カンボジアで・・・

何気なくヤフーを見ると「カンボジア・邦人・強盗・逮捕」などの文字が目に入った。
あー、カンボジアで何か事件があり、邦人が被害に遭い、犯人が逮捕されたのかなと思ってよくよく見ると、どうもおかしい、邦人が逮捕されたらしい。
なるほど、保険金殺人みたいなやつ? 邦人が邦人を、なのかな?

ちがーう。
邦人が、現地カンボジアの人を殺して金を奪おうとした事件だった。

記憶力があまりよくないので断言はできないが、こんな事件、見たことも聞いたこともない。
旅行者(ではないのだろうが)である日本人が、金欲しさにアジアの現地人、しかも特に金満イメージのないタクシー運転手を襲って殺して捨てて逃げようとする・・・。
理解できないし、あぁもう本当に旅をする者たちも変わったのだな、変わったと言うか非常に裾野が広くなり、どんな人間でもいるようになった、ということか。

おどろいた。

私が言うのもおかしいけれど、被害者の方には申しわけない。

昔っからしょうもないクズみたいなのはいたし、日本人を騙して詐欺る奴なんかはいたけど、こんな風に現地の人を殺して金を奪うとか、ここまでキレた奴は見たことがない。
何がどうなるとここまでなるのか・・・。
本当にびっくりした。
旅行をしているわけではなく、うーん。
そうだねこういうのは旅をしに日本を出て行くわけじゃないんだろうね。
世界は狭くなった、悪い意味でも。

 

今日は気温が10℃まで上がり、かなり暖かかった模様。花粉がすごそうなのとちょっと体調が悪かったので家にこもってました。
でも縫製したりアイロンかけたり。
去年は旅が多くあまりたくさん作らなかったので、今年はせっせと縫製作業に勤しもうと思います。布もたーくさんあるしね!
ではまた

 

 

 

新作・雪

 藍の半コート

去年から作っていたもので、手縫いの部分がなかなか終わらず(さぼってたせいですが)、ようやく完成しました。
藍の生地もこんな風に贅沢に使いづらくなっていくなぁ。これを作り始めた頃よりもさらに強くそう思うようになっていることに気付きます。

今日は時々雪も舞う寒い1日でした。

昨日は「暖かくて畑仕事した!」わけですが、夜の天気を見たら最高気温は8℃だったそうで、「え、それなのに暖かいと思ったのか・・・」と少々驚きました。
8℃ですからねぇ。
東京では真冬、10℃に届かないと今日は寒いと思う、そういう気温だからですね。
まぁ日差しがあれば体感温度はかなり違うわけですが。

 

 『小さいおうち』 中島京子

昭和初期の東京の、市井に暮らすごく普通の、あるいはちょっといいとこのお家の話。若くして上京した女中さんの目を通して描かれる日常が美しく切ない。戦争に突入していっても尚、それは遠い場所で起きていることで、日常は途切れることなく続いていたのだろうなと腑に落ちた。ひたすら大好きな奥様に仕える女中さんと、仕えられる奥様との間にあった情としか呼べないものが胸に残る。
回想録を書いている老いた女中さんのところに度々現れては茶々を入れる親戚の子がうっとうしいなと思っていたら、最後に重要な役回りを与えられていてなるほどなと思った。
☆4 古きよき・・・


こっちの『ちいさいおうち』は子どもの頃に持っていて、よく読んだなぁ。周りにどんどんビルが建って居心地が悪くなってしまったおうちが、トレーラーで引っ張られて郊外の、元いた場所が昔そうであったような自然に囲まれた場所に移っていく、という話だった。(よね?)

明日はけっこう気温が上がりそうです。花粉も盛大に飛びそう
では

藍の播種、果樹剪定

少しずつ暖かくなってきて、わが家でもようやく雑草が花を咲かせていたり、アサツキが芽を出したり、そんな景色が見られるようになりました。
でもまだまだ雪も降るし、朝晩も氷点下の状態が4月半ば頃までは当たり前に続きます。

 元気に出てきたアサツキ
ユリ科の多年草、この時期には食べることができますが、すぐに固くなって食べられなくなるまたは食べたくなくなる。

今日は今年初めて畑の一角を耕し、藍の種まきをしました。
トレイにまくことが多かったですが、今年は直まき。寒さに当たり、自分が出たくなったら出てくればいい、そんな感じです。

 藍の種
正確には、種が混じっている花穂の枯れたやつ^^;
種になったものもならなかったものも混じっています、多分。でも確実に種は入っているので、難しく考えずにこのまままきました。今までもちゃんと発芽してきたから今回も大丈夫、なはず。
因みに藍の種は1冬しか越せないので、この種は昨年の秋に、種取り用に育てていた藍から取りました。昨年は藍の収穫もしなかったので、種を取ったのみ。

 苗床に筋蒔きしてみた
7列の筋蒔き。このあと土を寄せてペンペンして、その後ウッドチップをかけておきました。乾燥よけ、凍害よけ。
うまく発芽したらある程度までそのまま育て、その後苗を取って移植します。

その後、果樹の剪定作業に。主にすももの彩の姫、ほかもちょこちょこ。なんせ素人なので、考える時間のほうが長く、しかもたぶんプロが見ていたら違う枝ばっかり切っているんだろうなーと思われる作業です。でもまぁ自分が楽しければいいだろうと。けっこう好きな作業の一つです。五十肩もだいぶよくなり、高いところの枝も数年前よりは切れるようになりました。
夕方になって風が強くなったと思ったら急に冷え込んできて撤収。暖かい日、時間を見計らって、少しずつ作業していこうと思います。

花粉は・・・、けっこう飛んでますねー。辛いです。

 RX100  通常で目一杯寄ったところ

 クローズアップレンズ装着広角端

 クローズアップレンズ装着望遠側

広角端がケラれるんですね、わかりました。望遠側だとケラれもなく、かなり大きく写せる。なるほどー。

今週作っていたものの白モノ以外の撮影をしようと思っていましたが、夕方になってしまったので持ち越し。できれば明日。
ではまた

降っては消え

朝起きると雪が数センチ積もっていて、日中になると消える。ここ1週間ほどそんな天気が続いています。日中は風が強く、今日も「春一番?」と思うような風。でも南風ではないので寒い、春一番ではないですね。

 縫い仕事

昨年買ってインドにも持っていったSONYのRX100。接写には弱いのでクローズアップレンズをこれも昨年買ってみました。
装着して撮影するとこうなる・・・笑
ケラれすぎだろ!
装着したら広角側でしか撮ってはいけないのかもしれません、今度ちゃんと実験してみよう。

オフ白のわずかに凸凹がある生地で、定番のフレンチスリーブのブラウスを縫製しています。綿100のいわゆるカタン糸で縫製中。夏に藍染にするものの準備です。
通常縫製の仕事で使うのは化繊の糸ですが、化繊糸は天然染めでは染まりません。木綿糸なら染まるので、特別にこの時だけこの糸を使います。
カタン糸の80番も使いますが、これは引っ張ってみると割と簡単に切れてしまうので、ロックにしか使えない。本当は薄手の生地の場合90番などの細い糸で縫いたいのだけど、強度の問題で60番を使ってます。

そろそろ藍の種まきをせねば。
今年は1年ぶりに藍を建てる予定なので、ちょっとワクワクです。
ではまた

BlueToothで幸せに

昨年買い換えたCDラジオ、SDカードのデータも読み込めるので便利だと思って選んだのですが、かなり不都合がありました。
CD = 普通に聴けるけど、取り替えるのがめんどくさい(今までと同じ)
SD = 聴けるけど、止めたところを記憶してくれないので毎回ファーストアルバムから聴く羽目に。途中を聴くためにはダイヤルを回すのだけど、こればっか回してたらすぐに壊れそう・・・。
結局、とても古いアルバムか、新しいアルバムか、そこからたどったとしてもせいぜい50曲とかそんなもんで我慢していました。

で、電源を入れてからCD→USB→AMラジオ、てな感じで切り替えていくのですが、そこに見慣れないB●?という文字があることに気付く。●は判読できない・・・。何だろうと調べてみるとどうやらBlueToothのことらしい。
滅多に使わないけど、前にタブレットと小さいキーボードをつないだことがあるので、きっと無線なんだろうと。

てことは、スマホとつながるんじゃ???

ていうか、何で今ごろ気付いてるんだよ???

早速、もはや使うこともなく文鎮と化していたI-POD君を引っ張り出して充電し、電源を入れてみたら見事に接続成功!
これで何の心配もせずにどんなアルバムでも聴けるようになりました。
うはははは、と不気味に笑いながら今までは奥すぎて聴けなかった「夜を往け」なぞをポチ、とやるとちゃんと流れる。幸せな気分で仕事をしています。

技術の進歩はすごい。問題は人間の側にあった。とにかく問題が解決できてよかった。

 

コカイン事件。
コカインとヘロインと覚醒剤が全部別個のものだとは知らなかった。みんな一緒くただと思ってました。
コカインはコカという植物の葉から作られるとか。植物性だからヘルシーってわけじゃないところが何とも・・・。
コカは昔、仕事でチリ側のパタゴニアに行った時、牛追いの人の家(または仕事小屋)で飲ませてもらったことがあります。単なるお茶として。その人たちは飲めば元気になると常飲しているらしかった。特に美味しいとかまずいとかの記憶はなく、草の味だったな・・・。(そして当然ですがこのお茶を飲んだからといってラリパッパになったりはしません念の為)
パタゴニアを回っているとアルパカにもよく出会いました。最初こそ「わーアルパカだ!」と車を停めてみんなで写真撮ったりするのですが、そのうちすっかり見慣れてしまい、ただの風景の一部になった。
昨年のラダック&ザンスカール行の時には、マーモットがそれとまったく同じでした^^;

どうして! 何ということを! どう責任を取るつもりなんだ!

とタレントやコメンテーター陣が姦しいのですが、んなこと本人が一番わかっていただろうし、今もそうだろう。それでも抜けられないから薬物は怖いのだし、それなのにそんなものとぶつかってしまう人の運命みたいなものもあるんじゃないかな。そんな気がする。
そしてこういう人にこそ、いつかまた表舞台に戻ってきてほしいなと思う。99.9999%、それ以上の確率で、普通の人は知らない闇の底を、見たであろうから。それがどんなものであったかを見せてもらうことはできないけど、こんな風に地獄を見た人には、その人にしか出来ないことがあるはずだと思う。

さて、花粉の飛散はまだ始まったばかりでこれからどんどん酷くなっていくというのに、だるくて眠い。春眠暁を覚えず。ひたすら惰眠を貪ってしまう今日この頃です。花粉のない場所に行きたい、この時期は。
ではまた

 

 

花粉来る、読書とかいろいろ

日曜日にうっかり林の方にノーガードで散歩に行って、モロに今年の花粉症が始まりました。徐々に来ているのはわかっていましたが、トリガーがそこだったという感じ。単に飛散量がどかっと増えたのかもだけど。
もう本当に、毎年同じことを思うけど、何とかしてほしい。国策で花粉の出ない杉に植え替えるとか、杉は伐採しちゃって別のもの、災害に強い広葉樹に植え替えるとか、できるんじゃないのと思うのですが・・・。くだらんことに使う予算があるのならここへ回してくれー!

 

   『アグルーカの行方』 角幡唯介

先日の『極夜行』に続いて同じ作家の本を読みました。時系列としてはこちらのほうが先に行われた旅です。
19世紀初頭に行われた北極探検(というかここを通過する航路を探していた)の中で、隊長以下129名が全員死亡するという悲劇が起きた。どこでどのように人びとが死んでいったのか解明されていないのだけれども、その当時後続の探検隊がイヌイットから聞き取った証言の中に、アグルーカ(大股で歩く人の意)が生きて国へ帰ったはず、というものがあったそうだ。アグルーカとは誰で、その者は遭難地点からどの方向へ向かい、どこでどうなったのか。その足跡を追いかけようとした探検行の話。
単独行ではなく相棒がいたせいもあり、こちらのほうが読みやすかった。
☆5 文句なしにおもしろい

そうそう大事なこと一つ。
私に会いに来た早稲田の学生さんはこの人じゃなかった、ということがハッキリしました。この本の中にありました。学生の時に成都に行ったのはチベット西部カイラス山狙いではなく、ツァンポー(ヤル・ツァンポー、チベット東部を源とする大河)探検のためだったそうです。よかった、なんだかほっとした。
というのは、私はこの作家をすごくいいと思っていて、というかこんなに面白いノンフィクションの書き手で自身も旅をしている人間は初めてだなと思っているんだけど、その人間に対していくら遠い昔の話とはいえ、「けっ! くっだらねぇ!」とか思ったなんてちょっと、やだなと思ってましたの。よかった。

今日は午後歯医者、その後荷物の発送と買い物。花粉が飛んでいるのでいずれも行動はささっと素早く、ぐずぐずせずに車に乗って帰る、的な。春が来るのはいいのですが、花粉は憂鬱だなー。

馬齢をひとつ重ねました。ではまた

暖かい

今日は晴れて気温も上がり、暖かい1日になりました。
窓を開けて掃除。冬の間はできないことの一つです。布の山に侵食されつつある自分の仕事場も少しだけ片付けました。
最高気温は10℃ちょっとかな? このくらい上がると洗濯物も外に干せるし、今日は久しぶりに布団も干せました。
でも花粉が忍び寄って来ているので・・・。ここから先は花粉対策で布団は外に干せなくなるなー。

 

 『雲上雲下』 朝井まかて
小説のカテゴリーとしてはファンタジーになるのか。昔話をモチーフにした不思議でおもしろい世界がぐいぐい広がっていく小説でした。
語り手が草で、聞き手が子狐、そこに絡んでくるのが山姥。というあたりでもう、うふふって感じだ。いろんな日本の昔話が出てくる。タニシに嫁入りする話、笠地蔵、龍の子太郎・・・。
とても楽しい良作だと思うが、最後の方でかなり教条っぽくなるというか、現代社会への警鐘的側面が強くなり、こんな風にまとめて落としてくれなくてもちりぢりばらばらのお話のままで一向にかまわんのですが、と思った。
☆4.2 猫寺の話に不覚にも落涙

では

 

今夜も雪?

これから明日の朝まで雪の予報。
また積もるのかな・・・。

 花の影 中国映画1996年公開

チェン・カイコーの20年以上前の映画です。録画してあったのを観ました。
主演がレスリー・チャンと、コン・リー。
1920年頃の中国上海が主な舞台で、王道の悲恋ものでした。
レスリー・チャンはこの約7年後に自殺しています。コン・リーは押しも押されぬ大女優になりました。第一次中国映画全盛期の作品によく顔を出しており、日本で言えば吉永小百合とかそんな感じかも?

コン・リーといえば、何と言っても芙蓉鎮、と今回もまた間違えました。
芙蓉鎮は、リュウシャオチン。ほんと何でコン・リーだと思い込んだのか、そしてその間違った記憶がなぜ抜けないのか!

 芙蓉鎮 1986年中国映画
これを観たのは岩波ホール、大学1年だったか2年だったか、どちらか。
何しろ中国が共産党バンザイ以外の映画を作り始めたばかりの頃で(だと思うんですけどね)、そして初めて文革に向き合った作品として大きく取り上げられました。文革は今でも触らないほうがいい題材ですよね、あまり見ないし聞かない。
なんとしても生き抜くという、たしか「豚になっても生き抜け」という名台詞があったと思いますが、中国人の強さしたたかさが強烈に迫ってくる映画でした。
朝外を見て皆が黄色い帽子を被っていたら自分もそうする、皆が赤い帽子を被っていたら自分もそうする、それが中国人だと昔聞いたことがあります。だから文革の時に起きたような悲惨なことが比較的簡単に起きてしまうのだと、この映画を観ても思います。
日本人はそうではない、とも思いませんが。もちろん。
機会があったらもう一度観たいんだけど、なかなか出合いませんね・・・。

因みにこのリュウシャオチンのほうは巨額脱税容疑で捕まった経歴あり。今は復活しているようですが、ファン・ビンビンみたいですね^^;
ファン・ビンビンはどうなったのか。あの最後に撮ったらしいたしか軍が関係する映画はどうなったのか。

この芙蓉鎮、撮影されたのは湖南省の「王村」という実在する村。1993年頃にこの場所を台湾の友人に教えてもらい、行こうとして行けなかった。ある程度の推測はできていましたが、村の名前までは私にはわからなかったな。
2000年代に入ってから、そうだ行ってみようかと調べてみると、既に旅行ブームが始まっていた中国でここはすっかり観光地となり、行っても楽しくなさそうだったのでやめました。あの時行っておけばよかったな~とどれほど後悔したことか。たしか2度、チャンスはあった。1993年(多分)と、1996年。特に96年のときはごく近くまで行っている、というかモロにここを通過したはずですが、長旅の後で疲れ果てており、列車を降りて行く踏ん切りがつかなかった。
ほんと今でも後悔してます。石畳の続く美しく静かな村を歩き、米豆腐なるものを食してみたかったです。米豆腐そのものは、中国のあちこちで似たようなものを食べたことがありますが、なんせ芙蓉鎮の米豆腐は映画の主人公の家業であり、めっぽう美味いと評判だったのですから。

あ、冷蔵庫に杏仁豆腐があるんだった。ではまた

 

 今朝の雪

昨日降った雨が夜には雪に変わり、今朝は7~8cmに積もっていました。これくらいだとさすがに除雪車は来ないです。実際気温も高くなり、日が当たる場所はほとんど溶けました。

昨日は定期検診で医療センターへ。とりあえず今回はクリア。次回の定期検診が半年早まって、少し早めにチェックしましょうということになりました。
いや~な検査なのでそれは嫌ですが、こうしてチェックしてもらっておけば安心です。
まぁ、そうやっている間にぜんぜん別の場所で・・・、なんてこともごく普通にあるのでしょうけれどね。

今日は確定申告を提出しに行き、久しぶりに軽井沢のアウトレットに行って買い物。なぜか買おうと思っていたものとは違うものを買っている、買い物あるあるですな。

 『口笛の上手な白雪姫』  小川洋子

この世とも別の世ともつかぬ場所で、ひっそりと生きている何ものかを切り取ってそっと手のひらにのせて差し出してくれているかのような短編集。
この孤独、寂寥。
小川洋子ワールド。この人にしか書けない世界。
☆4.5 しみじみと、読むことを楽しむ

明日はまた雨になる予報、夜は雪かな

極夜行~勝負をかける旅

 『極夜行』 角幡唯介

4ヶ月も太陽が昇らずその間真の闇に包まれるという北極圏を旅したノンフィクション。著者の本はこれで3作目だと思うが、期待を裏切らない探検家であり、そしてその体験をここまでの文章に昇華できるすごい物書きだと思った。単独で、犬1匹だけを連れて、闇の中を歩き続ける旅。平らな地面の上ではなく、平らな氷の上でもなく、ゴツゴツと障害物だらけの場所を橇を引いて行く。デポした食料はシロクマに食われ、最後の最後には犬を食うしかないと覚悟を決める壮絶な日々。この旅の理由を新たに生まれる、生まれ直す、というところに落とすあたりはさすがだった。
☆5 読んでみて。

本作の中で触れられていたのだが、大学生の時にこの人は成都に行ったことがあるらしい。おそらく1995年前後の話だろうと思う。その頃に早稲田の探検部が成都に行くということは、十中八九チベット狙いではないかと思う。
そこまで考えてふと、もしかして私はこの人に会ったことがあるかもしれないと思いついた。
あれは1994年を挟む前後数年のことだ。早大探検部の学生3人がチベットの話を聞かせてほしいと言ってきた。最初は断った。私以外に適する人間がいると思ったし、その頃既にパニックを患っていて知らない人間には会いたくなかった。
でもどうしてもと言われて嫌々会った。有意義な話なんかできなかったと思う。探検が終わったら報告書を送ると言われたが、送られて来ただろうか? 記憶にはまったくない。

そもそも私はこの手の連中が嫌いだった。身も蓋もないけれども。
何をいい若い衆が3人も雁首並べて人の話なぞ訊いているのかと。
おなごが一人で旅した場所に自分らは3人で行くのだろう、何をびびっているのかと、とっとと行けやと。行けばわかるだろうと。行く前にわかってどうすると。状況は刻々と変わるし私が会った人間に彼らが会うわけもない、彼らが会う人間に私が会っているわけもない、訊いたってしょうがないじゃないか。
もちろん理解はしている。彼らにとって私に会うのは部の決まりごとでクリアすべきハードルの一つ。あの人にも会った、この人にも会った、準備万端、ということだ。そして計画書を作り、OBが関わっている企業を回って金と資材を集めて出発していく。

けっ、くっだらねぇ!!!!!
くっそおもしろくもねぇ!!!!!

自分が遊びに行くのに、よくもまぁ他人様のところに金だのモノだのくれろくれろと言いに行けるなと思う。金は稼ぐもんだ貯めるもんだ、バイトをいくつも掛け持ちして死に物狂いで貯めた金でやる旅じゃなければそこに意味なんかついてこない。他人の金を入れたら旅は死ぬ。
尤も時代はどんどん進み、今ではインターネットを使って募金を集めることが当たり前に行われているらしい。昔はそれでも、誰かのところに行って頭を下げた、恥をかいた(植村直己がそれが出来なくて苦労したのは有名な話だ、しかし植村直己の時代は1ドル360円、この頃個人の資金だけで遠征しろというのはまこと無理な話であり、私はそれすら否定しているわけではない)だろうが、今ではそれもなしに人は他人様の金を当てにしているらしい。
なんということだろうね・・・。

話が逸れた。
そう、会ったことがあるかもしれないな。少なくとも私が会った探検部の面々は、この人の知己ではあるだろうと思う。
だからどうしたという話ではない。そういうことがあった、というだけの話。
で、探検部とかそういう人たちには後に何人も会ったことがあり、誰も彼も気持ちのいい人だったので、今はまったく偏見を持っていないので念の為。

あとがきで、「人には勝負をかけた旅をしなければならない時がある」というようなことが語られていて、うんうんと頷きながら読んだのだが、よく考えてみると、勝負をかける旅をする、などということは一般の人、99.9999%の人にはないのではないかと気付いてふとおもしろかった。
うんうんと頷いたのは、私にも勝負をかけた旅があったからだ。探検部が話を聞きに来た旅だ。地図すらないに等しかったネパールの西端からヒマラヤを越えてチベットに入り聖地カイラス山を巡った旅である。密出国密入国禁足裁判罰金刑ビザなし移動と、色々あった旅だった。彼の極夜行とはあまりにもスケールが違うが、私も私なりにこの旅には勝負をかけたし命もかけた。綿密に計画を立て(実際にはそんなものは何の役にも立たなかった)、現地の情報も出来る限り集めようとし(集まるわけがなかった)、伝手をたどって特殊なビザを取ろうとし(結局取れずにどツボにハマった)、装備道具類を吟味して買い揃えて(これは普通にうまくいった)旅に臨んだ。
何とか無事に拘束されることなく(中華人民共和国を、ビザなしで数週間旅したわけなので出国地点で拘束されるのが普通だろう)香港に抜けて旅を終えた時、自分は今後これを超える旅をすることは決してないだろうと思った、そのとおりになった。幾度か試みたことはあるが、まったくダメだった。
いま自分はあの頃の旅や自分をなつかしく思い出す。新たな旅をしかけようという気持ちはもう殆どない。旅はできる、それはわかっているが、命さえ失うかもしれないがどうしてもやりたい行きたいそれによって自分は人生を変えてみせると思うような旅は、もう二度としないしできないのだ。

そんなことをつらつらと考えた。
著者もこれを超える旅をすることは難しいと書いている。冒険も探検も、もはややりつくされてしまい、新たな「極地」を探すことは難しいだろうと思う。それでもこの人には旅をしてほしいし書いてほしいものだ。

※著者はスポンサードを受けずにこの旅をしている。私は基本的に他人の金を入れた旅は旅として評価しない。仕事としては普通に評価するけれども。私は既に古い人間であり、カチカチの石頭なのだ。