あれ?

今日から2週目がスタート! 特に副作用もまだなくて、軽くだるいとか、ちょっと耳鳴りのようなキーンとなることはあるけど、放射線のせいかどうかはわからないし、ともかく元気です♪

せっかくアマゾンのアンリミテッドに入った(3か月無料だと思う)ので、いろんなものを聴いてみればと思うのですが、そもそもが21世紀に入ってからの音楽世界については基礎知識ゼロなので何も思いつかず。結局は知っているものばかり聴いてます。トレイシー・チャップマンやブルース・スプリングスティーンやビリー・ホリデーや、あとは何より一番落ち着く中島みゆき♪

病院から帰って来てすこし工房で仕事して、PC開いて「そうそう中村中さんとかどんな感じだろ?」と思って検索したら、懐かしい曲が。中村中さんはみゆきさんの夜会で共演しているので知っているのです。
「たとえば僕が死んだら」(死という文字が入っててごめんね)という歌。もとは森田童子。高校時代、昨日も書いたけど恩師の下宿でよく聴いて、ダビングもしてもらって、大学時代もよく聴きました。
中さんの声が本当にきれいで、聴き惚れてしまいました。不覚にも目から水が(ほら涙腺が術後の後遺症ですごく緩いから)。森田童子の儚げな声も好きだったけど。聴き比べようとアマゾンで探したけど、森田童子さんはなかった。
「僕たちの失敗」や「ラストワルツ」なんかも中さんの声で聴いてみたいな。

で、勢いで中さんを続けてランダムに聴いてたら、みゆきさんの「誕生」のカバーがあって。最初流れてきた声を聴いた時に、「お、低いな」と思ったんです。中さんは高音もすごく出るけど、低音も出るのねと。
この低さはいい! もしかすると中さんバージョンだったら、カラオケで歌えるんじゃない??? と思い、ハモってみたんですが。

全然低くなかった……。どういうことだ。
オクターブ下げるとさすがに出ないし、太刀打ちできない。
仮に中さんバージョンだと、上げて、自分はオクターブ下げる? はて? どうすりゃいいのかどうにもならんのか(^^;
もしかすると低く聴こえたのは低いからではなく、中さんにとって低い音だったからかもしれない。つまり中さんの音の基準点は私よりは高い、つうことかしらん。

(^^;(^^;(^^;

みゆきさんは来春アルバム、コンサートの予定もある(決まってはいないのかな)らしいですね。ともかく元気そうでよかったです。
最後のオリアルを聴いた時、死や別れをイメージするものが多く感じられて、病気でもされたんかと心配しました。
そしたら自分が病気するというオチだったある。

ではまた

 

放射線開始1週間(5回終了)

治療の話なので嫌な人は前半スルーしてください

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今日で放射線5日目。いつものように照射、と思ったら今日は照射の前に「撮影します」と声がかかり、普段とは違う動きを機械がしていた。
治療後に放射線科の医師の診察が入っていたので、その時には撮影(何を撮っているのかは不明)があるのかもしれないなと思った。
照射はいつもどおり。左1発、右1発、最後に動かずに右から短いのが1発。

その後医師の診察。
特に全身症状(酷い倦怠感や吐き気など)は出ていないことを確認。
痛痒いのが何とかなりませんかと訊いてみたけど、まだ放射線による変化が出ていないので、このまま様子を見てくれとのこと(^^;
何とかしてくれ~~~! そろそろ裸族もやばくなってきた(寒くなってきた)。

現状、特に皮膚にも変化はない。早い人は3回目くらいで発赤が始まるらしいが、まだなさそう(早いのは寡分割照射の人かも)。
ただ、3回目が終わった日の夜に気付いたが、照射されているところが触ると熱くてびっくり。それはずっと続いている。たぶん終わるまでこうなんだろうと。
特に何でもないような感じだけど、確実にやばいものが照射されているんだなと、実感する。

明日は月末なのでまとめ支払いが……。

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図書館に寄って帰宅。
数日前に車の販売店からゆうメールみたいなのが送られてきて、見たら「納車記念」とやらで、そういえばあの日最後に写真撮られたっけという、愛車と一緒のお写真・笑 が入っていた。
中古車でもこんな風にするんだ!
なんか申し訳ない感じ。
今週1か月点検に出す予定。

午後すこし工房に入って裁断と縫製しかかり。
その前にカメラの電池を充電器にセット。
最初に作ったものの撮影をまだしていないので。

先日アマゾンミュージックのアンリミテッドだっけ? に入った。みゆきさんのベストみたいなのがあって、古いシングルの曲がたくさん流れてくる。昔の方がシングルだけで終わった曲が多いような気がする(テキトー)。最も初期の頃のこういう曲は、高校時代に仲良くしていた国語の先生の下宿で聴いていたから、今は持っていなくても覚えている。こういうのがまとまってるアルバムを今度買おうかな。
その先生(女性です)の下宿は学校からの帰り道にあったので、練習が終わってから時々寄って勉強を見てもらったりしていた。国語の先生なのに理数系にも強く、国立大学の他に東京理科大にも合格していたという強者だったな。よく数学と古文を教わった。教わったけどちっとも頭がよくならなかった(^^;
高校生活(特に部活)がまったくうまくいかずに荒れていた自分を救ってくれた恩師、今も時々メールのやり取りをしている。おもいで河とかりばいばるとか、そういう歌を聴くとあの頃を思い出す。

ではまた

Gとの遭遇(20年ぶり?)

金曜日に放射線治療を終えてすぐに出発し、西湘の団地で2泊してきました。
放射線の副作用はまだ出ておらず。
術後の痛痒さは少しずつよくなっており。
ということで、ここを逃すと次は10月半ば以降になりそうな気がして思い切って。
ちょうど金曜の夜が近く(?)の平塚市の花火大会で、団地から見えるかもと期待していたのですがまったく見えず。土地勘ある人なら「見えるわけないでしょ」と思うかもしれません。がっかりしていたところ、翌土曜日の8時に小田原方面で花火が5分間だけ上がり、ばっちり鑑賞できました。調べてもどこの花火だかわからないんだけど……。思いがけずに海の花火を見ることができて、よかったです! 花火なんて滅多に見ませんから。30年くらい前に仕事先の知人の高層マンションで見た墨田川の花火が最後かもしれない。

団地はすこし高台にあり、尚且つ5階なので風がよく通り、8月も終わりだからかもしれないけど扇風機だけで過ごしました。もともと私の方が暑さには強く、タイに住んでいてもエアコンは使わず裸族で過ごしたり・笑。今と一緒か(^^;
意外にも住民の出入りは多いようで、隣が空いて入居待ち、反対側の隣も明らかに住人が変わった感じです。立てる音が違うので別人だと思う。
現在減棟中の団地、隣というか裏にある棟は私たちが入った頃から既に無人でしたが、今年度中に取り壊しになるそうです。ということはこの冬はうるさいんだなぁ……(><) 手術とかしてる夏の間にやってほしかった(^^;

日曜は朝早く出て圏央道回りで帰宅。今度の車には圏央道が2割引きになるETC車載器を付けてまして。でも松井田のインターを出るところではまったく割引になってなかった。あとから引かれるのかなぁ。関越の休日割も引かれてないみたいなんだけど、なんかめんどくさいですね。カードからいくら引かれたかなんて確認せずに過ぎてしまいそうだし。

団地のお風呂場で、でっかいGと遭遇!
真っ黒くて平べったいG!
殺虫剤もなく、逃げられてしまった。
久しぶりに純和風のGを見ました。

軽井沢にはGはいません。寒すぎて。ただ、最近の温暖化や密閉された家屋などの条件下では出るという話は聞いたことがあります。わが家はけっこう隙間のある木造で、冬場は寒いのでまだ生息してはいないと思います。
1度だけ、見かけたことがあります。20年かそれより前か。近くで引っ越しがあり、その荷物に付いてきたものがフラフラしていたのではないかと。でも越冬はしなかったのじゃないかな。近くとはいっても100mよりもっと離れたところの別荘でしたが。

アジア諸国ではGなんてどこででも見かけますが、茶色っぽいのが多い気がします。真っ黒くはないなぁ。あの真っ黒さが嫌だ。あとあの平べったさ。まぁ好きな人はいないですよね(^^;

今日からまた通院、4回目が終わったところです。今週が副作用(全身症状)の天王山らしい、今週乗り切れたら大丈夫かもと看護師さんに言われました。乗り切れるのか私? がんばるしかない。

ではまた

放射線マラソンスタート

治療の話なので嫌な方はスルーしてください

*

*

8/22 に放射線科の初診。ドクターに会い、ざっくりとした放射線とは何か的な説明と、どのような副作用が起こりうるかについてのくどすぎるくらいくどい説明を聞いて、夫と二人で具合が悪くなる(^^;
ドクターは若く、言葉が多すぎる。どんどん患者が不安になる(^^;
まぁ経験を積んでそのうちにさらっと流せるドクターになってくださいませお願いしますまじでしんどかったです。

この日はCT撮影があり、体にインクで十字の印3つと、短い線を1本書かれる。十字はみぞおちと両脇。線はみぞおちから下にすーっと落ちる感じ。
これが噂に聞くマーキングか! 意外と大したことないじゃん? と思った。
全日程の時間をどうするか訊かれ、午前中の割と遅い時間帯にしておいた。うまく空いていたらしくすんなりと予約が取れた・ラッキー。

実はこの日はふわふわ眩暈がかなり酷く、仰向けで15分くらいいるのが地獄だった。この日あたりから頭痛もちょっと酷くなり、深夜に起きてしまうほど。原因などはさっぱりわからない。

8/24 予約時間の20分ほど前に到着。放射線科の手前で血圧を計って行く。待合室は誰もいない。前回は結構いたんだけどな。
看護師さんが来て健康状態のチェック。
その後、技師さんに呼ばれて放射線ゾーンに入り、廊下を少し進んだらもうそこが照射する場所だった。服を脱いで台の上にあおむけになり、前回と同じく頭の少し上後ろにあるバーを両手で掴む。掴んだら技師さんが何かで固定する。
その後、撮影をしながらマーキングします、とのこと。
前回のは本番ではなかったらしい。かなりたくさんの線を2人がかりで書かれる。若い男性2人だけど、検査や手術をかいくぐってきた身なので、もはや何とも思わない(^^;
それから照射。正直、いつどこで照射されたのかよくわからなかった。

その後、医師の診察。前回とは違う医師で、画像を見ながらどのように照射が行われているかを説明してもらう。私の場合は左脇の方から1発、右胸の方から相当斜めに1発、照射されているのだそうだ。つまり2回? 時間としては数十秒らしい。
肺にはかかってしまうので、後遺症をずっとフォローしていくとのこと。肺炎のようなものになることがある。それは普通の肺炎とは違うので、治療も異なるのではないかと思う。
心臓には幸いほとんどかからないそうだった。これは朗報。

最後に看護師さんから、夏休みのラジオ体操の時に持って行くカードみたいなものを渡される。1日行く毎に印が付けられて行き、最後まで完走したら卒業だ。
精算機で払うと2万弱だった(^^; 癌は治療費がかかりますな~。
その後医事課へ行って、今後は毎日払うのは面倒なのでまとめて月払いに、とお願いしてそのようにしてもらう。これで毎日精算まで15分とか待たなくてすむ。

それでも待たない方ではあると思う。

あ、そうそう。
左胸への照射の場合、心臓に放射線が当たり、後々よくないことが起きることがあるそうで、最近は息を吸って止めて照射、ということが行われているそうな。そのことをドクターに訊いてみたら、
「その機械はまだないんですよー(^^; 導入されたらもちろんその方法を取り入れていきたいと思っているんですけどね」
とのことで、あらま。
ただ私の場合、殆ど心臓にはかからないから心配いらないですよ、と言われたので安心した。

こんな感じの初日だった。

放射線治療は最初は宿酔という副作用が起きる。めまいや頭痛、吐き気、食欲不振、倦怠感、などだそうだ。私は既にめまいと頭痛があるのでそれが起きてもよくわからないかも(^^; 吐き気は勘弁してほしい。
ただ、いずれ慣れる! と、看護師さんが力強く断言していたので、とにかく何が起きても慣れると信じて頑張るしかないらしい。
この宿酔が収まり始める頃に、今度は皮膚の炎症という厄介なものが出始める。早い人は1週間ほどで来るらしい。酷くなるとボロボロになってしまう(なのに照射は続く)と聞くので、そこまで酷くならないように全力で祈ることにする。

毎日2グレイずつ、25日間で50グレイ、という単位の照射を受ける。
もう少し強めに、16日間で42~43グレイ、という方法もあるようだ。どちらがいいのか迷うところだけど、何となく、少なめのほうがいいかなと思った。皮膚のためには期間が短いほうがいいかも。みんなどっちを選んでいるんだろう……。

*

買い物して帰って来て、午後少し散歩。3000歩くらいかな。
今のところ何ともない。ではまた

カルギルのチキンビリヤニ

この病気になると食べない方がいいものとかあるのかな? と誰もが考えるらしく、よく忌避されるのが肉と乳製品らしい。肉はわからないが乳製品は化学的根拠はないようだ。肉をやめるのもどうかと思うが、そうだなぁ、食事の中に豆を多くしてみたらどうかなと考えた。

豆を食べるといえばやはりインド、ネパールだ、私の中では。ネパールでは常食であるタルカリダルバートも、ダルがなければ始まらない。タルカリ=野菜、ダル=豆、バート=米、ちょっとした野菜のカリーにダルスープがついた山盛りのご飯。山に入ったらもうこればっかり! 食べていた気がする。
ダル=豆なのだが、食事する場所で「ダル」と言えばそれは「ダルスープ」のことだ。ちょっとややこしいかもしれないが。
インドでもダルは日本の味噌汁のような位置付けだ。ターリー(インド版定食、タルカリダルバートとまぁ一緒だ)を頼んで「辛い」という顔をすると、ダルのおかわりを持って来てくれたりする。ダルは辛くない(はずだ)。

昔買った『インド家庭料理入門』という本を引っ張り出して眺めてみると、今さらながらに面白い。薬膳と言うと中華の感じだが、インドのカリーも立派な薬膳だと思う。最後にインドに行った時、1か月以上滞在していてローカルの食べ物ばかり食べていたが、お腹は壊さなかった。インドでお腹を壊すのは、なんちゃって西洋風の旅行者向けの店で中途半端なものを食べるせいではないかと、最近は思う。ローカルの店がいちばん安全だ(ま、そりゃ考え方は様々だが)。

ネットでインド食材店を探索してみた。たくさんの豆、スパイス、米、お菓子なんかも売られている。見ていると楽しい! チキンビリヤニのミックススパイスなんていうのもあった。通常は、クミン、ターメリック、カルダモン、などのスパイスを自分で組み合わせて使うのだが、最近はインド人だって忙しい(!)らしく、あらかじめミックスされたスパイスも多い。インドでもよく売られている。
チキンビリヤニとダルスープを作ってみたいな。あとは豆のカリーを何種類か攻略してみたい。

チキンビリヤニといえば忘れられない味がある。インド北端のカルギルという町で食べたそれだ。
カルギルはラダックにある町。とはいっても西のはずれに近く、すぐにカシミール。カシミールのシュリーナガルとラダックのレーの中間あたりにある。そして印パ停戦ラインから10kmしか離れていないので、しばしば砲弾が飛んできてニュースになる。

そんなカルギルに行ったのは2018年の夏。ザンスカールの中心パダムまでトレッキングで1週間かけて行き、そこからレーへ戻るのに車道としてはカルギル経由しかなく、中継地点として1泊した。パダムからカルギルへはバスがなく、乗合に乗ったのだが後ろの座席で拷問だった、二度とあれはやりたくない。
カルギルでは同乗の西洋人たちは宿を決めていてちょっと小じゃれた感じの所で降りて行ったが、私は土地勘がなかったのでバス駅で降ろしてもらい、その近くで宿を探した。バザールの中の2階に受付がある宿がよさそうで決めた。

そこに併設されていたレストランで食べた夕食が、チキンビリヤニだった。
正直それまでほとんど食べたことがなかったのではないかと思う。夫がチキンビリヤニを選んだので、では私はとメニューを見ていると横に立っていた店員が
「チキンビリヤニだけでたくさんあるから、頼まなくていいよ」
と教えてくれたのでそうした。
しばらく待って出てきたのは、大きな金属の丸いプレートの上に、丼で形を作ったかと思われる炊いた米の山だった。
「はて、チキンビリヤニというものを頼んだはずだけど」
と夫が呟くと、店員が親切にその山を崩してくれて、
「チキンは中に入ってまーす」
と楽しそうに言った。

そのチキンビリヤニが美味しくて!
辛くないし!
付け合わせのコールスローのような野菜も美味しくて!
忘れられない。その後あちこちでチキンビリヤニは食べたけれども、カルギルのそれと同じレベルのものには当たらない。あぁカルギルのビリヤニを食べに行きたい。

実は今年つまり2022年、9月に入ったらインドに行くつもりだった。スピティ渓谷という所に行きたくて、いろいろ計画していた。
スピティはデリーから北へ上がって行き、マナリ―というハッパで有名な町を基点にしてぐるっとチベット(現中国領)国境を回る感じの場所だ。ここにはキナールカイラスという山があり、冬だと思ったがチベットのカイラス山から神様がこっちへ避寒に来るそうだ。チベットのカイラスには行ったので、キナールカイラスにもぜひ行ってみたい(見てみたい)と長いこと思っているが、ここも夏しか行けない場所なのでなかなか行けなかった。今年はそろそろと思っていたが、病を得たのでさすがに無理と断念した経緯がある。
その時に、デリーからシュリーナガルに飛び、そこからバスでカルギルへ行き、チキンビリヤニを食べ、レーへ行き、陸路でマナリ―へ向かおうかとも考えた。カシミールからラダックへ上がっていく道もなかなか絶景らしい。レーへ陸路で向かう人のほとんどはマナリ―ルートなので、レアルートが好きな私には垂涎である。
デリーから北上してデリーへ戻るとなると、同じ道を行って来いになる。シュリーナガルから入れば大きな右にょう(ただし何を聖なるものとするかはわかんないけどね)のような感じになるから、いいなぁと思ったんだ。

今年は無理だけど、元気になったらぜひとも行ってみたい。
ゆっくりだけれども、何が何でも元気になるわ。
それまでは我が家の炊飯器製のチキンビリヤニで(^^;

少し下にスクロールした方が見やすいです。
左から時計回りにシュリーナガル、カルギル、レー、南へ下がってマナリ―、その右下がキナウルカイラス。

種まき鬼門

夜から雨の予報で朝は晴れていた。種まきしようかと思ったが、午後は曇りになりそうだったので後回しにし、工房に入って縫製の続き。
ちょっと凝った仕様にしたので、ぜんぜん終わらない(^^;
完成したものを見てもどこが凝っているのか多分わからないだろうな、という服。
袖口の部分を見返し始末、という通常はやらない技法を使ってみている。柄に方向性があり、しかも1.4しか尺がないので、袖が取れず、見ごろから続き裁ちをしてみたんだけど袖口が広いとカッコ悪い形。で、狭くして見返し始末。
洋裁やらない人には100%わからない話で申し訳ない。

狭い所の筒縫いで、ご丁寧に裏コバも入れたので、かなり視神経を使った。
ちょっと眩暈を強く感じたので今日も途中でやめた。

外ではパラパラと雨が降り出していた。夜からじゃなかったのか!
ちょうど止み間があったので畑で大根の種まきをした。先週くらいと、昨日にもう一度鍬を入れておいた場所。ならしてから種まき。
しゃがんで、下を向いて、種まいて土掛けて……。
という作業をほんのちょっとしただけで、フワフワがフラフラに進化した。最後に踏んづけるんだけど、これがもうフラフラで。
これはまずいと思って、ホウレン草やコカブも蒔こうと準備していたけど家に入ってはぁはぁぜえぜえ。たいしたことしないのにどっと疲れる。

結局今日も酔い止めの薬をのんで、午後すこし寝た。

これは断薬の副作用? というよりは、普通に眩暈が出てしまっているのかもしれないと思い始めた本日。酔い止めの薬は眩暈によく効くけど、ずっと服用するのはしたことがない。で、眩暈は医者に行っても原因もわからないことが多く……。
そうそう、反復性耳下腺炎と共にクルクル眩暈も持病であって、こちらも過労のバロメーターだった。よく旅先で無理すると世界がクルクル回ってしまい、酔い止めをのんだり、夫がいれば買いに行ってもらったりしていたな。

因みに船酔いって、英語ではseasickness、シーシックネス。自分に必要な言葉は覚える。中国語ではずばり晕船ユンチュアン。

手術後の患部周辺は、相変わらずの神経過敏と痒みが続いている。少しマシになったと思うのは、病院処方の軟膏とテープをやめているせいだと思う。本当はテープを貼ったほうがいいらしい(少しでも傷跡をきれいにするために)が、痒くて辛いのならしょうがないかなと思う。普段は服で隠れる場所で、人に見られるとしたら温泉大浴場や更衣室やそういう所だから、さほど気にしなくてもいいかと(島送りの入れ墨とかじゃないからね)最近は開き直ってきている。痒いのは辛い!

エンジェルスにトラウトがようやく復帰してきて、今日は1-0という大変なゲームで勝利した。完封勝利の投手に花束を贈りたい。

そういえば昨夜だったかその前だったか、久しぶりにみゆきさん関連の夢を見た。コンサートにお仲間と二人で出かけたのだけど会場になかなかたどり着けない。ようやくたどり着いたら必要な書類が足りないとかなんとかで全然中に入れず、ごねまくってやっと中に入って席探して、あと10分しかないけどトイレ行きたい!

そうです、睡眠中トイレに行きたくなってて見た夢です。ごめんなさい。

しかしもう8月も後半なので、この冬も何もなさそうだなぁ……。

雨は降り続いている。私も無理せず、まだまだ元に戻ったわけではなさそうなので安全運転で行こうと思う。
ではまた

 

4000歩

牛乳が切れてしまったので買い物に行くか考えた末に、最も近いコンビニまで歩いて行くことに。その往復が4000歩ちょっとでした。
いつも近くの山の林道を歩くのですが、それだと3000歩前後なので、けっこう歩いた感じ。神奈川の団地から近い方のスーパーに往復した歩数とほぼ一緒です。

歩くことには特に問題はなくて、平気です。
ただ、服と擦れるのがうわぁー、なだけ。

一昨日の夜にかなり眩暈が酷く、昨日は起きても眩暈と頭痛でふわふわ。眩暈の薬を今回初めてのんで(トラベルミン)、だらだらとアマプラで「ソーイング・ビー」とか見て過ごしました。途中で寝てしまいながら。
夜になったら今度はまた眠れず、昔処方された導眠剤を半分にしてのんで寝て。
今日はすこしマシです。まだふわふわは止まらないけど。

「ソーイング・ビー」はイギリスの縫製系バラエティ番組。全国から選考を経て集まった裁縫自慢10人くらいが、スタジオでお題に挑戦して腕を競うというもの。
最初のシリーズは割と面白かったのですが、2番目のやつは選考基準に?
1人の男性が自ら離脱していくというかわいそうな結果になり、こういうのは誰が望んでいるのか気になりましたねぇ。衆目の前で恥をかく、って、誰もしたくないでしょう。出されたお題を完全とは言わないまでも8割9割はできるレベルの人を集めれば、もう少し見ごたえもあるかと思いますが、変な人、出来ない人、も入れて笑いたいのかな。

今日は午前中に2時間弱ミシンを動かして、午後は買い物行ったりして休み。
ほんとに焦らずにいきたいです。
今日は快晴で洗濯ものもよく乾き、気持ちよい夏の高原でした。十数年ぶりに追分宿方向に徒歩で行ってみましたが、木漏れ日がきれいで古い別荘には趣があり、軽井沢らしさを満喫しました。

ではまた

 

降ったり止んだり

の一日。最高気温も22~23℃くらいで、涼しいです。
昨日もどんよりしていて急にさーっと降ったり。お盆後半は天気が悪いですね。(前半がよかったかどうかも覚えてないけど(^^;

 リハビリで縫った服2点
少し形を変えて2つ。片方は開きのないかぶりで、片方は開きあり。袖付けのラインも変えてみて、片方はより広くとってみた。もうかぶりの服もそんなに苦労なく着られるけど、放射線が当たればまたちょいと動きが不自由になると思うので。

今日から新作を作り始めました。
昨日まで自分の通院のための服を縫っていました。別に通院の服なんて何でもいいんだけど(色が濃ければ)、長くミシンを動かしていなかったので作業に特化したリハビリも必要だなと思って。ついでに術後のリハビリの一助にも。
ミシンを使っていると、必ず左手でやる作業がけっこうあって、なかなかいい運動になっています。少しずつ怖がらずに動かせるようにもなってきました。

作業時間の短縮や効率化みたいなことを頭から排除して、ゆっくりのんびり。バリバリの仕事! というよりは仕事を兼ねた趣味みたいな感じで、やり始めました。みゆきさんを聴きながら、たまに歌いながら、心穏やかに、丁寧に。こんなペースで今後はやっていきたいなと思っています。
以前は作業日誌に時間の記録も付けていたんです。1点あたり何時間かかったのか、わからないと価格付けをする時に悩みが深くなるので。
でもそれもやめてもいいかなと、とりあえず今はやめてみています。

いろんなことを、いい方に変えていきたい。

梅さんが高価な「ねこ元気」というフードを要求してハンストするので困ってます。「ねこ元気」が納戸にあるのをわかっているので(たまにやっている)、納戸に入りたがってしょうがない。たまにドアが開いてて入ってしまうと、そこらにある袋を片端から食い破ってしまう! すっかりワガママ猫に!
朝目が覚めると脇の下などにすっぽりはまって寝ているのはかわいいけど(^^;

以下術後の経過の話なので要注意

痒みが相変わらず酷くてしんどいな~と思う術後5週間目。あまりにも痒いので、もしかして前回の通院時に処方された薬が合わないのでは? と思い、昨夜塗った後で拭き取って、以後その薬(レスコミンコーワ)を使っていない。幾分ましなような気もするが今日は涼しいのでいいのかもしれない。
テープかぶれ+薬が合わない、ということは十分考えられるかなと。少しまた様子見をしようと思う。そうこうするうちに、来週は放射線科の初診だ。

断薬の副作用はまだ続いている。浮動性眩暈は寝る時に特に感じる。普段は目を動かした時にふわっと来る。とても酷いというわけではないので、このまま様子を見ようと思う。脳に直接作用する(言葉が正確かは不明)薬はやっぱり怖いなぁ。舌痛症が気にならなくなるようなら、SSRIも再度使うことを考えなくていいかも。不眠なら導眠剤だってあるし。

てなことで

ではまた

 

うまくいかない

手術後は体に様々な変化があった。傷周辺のものを除くと味覚障害や、舌の感覚異常(泥を食べているみたい)や、ドライマウスの悪化などなど。

涙腺が弱くなった……。
それもものすごく。もともと弱い方ではあったと思うが、大谷選手がコレア選手の妹の誕生日サプライズに協力してあげた、なんていうニュースでも目から水が出てしまう。

違うそっちじゃない、唾液腺から出ろよ水!!!

と思う。うまくいかないものだとつくづく。

 

ドライマウスは原因が様々で難治だと思う。色々と試してみたが、私の場合まったく快方に向かわない。
私はもともと耳下腺が弱く、反復性耳下腺炎というのをずっと繰り返していた。普通これは子供の時になって、大人になったら治るらしい。私が初めてなったのは20歳前後の頃で、既にして標準的ではなかった。その後も時々、耳の下が腫れることを年に1~2回ずつ繰り返しており、ある時期からはそれは過労のバロメーターになっていたりもした。旅に出ていて、移動が続くとこれが出て、強制休養になったりしていた。

ドライマウスになって、この耳下腺炎がまったく出なくなった。3年ほど前のインドでしていた狂ったような移動でも、出なかった。
耳下腺炎と入れ違いにドライマウスになったのかもしれない。となるとあまりにもレアなケースであり、何かの拍子にひょっこり、的なことを期待するしかないのかなと思う。
まぁ命にかかわるようなものではないし、不自由であったり不快であったりするだけだ。人間にはいろんなことが起きる。諦めモードになっている。

今日は役場に行き、限度額認定証というのの新しいものを取った。これがあることによって大きな金額を支払わずにすみ、ありがたい制度だ。今まではほとんど利益を受けることなく国保税を納めてきたが、初めて恩恵に与ってそのありがたさを実感している。

軽井沢方面はかなり混雑しており、中でも北軽に抜ける道は大渋滞だった。話には聞いているがずいぶん酷いんだな。北軽までどのくらいかかるんだろう。
飲食店はどこも盛況。他は知らない(^^;
まだお盆真っただ中だったのを忘れていた。

役場の近くで左側の脇道から右折したがっている車がいたので、前もそんなに開いていなかったから減速した。後ろの窓を開けて、茶髪の姉ちゃんと兄ちゃんが手を振りまくって「停まってー」とやってたので笑ってしまった。だらだらだらだらと車列が続くような渋滞だったので、出られなかったんだろう。あんまり手を振るのでこっちも振ってあげたら、感謝しつつ右折して行った。
楽しめ若人たち。若い時期なんてそんなに長くはない、よね。

ではまた

 

テープ休み・ミシン入れ替え

問題がある時はテープを休んでいいらしいので、今日の午後から休み中。これで痒みが軽減されるといいんだけどな。

術後のケアは病院によって、またはドクターによって全然違うらしく、ネットでいろんな情報を見ては「私のやり方で大丈夫なのか」と不安になる。全国統一とは言わないけど、もう少し標準的な方法みたいなものがあればいいのに。
私は術後テープのみ指示されているけど、手術直後から軟膏を処方され使っている人も多い。何となくだけど、使った方がいいような気がしてしまう(^^;
次回主治医殿に会うのはずいぶん先なので、放射線科のドクターに訊いてみようか、もしくは放射線が始まると保湿系の薬は出るのならそれでもいいけど。

(大事なことメモ)
断薬のもやもやが出ている。直近ではリリカのせいだと思うが、それ以前に使っていたサインバルタも関係しているかもしれない。
8/10からリリカ中止、2日間のみ服用、夜75、朝25。12日夜にはっきりと浮動性めまいを感じる。たぶん日中も軽くあったと思う。今もこれは続いている。そうとわかると日中もかなりふわふわくらくらする。
その前の経過としては、レクサプロ5mgを2か月ほど服用しており、7/25頃に休薬してみた。この時は特に断薬の症状はなし。
その後サインバルタ20mgを8/1頃から服用、8/6を最後に休薬。8/8からリリカ。
こんな感じだ。
レクサプロでは出なかった(最少量の半分を服用していた)が、サインバルタは錠剤を割ることができず(砕ける)ので最少量を服用しており気にはなっていた。
もう症状が出てしまっているので、このまま断薬してみようと思う。舌痛症が悪化するようならレクサプロに戻そう。

ミシンの入れ替えをした。昨年買ったジャノメからジューキへ戻した。
薄物を縫う場合は、やはりジューキのほうが使いやすいと思った。ジャノメはパワーがあるので、厚物やアウトドア系のものを作る時に使おうかと思う。
ジューキを新調しようかとも思ったが、相変わらずミシン業界は意味不明のわかりにくさだし、あちこちから情報を引っ張ってみてもちょうどよいものがない感じ。自分にとって必要なもの、不要なもの、がうまくバランスが取れない。困ったものだ。

自分にとって必要なものは……。
・もちろん職業用ミシン一択
・工業用針は絶対譲れない
・厚物に軸足を置いていなくていい(ジャノメがある)
・サブテンションはなくても問題ない(ジャノメに付いている)
・自動糸切りは必要
・だけどフトコンにセットされているのは嫌(ミスを誘発すると思う、危険にもつながる、もう若くないので)
・自動糸通しは便利かな(絶対必要というほどではない、壊れやすいのも知ってる)

※サブテンションはフィラメント系の糸が撚れなくていいけど糸通しがちょいめんどくさいので通常は必要ないと思う。どうしてもフィラメント系使いたい時はジャノメでやればいいし。あとは太糸か? でも基本使わないから。

とやっていくと、ない・・・・・・!
みんな帯に短し襷に長しになってしまう。困ったものだホントに。
ブラザーのヌーベルに浮気しようかと思ったが家庭用針だし!
しばらく今の古いミシンをご機嫌とりつつ使ってみようかと思う。

ジャノメは一言で言うと、繊細な作業にはいささか向いていない気がする。ジューキで慣れているからだとは思う、初めての職業用がジャノメなら多分普通に使えると思うが、なんせジューキ歴が20年以上だったもので……。特にローンなんかを縫う時に強く感じる。
あと、天秤がスリットじゃないとか、送り目の調節ダイヤルが本体右側面にあるとか(私は右側面に磁石をくっつけてそこに糸切りばさみをセットしたいので邪魔)、いくつかの小さい不満はあったけど、パワーはまじでありますな。厚物はほんとジャノメだと思った。

条件ぴったりのミシンはないのかジューキ!
ではまた