夜会工場2を見てきました

金曜の午後、心配したほどの雪にならなくてほっとしつつ上京。とはいえ軽井沢はけっこう降って、雪かきが必要でした(夫がやってくれました、謝謝!)。

渋谷ではチケットを譲ってくれた友人と待ち合わせたのですが、私の渋谷度の低さが露呈する事態に。東急百貨店があんなところにあるとは知らなんだ。昔は知っていたのかな~、忘れただけなのかな?
「東急本店で待ってるね」(友人)
「緑の電車が置いてあるところ?」
「違うよ、信号渡ったところ」
「あー、昔東急だったはずなのに、なんたらいうビルになってるけど?」
「違うそこじゃない! bunkamuraはわかる? 109わかる?」
「地図見て行きます」
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Bunkamuraの場所はちゃんと家で地図見て把握していたんだけど、それと東急本店が一緒だということがわからなくて、混乱してしまいました。

そういえば夏過ぎに遊びに来た腐れ縁の悪友が、「おまえ、渋谷に行ったらびっくりするぞ、東急の駅がないんだからな!」と言っていたのはこのことだったのか。たしか信号渡ったところに東急の駅と、東急デパートのしょぼいのがあったんじゃなかったですか? その近くに成城行きのバスが出るところがあって、そのへんは割とわかるはずだったんだけど。
渋谷は大学からのターミナル駅ではありましたが、私は自転車かバイクで通っており、小田急沿線に住んでいたので新宿のほうがやっぱわかるな。

と、どうでもいい話ばかりで。

夜会工場2をやっと見ることができました。友人と軽く食べてしゃべってたら開演ギリになってしまい、バタバタと席について身構える間もなく始まったそれは、もしかすると今までで最も気楽に見た公演になったかもしれません。
チケット、取れなきゃ取れないでしょうがないな、という温度の低さで臨み、実際自分では取れずに友人が回してくれて。でも初日が開いてからは数ヶ月が経っており、その間情報はシャットダウンしていたので当日も「今日行くのか~、なんかぜんぜんその気がしない~」と思いながら。

楽しかったです。

みゆきさん本人が歌う場面は多くはなかったけど、前回は事情によりみゆきさん歌えませんのでこの人が歌います、という印象があったところが、今回は歌手の人が出ていたので代役って感じではまったくなく、それはそれで別の人が歌えばまた別に聴こえるというね。アタルさんの「船を出すなら9月」とか、声がきれいでとてもよかったです。
わが祖国は風の彼方 もよかったな。長い間私の中でこの歌は、どこかチベットに結びついていました。祖国を追われた流氓の民として最も自分に近いのがチベットだからでしょうね。何度も旅をしました。うん、でも昨日見て、シャケの歌になったかも!(シャケが生まれた川を遡上しようとしてるのにダムが出来てて帰れない、っていうシーンの歌だったかな)

前半で、今まで見たことのない人が舞台に上がっていました。最初は「問う女」のキャスター役の紳士。次は「ウインター・ガーデン」の詩を朗読する紳士。どちらもその時に出た人が、今回もまた出ているのかなと思って見てましたら、詩を朗読した人が例のシャケの歌でも舞台にいて、しかも歌ってるじゃないですか。おやまぁ、低音の素敵な俳優さんだと思ってたら歌も歌えるのね! 誰なんだろう???
休憩時間、トイレに並んでいる時に友人にそう聞いてみたら、「は? 文さんだし?」
いつもコーラスのところにいる要するにコーラスの人だったのでした。
とんだ赤っ恥をかいてしまいました。あの時近くにいた人たちは、
「こいつ文さんの顔も知らないのかよ」「情弱だな」「ニワカは帰れ」などと思ったに違いありません。どうもすみません。
後半、そう思って見てみたら、確かによくお見かけしている人だったのでした。なんという鳥頭。

まぁそんなことはあったけど、とにかく大満足でした。すごく楽しかった。
夜会が始まったのが1989年なんだそうです。私にとっての1989年は、旅を始めて2年めの年。それからはや30年。その間、私にはみゆきさんを通じて共有していると思えるものはあまりない、特に前半の20と数年に関しては皆無です。でも、そのすぐ近くで、ああまぁ遠かったかもしれないけど、私にも同じだけの時間が流れたんだな、と、ちょっとしみじみと思ってみたりしました。
正確に言うと29年かな? およそ30年ってことで。

また次のシーズンも。慕情をぜひフルで♪

田町のホテルに泊まり、今日は新宿でちょっと行きたいところがあったのでそこに行き、そうしたらもう東京か大宮に出て新幹線に乗るのがめんどうで、バスで帰ってきました。バスタは半数以上が外国人? カオスでしたわ。
ではまた