ラスト・ワルツ

朝、北の将軍様とアメリカのジャイアンがそれぞれホテルを出るとか出たとか、車列が通ったの通らないの、という報道をひとしきり見てからPCを立ち上げてみると、ヤフーのニュースに森田童子逝去とありました。
亡くなったのは春先のことだったらしいですが。
私がよく聴いていたのは大学まで。卒業後はそれほど聴かなかったかな、いつのまにかテープもなくなっている、と思います。
テープ→テープ、ダビングのテープ。
いちばんよく聴いたのは高校生の頃だったな。

いま「孤立無援の歌」というのを聴いてます。Youtubeは便利ですね。
孤立無援といえば言わずと知れた高橋和巳・・・。

さっきぐぐったら、中島みゆきさんと生まれ年が同じ。
あぁ・・・・・・。

とても素面じゃ聴けない感じもする。
今って、こういう感じの歌ってあるんだろうか?

唐突ですがまたナイロン縫ってます。

 これは何でしょう

答えはまたいつか。
出来上がったらね。

今日は晴れる予報で朝から洗濯もしたのに結局曇りで、昼ごろからは雨→雷→大雨になりました。我が家では雹は降りませんでしたが、近隣あちこち降ったみたいです。
連休過ぎたらもう地上波がほとんど映らなくなってきて、天気予報もなかなか見られません。ネットで見ればいいのだけど。
ではまた

(追記)
書くのを忘れましたが、ラスト・ワルツは森田童子さんの曲。いちばん有名なのはたぶん「ぼくたちの失敗」(1980年代にテレビドラマの主題歌になってリバイバルした)だと思う。私は前にも書いた記憶がありますが、耳を聾するような蝉の声のフェイドアウトからこのラスト・ワルツが始まるところの印象がものすごく強くてですね。「アン・ドゥ・トロワ アン・ドゥ・トロワ」という繰り返しを聴いている内にすーっとゆっくりと・・・・・・(どうなるかは各自違うと思うので)

ナイロンを縫う

初めてナイロンを縫ってみました。だいぶ前にアメリカから個人輸入したナイロン生地、ザック袋を作ろうと思ったら微妙に足りなかったので、練習に小さなサコッシュみたいなものを作ってみることに。

市販品の形を真似たので画像はなしで^^;
ただ真似たんじゃあまりに芸がないので、内布をつけて、間にウレタンのうす~いのを挟み込んで、クッション性のあるものを作ってみた。カメラとか入れられる。
ナイロン生地の感じは縫ってみてよくわかりました。
意外に伸びる気がする。
あと、シワる。
おもしろいです。
これで次は、大物を作るつもり。

気持ちが落ち着いていない時には、売るものを作らないほうがいいと思うので、自分のものというか練習というか。
もともとそういう性格だったかもしれませんが、特にこのところは、いつもと違う状況になった時に動揺する度合いが大きい気がします。周囲の景色が目には入っているけど、まったく見ていない、把握できないというか。

まぁ、ぼちぼち。

 

 東京まちなか超低山 中村みつを(画伯)

3月に出た本なのに今頃・・・。
実は2月にお知らせのメールを頂いていたのに、それがこの1年ほどは完全に放置しているメールアドレスだったために、気付かなかったという大失態。
ヤフーのメール、もうとんでもないスパムの嵐で・・・。ほったらかしているのです、いま使っているアドレスに皆さん誘導したつもりが漏れてしまって。
はー。注意力欠如ですね。
こちらの本、アマゾンだと妙に高い値段がついているので、他の普通の書店などのほうがいいと思います。私も他を探します。
たまーにテレビなどで、「山」とついているけど実は標高10mのただの土盛り、みたいなのを見たことがありますが、そういう「山」を巡る本。東京に住んでいたら、いろいろ歩いてみたら楽しそう♪ 真夏はきついですが。

昨日書いた昔ご近所だった編集者さん。私よりも一回りちょっと上だったかな。私が30前だったから、彼は40代半ばだったかと。
自宅兼事務所のマンションに伺う度に、片付けろ片付けろとそりゃぁもう説教をしてまして私。片付いていないからものがなくなるし、仕事だって捗らないし、だぶって受けちゃうし、結果的に自爆するのだと、説教しながら片付けました。特に切り出したポジフィルムをなくした時なんかはもう、わたくし烈火のごとく怒りまして、自転車ですっ飛んで行って余計部屋をぐちゃぐちゃにしながら探したもんですわ。見つかったからほんとよかったけど。

実は亡くなったカメラマン氏と行った雨季のジョムソン街道の写真を見てみたくて探したら、残ポジはあったんだけど肝心の切り出したほうがない・・・。おかしい。どこに行ったのか・・・。
今の私の仕事場や頭の中を見たら、「あの頃の俺のほうがましだろ」と言われそうです。
いや、さすがにね、ミシンとアイロン台と裁断台は何とかちゃんと常に救出された状態なのですが、要するにその周囲が、崖から落ちたもので埋まってたりする。
Suicaも見つからないし、ほんといつかちゃんと大掃除しなきゃです。

台風はもう通り過ぎたのかな、軽井沢は一日しとしとと降っていましたが、さして風も強くなりませんでした。
ではまたです

東京とんぼ返り


祖師ヶ谷大蔵駅 昔の面影はなく、ひとり浦島太郎になる

往復JRバスで新宿バスタ着発。
20と数年ぶりに小田急線に乗り、祖師ヶ谷大蔵駅へ。生まれ育った成城の隣の駅で、ここまでは中学の学区だったし近いし、当時の行動範囲の中でした。
降り立った祖師ヶ谷大蔵は高架駅になっており、昔の面影は少なくとも駅舎には全くない。商店街をちょろっと歩いてみたけど、チェーンの飲食店に飲み込まれた感じがすごくした。地方だけでなく都市部も、チェーン店でなければ生き残りが難しいんだなと(もちろん普通の店もあったけど・・・)。よく通ったはずの図書館にも行ってみたけど、ぜんぜん見覚えがなかった。移転する前の図書館の記憶が(子供時代だったから)強すぎるのかな。

昔。
25年くらい前、私がまだそのあたりに住んでいた頃に一緒に仕事をしていたカメラマンが亡くなって、昨日はお通夜でした。
自宅が近かったこともあり、当時は「小田急ライン」とか勝手に呼んでいた「仕事つながり」がありました。祖師谷に彼。成城に私。狛江に編集者。それぞれフリーで。でも私は半人前で。いつも仕事を回してもらっては一緒にやらせてもらっていた関係でした。
亡くなった方とは国内でも山やスキー場の取材に何度か。
そしてネパールに1度、取材で行きました。
今にして思えば、彼にとってはそのネパール行きはかなり気合を入れた何かであったのだろうなと。転機というか。仕事の枠を広げるとか。そんな取材だったのではなかったかと思います。
残念ながらその取材は日の目を見ることがありませんでした。約束していた雑誌の休刊が決まり、最終号までのスケジュールに割り込む余地がなかった。
私にとってはもう何度も入っていたネパールであり、その仕事がポシャっても「うーんしょうがないか・・・」ですませてしまったけれど、彼にとっては本当に残念だったのではなかったかな。私にもっと力があれば、何とかできたかもしれないけれど、できなかった。

当時の出版関係者がたくさんみえているだろうな、会いたくない人もいるなと思いながら会場に着くと、真っ先に目に飛び込んできたのが狛江の編集者さんでした。その隣にはみつを画伯。よかったほっとしました。
ところが編集者N氏はチノパンにポロシャツにスニーカーという、通夜らしからぬ服装。山岳関係者はちょっとTPO外した人が多い(人のことは言えませんが)けど、それにしてもどうしたんだろう。まだ山の仕事をしていて、その帰り? と思って訊いてみたら、足に障害を負われて、歩行もままならないと知らされました。
ほんとうに驚きました。
もちろんお互いに年を取り、顔だって多少は変わっているけれども、声も話す内容も昔と何も変わらないのに。

会場を辞した後、N氏を車で送っていくという画伯に誘われて祖師谷まで送っていただくことに。ところが一方通行だらけで道に迷い、結局、成城に向かうことに。母校砧中学の横から駅まで、思わぬ道行きとなり、もう二度と行くことはないと思っていた成城の駅に。ここも高架になっていて、ほんと別の町。

東京を離れてから、長いこと存在していた境界線を、思いがけない理由で越えた、不思議な一時でした。生まれ育った場所(色々あったので鬼門だった)と、出版という世界(こちらは自分が自然消滅)。越えたとは言っても、一瞬でまたこちらに戻ってきたわけで、そちら側に居場所があるかと言えば当然ない。靴を脱ぐ場所はかろうじて空けてあった、のか、いややっぱりなかったのか、どっちかな。わからない。
年に不足がたくさんある人が亡くなったことと、昔散々生意気を言った、仕事場を片付けろ納期を守れ締め切り当日に泣きを入れてくるな、と本当に言いたいことを言って甘えていた人が大変な状況になっていたことのおどろきで。本当のことではないような気がしてならない。

バスタに着いて、きっぷを買い、椅子を確保し、そうだ会場でもらった封筒には何が入っているのだろうと開けてみたら、ポストカードが3枚。最初のは鳥かペンギンの写真(メガネかけてなくて)、彼はこういう撮影もしていたのかと思いながら次をめくると、見覚えのある写真で思わず「あっ」と声を出してしまいました。
彼と行った雨季のネパール、アンナプルナ西側のジョムソン街道で、聖地巡礼に向かうインド人の行者たちが、黒いこうもり傘をさして立っている写真でした。オレンジ色の衣をまとった行者たちは照れたように笑っていたり、軽く片手を上げていたり。一緒にいた私には撮れない、彼だから撮れた写真でした。

合掌

おさいふケータイ復活

たいしたことではないけど、記録しておかないと忘れるのでメモ。

モバイルSuicaを前に使っていたスマホから機種変更で移して、当座の分チャージしておきました。

モバスイを使っていたのは前の前のスマホ。この時はau 系の格安simを使っていたのだけど、スマホ自体は国産(?)だったのでおさいふケータイが使えました。
今のに替える1つ前はタイ産スマホだったので、使えなかった。
だから出かける時は、スマホとガラケーとモバスイ用のスマホと3つ持ってた!
ようやく1つにまとめることができてうれしい。
まぁ2年だけだけど・・・。その先はどうするか、その時考えよう。

週末急に上京することになったので、思い出してやっておきました。
そういえば、普通のスイカも持ってるんだけど、だいぶ前から見当たらなくて、はてどこに行ったやら・・・。

用事が終わるまでは落ち着かない感じ。
今日は晴れて気温もけっこう上がりました。
ではまた

新作など

S-S-CBC1-04 ビルマ木綿タックワンピ

ビルマ木綿でタックの入ったワンピースを作りました。

本来はロンジー、それも男性用。
ロンジーはミャンマーの国民服、男女問わず着ている巻きスカートです。
ずっと昔ミャンマーに行ったときは、男性用はシルクが多かった記憶があるけど、最近は化繊も増え、これは木綿。
シンプルなチェック模様に霜降りが効いている布地です。

これ、実は、私が買ったものではありません。
タイに到着したその翌朝に肋骨を折るという大失態を演じたあの時、チェンマイで療養中に夫が国境を越えてミャンマー側タチレクで買ってきてくれたもの。
ようやっと何かになりました。

中厚の木綿。
素朴でシンプルです。

 

こっから与太話。

コンサートが終わって、飲みにでも行ったのか遅くなり、
「帰れないね~、うちに泊まればいいよ」
という流れになり。

まぁこの時点で夢の話ってことはおわかりですわね。

いつもコンサートの時にお会いしている人たちや、なぜか御本尊までが我が家にお泊りになったんですよね~。
(うちそんなに布団ないよ)
んで翌朝、御本尊からお礼のメールなんか来ちゃってさ。
(御本尊はいつどうやって帰ったのか・・・)
その時はまだお仲間たちはそこにいて、私は
「あら大変、皆さんに転送せねば」
とあたふた。しかしモバイル機器には非常に疎いのでうまくできない。見かねた最もご近所のお仲間さんが
「ちょ、貸して」
と、ちょちょいのちょいとやってくれまして。
その先は覚えてない、多分このへんで夢は終わったんだと。

いや待てよ、御本尊をバス駅に送っていったような気がする・・・(笑)
バス駅ってどこだよ!!
バスに乗っけて見送ったような・・・。

夢って、何で、どこがどうなって、見るんだろう・・・。
昨日はたしか、歌も聴いてないし、DVDとかも見てないし、考えてもいないし。
ほんと不思議。

モルダー、あなた疲れてるのよ・・・・・・(しかし古い!)

ほんとばかですいません。

六四の日にこんなこと書いててほんとしょうもないな。
忘れていないと言えば嘘になる、いつもは思うことはない。でもカレンダーを見て6月4日だと知れば思い出す。
なかったことにして、大国中国は一帯一路を走っていく。それに乗るしかないのは頭ではわかっているけど・・・。
ほんとうに複雑な時代になったと思う。世界は狭くなったかもしれないけど複雑になった、気がする。

ではまた

一段落

縫製作業が一段落しました。

 てっせん
今日はちゃんとピントが合うのを確認しながら撮れました。

あやめも咲き出した

もはや雑草と化した ふうろ

ピントをぐりぐりしてなんとか合わせて、あとは置きピンして自分が前後にちょっとずれながらえいやっとシャッターを切る。
オートフォーカスが当たり前の時代だけど、そういえば自分が最初に買った一眼レフは、忘れもしないリコーのマニュアル機だったわけで。
こんな風にスピードを要求しない写真の撮り方もいいもんだと再認識。
うん、私がスピードを要求することはまずないんだけど、世の中的に、連写スピードとか、立ち上がりの速さとか、合焦の早さとか、コンマ秒の闘いになっているような気がするので。

ナイロン生地を買ってあったので、前から考えていたザックをすっぽり入れてしまうかばんを作ろうとサイズを計ったりいろいろしてました。
そうしたら、わずかに生地が足りない(!)
私としたことが! なんということか。
接げば何とかなりそうだったけど、そもそも、接ぐことを考えた時点でやめたほうがいいと警報が鳴りました。
で、ネットを見てたら、やっすいダッフルバッグみたいなものがいくらも売られていて、日和ることに。たいしたものを作ろうとしていたわけじゃないから、もういいや、消耗するのはバカげてるとお早い決断。
ということで、ザックかばんを作るのはやめました。

別のものを作ろうと思います。
パターンを考え始めました。楽しみだ。

ではまた~

縫ったが上げない

「さ~今週も縫って上げて!」
と言ってた気がする今週の始めくらい。
縫ってはいるけど上げていない日々が続いています。
オーダー品を縫っているからです。
緊張する・・・。
特に生地がもうこれで終わり、って時の緊張感ったらない。

今日も1点、裁断の時にミスってしまい、ひとり静かに悶絶。
裁断のミスは取り返しがつきません。
ただこれは、生地がまだあった(ほっ・・・)のと、ミスと言っても、通常の型紙で切っちゃった(大きくしようとしてた)ので、通常サイズのものも別途作ればよいと頭をくるくる無駄に回転させてから考え、自分を許す気になりました(笑)。

一段落したら、そろそろ取り掛かってみたいナイロン生地。買ってからもう2ヶ月以上置きっぱなしになっています。ナイロンっておそらく、シルクを縫うよりも難しいんだろうなと想像。シルクが難しいのは伸縮性がおそろしく小さいから、ごまかしが効かない。木綿は伸縮するので、理不尽な(!)パターンでも所謂「いせこみ」も比較的何とか私の技術でもできます。シルクはそうはいかないです。シルクを縫う時のしつけ本数はすごい。しつけしないと特に袖は無理。しつけしたってツレる。
ナイロンは・・・。しつけをするわけにもいかないし(針穴を開けたくない)、どうするんだろう。ちょっと調べてみよう。
あ、まぁ、服を作るわけじゃないから、理不尽なライン同士を合わせることはないと思うけれども・・・。

限界望遠。
エナガちゃんを撮ったつもりが、カワラヒワもちゃっかり横にいた。左の小さいのがエナガ。
エナガは餌台に来ないし、普段庭に来てもわらわらわらわらと動き回り、体もものすごく小さいので撮影できたためしがない。今日は群れが来ていたので、ダメ元で撮ってみました。手持ちだからブレると思ったけど、まぁ多分ブレてるけど、なんとか見られるものが撮れました。

今日は雨で肌寒かった軽井沢。明日はお天気よくなってくる予報です。
ではまた

 

鶴ちゃん!

横綱・鶴竜が2連覇。昨日の栃ノ心戦、今日の白鵬戦、どちらも堂々とした勝ちっぷりでした。引かなかったですね~、今場所は調子よかったのでしょう。
栃ノ心も来場所からは大関。
遠藤は残念でした、というかね、そろそろしこ名を何とかしたらどうかと思うんですけど・・・、もう遅いのかな。
強そうなしこ名にしてほしい。怪我も減るようなやつ(無理か)。

 キジが庭に
滅多に撮れることがないし、今回も遠かったのでほとんどあきらめて一応撮ってみたところ、撮れてた(笑)


はっ! 見られてる!

と、上の写真は2枚とも、商品撮影に使っているカメラ。かなり望遠が効くので、野鳥の撮影などにも向いていそうです。前にキビタキを撮ったっけ。

 てっせん
つい数日前にも撮りましたが、別のカメラで。


つつじの伸びちゃった枝

この2枚は、ミラーレスのカメラに、古い古いレンズを、アダプターをかませて付けて、撮ってみたもの。
レンズはタクマーの35ミリF3.5。
父親が使っていて、子どもだった兄に譲り、兄が鉄ちゃんしてた頃のものだと思います。レンズケースに兄貴の名前が書いてある(笑)。ぐりぐりねじではめ込んでいくタイプのレンズで、私が初めて一眼レフカメラを買った昭和の終わり頃でも、姿を消していたタイプですね。
カメラのボディーは何年か前にオクで売ってしまったんだけど、何となくレンズは売らずに取っておいた。理由は忘れました、売れないと思った、多分。

んで。

ファインダーを覗いてピントを合わせるわけなんですけど、回しても回してもまったくピントが合わないのですよ。どっちに回してもぼけていくだけ。何となくこのへんかなと思うけれども、その時の見えている像はまったくピンが来ていません。液晶で見るとピントが来ているように見えることもあり、そんなわけで上の写真はどちらも、「んー、このへんかねぇ???」ってな感じでシャッターを切ったのです。

別のメーカーのレンズを無理やりアダプタ噛ませてくっつけているわけだから、ピントが合う合わないは確認できないのだろうか。でもそれじゃ、誰も写真撮れないよね・・・。

と、このへんまで悩んでから、ふと思いつきました。

老眼だからじゃない?????

そっかぁ、老眼鏡かけてファインダー覗かないとダメなんだ!
だって老眼なんだもん!

いやぁ、人生は毎日、学ぶことの連続ですね(違

半分合ってて半分違う。老眼だからファインダーで合焦させることができない、合焦点がわからない、これは正しい。
でも老眼鏡をかけてファインダーを覗くのではなく、視度調整ダイヤルというのがちゃんとあって(知らなかった!)、それで調整できるのでした。やってみたら、前よりちゃんと見えるようになりました。ほっとした。

ほっとしたところで、ではまた

 

石尊山に登った

どっか登ろうかなー、どこがいいかなー。
黒斑は先週登ったし、湯の丸は来月友人と登る予定だし、あまり遠いのは嫌だし。
ってことで。
出ました裏山登山、石尊山。
笑っちゃうくらい近い、もろ登山道に住んでる(笑)。

夫に新しい登山靴(もうちょっと登山靴っぽいの買えば? と思うくらい殆どスニーカーだろ! レベルのもの)を支給したので、そのテストも兼ねて。

こんな里山低山ですが、何組かは登っている人がいました。
山ガールズもいたし、健脚おじさんたちもいた。
私はおっさんこどもみたいな、例によってコーディネートとか無視のありもの服だったので、追い抜いた時にガールズが笑ってたのはそれなのか!?
うーん、サンキの390円短パンとか、ワークマンのロンTとか、25年前のラテラのTシャツとか、ダサかったのかもしれん。

まぁそれはいいです。

無雪期の石尊山は久しぶりかも。意外に登りきついわー。なんだろう、暑かったせいかな。雪があった時のほうが楽だった気がするのは多分気のせいだけど、暑さは大敵かもですね。
先週の黒斑は出発点が既に2000。こっちは出発点1000だから。


上の方まで行ったらイワカガミがよく咲いてました


ズミ、ってこのへんでは呼ぶけど、コナシかな? 満開


上の写真じゃよくわかんないので、こんな花

おはぐろ池、おはぐろ、って鉄漿と書くくらいだから、鉄分の多い水でありんす。帰りにこのちょっと上の流れているところで水なめてみたけど、鉄くさかった(なめるな!)

この山は、登っている間に時々沢に近づいたり、沢を渡ったりするのですが、その沢は全部この水。下では「泥川」と呼ばれているくらい、赤茶色に濁っています。上の方では色はそれほどではないけど、やはり透明ではない。ここを登る度に、きれいな水が流れていればな~、といつも思う。

キレのない浅間山。石尊山の山頂から。
途中でカメラのモードダイヤルが勝手に回ってしまってて、開放で撮れてました。それでもシャッタースピードは1/2000だから、うーんどうなのこういう場合、ようわからん。手前がボケてる感じもないしなー。
空は晴れてたような気がするんだけど、いや晴れてた、日陰を探してとっとと山頂を立ち去ったので。ていうことは撮り方ですかなやっぱり。

こんくらいは寄れる! の写真。
イワカガミとツマトリソウの2ショット。ツマトリソウは家にもあちこちで咲いてるけど、さすがにイワカガミはない、と思う。ツマトリソウの白が飛んでるので、もっと上手に撮れればよかったです。

にしてもやっぱり寄りはここまでなので、
「もっと寄りたいよね~」と思ってしまうのが人の性。
なんか急にカメラ小僧みたいになってます。

夫の登山靴はアウト! だったようで・・・。
靴は難しい。
ではまた