この数日えらく気温が低く、ホットカーペットはもちろん、ストーブまでつける始末。6月も半ばでこれは・・・、いくら軽井沢でも寒すぎる。
昨日(だったと)、午後に地震。
群馬震源のもので、いきなりどんと揺れました。携帯の警報は鳴らなかった。
そして今朝は大阪で大きな地震。
何だか続くな。
気をつけようもないけれども、うーん、お祈り。
明日はすこし気温が上がる予報です。天気はずーっと雨または曇りです。梅雨ですからね・・・。
ではまた
この数日えらく気温が低く、ホットカーペットはもちろん、ストーブまでつける始末。6月も半ばでこれは・・・、いくら軽井沢でも寒すぎる。
昨日(だったと)、午後に地震。
群馬震源のもので、いきなりどんと揺れました。携帯の警報は鳴らなかった。
そして今朝は大阪で大きな地震。
何だか続くな。
気をつけようもないけれども、うーん、お祈り。
明日はすこし気温が上がる予報です。天気はずーっと雨または曇りです。梅雨ですからね・・・。
ではまた
生まれて初めてザック作った!
知恵熱が出そうでした。
もっとシンプルな形にしようと最初は考えたのですが、サイドにポケットがあれば便利だなとか、ストックを挿して固定できるようにしたら便利とか、いろいろ考えたらややこしい形になっちゃった。
ややこしいのはサイド部分かな。底の部分とうまくくっつけるのに半円になってて、そこにポケットも配したもんだからえれぇめんどくさいことになりましたが、力技でなんとか押し込みました^^;
ちょっとわかりにくいかもですが、黄色い部分がもっと上に伸びて、そこにコードが入っててぎゅっと巾着のように絞れます。それを適当にくるっと丸めて、真ん中の黒いバンドで止めてます。
計算では本体だけで24Lくらい。エクステを伸ばすともっと入る。写真で黄色い部分がエクステなので、普段は26Lくらいで使う感じかな。
雨蓋のない形、最近こういうのがメーカーからも出てきてるんですね。少し前にアウトレットに行った時、どこかで見ました。
いいの、降ったら歩かないもん。
歩いてて降ってきちゃったら、ビニール袋でもかぶせときゃ平気^^;
背中側。
ここが大変だろうなと(ショルダーベルト付けたりするから)思ってましたが、意外とすんなりいった。前面のほうが大変だった(間違えて思いっきりほどく工程が増えたせいもある)。
ショルダーベルト付けている図。
別布で押さえる、という方法を取ったのだけど、よく考えてみたら、この部分折り返してこのように補強することもできたかも、いやできる。そうすればよかったな。次回そうします。
しつけ、しつけ、しつけ・・・
この時点で見えている縫い代は、すべてグログランテープという幅2センチのテープでくるんで縫い付けて補強しました。
本体部分ほぼ完成したところ。ポケットの口の紐は、3ミリのかっこいいコードを通す予定だったのに、ハトメを通過させることができなくて、ただの紐になってしまいました。
秘技・ハトロン紙縫い
縫う人なら誰でも知ってる、超薄物を縫う時にはハトロン紙、です。
この部分はシルナイロンという、私が今まで縫った中では最も薄く、そして滑る素材。ハトロン紙なしでは縫製は難しい。
こういう極薄素材を縫う時には、
抑え=弱め
糸=弱め(特に下糸)
あと、あるならテフロン押さえ(私は持ってない)、薄物押さえ、薄物用の縫い板、があるとよいです。
UL、ウルトラライト(登山)という言葉は、たまに見聞きしたこともあったけど、自分が作ろうとまでは思わなかった今まで。
今年、なぜか急にその気になり(山を再開したからかと)、アメリカから生地を取り寄せたのが2~3月。その後必要な各種パーツを少しずつ買い集めて、ようやく取りかかり、完成させることができました。
初めてのことで、型紙も資料もなく、ネットでいろんな画像を見ては参考にしながら作ったので大変でしたけど、楽しかった!
また作りたいと思いまーす。
あ、忘れてた。
重さは310g でした。
300を切る予定だったので惜しい!
とにかく、生地以外にたくさんのパーツ(テープ類やプラスチック)が必要で、軽くするにはそれをなくしちゃえばいいんだけどね^^;
ちょっと色が・・・。
この生地、もうちょっと茶っぽいベージュだった(TAN)、というかそういう色に見えたから買ったんだけど、思いっきりただのベージュだった・・・。
でもまぁエクステに使いたかったオレンジイエローを使えた(バランスとか考えずにとにかく使った)のでいいことにしよう。
今日の軽井沢は一日雨で肌寒かったです。
週末悪天が多く、なかなか山に行けませんにゃ・・・。
ではまた
朝、北の将軍様とアメリカのジャイアンがそれぞれホテルを出るとか出たとか、車列が通ったの通らないの、という報道をひとしきり見てからPCを立ち上げてみると、ヤフーのニュースに森田童子逝去とありました。
亡くなったのは春先のことだったらしいですが。
私がよく聴いていたのは大学まで。卒業後はそれほど聴かなかったかな、いつのまにかテープもなくなっている、と思います。
テープ→テープ、ダビングのテープ。
いちばんよく聴いたのは高校生の頃だったな。
いま「孤立無援の歌」というのを聴いてます。Youtubeは便利ですね。
孤立無援といえば言わずと知れた高橋和巳・・・。
さっきぐぐったら、中島みゆきさんと生まれ年が同じ。
あぁ・・・・・・。
とても素面じゃ聴けない感じもする。
今って、こういう感じの歌ってあるんだろうか?
唐突ですがまたナイロン縫ってます。
これは何でしょう
答えはまたいつか。
出来上がったらね。
今日は晴れる予報で朝から洗濯もしたのに結局曇りで、昼ごろからは雨→雷→大雨になりました。我が家では雹は降りませんでしたが、近隣あちこち降ったみたいです。
連休過ぎたらもう地上波がほとんど映らなくなってきて、天気予報もなかなか見られません。ネットで見ればいいのだけど。
ではまた
(追記)
書くのを忘れましたが、ラスト・ワルツは森田童子さんの曲。いちばん有名なのはたぶん「ぼくたちの失敗」(1980年代にテレビドラマの主題歌になってリバイバルした)だと思う。私は前にも書いた記憶がありますが、耳を聾するような蝉の声のフェイドアウトからこのラスト・ワルツが始まるところの印象がものすごく強くてですね。「アン・ドゥ・トロワ アン・ドゥ・トロワ」という繰り返しを聴いている内にすーっとゆっくりと・・・・・・(どうなるかは各自違うと思うので)
初めてナイロンを縫ってみました。だいぶ前にアメリカから個人輸入したナイロン生地、ザック袋を作ろうと思ったら微妙に足りなかったので、練習に小さなサコッシュみたいなものを作ってみることに。
市販品の形を真似たので画像はなしで^^;
ただ真似たんじゃあまりに芸がないので、内布をつけて、間にウレタンのうす~いのを挟み込んで、クッション性のあるものを作ってみた。カメラとか入れられる。
ナイロン生地の感じは縫ってみてよくわかりました。
意外に伸びる気がする。
あと、シワる。
おもしろいです。
これで次は、大物を作るつもり。
気持ちが落ち着いていない時には、売るものを作らないほうがいいと思うので、自分のものというか練習というか。
もともとそういう性格だったかもしれませんが、特にこのところは、いつもと違う状況になった時に動揺する度合いが大きい気がします。周囲の景色が目には入っているけど、まったく見ていない、把握できないというか。
まぁ、ぼちぼち。
東京まちなか超低山 中村みつを(画伯)
3月に出た本なのに今頃・・・。
実は2月にお知らせのメールを頂いていたのに、それがこの1年ほどは完全に放置しているメールアドレスだったために、気付かなかったという大失態。
ヤフーのメール、もうとんでもないスパムの嵐で・・・。ほったらかしているのです、いま使っているアドレスに皆さん誘導したつもりが漏れてしまって。
はー。注意力欠如ですね。
こちらの本、アマゾンだと妙に高い値段がついているので、他の普通の書店などのほうがいいと思います。私も他を探します。
たまーにテレビなどで、「山」とついているけど実は標高10mのただの土盛り、みたいなのを見たことがありますが、そういう「山」を巡る本。東京に住んでいたら、いろいろ歩いてみたら楽しそう♪ 真夏はきついですが。
昨日書いた昔ご近所だった編集者さん。私よりも一回りちょっと上だったかな。私が30前だったから、彼は40代半ばだったかと。
自宅兼事務所のマンションに伺う度に、片付けろ片付けろとそりゃぁもう説教をしてまして私。片付いていないからものがなくなるし、仕事だって捗らないし、だぶって受けちゃうし、結果的に自爆するのだと、説教しながら片付けました。特に切り出したポジフィルムをなくした時なんかはもう、わたくし烈火のごとく怒りまして、自転車ですっ飛んで行って余計部屋をぐちゃぐちゃにしながら探したもんですわ。見つかったからほんとよかったけど。
実は亡くなったカメラマン氏と行った雨季のジョムソン街道の写真を見てみたくて探したら、残ポジはあったんだけど肝心の切り出したほうがない・・・。おかしい。どこに行ったのか・・・。
今の私の仕事場や頭の中を見たら、「あの頃の俺のほうがましだろ」と言われそうです。
いや、さすがにね、ミシンとアイロン台と裁断台は何とかちゃんと常に救出された状態なのですが、要するにその周囲が、崖から落ちたもので埋まってたりする。
Suicaも見つからないし、ほんといつかちゃんと大掃除しなきゃです。
台風はもう通り過ぎたのかな、軽井沢は一日しとしとと降っていましたが、さして風も強くなりませんでした。
ではまたです
祖師ヶ谷大蔵駅 昔の面影はなく、ひとり浦島太郎になる
往復JRバスで新宿バスタ着発。
20と数年ぶりに小田急線に乗り、祖師ヶ谷大蔵駅へ。生まれ育った成城の隣の駅で、ここまでは中学の学区だったし近いし、当時の行動範囲の中でした。
降り立った祖師ヶ谷大蔵は高架駅になっており、昔の面影は少なくとも駅舎には全くない。商店街をちょろっと歩いてみたけど、チェーンの飲食店に飲み込まれた感じがすごくした。地方だけでなく都市部も、チェーン店でなければ生き残りが難しいんだなと(もちろん普通の店もあったけど・・・)。よく通ったはずの図書館にも行ってみたけど、ぜんぜん見覚えがなかった。移転する前の図書館の記憶が(子供時代だったから)強すぎるのかな。
昔。
25年くらい前、私がまだそのあたりに住んでいた頃に一緒に仕事をしていたカメラマンが亡くなって、昨日はお通夜でした。
自宅が近かったこともあり、当時は「小田急ライン」とか勝手に呼んでいた「仕事つながり」がありました。祖師谷に彼。成城に私。狛江に編集者。それぞれフリーで。でも私は半人前で。いつも仕事を回してもらっては一緒にやらせてもらっていた関係でした。
亡くなった方とは国内でも山やスキー場の取材に何度か。
そしてネパールに1度、取材で行きました。
今にして思えば、彼にとってはそのネパール行きはかなり気合を入れた何かであったのだろうなと。転機というか。仕事の枠を広げるとか。そんな取材だったのではなかったかと思います。
残念ながらその取材は日の目を見ることがありませんでした。約束していた雑誌の休刊が決まり、最終号までのスケジュールに割り込む余地がなかった。
私にとってはもう何度も入っていたネパールであり、その仕事がポシャっても「うーんしょうがないか・・・」ですませてしまったけれど、彼にとっては本当に残念だったのではなかったかな。私にもっと力があれば、何とかできたかもしれないけれど、できなかった。
当時の出版関係者がたくさんみえているだろうな、会いたくない人もいるなと思いながら会場に着くと、真っ先に目に飛び込んできたのが狛江の編集者さんでした。その隣にはみつを画伯。よかったほっとしました。
ところが編集者N氏はチノパンにポロシャツにスニーカーという、通夜らしからぬ服装。山岳関係者はちょっとTPO外した人が多い(人のことは言えませんが)けど、それにしてもどうしたんだろう。まだ山の仕事をしていて、その帰り? と思って訊いてみたら、足に障害を負われて、歩行もままならないと知らされました。
ほんとうに驚きました。
もちろんお互いに年を取り、顔だって多少は変わっているけれども、声も話す内容も昔と何も変わらないのに。
会場を辞した後、N氏を車で送っていくという画伯に誘われて祖師谷まで送っていただくことに。ところが一方通行だらけで道に迷い、結局、成城に向かうことに。母校砧中学の横から駅まで、思わぬ道行きとなり、もう二度と行くことはないと思っていた成城の駅に。ここも高架になっていて、ほんと別の町。
東京を離れてから、長いこと存在していた境界線を、思いがけない理由で越えた、不思議な一時でした。生まれ育った場所(色々あったので鬼門だった)と、出版という世界(こちらは自分が自然消滅)。越えたとは言っても、一瞬でまたこちらに戻ってきたわけで、そちら側に居場所があるかと言えば当然ない。靴を脱ぐ場所はかろうじて空けてあった、のか、いややっぱりなかったのか、どっちかな。わからない。
年に不足がたくさんある人が亡くなったことと、昔散々生意気を言った、仕事場を片付けろ納期を守れ締め切り当日に泣きを入れてくるな、と本当に言いたいことを言って甘えていた人が大変な状況になっていたことのおどろきで。本当のことではないような気がしてならない。
バスタに着いて、きっぷを買い、椅子を確保し、そうだ会場でもらった封筒には何が入っているのだろうと開けてみたら、ポストカードが3枚。最初のは鳥かペンギンの写真(メガネかけてなくて)、彼はこういう撮影もしていたのかと思いながら次をめくると、見覚えのある写真で思わず「あっ」と声を出してしまいました。
彼と行った雨季のネパール、アンナプルナ西側のジョムソン街道で、聖地巡礼に向かうインド人の行者たちが、黒いこうもり傘をさして立っている写真でした。オレンジ色の衣をまとった行者たちは照れたように笑っていたり、軽く片手を上げていたり。一緒にいた私には撮れない、彼だから撮れた写真でした。
合掌
たいしたことではないけど、記録しておかないと忘れるのでメモ。
モバイルSuicaを前に使っていたスマホから機種変更で移して、当座の分チャージしておきました。
モバスイを使っていたのは前の前のスマホ。この時はau 系の格安simを使っていたのだけど、スマホ自体は国産(?)だったのでおさいふケータイが使えました。
今のに替える1つ前はタイ産スマホだったので、使えなかった。
だから出かける時は、スマホとガラケーとモバスイ用のスマホと3つ持ってた!
ようやく1つにまとめることができてうれしい。
まぁ2年だけだけど・・・。その先はどうするか、その時考えよう。
週末急に上京することになったので、思い出してやっておきました。
そういえば、普通のスイカも持ってるんだけど、だいぶ前から見当たらなくて、はてどこに行ったやら・・・。
用事が終わるまでは落ち着かない感じ。
今日は晴れて気温もけっこう上がりました。
ではまた
忘れると大変なので早めに。
コアサーバーとドメインを更新、それぞれ1年分の料金を支払った。
来年の夏までこれで安心♡
ビルマ木綿でタックの入ったワンピースを作りました。
本来はロンジー、それも男性用。
ロンジーはミャンマーの国民服、男女問わず着ている巻きスカートです。
ずっと昔ミャンマーに行ったときは、男性用はシルクが多かった記憶があるけど、最近は化繊も増え、これは木綿。
シンプルなチェック模様に霜降りが効いている布地です。
これ、実は、私が買ったものではありません。
タイに到着したその翌朝に肋骨を折るという大失態を演じたあの時、チェンマイで療養中に夫が国境を越えてミャンマー側タチレクで買ってきてくれたもの。
ようやっと何かになりました。
中厚の木綿。
素朴でシンプルです。
こっから与太話。
コンサートが終わって、飲みにでも行ったのか遅くなり、
「帰れないね~、うちに泊まればいいよ」
という流れになり。
まぁこの時点で夢の話ってことはおわかりですわね。
いつもコンサートの時にお会いしている人たちや、なぜか御本尊までが我が家にお泊りになったんですよね~。
(うちそんなに布団ないよ)
んで翌朝、御本尊からお礼のメールなんか来ちゃってさ。
(御本尊はいつどうやって帰ったのか・・・)
その時はまだお仲間たちはそこにいて、私は
「あら大変、皆さんに転送せねば」
とあたふた。しかしモバイル機器には非常に疎いのでうまくできない。見かねた最もご近所のお仲間さんが
「ちょ、貸して」
と、ちょちょいのちょいとやってくれまして。
その先は覚えてない、多分このへんで夢は終わったんだと。
いや待てよ、御本尊をバス駅に送っていったような気がする・・・(笑)
バス駅ってどこだよ!!
バスに乗っけて見送ったような・・・。
夢って、何で、どこがどうなって、見るんだろう・・・。
昨日はたしか、歌も聴いてないし、DVDとかも見てないし、考えてもいないし。
ほんと不思議。
モルダー、あなた疲れてるのよ・・・・・・(しかし古い!)
ほんとばかですいません。
六四の日にこんなこと書いててほんとしょうもないな。
忘れていないと言えば嘘になる、いつもは思うことはない。でもカレンダーを見て6月4日だと知れば思い出す。
なかったことにして、大国中国は一帯一路を走っていく。それに乗るしかないのは頭ではわかっているけど・・・。
ほんとうに複雑な時代になったと思う。世界は狭くなったかもしれないけど複雑になった、気がする。
ではまた
縫製作業が一段落しました。
てっせん
今日はちゃんとピントが合うのを確認しながら撮れました。
あやめも咲き出した
もはや雑草と化した ふうろ
ピントをぐりぐりしてなんとか合わせて、あとは置きピンして自分が前後にちょっとずれながらえいやっとシャッターを切る。
オートフォーカスが当たり前の時代だけど、そういえば自分が最初に買った一眼レフは、忘れもしないリコーのマニュアル機だったわけで。
こんな風にスピードを要求しない写真の撮り方もいいもんだと再認識。
うん、私がスピードを要求することはまずないんだけど、世の中的に、連写スピードとか、立ち上がりの速さとか、合焦の早さとか、コンマ秒の闘いになっているような気がするので。
ナイロン生地を買ってあったので、前から考えていたザックをすっぽり入れてしまうかばんを作ろうとサイズを計ったりいろいろしてました。
そうしたら、わずかに生地が足りない(!)
私としたことが! なんということか。
接げば何とかなりそうだったけど、そもそも、接ぐことを考えた時点でやめたほうがいいと警報が鳴りました。
で、ネットを見てたら、やっすいダッフルバッグみたいなものがいくらも売られていて、日和ることに。たいしたものを作ろうとしていたわけじゃないから、もういいや、消耗するのはバカげてるとお早い決断。
ということで、ザックかばんを作るのはやめました。
別のものを作ろうと思います。
パターンを考え始めました。楽しみだ。
ではまた~
「さ~今週も縫って上げて!」
と言ってた気がする今週の始めくらい。
縫ってはいるけど上げていない日々が続いています。
オーダー品を縫っているからです。
緊張する・・・。
特に生地がもうこれで終わり、って時の緊張感ったらない。
今日も1点、裁断の時にミスってしまい、ひとり静かに悶絶。
裁断のミスは取り返しがつきません。
ただこれは、生地がまだあった(ほっ・・・)のと、ミスと言っても、通常の型紙で切っちゃった(大きくしようとしてた)ので、通常サイズのものも別途作ればよいと頭をくるくる無駄に回転させてから考え、自分を許す気になりました(笑)。
一段落したら、そろそろ取り掛かってみたいナイロン生地。買ってからもう2ヶ月以上置きっぱなしになっています。ナイロンっておそらく、シルクを縫うよりも難しいんだろうなと想像。シルクが難しいのは伸縮性がおそろしく小さいから、ごまかしが効かない。木綿は伸縮するので、理不尽な(!)パターンでも所謂「いせこみ」も比較的何とか私の技術でもできます。シルクはそうはいかないです。シルクを縫う時のしつけ本数はすごい。しつけしないと特に袖は無理。しつけしたってツレる。
ナイロンは・・・。しつけをするわけにもいかないし(針穴を開けたくない)、どうするんだろう。ちょっと調べてみよう。
あ、まぁ、服を作るわけじゃないから、理不尽なライン同士を合わせることはないと思うけれども・・・。
限界望遠。
エナガちゃんを撮ったつもりが、カワラヒワもちゃっかり横にいた。左の小さいのがエナガ。
エナガは餌台に来ないし、普段庭に来てもわらわらわらわらと動き回り、体もものすごく小さいので撮影できたためしがない。今日は群れが来ていたので、ダメ元で撮ってみました。手持ちだからブレると思ったけど、まぁ多分ブレてるけど、なんとか見られるものが撮れました。
今日は雨で肌寒かった軽井沢。明日はお天気よくなってくる予報です。
ではまた