今夜も雪?

これから明日の朝まで雪の予報。
また積もるのかな・・・。

 花の影 中国映画1996年公開

チェン・カイコーの20年以上前の映画です。録画してあったのを観ました。
主演がレスリー・チャンと、コン・リー。
1920年頃の中国上海が主な舞台で、王道の悲恋ものでした。
レスリー・チャンはこの約7年後に自殺しています。コン・リーは押しも押されぬ大女優になりました。第一次中国映画全盛期の作品によく顔を出しており、日本で言えば吉永小百合とかそんな感じかも?

コン・リーといえば、何と言っても芙蓉鎮、と今回もまた間違えました。
芙蓉鎮は、リュウシャオチン。ほんと何でコン・リーだと思い込んだのか、そしてその間違った記憶がなぜ抜けないのか!

 芙蓉鎮 1986年中国映画
これを観たのは岩波ホール、大学1年だったか2年だったか、どちらか。
何しろ中国が共産党バンザイ以外の映画を作り始めたばかりの頃で(だと思うんですけどね)、そして初めて文革に向き合った作品として大きく取り上げられました。文革は今でも触らないほうがいい題材ですよね、あまり見ないし聞かない。
なんとしても生き抜くという、たしか「豚になっても生き抜け」という名台詞があったと思いますが、中国人の強さしたたかさが強烈に迫ってくる映画でした。
朝外を見て皆が黄色い帽子を被っていたら自分もそうする、皆が赤い帽子を被っていたら自分もそうする、それが中国人だと昔聞いたことがあります。だから文革の時に起きたような悲惨なことが比較的簡単に起きてしまうのだと、この映画を観ても思います。
日本人はそうではない、とも思いませんが。もちろん。
機会があったらもう一度観たいんだけど、なかなか出合いませんね・・・。

因みにこのリュウシャオチンのほうは巨額脱税容疑で捕まった経歴あり。今は復活しているようですが、ファン・ビンビンみたいですね^^;
ファン・ビンビンはどうなったのか。あの最後に撮ったらしいたしか軍が関係する映画はどうなったのか。

この芙蓉鎮、撮影されたのは湖南省の「王村」という実在する村。1993年頃にこの場所を台湾の友人に教えてもらい、行こうとして行けなかった。ある程度の推測はできていましたが、村の名前までは私にはわからなかったな。
2000年代に入ってから、そうだ行ってみようかと調べてみると、既に旅行ブームが始まっていた中国でここはすっかり観光地となり、行っても楽しくなさそうだったのでやめました。あの時行っておけばよかったな~とどれほど後悔したことか。たしか2度、チャンスはあった。1993年(多分)と、1996年。特に96年のときはごく近くまで行っている、というかモロにここを通過したはずですが、長旅の後で疲れ果てており、列車を降りて行く踏ん切りがつかなかった。
ほんと今でも後悔してます。石畳の続く美しく静かな村を歩き、米豆腐なるものを食してみたかったです。米豆腐そのものは、中国のあちこちで似たようなものを食べたことがありますが、なんせ芙蓉鎮の米豆腐は映画の主人公の家業であり、めっぽう美味いと評判だったのですから。

あ、冷蔵庫に杏仁豆腐があるんだった。ではまた

 

 今朝の雪

昨日降った雨が夜には雪に変わり、今朝は7~8cmに積もっていました。これくらいだとさすがに除雪車は来ないです。実際気温も高くなり、日が当たる場所はほとんど溶けました。

昨日は定期検診で医療センターへ。とりあえず今回はクリア。次回の定期検診が半年早まって、少し早めにチェックしましょうということになりました。
いや~な検査なのでそれは嫌ですが、こうしてチェックしてもらっておけば安心です。
まぁ、そうやっている間にぜんぜん別の場所で・・・、なんてこともごく普通にあるのでしょうけれどね。

今日は確定申告を提出しに行き、久しぶりに軽井沢のアウトレットに行って買い物。なぜか買おうと思っていたものとは違うものを買っている、買い物あるあるですな。

 『口笛の上手な白雪姫』  小川洋子

この世とも別の世ともつかぬ場所で、ひっそりと生きている何ものかを切り取ってそっと手のひらにのせて差し出してくれているかのような短編集。
この孤独、寂寥。
小川洋子ワールド。この人にしか書けない世界。
☆4.5 しみじみと、読むことを楽しむ

明日はまた雨になる予報、夜は雪かな

極夜行~勝負をかける旅

 『極夜行』 角幡唯介

4ヶ月も太陽が昇らずその間真の闇に包まれるという北極圏を旅したノンフィクション。著者の本はこれで3作目だと思うが、期待を裏切らない探検家であり、そしてその体験をここまでの文章に昇華できるすごい物書きだと思った。単独で、犬1匹だけを連れて、闇の中を歩き続ける旅。平らな地面の上ではなく、平らな氷の上でもなく、ゴツゴツと障害物だらけの場所を橇を引いて行く。デポした食料はシロクマに食われ、最後の最後には犬を食うしかないと覚悟を決める壮絶な日々。この旅の理由を新たに生まれる、生まれ直す、というところに落とすあたりはさすがだった。
☆5 読んでみて。

本作の中で触れられていたのだが、大学生の時にこの人は成都に行ったことがあるらしい。おそらく1995年前後の話だろうと思う。その頃に早稲田の探検部が成都に行くということは、十中八九チベット狙いではないかと思う。
そこまで考えてふと、もしかして私はこの人に会ったことがあるかもしれないと思いついた。
あれは1994年を挟む前後数年のことだ。早大探検部の学生3人がチベットの話を聞かせてほしいと言ってきた。最初は断った。私以外に適する人間がいると思ったし、その頃既にパニックを患っていて知らない人間には会いたくなかった。
でもどうしてもと言われて嫌々会った。有意義な話なんかできなかったと思う。探検が終わったら報告書を送ると言われたが、送られて来ただろうか? 記憶にはまったくない。

そもそも私はこの手の連中が嫌いだった。身も蓋もないけれども。
何をいい若い衆が3人も雁首並べて人の話なぞ訊いているのかと。
おなごが一人で旅した場所に自分らは3人で行くのだろう、何をびびっているのかと、とっとと行けやと。行けばわかるだろうと。行く前にわかってどうすると。状況は刻々と変わるし私が会った人間に彼らが会うわけもない、彼らが会う人間に私が会っているわけもない、訊いたってしょうがないじゃないか。
もちろん理解はしている。彼らにとって私に会うのは部の決まりごとでクリアすべきハードルの一つ。あの人にも会った、この人にも会った、準備万端、ということだ。そして計画書を作り、OBが関わっている企業を回って金と資材を集めて出発していく。

けっ、くっだらねぇ!!!!!
くっそおもしろくもねぇ!!!!!

自分が遊びに行くのに、よくもまぁ他人様のところに金だのモノだのくれろくれろと言いに行けるなと思う。金は稼ぐもんだ貯めるもんだ、バイトをいくつも掛け持ちして死に物狂いで貯めた金でやる旅じゃなければそこに意味なんかついてこない。他人の金を入れたら旅は死ぬ。
尤も時代はどんどん進み、今ではインターネットを使って募金を集めることが当たり前に行われているらしい。昔はそれでも、誰かのところに行って頭を下げた、恥をかいた(植村直己がそれが出来なくて苦労したのは有名な話だ、しかし植村直己の時代は1ドル360円、この頃個人の資金だけで遠征しろというのはまこと無理な話であり、私はそれすら否定しているわけではない)だろうが、今ではそれもなしに人は他人様の金を当てにしているらしい。
なんということだろうね・・・。

話が逸れた。
そう、会ったことがあるかもしれないな。少なくとも私が会った探検部の面々は、この人の知己ではあるだろうと思う。
だからどうしたという話ではない。そういうことがあった、というだけの話。
で、探検部とかそういう人たちには後に何人も会ったことがあり、誰も彼も気持ちのいい人だったので、今はまったく偏見を持っていないので念の為。

あとがきで、「人には勝負をかけた旅をしなければならない時がある」というようなことが語られていて、うんうんと頷きながら読んだのだが、よく考えてみると、勝負をかける旅をする、などということは一般の人、99.9999%の人にはないのではないかと気付いてふとおもしろかった。
うんうんと頷いたのは、私にも勝負をかけた旅があったからだ。探検部が話を聞きに来た旅だ。地図すらないに等しかったネパールの西端からヒマラヤを越えてチベットに入り聖地カイラス山を巡った旅である。密出国密入国禁足裁判罰金刑ビザなし移動と、色々あった旅だった。彼の極夜行とはあまりにもスケールが違うが、私も私なりにこの旅には勝負をかけたし命もかけた。綿密に計画を立て(実際にはそんなものは何の役にも立たなかった)、現地の情報も出来る限り集めようとし(集まるわけがなかった)、伝手をたどって特殊なビザを取ろうとし(結局取れずにどツボにハマった)、装備道具類を吟味して買い揃えて(これは普通にうまくいった)旅に臨んだ。
何とか無事に拘束されることなく(中華人民共和国を、ビザなしで数週間旅したわけなので出国地点で拘束されるのが普通だろう)香港に抜けて旅を終えた時、自分は今後これを超える旅をすることは決してないだろうと思った、そのとおりになった。幾度か試みたことはあるが、まったくダメだった。
いま自分はあの頃の旅や自分をなつかしく思い出す。新たな旅をしかけようという気持ちはもう殆どない。旅はできる、それはわかっているが、命さえ失うかもしれないがどうしてもやりたい行きたいそれによって自分は人生を変えてみせると思うような旅は、もう二度としないしできないのだ。

そんなことをつらつらと考えた。
著者もこれを超える旅をすることは難しいと書いている。冒険も探検も、もはややりつくされてしまい、新たな「極地」を探すことは難しいだろうと思う。それでもこの人には旅をしてほしいし書いてほしいものだ。

※著者はスポンサードを受けずにこの旅をしている。私は基本的に他人の金を入れた旅は旅として評価しない。仕事としては普通に評価するけれども。私は既に古い人間であり、カチカチの石頭なのだ。

布の迷宮

お客さんから問い合わせがあり、急遽探したカディの生地。
これが見つからない・・・・・・。
今は店は閉めているから、生地も全部自宅に来ているのだけど、倉庫にしている部屋に衣装ケースでびっちり積まれていて、とても一人では探せずに夫にレスキューしてもらった、それでも見つからない。
散々探して、結局、作業場の土布を立ててしまっているダンボールの中に、混じって立っているのを発見しました。

店に品出しをする時期が来たら、今年はとにかくこの倉庫を片付けて、生地をもう少しわかりやすく保管できるようにしようと決意しました。
生地もある程度は店に出していたけれど、今年はどうするか、出さずにこちらに保管しておくかもしれません。そのほうがネズミくんの害からは守れるので。

 それなのに増やす!

先日日暮里で買ってきた生地、全部で22mのやつです。もっと買った気がしていたけど、こんなもんかな???
白生地が10mと多めで、しかも割と目が詰まっているキャンバスだったので重かった。ほか写っている無地はバイアステープ用に買ってみた木綿です。
基本的に服を作る時には、その同じ生地でバイアスも取るのですが、私が使用するアジアの生地にはバイアスに向かないもの、厚かったりもろかったりするものもあるので、そういう場合には別生地で作って使います。薄手で肌触りのよさそうな生地を選びました。

柄の生地は衝動買い!
販売するものは作らないけど、何作ろうかな~?

日暮里の生地屋さんはどこも魅力的で、私も見て歩けば欲しいものばかりです。あれも欲しいこれも欲しい、これはスプリングコート作ったらよさそう、こっちの無地は何色か合わせてかばんにしたらかわいいだろうな~、あーこれはパンツにぴったりじゃないの、などなど、妄想は尽きません。
しかしわが家には既に布の迷宮もしくは密林が。布好き主婦たちが押入れに溜め込んでいるであろう生地の数十倍もしくはそれ以上の規模で。

バイアス! バイアスにする生地を探しに来たんだぞ!

と、何度も自分に言い聞かせ、この程度に収めてみました。
最後に小鳥だけは許した・笑

確定申告もようやく、最後にもう一度「最初からやり直し」になっちゃったけどとにかく書類作成が終わりました。来週出しに行きます。
ではまた~

リルトーキョー! 鳴り止まないよ・・・♪

雨ふりに傘をさす

2月27日は夜会の最終日。自分が当選したチケットで観た今回最初、で、最後になりました。

楽しい「夜会」。
初体験。
終盤の歌って踊っての舞台にはワクワクする。
ミラーボールなんかもキラキラしちゃって、盛り上がることこの上なし。

解き放て! 解き放て!
と、最後に2度歌われる「放生」だけれども。
みゆきさんが解き放たれちゃった感じがした(笑)

そして私自身も、ひとつ長い間拘泥してきたことから解き放たれようと決めました。いや決めたのはもうちょっと前で少しずつ準備して今もまだ途上ではありますが、少なくとも拘泥すること、そのような状態からは脱しようと決めて、そちらに進んでいます。
だからこの歌を聴きながら、「うんまぁこれでいいんだ」と思ったことでございました。

終演後にまた知り合いの方たちと一杯。
ジンギスカンでした。
わたしジンギスカンって生まれて初めてでして、前回は生まれて初めて「牛タン」なるものを食したのですが、なんだか初めて尽くしだったな。
「羊肉=ヤンルー」ならね、中国の特にムスリム圏では食べているのですが。
そういえばジンギスカンというディスコダンスがありましたっけね・・・。

赤坂で泊まって、またまた日暮里へ。今回も白生地中心に、バイアステープ用の無地なども合わせて22mほど購入。前回も同じメーターだったので、このくらいの量が私の許容量なのかと思います。これ以上持とうと思えば持てるけど、歩いて駅戻って電車乗って乗り換えて、となるとこんなもんだと。
雨だから空いているだろうと思ったらどっこい混んでて驚いた。生地を全部デカ目のディパックに押し込んで担いで駅まで。

それから友人宅に寄っておしゃべり。
巷にあふれる間違った日本語について話が弾む。
間違っているとは言い切れないものの違和感のある言葉についても。
「人々に夢や勇気を与えたい」← オマエ何様だよ!
「・・・うれしく思います」← 皇族か!
「勇気をもらいました!」← 違う違うそれはもらうもんと違う
・・・、というようなことです。
あんまりそういうのが氾濫しているので、もしや自分のほうが? と思うこともあったりするけど、大丈夫やっぱりおかしいのはあっち、と確認できてよかった・笑

歩き回った木曜日はいちにち雨で、傘をさしてあちこちうろうろしました。電車に乗るにも折りたたみの傘をたたんでコンビニの袋に入れたりして、ただでさえ荷物が多いのにまた荷物が増え・・・。ふだん雨の日はよほど用事がなければ外に出ないし、出たとしても車なので傘をさして歩くということが皆無に近い。なんとも新鮮な、ああそうそう雨の日ってこういうものだったよねと思えた1日でした。

浅草今半のすき焼き重弁当をお土産に買ってきたのはいいけれど、昨夜は私、今日は夫がお腹を壊し、ほんとに高価なものを食うとテキメンにこれだ! やっぱ私たちにはすき家の牛丼がお似合いだわ!
というところでではまた。

シルバータイム

ちょっと間が空いてしまった美容院に行ってきた。
ずっと通っていたところは早くて安いのはまぁまぁだがとにかく下手な人が多く、下手なだけでなく雑さが目立ってきたので昔通っていた方に数年ぶりに行ってみた。
午前11時頃に着いたかと思うのだが待っている人多数で、少なくとも30分は待つと言われたが、出直すのもめんどうなので待つことに。
待った・・・。
1時間半近く待ってようやくシャンプー台にたどり着く。
案内してくれた人がもはや懇願調で「機械でもよろしいでしょうか???」と訊いてきたので、「いいですよ」と素直に洗車マシーン(笑)に。
ある時期までパニック障害があり、閉所というよりは「ゆるやかな拘束」が発作の引き金になっていたため、この機械は大嫌いというよりも忌避すべきもので、実際忌避していた。それが嫌でここはやめたんだったと思いだした。また、このような場所で待つという行為そのものが引き金になるので、ほとんど待たない空いている(下手な)ところに行っていたのだった。
今現在パニックはどうなったのかというと、鈍感力が増したせいか既にほぼ克服したと思う。20年ほど付き合ってしまったが、ようやくおさらばできたと思う。今日はその確認も兼ねての洗車マシーン。ちょっと汗はかいたけど(まぁ気持ちのいいものではないからね)、恐怖などはなく、成長した(退化したともいう)自分を実感した。

それからカット台に座ってまた待ち、ようやくカット。
「久しぶりに来たらすごく混んでてびっくりした!」
「あ~、そうなんですよ~、特に午後1時からはもう・・・」
そう、待っている間から気付いていた。老人が来ては「受付は1時からです」と言われ、整理券のようなものを渡されて待っている。
はて、受付は1時からとはどういうことか? ここは病院なのか?
と不思議に思ったのだが、午後1時からはシルバータイムとやらで、65歳以上は激安になるらしい。1時からでも早く来て順番を取りたいのは人の常。そんなわけで12時過ぎからはどんどん老人が溜まっていったというわけだ。
「午後は混むので避けたほうが・・・」
「あぁ、じゃぁ思い切って夕方のほうがいいのかな?」
「夕方はパートさんが帰ってしまうので・・・」
「じゃ、朝?」
「朝もすごく混みます、11時から30分くらいが一番・・・」
「今日私その頃に来たんだけどな・・・」
とにかく、混んでいる、のだった。
人手不足、なのだった。
相変わらずデフレは続いている、のだった。

待ち疲れした。

懸案の確定申告もほぼできたと思う。あと最終確認をして、来週には出してしまいたい。それが終わると一段落になるので、3月にも入ることだし、またせっせと縫製しよう。

北の首領がベトナム到着。出迎えるベトナムピープルたちの無邪気なこと。こいつのせいであなたの国のかわいそうな女性が一人、人を殺させられた挙げ句に自分も死刑になろうとしているのにな・・・。有名人が大好きでスマホで撮りたい病は世界共通なんだな。

では

 

雪がない

あいかわらず雪が降らず、畑の雪もどんどん消えて行っているわが家です。建物の影などには残っていますが、道路もほぼ無雪状態。

このまま春が来てくれればよいのですが・・・。

雪がなくてもひまわりの種を出しておけば鳥もりすも大喜びで来ています。冬の楽しみですね。

この週末は確定申告の作業。
一気に整理して書類を作って終わらせるつもりでしたが、手こずってます。
去年は久々に2度も仕入れに出かけたのでその計上やら。
数字に埋もれそう、EXCELのありがたさを再認識しています。

何とか書類作成だけでも早く終わらせたい。

 

ドナルド・キーンさんが亡くなられましたね。
震災後日本に来られ、国籍も取られたと記憶しています。
日本文学を愛し、研究されたキーンさん。
私は国文学科を出てはいるものの、自分の興味のある時代のものしか勉強しなかったので、古い時代のことはよくわかっていません。
幅広い時代の文学を研究された方だと思います。源氏物語が出発点だったらしいし。この『百代の過客』(読売文学賞、日本文学大賞)は読んでみたいな。

ではまた

鳥の声

少しずつ日差しが強くなってきた今日このごろ。気のせいかもしれないけど小鳥の声が変わってきた気がします。今まで聞かなかった声が聞こえる。新しい種類の鳥が来ているのか、それとも春になって求愛とかそういう声が出始めるのか。後者な気がする。春になるにはまだもうちょっとかかるけど、それでも冬も終わりに近づいていることは確かです。

 『赤へ』 井上荒野

死にまつわる短編集、と帯にある。図書館で「死か・・・」と迷いつつ、読みやすそうだったので借りてきた。淡々とした一つ一つは他と何ら関わりのない短編の集まり。淡々と読み進み、特段強烈な何かがあるわけでもないのだが、読むのをやめようとは思わない、そんな本でした。
最後の方に他と文体が異なるものがあり、おやもしかしてこれはノンフィクションではないかと思ったら、やはりそうでした。埴谷雄高が書いた父(井上光晴)の位牌(だったかな?)、とあってわかった。これがとてもよい作品でした。また、最後に入っている一作も、考えさせられました。
☆4.0 埴谷雄高とか井上光晴とか(出てこないが寂聴とか)。昭和は遠くなりにけり。

 

 『もう生まれたくない』長嶋有

ちょいと足をすくわれた。こちらも死にまつわる話なんだけれど、連続する断片が積み重なるとりとめのなさ、登場人物はやたらと多く、こりゃまた一体何なのか、と思いながらなんとか最後まで。いまひとつ、すとんと落ちてくる感じではなかった。
☆3.5 荒野さんと連続して読むにはヘビーだった

注文していたDELLのPCが届きました。チャットで納期の確認をして購入したのですが、今のところPC動いてるし、なんか今は交換のような大掛かりなことを出来ればしたくない気分なので、もう少し先延ばしにしようかと考え中。

すこーしずつ花粉も来てますかね?
ではまた

試作

1つ試作を始めて夕方完成。新しい形は作ってみないとわからないことが多いので、やはり最初は試作です。普通は作らなくてもわかるのかもですが、私の場合は出来てみないとわからん!

 目地を出してるところ
今日使ったのは、タイのカレン族の手織り布。正確にはその手織り布を4枚接ぎ合わせてサロン(巻きスカート)にしてあったもの。サロンとしてはどうにもこうにも売りようがないので、かばんにしようかと出してきましたが、タイ人のおおらかさでまったく目地を無視した裁断&縫製になっており、まずは目地を通さないと。
もう少し若い頃なら、目で見てはさみで裁断できたのですが、今はもう難しいので織り糸を引いて目地を出します。こんなに歪んでます^^;
端っこならこうやって出せるけど、端ではない場合はひたすら1本の縦糸なり横糸なりを追いかけて抜き取るという作業に・・・。そこまで気を使わない場合もあるし、そこまでしなくていい生地ももちろんありますが、アジアの布は織りが甘いことが多いので目地が目立つんですよね。

 試作品完成
接いだところにステッチが入っていて、それを活かそうと四苦八苦、こんな形にしてみました。口のところをぱたんと折る形。肩紐の付け方とか角度とかもやってみないとわからないのでテストしながら。改良点も出ましたので、次回はすこし変えてみようと思います。

先日見てきた夜会リトル・トーキョーの最後に歌われる「さぁ旅立ちなさい」(不正確です私の記憶)と始まる「放生」という歌。仏教用語なんですってな。ほうせい、ではなく、ほうじょう、と読むようです。

 タンブンのことですな
(ネットで借りてきた写真です・感謝)
タイのお寺に行くとこんなふうに小さい籠に鳥ちゃんが入ってて、これを買って放してやって徳を積む、ことができます。タンブンといいます。タンブンは鳥を放すだけじゃなくて、徳を積む、人に何か施すことすべてを指す言葉です。
私も昔、買って放したことがあります。そんなに高いものではなかった(バックパッカーだった私がやったのだから)と思います。

ほら飛んでいきなさい~!

と、籠のふたをあけてやると鳥はたしかに飛んでいくのですが、

あっちゅうまに再び「鳥つかまえ人」たちによって回収されて籠に入り、ここに戻ってきてしまいます(笑)
それを知ってからは、放してやってもねぇ・・・と思ってしまい、タンブンできずにいます。だってねぇ・・・。なんか鳥にとっても酷じゃないですか、すぐに終わりがくる解放って。うまく逃げおおせられればいいけどそうはいかない。

友人でタンブンにはまっている人がいたけど、最近もやってるのかなぁ。
ではまた

ねこへ

急に誘ってもらって、昨日は近所のカラオケボックスへ。
少なくとも昨年は1度もなかったので、かなりの久しぶりでした。

料金が上がり、前みたいに追い出されなくなった(?)のかもしれないけど、部屋が狭くなっててびっくり。カップルならいいけどさ~・笑
どこも経営的には厳しいよな~と妙に現実的なことを考えてしまいました。ちょうどお昼時で、私たちも食事を頼んだのですが、小一時間は音沙汰なく「注文通ってるよね?」「忘れられてない?」と気になる気になる。ひとり見に行ったら、スタッフが1人しかいなくててんてこ舞いだったらしく、ますます人手不足、経営難、とか考える羽目に。

コブクロとか、ゆずとか、聴けてよかった(笑)
ミュージック界的には完全に昭和で終わっている私です。
あとな~~~~、ほんとに声が出ないのは何とかならないのかな。もともと低かった、のかもしれず、高校生の時に何度も喉を潰しているので、そういうせいもあるのかな? あるいはみゆきさんの音域が広い、ということなのかもしれません。
1つだけ、原曲キーで歌えるのを発見した。夜風の中から。覚えとく。

それはそうと。

PCがかなり末期的な症状を引き起こすようになり、そろそろ買い替えになりそう。
いろいろ調べてみたところ、現状ではDELLがいいかな~と半決め。最初はASUSがメモリ8GB入っててHDDは1TBだし、廉価版の中ではいいかと思ったのですが、CPUの性能を調べるとかなり見劣りがする。DELLはメモリ4GBなのだけど、今使っているやつは2GBなので、大丈夫かなと。足りなければ挿せばいいのだと思うし。CPUはそこそこ、ASUSよりはマシなものが使われているようです。
動画見ない(DVD除く)、動画編集とかするわけない、イラストとかもやらない、ゲームもしない、スペック的にはこれで十分かな。

しかしPCというのはこうして無限に進化し続けていくのでしょうかね。いつかは限界に達するのだろうか。メモリ4GBで大丈夫かな~、とか今でこそ思うけど、昔はGBじゃなくてMBでしたからねぇ。その頃から考えたら天文学的進化を遂げているのだけど、これ以上進化されてもこちらにはあまり関係がない、あるとすれば重くなり続けるOS対応くらいかな。

その前に確定申告・・・・・・orz