ニュージーランド南島の地震、被害が心配ですね。
昨日はニュースなど見ずに呑気にブログを更新してたんだけど、夜になって知っておどろきました。
初めて外国に行ったのは大学に入ってすぐの夏で、その渡航先がニュージーランド、クライストチャーチでした。19歳だったのかな、多分。自分で決めて行ったわけじゃないので、何となく自分の旅歴からは抜いて考えるのですが、今回の報道で、そういえば自分の初・海外はここだったんだなぁと。
私の父は新潟県のスキー場の会社にいましてね。当時、ニュージーランドのマウントハットスキー場と姉妹スキー場になったり、そのお膝もとの町どうしが姉妹都市になったり、したんです。
その関係で、親善訪問というのか、表敬訪問というのか、そういうものがありまして、私はそれにくっついて、生まれて初めて海外へ行ったというわけです。本当にくっついて行っただけなので、やっぱり「自分の旅」じゃないんだけどね。
日本の夏に行ったので現地は冬。スキーもしました。ヘリスキーなんてのもやりましたよ。私はスキー場屋の娘に生まれたけどスキーはそんなに得意じゃないので、まぁ、やってみただけ(笑)。
クライストチャーチの大聖堂、覚えてます。
あんなふうになっちゃうなんて。
ここには10年くらい前にもう一度行きました。その時も父と一緒に。この頃の父は、ちょっと足元とかおぼつかなくなってて、だから付き添いで。首相にもお会いしたりしました。
クライストチャーチは本当に美しい町でしたね。それぞれの家が庭をきれいに作っていて、競い合ってるみたいな感じでした。石造りの家と緑の庭と花、きれいだったな。
初めて行ったとき、わたしは免許取りたてでねぇ。あれ、もしかしたら仮免だったかも? んで、ニュージーランドは羊しかいなくて車を運転するには最適だ、ってんで、レンタカー借りて父と2人であちゃこちゃ行ったことなど思い出しました。湖とか、教会とか、いろいろ行ったなぁ。事故ることもなくてよかったですw
父は昨年末にこの世の人ではなくなりました。
生きていて、頭がしっかりしていたら、この地震の報を受けて悲しんだだろうな。
人だけじゃなくて、地球も、なまもの、なんだねぇ。
変わっていく、移ろっていく、明日どうなっているかなんてわからない、ものなんだなぁ。
変化なんてしそうもないと思っていた中東でも、いろいろなことが起きているし。
私だって火山の足元に住んでる。
この地震の被害が少しでも軽微なものですみますように。みんな無事だといいね。
ではまた
お元気でご帰国、なによりです。
お父様、そうでしたか。ご愁傷様でございます。この悲報をお聞きにならなかったことは私としても少しほっとした気持ちになります。ご高齢の方々にとり悲報ほど辛いものはないのですから。
この狭い日本で、火山活動が浅間山に富士山に飛び火したっておかしくないのですから、日々悔いなく生きようと思います。
無事に帰ってきました~。
ご丁寧なお悔やみ、ありがとうございます。
瓦礫の下にまだ大勢が残されていると思うと、本当に、明日また会えるかどうか誰にもわからない、のだと
思わされますね。