雨や曇りだと強烈な冷え込みはなく、今朝も0℃以上だったと思う。昼前には晴れ間も見えてきた本日。クリやどんぐりの葉もほぼ落ちて、いよいよ冬枯れの風景に近づいてきた。
午後ちょっと自転車。久しぶりだからか、帰ってきたらどっと疲れた。
夜、TVer(すごい久しぶり)で中島みゆきさんの新曲を聴いた。
このドラマは見ていない。映らないというのも理由の一つだし、小児医療というのがもう見る前から泣くだろうという感じでできればスルーしたいジャンルだ。相変わらずテレビでは映らないのだが、関東圏だけに昨夜主題歌が全部流れたという情報を得て、TVerで見てみた。立ち上がらなくて焦った(^^;
倶に というタイトルの歌。みゆきさんらしい歌だった。
一応リンク貼ってみます。ここです
ところで「倶に(ともに)」って、この字は普通使わないと思って20年ぶりとかそんな感じで漢和辞典を引いてみたけど、どうしてこの字をあてたのかはよくわからなかった。そしたらネットで、にんべんとこの右の部分は「みなが両手で捧げる」象形、なのだそうで、そこから「共に」という意味のある文字として成り立った、んだって。
(だから何、と訊かれてもわからん)
あぁでも、「共に」のほうにも「捧げる・そなえる」っていう意味があるんだね。
ふむ。
(さらにわからなくなったけど、まぁいいか)(にんべんが大事なのかしらん)
そろそろコンサートやってくれないかな~
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『極夜行前』 角幡唯介
肩痛があるので本日は読書。数年前に読んだ『極夜行』の、準備段階の数年間が記録された本だった。一つの冒険というか探検というかあるいは「旅」の準備に、何年もかけるというのはそんなに珍しくはないと思うが、それは日本に居ての準備の話であって、現地に渡って物資をデポするとか(またこれが犬ぞりやカヌーという「絶対自力」を貫いてて)、犬を訓練するとか、そういうことに数年を費やすってやっぱりすごい話だと思う。
☆4.8 いやほんとにすごい冒険家で作家だわ!
いろいろな部分部分に「そうなんだよな~」「それなんだよな~」と思いながら読んだ。今の時代の圧倒的な情報量と文明の利器によって、我々はむしろ自由を失いつつあるのではないか、というのは誰もが何となく感じていることだと思う。それは旅に於いてもそうで、30年前なら情報は紙媒体しかなく、誰かが書いた本、雑誌に載った記録、そんなものを探すしかなかったのだが、今はちょちょいと検索すればだーっと情報が(玉石混交で)吐き出される。
どこにも情報がなく、現地で買う青焼きのほとんど空白の地図だけで旅をしていた頃もあったのに、ものすごい進化だと思う。私も西ネパールから西チベットへ越えた時は、NASAの地図くらいしか日本で手に入る情報がなく、それ持って行ったけど地図読みの力が足りなくて最後まで自分の位置を間違えて認識していたなと思い出した。
今の旅人が気の毒だなと思うのは、普段の自分を取り巻く何もかもから隔絶される経験ができないことだ。ネットがない時代は、外に出ている側が頑張って国際電話をかけるなどのアクションを起こさない限り、どこで何をしているのか生きているのか死んでいるのかそれすらわからない、という状況に置かれることができた。私は祖父の死を数か月知らなかった。電話なぞかけないからだ。その頃はみんな絵葉書を買って書いたものだ。旅人は暇だったから、葉書を書くというのはいい暇つぶしになったし、一方通行で我は無事なりと知らせるだけでよかったのだ。
何もかもから隔絶され、自分を知る人の誰もいない土地であっち行ったりこっち行ったりする時に感じる(感じた)自由をこそ、私も求めていたんだろうなと思う。私はどちらかというと、「つながり」にはあまり価値を見出せないタイプの人間なんだろう。
今はどこにいても連絡がついてしまう。「ここにいる私」を全世界にぶちまけられるようになり、絵葉書を書く人も殆ど見かけなくなって、みんな自撮りして「いいね」をもらうことに腐心している。旅先で出会うあれもこれも、単なる消費材料に成り下がってしまったと、私も感じる。
そんな時代に旅をすること。
それは自分にとってどういうことなんだろうと考えてみたいと思った。
ではまた