません。
再手術後は、またしても妄想の世界に入って身体を動かしたら大変なことになるので、落ち着くまでのしばらくの間、病院で付き添いが必要になります。
チケット取ってなくてよかったです・・・。タイ行き、再延期です。
今後の仕事のことなど、いろいろやらなくちゃいけないことが山積みですが、何だか落ち着かなくてダメですね。でもまぁともかく、出来る事を少しずつ、ですね。
病気の話になってしまいました。ごめんなさい。
ではまた。
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雨を呼ぶ

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昨日は期待した雨はほとんど降らずでしたので、午前中屋根に水撒き。普段ならこの程度の空模様では散水しないのですが、先日まいた種がまだ出る可能性があるかなと思って。
写真は屋根から庭を見る、の図。
構図がワタクシ的ではありません。はい、撮影は夫です。
庭の木もずいぶん緑が濃くなってきました。どこかからか引っ張ってきたもみじ(自宅敷地内からです)が、ぐんぐん大きくなっています。毎年かなりばっさり伐っているのですが。
午後、予報どおり雷雨になりました。落雷で二度パソコンを壊されたことがあるヒマラヤハウスでは、雷鳴を聞くとパソコンのコンセントを抜きます。夕方にはまとまった雨。畑にはありがたい。でも、午前の水遣りが無駄に・・・・・・。
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ラオス北部の市場で見つけ、購入した木綿の布地。手織であることは確かですが、染料はわかりません。植物ではないような気がします。あくまで「気」です。
手の込んだ布も好きだけどこういう素朴なものも好きで、これなんか1本5メートルあるんですけど、夫が一緒でなければ「その場にあるもの全部買う」といった暴挙に出た可能性が大、です。持てませんけどねぇ。このときは、既に首都ビエンチャンで一度狂ってカードを切り、大反省し、しかし北部で今度は糸にはまって大量に購入、また反省した後だったので、自制できました。
この布は何に使おうか考え中です。こういった「考え中」の布がわが家には大量にあって、日々幸せというか、一応プレッシャーも感じるというか・・・。
明日は定休日です。ではまた
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