雨の日曜日

お久しぶりです。
今日の軽井沢は昨夜からの雨が続き、肌寒いを通り越して寒い! です。もう6月も後半に入ってきているのに・・・。
先週は火曜日から病院暮らしでした。手術は予定通り成功し、術後の経過も今のところ順調です。不寝番が傍にいるせいか、せんもう もほとんど起きず。
ただし、3日目深夜からしきりに肋骨が痛いと言うようになり、ドクターに聞くと、「ああ、折れたんでしょう、よくあることで!」 なんだそうです。とほほ(笑) 
いやぁもう、なんなんだろ。
術後2日は「術後室」というところに、同日手術の2人と一緒に入っていて、3日目にはもう病室に戻りました。こちらは4人部屋。全員自力歩行はできない人ばかりです。手術後か、手術待ちか、そんなところでしょうね。
仮眠用のベッドを貸して貰ったのですが、これがちょっと腰掛けただけで轟音がする・・・。金属のパイプにビニールを貼り付けて、その張力の上に寝るって感じなので。あまりの音に使用がためらわれ・・・。結局椅子に座ってたり、ほんのちょっとだけ横になったり、の繰り返しで、まぁ当たり前ですが、ほとんど寝ませんでしたねぇ。寝てたら役に立たないですしね。
そういえば、私が子どもの頃はまだ、病院には「付添婦」という職業の人々が半ば住み着いてましたっけね。あの職業が廃止され、あの人々は家政婦さんなどに移行していったのかなぁ。いい人に当たるといいけれど、そうじゃないと悲惨だ、というようなことを大人たちが話していました。
話は飛びますが、昨夜だったか(すいません記憶が・・・)、聖火がラサを走ったというニュースをちらっと見ました。
もうさ、こうなることはわかってたし、中国としてはこうするしかないわけで、それを止めることなんかできないわけなんだけど、やっぱりポタラの下を走る聖火と、その歓迎の意味合いを込めて踊らなきゃいけない人々を映像で見ると、すさまじい脱力感というか、無力感というか、そういうものを感じますね。
中国人民解放軍がチベットに入っていく過程で、大量のプロパガンダ写真が撮影されていったのだけど、毛沢東の巨大な肖像画を押し立てた解放軍を「解放してもらった」住民たちが歓喜に打ち震えて迎える写真もたくさんあります。それは強制されてそうなったのか、あるいは、一時的には懐柔されていた時期もその地域毎にあるのでしょうから(中国も最初から攻め入ったところと、懐柔政策から入ったエリアがあるようです)、そういう時期の写真なのか。そのへんは私も専門家じゃないからはっきりとは言えないのですが。
2000年にチベットの東側、この間の地震のちょっと西のエリアをバスで何日も回ったとき、たまたまテレビ付きのバスに乗って、ミュージックビデオのようなものを見せられました。それはチベットの民族服で着飾った人々が緑の草原で歌い踊るものだったのだけど、隣に座っていた若い坊さんが、「あれは違うんだよ!」と、私に言うのです。「あれはチベット人じゃない、漢族がチベット人の格好をしているんだ、チベット人はあんなふうには踊らないしあんな歌だってチベットの歌じゃないんだよ、違うんだ、違うんだ!」
周囲には漢族の乗客も多かったから、声を殺すように、しかし激情にかられて、坊さんはそう語り続けました。彼はマニカンコとガンズーの間の何もない場所で、1人ぽつんと降りていきました。その近くにきっと僧院があったのでしょうね。頼んでついていっちゃえばよかったな。
なんか、そんなことを思い出しました。
また話は飛びますが、ヒマラヤハウスとしての看板はこの夏で下ろすと思いますが、閉店セールは行いません!(笑) ということはつまり。はい、そういうことで。
ではまた
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第14世ダライ・ラマ法王を支持します

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