まさかすぎる人生が♪ 術後1か月

手術から1か月が経過しました。あっという間でした。もうそんなに経ったのかと思います。

以下傷の状態の話など、要注意

傷口はもちろんすっかりふさがり、心配はなし。とはいえ痒みは傷口とその周辺にかなりある。神経痛のような痛みは胸の上部から脇、腕にかけて。いちばん強いのは胸の上部、そのため衣服が擦れるとたまらん。
つっぱり感も続いている。少しずつ減ってはいる。
時々ズキーンという痛みが傷に来る。
脇の傷はいわゆる「縫った!」傷だが、胸の傷はV字谷のような感じ、地震の時の大陸間プレートが、の図のように窪みがすーっと走っている感じだ。これでいいのかどうかはわからないが、多分どーしようもない(^^;
傷は昨日からアトファインという絆創膏と、シリコンゲルみたいなやつを貼りつけるタイプのものにしてみた。両方ともアマゾンで。
肩の可動域はあるところまで戻ったらその先に行かない状態。まったく同じになるにはまだ時間が必要らしい(まったく、は無理なのかもね)。
味覚障害はかなり戻ったが、右側の「ぜんぶ泥を噛んでいる」のはまだ続く。

痛い痒いピリピリするつっぱる、こういうのはあるけれど、かなり普通の生活に戻れているのを実感しています。今日は畑で少し耕してみました。最初は痛いけど慣れる! 畳2枚分くらいだけどしっかり耕せたのでよかった。
昨日ミシンを数時間動かしたせいで、夜寝てからごく軽い眩暈が来ました。久しぶりに度の強い眼鏡をかけて、手元を凝視したせいだと思います。やめてみた薬のせいも多少はあるかもしれませんが、焦らずにいこうと思います。

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入院していた4人部屋はナースステーションから最も遠い部屋でした。病棟はステーションを真ん中に左右にウイングのように広がっており、中央にはラウンジのような、お茶を飲んだり座ったりできる場所がありました。そういうところを手術前は好奇心やら何やらでうろうろし、ひたすら廊下を歩き。手術後はちょっと弱弱しくなりながらもやはり暇なのでうろうろしてました。
作務衣姿の60代後半くらいの男性とよく顔を合わせました。何の病気かな、ラウンジでは趣味の工作のようなことをされていました。
ある日私がお茶を飲みに行くと、退院されるらしい私服姿の男性がいて、私を見るとニコニコして「やっと退院できますわ! 長かったですわ!」と。作務衣の男性だったのでした。服が違うとわからない……。私は「おめでとうございます!」と言葉を返し、その方は足取りも軽く(ほんとに軽いの)退院して行かれました。

タイトルの歌詞です。病院童、というあの方の歌ですが、私の中では不思議歌の分類に入っていて、特に琴線に響くようなことは何もありませんでした。あの方の博愛ぶりには頭が下がるけどそれだけでした。
それが入院してみると、「あぁ、うー」と、わかる。
まさか自分が。
まさかこんな病気に。
病棟にいる制服を着ていない人は全員、そう思いつつ生きている病人です。
まさかすぎる人生が 行ったり来たりする、という歌詞そのままに、少し元気のある病人は廊下をひたすらあっちへ歩き、引き返し、している。

病気になんかならないほうがいいに決まっている。癌から逃げきれる一生のほうがいいに決まっています。
でも、逃れられなかったのだからせめて、今まで知らなかった世界を垣間見た、くらいのお土産はあってもいいかな。

因みに私のベッドは廊下側でした。窓側だと開放感も明るさもあるけど、今はコロナのせいもあるのかベッドを囲むカーテンを完全に引いているので、廊下側はひたすら閉塞感ばかり。故に廊下側ベッドの人のほうが、廊下うろうろ率は高いような気がしました。
廊下側になるか窓側になるかは二分の一の確率。乳がんは九分の一。二分の一を当てられないのに、なんで九分の一は当てちゃうのか、と、しみじみ思ったりして(^^;

昨日、工房で久しぶりに音楽再生装置のスイッチを入れたら、アルバム「親愛なる者へ」がスタートしました。前回ここで終わっていたらしい。これには大好きな「小石のように」が入っていますな。サビが高音でめげるから歌いづらいけど。

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い

ではまた

泥藍やすももや縫製再開

 水に浸けた藍、3日目

ギラギラしたものが浮いていていい感じ

 中身を取り出すとこんな感じ

 石灰を加えて攪拌

この攪拌が1度目はぜんぜん足りなかったのだけど……

 藍、建ってるじゃないか!

いや違うけど。実際に藍を建てる時に、表面がこんな風になると「建った」という判断になるのですわ。

このあと上澄みを捨てていくんだけど、かなり捨てたところで「出来てない」ことがわかり、再び攪拌して今は放置しています。長く放置すれば沈殿するかなぁと。ダメならダメでもうしょうがない(^^;

 暑いのにゃ

 今年は豊作彩の姫

 こんな大きさのもできました

 高級椅子を占拠する梅さん
一応本革なのでどうでもいいシュラフを広げてかけています。そこがお気に入りで、すぐに占拠される。

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今日、久しぶりに縫製をしてみました。だいぶブランクを空けたので、まずは自分の通院服でリハビリ。手が覚えているはずの糸掛けとか、忘れているところがありました。忘れるんですねー、そっか一度死んだからだ(違!
裁断なんかも手際が悪い。どういう風にやっていたんだっけ?? と確認しつつ、のたくたと型紙を置いて裁断して、縫製しかかりです。
特に問題になる作業はない感じ。左側で不幸中の幸いでした。右側だとアイロンがつらかった可能性がありました。始終アイロンかけるのが仕事だから、ほんとによかったです……。

 『天路』 リービ英雄
新刊コーナーで見つけてタイトルに魅かれ、次に装丁の写真に魅かれ。どっから見てもチベットでしょ、ということで借りてみたんだけど。途中で離脱した。
アメリカ人であり、現在は日本に住んでいる著者が、チベットに旅行した時の話なんだろうけど、純然たる旅行記やエッセイではないし、どういうジャンルに分類すればいいのかな、不明瞭。中国人の友人と一緒に、友人の自家用車でチベット(自治区ではないような気がした)を目指して行き、チベット寺院なんかにも行くんだけど、めんどくさくしすぎで面白味をどこに感じればいいのかわからず離脱。
一人称でなく自分のことを「彼」と呼び。原住地である日本をやたら「島国島国」とうるさい。まぁ母語じゃないからね……。
☆2 自分にはむずかしかった

チベットは、公共バスやトラックやトラジ(トラクター)で旅するもの、である私にとって、自家用車で旅行! 中国で自家用車で旅行! ここが既に異世界すぎて……。時代は既にそうなっていることは重々理解しつつも。いやそれならそれで、その自家用車での旅をもっと見せてほしかったなぁと。

天路、という言葉。日本語では「あまじ」と読むこともあるそうです。知らなかった、一つ学習しました。
私は日本人で日本語を母語としているけど、中国語を少しかじっており、このタイトルも初見の時から「ティェンルー」としか読めないです(^^; てんろ、ではなくティェンルーだなぁ絶対。こういうのも自分で面白いなと思います。

わが家から少し離れた所に「塩井」という別荘看板が立っています。軽井沢は別荘が多く、そのように名前の看板があちこちにある。これも当然「しおい」さんなんだろうけど、いつ見ても「イェンジン」と読んでしまう。雲南からチベットへ抜けていくルート上に「塩井」という場所があり、そのへんのエリアの地図は昔から穴が開くほど眺めて地名なんかも記憶しているせいだと思う。
出会った人のお名前なんかも一度は中国語読みしてみたりしてます(^^;

台風が来ている模様。明日は雨になりそうです。ではまた

(メモ)
リリカをやめて2日。なかなか抜けない感じで、この薬を飲んで初めて感じた妙な頭痛が続いた。今日の午後になってほぼ抜けたように思う。
サインバルタをまた使うかどうかも様子見中。不眠には効きめがあるけど。

買い物いろいろ

朝のうちに少し畑仕事。追肥をして、草削りもしました。明日は小ねぎを救出したい(草の中に埋もれていた)。

図書館の返却日が12日なのですが、お盆休みに突入してあちこち混むかと思い、今日買い物がてら行ってくることに。
サンライン途中のいつも野菜を買うところが車の行列になっていて、そんなにみんな野菜を買いに来ているのか、と思ったら隣の蕎麦屋の行列でした。あれじゃ野菜のお店に車が入れない、とんだ営業妨害ですわ。
小諸方面に走ってカインズホームで猫のエサや薬用ハンドソープやらを購入。
それから東御のヤマトに行って1つ発送。
戻って来ながら、昔から通りかかっては「この店なんだろう……」と思っていた店に入ってみてお昼ごはん。500円ランチ、というのがどんなものかどうしても知りたくて(変なやつ)頼んでみました。牛肉の卵とじとごはんとみそ汁でした。夫はかつ丼。新しい店を知るのもおもしろいです。

さらに戻りつつ、しまむらへ。どうにもこうにも痛くてしょうがないので、何かしらマシな下着を探しています。大きめのものを数点買ってみました。
放射線が始まると、照射する部位にマーキングをされるそうです。このマーキングがなぜか取れやすい(^^; 移りやすいものらしく、服についてしまうから黒系の服がよろしい、とネットで皆さんが推奨しているので濃い色系を。服はどうしようかなぁ、濃い色の生地で自分で縫おうかな。

図書館で本をすこし借りて、本日は終了。

ようやく検査の結果が出て治療方針も決まったので気持ちが前向きになり、昨日ネットの店を全部開けました。
少しずつまた、縫製もしていきたいと思います。

今年の春は事業欲に燃えてまして、縫製してくれる人を探そうと思っていました。ただインドからの生地の仕入れに苦労し、昨年とは状況が変わったためペンディングにしていたところ、不穏な空気の中に自分が入ることになり……。
結果的に癌であることがわかり、手術もして。
そしたら事業欲なんて吹っ飛んでしまいました。

ガチャガチャと仕事を回すよりも、小さなことをじっくりやりたいな、という気持ちが強くなりました。それも仕事ばかりするのではなく、遊ぶこともちゃんとしたいと。

夏にインドの6000登りに行ったり、散々遊んではいるのですが。

私はずっとアジアにしか興味がなく、生涯一アジアのバックパッカーで終わっていいと思っていました。逆にそれがかっこいいというかね。
ある意味、それに固執していたのかな、とらわれていた部分もあったのかもしれないと思います。というのは病気になってから、ヨーロッパアルプスや、極北のアイスランドや、そういうところにも行ってみたいなと思うようになりまして。
人は大病をすると考え方が変わるというのは本当だなと思います。

今はまだ治療中の身で、今後もずっと再発や転移のことを考えながら生きて行くことが確定しているわけですが、だからこそ、いろんな土地に行ってみたいなと。

早くコロナ禍が終わらないかな。それと自分も元気にならないと!

メモ
リリカを夜→朝→夜→朝、と飲んでみたが効果は感じられず。傾眠というよりは頭がぼーっとするような感じ、それと今日は右耳の周辺の頭痛。リリカのせいじゃないかと思う。
一旦リリカをやめて、サインバルタに戻してみる予定。サインバルタなら夜1回の服用だし、リリカの服用量よりもずっと少ないので。
術後の神経痛のような痛みについての薬として。

ではまた

 

暑さ戻る・検査結果

暑さと夏が戻ってきました。今日の軽井沢は31℃になる予報。
いつも思いますが、軽井沢が31℃なら東京は40℃超えだろ! と。冬の気温差を考えたらそんなものじゃないかと、そうじゃないと不公平です……(><)

公平なんてこの世に存在しない!

冗談はさておき、下界はかなりの猛暑になっている様子。どうぞお気をつけて。

検査結果 病気の話です、要注意

 

昨日、病理検査の結果を聞きに行ってきました。

非浸潤の悪性腫瘍
大きさは8×9ミリ(ただし足は伸びていた)
取ったものの断端に癌細胞は見つからなかった(断端陰性)
術中急遽取ることになったトップ部分は、断端陽性だった
その近くにあった良性のしこりも取った

と、いうことでした。
現時点でドクターから聞ける範囲では、最良の結果だったと思います。
非浸潤であったので、遠隔転移の可能性は極めて低い、このことから抗がん剤は使わなくていいだろうということになります。また、ホルモン治療も必要ないだろうということになりました。私が既に閉経していることも関係しているかも。
断端陰性であったので、取り残しなく、取り切りました、ということ。
因みに、直径1cmの腫瘍を切る場合、大体直径3~4cmくらいの大きさで切り取るというかくり抜くというか、するそうです。取り残さないために。

で。

これらから、私は今後放射線治療を受けて、この初発癌に対しての積極的治療は終わる、ということになりそうです。

よかったです!!

ほっとしました。

それからトップ部分の断端が陽性であったことも、主治医殿にも私にも、よかったと思いました。陰性であれば「取らなくてもよかったんじゃ???」と思ってしまいますから。陽性だったと聞いて私もほっとしました。取ったことに意味があったわけですから、より自然に受け入れることができると思います。
むしろ術中に、「これはまずいかも、伸展しているかも」と気が付いて、別の場所からメスを入れて切るという判断してくれた執刀医さんと主治医殿に感謝しなくちゃいけません。もう夜の7時8時という時間だったのに。あらためてありがとうございました、という気持ちになりました。

最初受付で、診察券と保険証を出して待っていたところ呼ばれ、
「限度額認定証の新しいものは取っていますか?」
と訊かれました。あ、取り直さないといけないのか知らなかった。
「ではまた入院されるなどの時には取り直してください」
はいわかりました、と答えて席に戻った後で、

待てよ、私もしかして再入院なの? てことは再手術? 取り切れなかったのだとしたら再手術で、もしそうだとしたら全摘になるんじゃ? まじで???

と、ひとり頭の中パニックになっていたのでした。
悪性確定告知の時も受付で、見慣れないドクターの予約が知らないうちに入っておりしかもそれが「乳腺外科」だったので、告知以前に完全にバレていたという経緯があり、この病院は受付である程度のことがわかる、という思いもあって。

そうじゃなくてよかったです。気が抜けた。

傷の方は主治医殿はテープの上から見ただけで、OKみたい。強烈な痒みと、神経痛のような痛みがあって辛いと言うと、塗り薬と飲み薬が処方されました。塗り薬はレスタミンコーワ(!)で、飲み薬は帰宅して調べてみたらリリカだった! またもや精神科の薬じゃないか……。
薬局では何のコメントもなく薬が出されこれまたびっくり。何のためのお薬手帳なんだろうね、私にはサインバルタが処方されてるんですよ今! ダブったらまずいだろ!
仕事しない大量の薬局を肥え太らせるために患者が搾取されるという、もう医薬分業をやめてほしいと思います。

因みに、神奈川県で利用している薬局はやたらと細かくて、うっかり何か口滑らせると医者に電話して確認するくらいの徹底ぶり。管理者の方針だと思うけれどもこうも違うとは。そして同じ管理料……、納得いかない。

ふと考えたけど、トップ部分の断端が陽性であったのなら、癌の部分のどこか一部も陽性でないとおかしくない? つながってるんだよね? あれれ? 飛び地みたいになるってことなのかな? だとしたら逆側も??? (不安ばかり考えついてしまう患者の習性)  機会があったら主治医殿に訊いてみよう。

そんなこんなの昨日でした。
暑さとコロナにどうぞお気をつけください。
ではまた

天気不安定

なかなかすっきりと晴れない軽井沢。今日も曇りの時間が長かった。藍がカラッと乾かないので困る。明日あたり晴れないかな。

先日、クラフトマーケットに注文が。止めてるのに……(^^;
実は2つ使っているマーケットのうち片方は、注文をストップすることができない仕様。事故防止のために在庫を0にすることが推奨されているのだけど、たくさんあるので面倒……。しかもその「0」を「1」に間違いなく戻せる自信がなく、そのままにしてどのページにも「受注停止中」と表示だけしていたんだけど。
ただまぁ発送するくらいは問題なくできるので、普通にメッセージをお返ししたところ、少し経ってから受注停止の表示に気付いたらしく、謝罪のメッセージが。これがまたとても丁寧で美しい日本語で、恐縮してしまった。

もちろん「問題ないのでこのまま受注します」ということにまとめたけれども、再三にわたって美しいメッセージをもらって、恐れ入ってしまった。正しい日本語、丁寧な日本語、このあたりまでならなんとかいけそうな気がするが、美しい日本語となると、また一段上の話になって自信がない。まだまだ学び足りないと思った次第でござった。
過不足がない、んだよね。見事なの。どういう職業の人なんだろうと興味を持った。国語の先生とかかな?

痛痒さはまだ続いている。それでも一番酷かった時を10にしたら、7くらいにはなったような。少しはよくなっていると思う。時間の経過と共によくなってくれたらいいんだけど、せめて放射線が始まるまでに。
思い立った時に壁登り(クライミングではない)というリハビリ(壁の前に立って両手の指先を壁の少しずつ上へと這わせていく)をやっている。だいぶ上がるようになってきた。常時こわばっている感じなので、それをほぐしながらやるとずいぶん上がる。このこわばりがなくなればいいんだろうけど、これもまた時間がかかる話なんだろうな。気長に焦らずだらだらと!

 『迷子の龍は夜明けを待ちわびる』 岸本惟

ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作、ということで読んでみた。
悪くはないけど。全体的にとても薄い感じがした。こういう感じが好きな人もいると思うし、確かにファンタジーだよね、龍だもんね。と思いながら読んだ。
☆3

この賞の受賞作品はいくつか読んでいるが(あ、これは大賞ではなく優秀賞だけど)、ナンバーワンは「楽園」鈴木光司、次点が「バルタザールの遍歴」佐藤亜紀、は今のところ揺るがない。今後も揺るがない気がする。
ほかの受賞作家では森見登美彦と西條奈加、畠中恵くらいかな、よく見かけるのは。なんと「楽園」は大賞を取っておらず優秀賞だったと今知った。何でだ!

因みにこの賞は賞金500万円! でスタートしたはず。そして一度消えた。復活した時には新潮社扱いになり、今の賞金は300万円というまぁ普通の金額、文学賞としては多いことはもちろんだが。

コロナも止まらず。ではまた

藍の収穫

昨日に続いて今日も、残った藍を刈り取る作業。その後自宅に持って来て、葉っぱを毟る作業をひとしきり。午後までかかりました。

写真を入れるのは久しぶり。遡ってみたら6/1以来だった。その間やっぱり大変だったんだな……。

 刈り取ってきた状態

 毟った葉っぱ

すくもを作る時の藍は葉だけを乾燥させることが多いかと。場所によっては茎をつけたまま干しても乾くかもしれませんが、軽井沢では無理。よって必ず葉だけにしてから干しています。

今年は作らなくてもいいかと思ったけど、立派に育ったのを見ると収穫しなきゃという気になりました(^^;

スマホから写真を移していたら、入院中のやつがあったので載せてみます(^^; 手術待機中
変な所に穴がある靴下は、ここから点滴を入れるためらしい。左手の〇印は、こっち側ですよ! というマーク。実際に切る患部にもマジックでたくさん印が書いてありました。これで逆側切られたら嫌よねほんとに。
前日夜9時から絶食、当日正午から水も禁止なので、点滴を右腕から入れている、その管が足の脇に写っている。いざ手術室に行く時も、自分で点滴台をガラガラ引きずって。

そうそう、これから先は一生、採血や注射は右側にした方がいいんだって(とはいえ両側手術する人はどうするんだ)。

 手術翌日 唯一の自撮りがこれ
もう各種管は抜けているような? 紺色の袋は中にドレーンからの廃液を入れるバッグが入ってる。どこに行くにもこのポシェットを下げていきます。黒い管はよく見たらイヤホンだ、聴いてるのはもちろん……♡
着ているのはレンタルの入院着。1日500円弱でタオル、バスタオル、歯磨きセット付き。入院説明の時に自然に誘導されるので、契約しちゃった。次回は自分で持って来てもいいかもしれないな(次回っていつですか!)。

 退院当日、梅さんがおもしろい恰好してるので
しばらく色々と大変になるのではないかと思い、入院前に買った電動1人椅子。ビジネスクラスの椅子のような動きで、フルフラットまでは行かないけど楽ちんです。アマプラのドラマを見るのにもいいです。席を離れて戻ると梅さんが占拠していることも多い。
4日ぶり? に会ったので梅さんはべったりだった。

さすがにこの日はぐったりというか、やつれているように見える。先日美容院に行ったら「お痩せになりましたね!」と言われてびっくり。そんな言い方されたことないから聞き取れず、2回も聞き返しちゃった。痩せたいところは痩せないんだけどなぁこれが不思議なことに(^^;

今日で手術から3週間。
デュロキセチン(サインバルタ・SNRI)を試験的に飲んで2晩。
わずかにピリピリが弱くなった、かもしれない。でも大きな変化ではない。家の中では服を着ていないので感じないだけかもしれない。夏でよかった。
でもとにかく、いい方向に行っているはず。まだまだ腕も上げづらいけれども、焦らずにいこうと思う。

今日は午後まで曇ったので昨日までのような暑さではなかった軽井沢。下界は暑そうですね、どちらさまもお気をつけて。
ではまた

 

 

 

 

泥藍作り

栽培している藍がそろそろ収穫期も末期となってきました。少しずつ葉の形が細長くなり始めると、花穂の形成が始まったサイン。花穂が出来るとそちらに養分が行ってしまうのでよくないと言われています。

ということで、本日は午前中に藍を少し刈りました。
刈った藍はそのまま巨大バケツに入れていきます。
このバケツは普段は藍建てで使っているもの、70リットルだったかな。
それに詰め込んで(ゆったりさせなきゃいけないかもしれないけど)、畑から玄関の方に運び、そこで水を投入。満杯になるまで水を入れ、蓋をして放置。

気温が高ければ3日ほどで葉が腐り、水の中に藍の成分が溶け出す仕組みです。
前に1度だけ作ったことがあります、今回は久しぶり。
葉っぱを毟る作業がきつくはないけど今はそんなにはやりたくないので(^^;

昨夜はものすごい雷雨で、すぐ近くに雷が落ちました。どこかはわからないけど、鳴った次の瞬間にまっすぐ雷光が突き刺さってきて、たまたま窓の近くに立っていたのでびびりました。ウチに落ちなくてよかったです。昔、ここに来た頃にはなぜか複数回ウチに落ちまして。様々なものが壊れました。保険が効くと知らず、自腹で買い替え等したので大変でした。

午後、近所に住む友人夫婦が来てくれて、親の介護の話や病気の話など。親の嫌な部分の話などは、普通の相手にはなかなか出来ないものですが、彼女とは共通点が多少あって、言いたいことが言えてうれしい。
だんなさんの方は癌サバイバー。今年で12年だとか。まだ不安はあるけど今のところ大丈夫と言っていました。ただやはり神経を切ってしまっているので、ぜんぜん関係ないところが痺れたり痛んだりすることはあり、それは一生ものなのだとか。
この友人は先天的に障害がある部分があり、最近近くの病院で勧められて隣県の大学病院に行ったのだとか。その時に、かなりリスクの高い手術をするかどうかという話になり、友人が「リスクが高すぎる」と渋ったところ、「どうせ死ぬんだから手術で死んだって同じじゃない」的なことを言われたそうで、「死んでもあの病院には二度と行かない」と。そんなこと言う医者って今でもいるんだ! と驚きました。
大学病院恐るべし。

今日は軽井沢も暑いです。ではまた

すいか

暑中見舞いの葉書を出しに行くついでに買い物、切ってあるすいかを買いました。1玉だと2600円くらい。昔はそんなに高級品ではなかった気がする。
サザエさんに、ますおさんが夕食後お腹を壊す⇒サザエさんが台所に走ってフネさんに「6等分に変更よ!」と伝える⇒それを漏れ聞いたますおさんがプンプン怒る、という漫画がありました。サザエさんは7人家族なのですな。
昔は庶民も普通に丸のまま買って、紐で編んだ持ち手というか、そういうのに包んでもらって持って帰っていたような気がする。今ではすっかり高級品になりました。

すいかと言えば忘れられないのがラオスのすいか。
2020年の2月に立ち寄ったサイニャブリという小さな町で、象祭りを楽しんでいた時。道端に軽トラで売りに来ているスイカ屋がいて、たしか1つ5000キープだった。今のレートで47円とか。安い! ラオスは昔から隣国のタイやベトナムと比べて物価が高い国ですが、これは安かった! うれしくなって買ったはいいものの、そこから宿まで2キロはある。夫が持って帰りましたが大変でした。
宿の人に半分あげて、切ってもらって、お腹いっぱい食べたなぁ。甘くて美味しかったです。その時のラオス滞在でいちばん美味しかったものかも。

スーパーの中で、何度かふわっとする感じになりました。貧血ほど酷くはないけれども、何だろう。まだまだ元通りというわけではない、ということか。

以下病気の話すこし。
この数日、強烈な痒みと同時に神経痛のような? 服などが触れるとビリビリっとくる、そういう違和感&痛みがありまして。傷そのものの痛み痒みはもちろん、かなり離れたところにもそういう変な痛みのようなものがある。
家の中では上半身お裸状態でいます。痛いんだもん。
そうかと思えばまったく感覚がない部分もある……(^^;
その神経痛のようなものについては、乳房切除後疼痛症候群、という名前がついており、手術の際にどうしても神経を切ったり損傷したりすることで起きる、となっています。正確には数か月続いて初めてこの診断が下りるようなので、私の場合はまだまだではあるけど、おそらくこれだろうと。

1週間ほど前に、舌痛症のために服用していたレクサプロ(SSRI)をやめてみました。やめたらどうなるかな? という軽い思いつきで。一生のむものでもないだろうと思ったし。で、結果は、ほとんど変化なし。舌痛症も特に悪化はしないし、普通は断薬すると起きるらしい症状も出ませんでした。ま、最少量の半分だったし、精神的な病状のためにのんでいたわけではないから、そうなのかな?
で、考えたのが、舌痛症のような持続する疼痛に効くのがレクサプロを始めとするうつ病の薬。今の私の術後の神経痛も、同じようなものなんじゃ? 実際、この疼痛症候群にサインバルタ(これもうつ病の薬、SNRIの1つ)が有効だという情報もありました。
ということで、また試しにのんでみようかと、さっそく今夜からのんでみる予定。

そうそう、ドライマウスですが、ちょっと期待したんだけどものの見事に悪化しました!
期待というのは、全身麻酔って一度死ぬってことで、自分では呼吸をしなくなると知り、ならば生まれ変わると同じこと、もしかして治るかも……。と、甘いこと考えていたんですが。ぜんぜんダメだった。
インドに行って毎日カレーばかり食べたら治るかと思っても治らず。いろんな漢方薬や薬を試してみたけどまるで効かず。一度死んでも(しつこい)治らず。こりゃもうあきらめるべき潮時かもしれません。

今日から8月。いつもとぜんぜん違う夏になっています。
ナスとピーマンは大豊作状態。トマトも少しずつ取れだしました。ミニトマトが密林になってしまい、どうしたものか……。すもも彩の姫も落ち始め、食べ始めています。数年ぶりに収穫まで来たかも。もう木として終わりなのかと思っていましたが、まだまだ元気。

猛暑が続きます。軽井沢も本日は30℃、明日は32°の予報。お気をつけて。
ではまた