メガネ型ルーペ購入

買ってみました。

これはハズキルーペですが、とりあえず試しにホームセンターで2000円くらいのものがあったので。

数日前に手織りの布の織りキズを修復しようとした時に、置いて使うタイプのルーペを使ったのですが、ライトを反射して見づらくて。ずっと見えづらいのを我慢して使ってきたわけですが、メガネ型はどうなのか試してみようと。

まだ縫い物では使っていませんが、あーなるほどーと思ったことが1つ。

老眼鏡をかけて、焦点が合ったところでこのルーペをかければ、その場所で1.6倍になるのかと思ってましたが、
ルーペをかけると焦点は合わなくなり、手元に近づけていくと合う。
つまり老眼鏡をかけて焦点が合うところよりも、近い場所で、焦点が合うのですね。
実際縫ってみないとわからないけど、ミシンで常用するのはきついかも。
縫い目をほどくとか(そう毎日ほどくわけではないが)、傷の修復とか(こちらもそう毎日はない)、そういう場面で使えるかな。

今日は他にも色々と必要なものがあって買い物に。
ホームセンターでは化成肥料も買いました。今年は果樹にまったく肥料をやっていないので、1度はやらないと。畑は今年はじゃがいもとかぼちゃだけ、それも植え付けた場所は少ないので、肥料は今は考えなくていいのですが、それならばそろそろ堆肥を入れてかき回しておきたいなと考え中です。
あとは照明器具などもちょっと見てきました。特に帰国後、明るい場所と暗い場所が混在していることがストレスになり、以前は気にならなかった諸々が気になって気になって。というのは家を建てた時はもう経済的にギリギリだったので、照明やコンセントなんかもほんと最低限しかつけなかったんですよね・・・。だから照明が届かない場所がけっこうあって、若い頃は平気だったけど今は特に無理!

帰国して、なーんか味覚もおかしいし。
私は今回、高山病にはならなかったけど、帰国してから低地病になったみたいです。インドに戻るか・・・^^;

ではまた

ストック・カン・リで事故がありました

9月19日に、ストック・カン・リのベースキャンプ(4980m)に於いて、日本人の登山客が1名亡くなられたそうです。
詳しいことは私にはわかりませんし、ネットの情報をそのまま流すことも控えたいと思います。
残念で、お気の毒でなりません。
ほんの1ヶ月半ほど前に自分がいた場所で、そのように不幸な事故が起きるとは、信じられない気持ちです。

ほとんどの日本からの登山者は、短い日程で行かざるを得ない状況に置かれていると思います。高度障害は個人差もあるし、同じ人でも出方はその都度違います。それは私自身何度も経験済みです。本当に、高度障害は把握するのが本人にも難しいものだと思います。高度障害なのか、風邪なのか、胃腸障害なのか、自分の体でもわからないのです。順応の進み方も個人差が当然あり、これもまた自分が順応できたかどうか、把握は難しいものだと思います。
日本からのツアーだったらしいので、十二分に高所順応には注意し、宿営地でも十分に休養を取りながら登山されていたはずです。可能な限り慎重に動いていたのに、いくつかの不幸な偶然と不運が重なって起きてしまった事故だと思います。
心からご冥福をお祈りします。

 

 サラシナショウマ

B.C滞在・2018ストックカンリ登頂記3

(ラダック&ザンスカール旅行記その5)

ベースキャンプの朝

3日目の朝が来た。
ざっと振り返ってみると、こんな行程。
1日目 レー~ストック村~モンカルモ
2日目 モンカルモ~ベースキャンプ
そして本日が3日目だ。
標高4980m で、朝起きてすぐに血中酸素濃度を計ってみると、

私 102-78
夫 85-88

おぉ、私がめっきり落ちている。
けれど高山病のような症状はまったくなく、起きて動き出せばすぐに回復した。
サントッシュにも数値を報告しておいたが、「あぁ、ぜんぜん普通、まったく問題ない」だそうだ。自分でもそう思う。


ここまで荷上げしてきた馬たちは、しばしの休息タイム。お客たちが登って下りてくるまでは、多分ここに留まっていると思われる。

朝食はティーテントで午前8時。
朝からなかなか豪勢な食事だった。
人は多く混雑している。昨日到着した組、一昨日の夜に登って今日は下山する組、の2つのパターンが混在しているからだ。モンカルモは一般的には登りの時しか泊まらないので、そこにいたのは全員がこれから登る人たちだったわけで、人数もそんなに多くはなかった。
ランチとディナーの時間には、下山組はもういないけど、昨夜登って下りてきた組がいるので、やはり混んでいた。

インドの若い女性に話しかけられた。一昨日の夜に登ったのだそうだ。私たちは今夜だよ、と告げると、「ガイドさんはいるのよね?」と訊かれた。「うん、ガイドとサブガイドがいる」と答えると、安心したようだった。
彼女は残念ながら登頂できず、ショルダー(肩)と呼ばれる所でリタイアしたそう。
「もうね、とにかく眠いのよ。本当に本当に眠いんだから。私だけじゃないの、全員が眠くて眠くて、それに高度障害もあったのかなぁ、ちょっと狂ったようになっちゃって、ストックで殴り合っちゃった」
おそらく、「眠るな!」と、殴り合っていたのだと思う。
彼女のパーティーは、半分が登り、半分は途中で下山したらしい。
「あなたたちは登ってね、グッドラック!」
と言い残して、彼女たちは下山して行った。

南インドからの若い男性ばかり3人の組は、1人がモンカルモで高山病になってフラフラしていて苦しそうだったが、何とかここまでやってきていた。
「どう? 体調は大丈夫?」 と訊かれ、
「うーん、少しだけ頭痛がする」 と答えると、
「うんうんわかるわかる、みんな一緒だから大丈夫だよ、水をたくさん飲んでね」
と、キラキラ光る目で見つめられてオバサンなんだか困っちゃったです。ほんとは頭痛もないんだけど、みんな高山病で苦しそうだったから、「なんともないよ」とは言えなかったです、ごめんね。

(9/25追記)
私たちに全くと言っていいほど高度障害が出ないのには理由があります。
1. ラダックに入ってから3週間近く経過している(その間ずっと3500以上)
2. ザンスカールトレックを既に終えており、4000~5000も複数日経験
3. 日本の居住地が1000mの高地のため1000m分のアドバンテージあり
以上の理由から高度障害が出ていないのであり、もし、ラダックに入ってすぐにここに来ていれば、高度障害は必ず出ます。出ないほうが不思議です。
(追記終わり)

 

アイゼン訓練とポーターの反乱w

さぁ~、今日もちょっと出かけるよ~。と、サントッシュが呼びに来た。
まずは我々の靴とアイゼンのサイズ調整。


サントッシュに指示されて、靴とアイゼンを合わせているポーター氏。

そうそうそういえば忘れていたが、前日、氷河まで行って戻ってくると、このポーター氏が我々のテントにやってきて、
「私は山頂には行きません!」
と言い出したのだった。
「はぁ??????」(目が点)
「なぜなら、靴もないし、ジャケットもないし、ヘッドランプもないし、手袋もないし」
「いやいやいやいや、私にそんなこと言わないで。そもそも山頂まで行く契約で来てるんじゃないの?」
「知りません、私はポーターだからここで終わりです」

話が違うじゃないか。ガイドとサブガイドをつけて、トップとしんがりをその2人にまかせて、ザイルを結んで安全に登山する予定だったのだが?

我々はネパール・ヒマラヤやラダックなどでかなりの回数のトレッキングをした経験があるが、基本的に荷物は自分が持って動いていたので、ポーターという職種の人を雇った経験がほとんどない。後でヒマラヤ仲間に聞いたところ、これはポーターがよくやる手なのだそうだ。そうして値段を吊り上げていく、ということだ。
まぁお金の問題だろうとは見当がついたが、それは我々の管轄ではない。
「あなたのボスと話をして」
「ボス? ボスはレーに・・・」
「もうここまで来てるんだから、ボスはガイドのサントッシュでしょ、彼と話して」
と、もう話に取り合わずに帰したのだった。サントッシュとは同じテントで一夜を過ごしたはず、話し合いはうまいことまとまったのだろうか。

サントッシュが「じゃ、行きましょ」と、アイゼン2足とザイル、ハーネスをひょいと肩にかけて、昨日行ったのとは逆方向にあたる丘の方へ歩き出す。我々も後を追う。ゴレップ・カンリの氷河から流れ出す白っぽく濁った川を石伝いに渡り、丘を登っていく。丘をゆっくりと回り込むように登り、ベースキャンプが見えなくなるあたりまで行く。これからアイゼン歩行とザイルワークの訓練だ。


アイゼンを装着してみたところ。軍用の払下げ品とのこと。こんなふうに紐で靴に縛り付ける。でも立派に前爪もある12本アイゼンなのだ。


夫にも装着。

それからしばらくアイゼンを付けたままあたりを歩き回った。
さらにハーネスを装着して、ザイルをそこにきちんと固定する訓練。我々は完全に素人なので、いちばん簡単な方法を教えられ、ひたすらそれを練習した。
そして制動訓練も!
「I’m folling!」
と叫びながら私と夫が交互に斜面に落ち(倒れるというか)、その瞬間に残る1人とサントッシュが確保する訓練だ。大真面目なのだが、いま書くとちょっと笑える。いや笑い事じゃないのだけど、英語で「落ちた!」なんて言う間もなく落ちていくに違いないだろうなと思って。


来た方向を見ている。この谷に沿ってベースまで上がってきたのだと思う。


いろいろと立派なヒマラヤ山脈の山々が見えている。サントッシュがひとつひとつ名前を教えてくれたが、まったく覚えていない。これは中国国境方面。


訓練場から見上げるストックカンリの雄姿。
手前に左から尾根が切れ落ちてきて、その尾根に左下から筋が伸びているが、この筋が昨日進み、そして今夜進むことになるストックカンリへの道だ。この道が尾根にぶつかるところが、第一関門の峠。今も人が登っている、高所順応のための登高だ。


自分がいる場所も入れて撮ってみる。こちら側の丘から下りていくと川があり、それを渡ったところがベースキャンプ(ぎりぎり写っていない)。そしてそこからずーっと、画像中央の斜面を左下から真ん中あたりに向けてストックカンリへの道が続く。
この谷を詰めればゴレップ・カンリだ。

標高5000mの花たち

はぁい、じゃぁ訓練終わったから、花の写真撮ったりして遊んで~。
と、サントッシュに促されて、花の写真を撮ったので羅列してみる。


これはお香として焚くための植物だそうで、実際、私たちのテントの真ん前にこれを取りに来ている村人が布テントを張っていた。テントの横にはこの植物が広げられ、天日干しされていた。生きている状態でも触るととてもいい香りがした。


ひゃぁ、遠くまで来たぞなもし

あとは夜までひたすら待つ・反乱2

ほんじゃ、帰るよ~。
サントッシュの後に続いて、訓練場からキャンプに戻る。
サントッシュは、モンカルモでもベースでも、高所順応のために登っていく時には、いつも手ぶらだ。ほかのガイドはみんな大きなザックをわざわざ背負っている。何が入っているのかはわからないが、サントッシュは手ぶらでぶらぶら歩いていくのが面白い。


ベースキャンプ全景
ストックカンリが少しだけ見えている、かと思う。ベースまで下りると見えなくなる。
サントッシュに言わせると、それはよいことなのだそうだ。見ていると、「あんなところに登れるわけがない」と思ってしまうから。いざ登っていく時には、上を見上げてもいいけれど、絶対に「あぁ無理!」とか「登れるわけない」「難しすぎる」「怖い」とは思わないでくれ、それが登頂への大事なこと、と教えられた。

戻ってすこし休んで、ランチ。ランチは軽め、ディナーはたくさん、食べてくれと指導。
ランチの後はすることもなく、眠れればいいのだがテントは暑くてとても寝られない。暑い暑いとゴロゴロ七転八倒。そうこうするうちに、昨夜登ったグループが三々五々下りてくる。登れたのか、途中撤退なのかはわからないが・・・。

南インドから来たという富裕層っぽい中高年の男性2人組が、尾根の上の第一関門へと足馴らしのためだろう、ガイドと登っていくのが見える。片方が高山病だろうか、まったく動けず、下から見ていてもハラハラする。ここでこの調子では、失礼だが登頂は無理だろうと思えた。一人は尾根まで行ったようだが、一人は登らずに下りて来ていた。


午前中は曇っていて心配したが、午後は雲も切れて(だから暑いのだが)、青空が増えてきた。


ゴレップカンリも美しいよい山だ


人がたくさん尾根から下りてきた。時間が遅すぎるので、高所順応のために尾根まで登った人たちだろう。

我々が寝ているとポーターがやってきて、
「私は山頂へは行きません」
とまた同じことを繰り返してきた。
我々は眠らなければならないのである!
いいかげんむかっ腹が立ったので、手袋がない靴がないジャケットがないライトがない、自分は一日800ルピーでガイドは1500ルピーでそれなのに自分が山頂に行くのはおかしい、と言い募り続けるポーターを制して、
「もうしゃべるなうるさい! ガイドと話せと言ったでしょう、ガイドと話しなさい!」
と突き放すと、あっさりガイドの所に行き、ものの数分で戻ってきて
「やっぱり行きます!」
だって!(笑)
たぶん追加料金を払うと言われたのだろうけど、あまりの豹変っぷりには笑う。
因みにティーテントには大量のプラブーツがストックされていて、ガイドたちはみなここの靴を借りて登っていくようだ。ライトだの何だのは、キャンプのスタッフに借りることもできるだろうし、正直言ってまるで心配はないと思う。
すごくおもしろい人間観察ができた。


だいぶ日が暮れてきた。テントは昨日より増えた。初日に見かけた韓国からの大きな部隊が到着したせいもある。キャンプのスタッフによれば、最盛期にはもっと増えて、川の対岸にまでテントが並ぶらしい。そこまでの最盛期じゃなくてよかった。

夕食は6時にティーテントで、指導のとおりにたっぷり食べた。今夜登るモンカルモからの顔なじみたちと、出発時間の確認。私たちは11時半だが、11時の組、12時半という組、いろいろだった。若干ずらしながら出発していくのだろう。インドの若い子たちは10時半とトップの出発らしく、富裕層の中高年組はなぜか12時と我々より遅い。ガイドもいろいろと考えて時間を決めているのだろうが、ちょっと不思議だった。でもみんな、やる気満々である。
みんなと、「がんばろうね!」「次に会うのは山頂だぜ!」などと声をかけあう。昨夜登った「登頂先輩さん」たちからは、「登れよ!」「絶対行けるぞ!」「幸運を!」などと余裕の激が飛ぶ。ちょっと体育会っぽいノリになってきた。トイレに行ってテントに戻る。
そこでさらに食う「かに雑炊」。ティーテントでお湯をもらってきて、ふやかして食べた。おいしかった。

10時50分に腕時計のアラームをセット。
昼間整えておいた装備を最終確認。
そんなに時間はないけれども、寝る!

ここまで来てもまだあまり実感はないのだが、泣いても笑っても、今夜アタックするのだ。行けるところまで、とにかく歩いて登ってみよう。
登頂した人たちかが盛り上がっていてちょっとうるさかったが、耳栓をして少しは眠ったと思う。

いざ。

次へ続く

石尊山の途中まで・・・

相変わらず3歩進んで3歩下がるって感じの毎日です。
更年期は色々な不調が出る時期、受け入れて少しずつ、ですね。

  きれいな真っ白いきのこ

今日は薬を飲まずにいられそうだったので、午前中に石尊山の途中まで行ってみました。色々なきのこが生えていて、食べられそうなものもちらほら。
でもきのこはまったくと言っていいほど知らないのでとりません。
放射能も完全にセーフになったのかどうか知らないし、危険を冒す必要はどこにもないので。

その後ちょっと調べてみたら、まだ採取販売摂取自粛中でした。肝心なデータは軽井沢町に関しては平成27年を最後に公表されていません。おそらく不都合だからでしょうね・・・。で、面白いのが、小諸や佐久あたりも野生キノコはまだ出荷規制が続いているのに、「マツタケは除く」なんですよ。マツタケは放射能を吸収しないとか、あるのかなぁ?(不思議でしょうがねぇ)

雨が続いているので、きのこハンターは多いです。

 

 帰国後の初縫製
スマホで撮ったので色がぜんぜん違う・・・! 正しいのは下の画像

これ、押え金がちょっと違うんですけどわかるかな?
「段付き押さえ」という押え金を使っています。文字通り、針の左右で段差がある場所を縫う時に非常に便利。特に私のような老眼世代とか、あるいは近視の方もそうなのかな? 見づらい部分の時には重宝します。
右側が上がってるもの、左側が上がっているもの。それぞれに中心部から針までの長さも数種類あります。これは右上がりの針1/32。最もよく使う段付きです。
って、どうでもいい話だった。


最初はいつも使っている左側のボタンを縫い付けたのですが、待てよ、この間インドで買ってきた少し大きめのがかっこいいかもと思い、出して並べてみた。
右側がインドのココナツ、左はタイ。
受け側の大きさも十分だったので、取り替えました。


写真じゃいまひとつ違いがわからないかもですが、絶対にこっちのほうがいいと思う。

因みに生地はラオス、ラハナム村の手織り木綿。実はこれ、注文品なのですが、裁断した時にうっかり織りムラを見落としまして。補修を試みましたがやっぱり気になるので、結局もう1着分経つことになりました。
その2着分でもって、生地終了~。

各国の手織り産業の衰退と価格高騰を見るにつけ、おそらくもう手に入らない部類の生地だと思います。自分自身、再びあそこに行くのはどーだろ、行けるけど、行けるのはわかってるけど、前回も売ってくれる家は1軒しかなかったし・・・。
なんて考えると、生地との出会いも一期一会で、「もう一度」ってことはない、ことのほうが圧倒的に多いなと思うのであります。

 

不時着する流星たち   小川洋子

この世と別の世の間にもしかしたらあるかもしれないものすごく小さくて普通は誰にも見えなくてでも何かの拍子に誰かの前に現れる、こともあるかもしれない。そんな異界のことを書かせたらやっぱり右に出る者はほとんどいないなと思わせる。ちょっと思いつくのは三崎亜記あたりはかなりおもしろいけど。
それにしてもこの人の小説を読む度に、日本語を母語として生まれたことを心底よろこびたいと思うんだよね。
☆4.5 短編集なので、気に入ったものとそうでもないのはあるわなやっぱり

ではまた

 

 

 

一進一退

な日々。ちょっといいかと思うと逆戻り的な。

今朝はめまいが酷くて服薬。ジャンキーになりそう。
昨日すこしPCで調べ物をしたせいか。
あるいは夜に観たインド映画のせいか。

バーフバリ・王の凱旋     
去年だったか、この前編にあたる「バーフバリ・伝説の誕生」を観て、面白かったので続編というか完結編みたいなこれを楽しみにしていたのだけど。

長い・・・・・・。
正直、飽きた。つまらないとは言わないけど冗長に過ぎる。
バーフバリの息子がバーフバリ、すべての話が最初に戻って・・・? えぇとつまり~、2度同じことが繰り返されたのか、そうではなくてオヤジの方の話を延々と観たってことなのか、こんがらがった。たぶん後者だと今は思うけど、観ている最中はずっと、前編で少年から青年になった息子の、その後の話なんだと思ってた。
CGも多用されてて、めまいには激しく悪かった!

 

   『宝島』 真藤順丈

戦争ものは今はちょっと・・・、と言いながら借りてしまった1冊。近未来ものかと勘違いした。宝島とは沖縄のことで、アメリカ統治時代から日本に返還される前後あたりの話だった。
初っ端は前に書いたとおり疾走感のある作風で期待したけれども、後半になると本筋がよくわからなくなり、最大の謎の部分もすっぽぬけたストレートみたいな感じで残念な感じが残った。そのことが意味する重大性の部分が、自分にはどうしても理解できず腑に落ちなかった。
しかし、戦後数十年後に生まれた私などよりもずっと若い世代で、しかもどうやら沖縄の人ではなさそうな? そういう書き手がこの手の重苦しいテーマをエンターテイメントとして書き切ったことはすばらしいと思う。小説として十分面白かった。
☆4 目取真俊『水滴』以来かもしれないオキナワものだった

ではまた

B.C到着・2018ストック・カンリ登頂記2

歯医者に行って、顎関節症治療のためのプレート(マウスピースみたいなもの)を入れることになりました。頭痛、肩こり、目の疲れ、めまい・・・。これらは顎関節症から(も)来るらしく、そういう流れになりました。更年期とかいろいろなことが絡み合っているから、原因はもちろん1つじゃないと思うけど。
20代前半にもプレート使ったことあるのを思い出しました。その時は大学病院の歯学科に「とんでもなく強情な親知らず」を抜くためにふつうの歯医者から紹介状持って行き、行く度に顎が外れちゃうのでプレートを使うことになりました。
でも1本でも歯を治療してしまうともう合わなくなるので、半年くらいで使わなくなったかな? 顎関節症は治りもせず、悪化もせず、おつきあい中です。
まだめまい中ですが、四の五の言わずに朝薬を飲むことにしてなだめています。どうしても眠くなったら寝ればいいと・・・。そんなこんなです。

では、登山記録の続きをどーぞ。

2018ストックカンリ登山記(2) ラダックザンスカール旅行記その4

 

一夜明けて、モンカルモ4480の朝。
私 心拍108、血中酸素85
夫 心拍79、血中酸素84
私はもともと心拍数が多いので、かなり大きい数字になっている。

朝8時半に朝食。みんなでティーテントで食べる。
因みに、登山者は3つのグループに分けられる。
1つは、ガイド、馬、コックなどを連れた人たち。この人達は自分たちでテントを用意し、またキッチンテントも持ってきているので、テントサイトは一緒だがティーテントに来ることはない。最も高額な料金を支払う登山の形だ。
1つは、ガイドやポーターは連れているものの、それ以外の装備は持たずに来ている人たち。私たちもここに属する。殆どはレーのツアー代理店でアレンジしており、テントサイトに常設されているテントを使い、食事はティーテントで作ってもらう。宿泊と食事込の金額をテントサイトに支払う(ガイドが払う)。
最後が単独の登山者。テント持参の人が多かった。食事は自分たちで作る人もいるし、ティーテントで取ることもできるようだ。もちろん有料。

この朝、モンカルモでともに朝食をとった人たちは、ほとんどが登頂まで同じ行程になる。
朝食はチャパティとオムレツの簡素なものだった。
ほとんどの登山者は、レーに入って数日でここに来ている。具合が悪い人もちらほらいる。それでもみんな出発していく。我々も出かけよう。

モンカルモ~ベースキャンプ(2時間半)


遠くにストックカンリを仰ぎ見ながら、広い河原状の場所を歩いていく。
今日の行程は、モンカルモからベースキャンプまで。ガイドのサントッシュによると、2時間半から3時間ほどの道行きになりそうだ。


今日も何度も渡渉を繰り返す。渡渉は苦手だ。
サントッシュが渡りやすい場所を選び、自分が渡った後でサポートしてくれる。そのたびに右腕が引っ張られて五十肩が治っていく(笑)
大きな渡渉を終えたところで休憩。ストックカンリが近づいてくる。


野営に使えそうな石囲いがところどころにある。
晴れて気持ちのいい日だ。
昨日の苦しさが嘘のように、今日は調子がいい、というか普通に歩ける。
サントッシュが何度も時間を聞いては「今日はいい調子!」と言っている。


歩いてきた方角を振り返る。三々五々、抜きつ抜かれつ、たくさんの人がベースキャンプに向かっている。朝のティーテントにいた面々は15~20人だろうか。このまま今夜アタックする人もいるだろう。


登る者があれば下りる者も当然ある。
ベースキャンプからたくさんの人が下りてきており、馬もまた。
サントッシュは顔なじみのガイドを見つけては情報を聞いているようだ。


標高5000に近いところでも、こんな花が咲いている。


昔はここも氷河だったのではないかと思う。こんなモレーン状の地形を延々と上へ詰めていく。(これは後ろを振り返っている)


快晴だ!
遠くを人が歩いている、たぶん登っている人たちだ。
道という道はなく、それぞれ勝手に岩と石だらけの歩きにくいところを延々と歩いていく。


マーモットがいたよ!


巣穴へ一目散!


エーデルワイスの仲間


これはなんじゃろか

丘を回り込んだところにベースキャンプがあった。モンカルモよりもテントの数がずっと多い。これからもっと増えていくらしい。
モンカルモからちょうど2時間半。今日はいいペースで歩けた。サントッシュもほっとしているようだ。
標高4980m、ほぼ5000まで上がってきた。
到着後 私 心拍97 血中酸素89
夫 心拍95 血中酸素85

ベースキャンプ・ティーテント


食器が積み上げられているティーテントの内部。奥の垂れ幕の向こうがキッチンになっている。こちら側は広い土間のスペースで、端っこにマットなどが敷かれていて座れるようになっている。


コーラも、ミネラルウォーターも、なんとビールまで売っている。
水が50、コーラが70、くらいだったと思う。
因みにここは宿泊と食事で1500ルピーと書いてあった。


ランチを食べる。手前はポーター。奥の方にはインドからの登山客たち。
このベースキャンプは料理上手のコックがいると見えて、色々な料理を作って登山者を飽きさせない。ご飯とカレー、だけでなく、パスタやサラダなど、常に数種類の鍋が置かれて食べられる。インドに5週間いたけれど、ここの食事がいちばん美味しかった気がする。


氷河から流れてくる川の向こうにブルーシープの群れが来ていた。


ベースキャンプの下の方から全体を撮影。
中央あたりのブルーシートの三角錐っぽいのがティーテント。
正面奥の斜面に伸びている道が、ストックカンリへと続く登山道だ。
いま見えている「道の消えるところ」がストックカンリへの第一関門と聞いた。2番めが旧ABC(アタックベースキャンプ、昔は設営が許可されていたがゴミ問題で今は禁止されている)、3番めが氷河を渡ったところ、4番めが「ショルダー」、そして山頂。
登ってきた方角を見ている。この方向にずっとずっと行けば中国。

 

高所順応のため登山道を進んでみる

5000の地に宿泊するので、いったん登って、それから下りて夜を迎えるのがよい。これは高地を旅する者なら誰でも知っていることだ。私たちもサントッシュと一緒に、とりあえずは登山道を登り、道が消えていく丘(第一関門)まで登ってみることにした。午後2時頃に出発した。


午後になって日影となり、カンカン照りよりは歩きやすそうだが、なかなかどうしてこの道が簡単ではない。急傾斜の斜面に無理やり刻まれた徒歩道で、ともすれば転げ落ちそうなのだ。下も砂というか粉のような土の部分があり、歩きにくい。


あまりの歩きづらさに途中1枚も写真を撮らずに登ってしまった丘の上。というか尾根の上と言うべきか。稜線上になっている。わかりづらいが左手から登ってきて、てっぺんにいる。
中央がストックカンリ峰。
そこに向かってなだらかに下っていくように見える道が、登山道だ。


登ってきた側はこんな景色。
沢が見えているが、これを下っていったところにキャンプがある。かなりの傾斜ということがわかる、かな。


ベースキャンプを見下ろしてみた。見えている道は比較的なだらかな部分で、ここからそこまでの間が滑り台のような傾斜になっている。


遥か彼方の緑の部分は、レーにも近い町や村。ずっと向こうは中国。

丘の上までの予定だったが、私たちが元気だったせいか、もっと先まで行ってみることに。

なんで撮ったのかわからないけど・・・、こんなふうに赤っぽい斜面や黒っぽい斜面が次々と出てきて、いずれにしても急傾斜の斜面に作られた道は常に下に向かって傾斜していて、うっかり踏み外せばアウト、って感じの場所が続く。
ただ、第一関門の丘の上から氷河までは、比較的ゆるやかなアップダウンの繰り返しだ。


ABCに着いた。氷河がもう目の前に迫っている。明日はこの氷河を渡り、手前に見えている尾根の向こう側を登っていくことになる。


ABC のタルチョーと中国国境の山々(遠望すぎて見えない・・・)


左がサントッシュ、真ん中はポーター、右わたし。やたらと元気。


ふたりの写真をいま撮っておこう! とサントッシュ。
明日でもいいよ~、と言うと、登る時は真夜中で、下りてきた時は死んだようになってるはずだから、今しか撮れないんだ! と言われた。

来た道を引き返す。ベースから見える丘の上まではいいとして、そこからの下りがほんとに怖い。スリップしそうな場所がずーっと連続している。横歩きをしながら下りないと、ほんとうに転げ落ちるだろうと思った。


夕方、すこし雲が出てきているゴレップ・カンリ。

ここまで数日、この周辺の天気はよかったそうだ。そろそろ崩れるかもしれないと思った。
ベースに着いた時もそう思い、もしかして、今夜アタックするべきなんじゃないかと考えたりもしたが、サントッシュが「今日は休んでアタックは明日の夜」と決めたので、従うことにした。
実際、モンカルモから一緒にここまで来た人たちは、殆どが「明日の夜」登るらしかった。

夕方6時、「飯だ飯だ」と招集がかかる。
飯食って寝よう。

3日目に続く~

 

 

 

DAY1・2018ストック・カンリ登頂記1

リアルタイムではとっくに帰国しております。
今日の軽井沢はくもりのち雨で、気温も20℃に届かない予報でした。かなり涼しく感じます。
めまいが少し収まっているので、旅行記の続きをば。
順番としてはザンスカールトレッキングが先なのですが、記憶が新しいうちに登山の方を書いておこうかと思います。

ではどうぞ~

 

ストック・カンリ登山記(1)~ラダック・ザンスカールの旅その3

6153m(諸説あり)の北インド・ラダック地方の名峰ストック・カンリに、自身初の6000m峰としてチャレンジしてきました。
この山行の費用や装備などについては、最後にまとめようかと思います。
それでは初日からいきましょう。

おっとその前に地図をどうぞ。赤いサインが見えていたら、そこがストックカンリ峰の山頂です。見えていなかったらだいたい地図のど真ん中が山頂にあたります。レーからの距離感、近いですよね。こんなにアプローチが短い6000峰はめったにありません。STOKとあるのが、出発点であるストック村。ここから歩いていきます。

 

 

初日の朝のハプニング

ラダックの中心地レーに入ったのが7/15。
それから人探し、ザンスカールトレッキングなどを経て、いよいよストックカンリに向けて出発したのは8月3日の朝だった。

「んー、明日の出発はー、9時半でどう?」
前日の最終打ち合わせの後で、代理店の社長がこう切り出してきた。
「え? ちょっと遅くない? 普通もっと早いよね?」
「大丈夫、明日の行程はたいしたことないから~」
「そう・・・、まぁ大丈夫だよね、オーケーです」

こんな感じでアバウトに決めた出発時間。車はまず宿に来て私たちを拾い、それから代理店へ向かう。ここで昨日顔合わせ済みのガイドのサントッシュ、ポーターさんと合流。社長の指示で持っていく装備の最終確認とパッキング。

因みに、今回の登山は日本からのツアー登山ではなく、現地でいくつか話を聞いた中で最も信頼できそうだと感じた代理店でアレンジしてもらった。私たち2人に対してガイド1人、ポーター(アシスタントガイドとも呼ぶ)1人。テントも寝袋も持っていかないため、私たちがポーターさんに預ける個人装備は大してない。最終アタックの時にはポーターさんも山頂まで上がる、つまり2対2というこれ以上ない贅沢なアレンジである。どちらかが途中で下山する場合、そちらにもサポートを付けたいという希望をきいてもらった。

私たちがここで借りるのは、12本爪ながら紐でぐるぐる縛り付けるタイプの軍用アイゼン。日本からわざわざ持参したセミワンタッチのアイゼンは「重すぎるし、冬山用の靴にしか付けることができない」という理由で却下。ちなみに冬山用の靴も却下されている。
アイゼンのほかピッケルもレンタル。そして社長は酸素ボンベを用意してくれていた。

「酸素ボンベを使う時は、まず自分が吸って助かること。自分が助かってから他の人を助けてください。いいですね!」

まさか酸素を持っていくとは思っていなかったが、これを聞いてちょっと緊張した。
今日のランチも社長が買ってきてくれて、装備も整い、出発。
スズキマルチという小さなワンボックスで、目指すはストック村だ。
出発してすぐ、助手席のガイドが振り向いて、

「今日はダライ・ラマがレーの街に来るんです。途中で出迎えたいんですけどいいですか?」
「もちろん。へー、法王がレーにね、それで兵隊がたくさん出ているんだ」

レーの街はいつもよりもたくさんの兵隊があちこちに立っていて、何かあったのかと思っていたところだったが、法王が。数日前にチョグラムサル(レーの郊外のチベット人居住区)で法要があったのは知っていたが、その流れでレーでも何かあるのかも。

車は広い道路をチョグラムサル方向へ走っている。ドライバーが車を脇道に入れ、駐車した。そして私たち5人は広い道へ取って返す。と、何やら左の遠くに車列が!
「来た来た、急いで急いで!」
私たちはダッシュで広い道を渡り、向こう側の少し高くなっている歩道に上り、運転手が用意していたカタ(白い絹のスカーフ、本来なら法王に捧げて贈り返されるのが最上だが、状況的に無理)を広げて横断幕のようにして皆で持ち、車列を出迎えた。

「2台目です!」
サントッシュが教えてくれた。車列はスピードを緩めもせず速めもせず、4~50キロくらいだろうか? 近づいてきた。
このあたりは人家もなく、私たちのほかに出迎える人もいない。
1台目が通り過ぎる。そして2台目の助手席に、確かにダライ・ラマさんが。他に誰もいないから、私たちの方を見てにこにこと笑い、いつものように合掌しながらその手をひらひらと、振っているではないか。私も思わず同じように合掌しつつ、しっかり右手を振ってしまった。

車列はあっという間に通り過ぎて行き、あとに残された我ら5人。
特に現地の3人は大興奮で、大喜びだ。
「ユー・アー・ラッキーマン! 今日からのエクスペディションも絶対にサクセスするね!」
とサントッシュに20回くらい言われた。

ダライ・ラマさんは御年80をとうに越えてはいるが、まだまだお元気そうで何よりだった。私個人にとっては、1993年にダラムサラでお会いし、その翌年にたしかホテル・オークラでのパーティーでお見かけして以来、24年ぶりに間近に見る法王さんである。もちろん年は取られたが・・・。

サントッシュが言うように、今回の山行は成功するような気もしたし、いやいや待て待て登頂率わずか3割の山なんだぞと思ったり。そんなこんなしながら、ストック村の出発点に到着した。

初めてストックカンリ峰を同定する


ストック村の出発地点。川の向こうにたくさんの馬がいた。これから荷物を積んで出発していくのだろう。


「ストックカンリが見えてますね!」
サントッシュに言われて見上げるその方角には、白い山が2つ。左の方かなと思って聞いてみると、違う違う、右の、ちょこっと頭だけ見えているあれですよと言う。

わかりにくいので拡大してみたが、これがストック・カンリなのだと。

「まさか~♪」(ツマ)
「嘘だろ?」(オット)
「あんなの登れるわけないじゃん!」(フタリ)

実際それは、エベレストにも等しい「登れるわけない」レベルで遥か彼方に聳えており、私はサントッシュが冗談を言っているのではないかと、その日ずっと疑っていた。
ストックカンリの画像はさんざん見ていたのに、いざ実際に見てみるとそれが登山の対象とはとても思えなかった。


高巻き道を行くサントッシュ。ラダックはこんなふうに美しい。道はこの川に沿ってずっと遡っていく。社長が言っていたように、たいしたことない道である。ザンスカールのトレッキングのほうがはるかに厳しいアップダウンの連続だった。
なのに・・・。
この日の私はどういうわけだかまったく歩けなかった。
足は鉛のように重く、背中のザックはせいぜい4~5キロだというのに、おんぶおばけと子泣きじじいとぬりかべがまとめて貼り付いているかのように重くて重くて泣きそうだった。ザンスカールではそれなりに快調に歩いていた。高度順応も問題ないはずだ。道は緩いアップダウンで、荷物も重くはない。なのになぜだろう。
サントッシュはこの日の私を見て、「こりゃ登頂は難しい」と思ったと思う。私自身が、これは無理なんじゃ、そもそもベースキャンプまでだって着くのかと思ったのだから。


お先に~、と馬が抜いていく。馬たちにはホースマンと呼ばれる馬方さんが複数ついていて、道を逸れる馬を連れ戻したり忙しい。
本日最大の難所、トントン・ラへの登りの途中で、来た道を振り返る。
広場にたくさん人がいるが、これは韓国からの大きなグループで、今日はここで泊まって高所順応しながら登頂を目指すのだそうだ。


美しいねぇ、ほんとうにラダックの風景は最高に美しかった。道が向こうに消えていっているように見えるが、サントッシュによるとそこは「ビューポイント」で「ぜんぜんたいしたことな」く、そして道はそこで終わっているのだそうな。


トントン・ラに着いた
たくさんのマニ石と祈りの旗タルチョーが美しいね。
タルチョーはチベット仏教圏でよく見かける。峠、橋、家の軒先、そういうところに渡して旅や家内安全を祈っているのだと思う。5つの色には「地・水・火」といった意味があり、たいていは馬の絵と経文が印刷されている。その馬はルンタ=風の馬という名を持ち、天を駆けて仏の教えを広く世界に知らしめる、と言い伝えられている。


トントン・ラから進む方向を見下ろす。ここからは下ってさらに谷を詰める。


下りきってまた川沿いを進む。トントン・ラまでもそうだが、渡渉は何度かある。石を伝って飛び越える。よいガイドならちゃんと手助けしてくれる。


美しいねぇ。

宿営地モンカルモ到着


テントが見えた、今日の宿営地モンカルモという場所に着いた。休憩含めて5時間半ほどかかったかと思う。標高4480m。十分に高いが、ザンスカールで経験済みのため高度障害はまったく出なかった。
因みに到着後に計った血中酸素濃度は、私90、夫83、問題なし。


モンカルモにはたくさんのテントが張られていた。その中の1つを借りる。中には寝袋も2つセットされていて、登山者は何も持ってこなくていいのである。
このテント、私たちは代理店で予約を入れていたので何の不安もなく使うことができたが、個人でふらりとここを訪れても借りられるのかどうかは不明。空いていればもちろん大丈夫だろうが、シーズンには大量の登山客が訪れるので満杯ということもありうるかと思う。その場合には大きなティーテントがあるので、その片隅などに寝かせてはくれるだろうと思うけれども。


テントで少し休んでから、夕方、高所順応のため近くの丘に登る。テント村からもストックカンリが見えていた。ここまで来てもあの山が登山の対象とはとても思えない。


影になってて見えづらいが、ブルーシープの群れがテントに遊びに来ていた。


テント村から100mほど高度をかせいだ。そこからのラダックの山容。色とりどりの山肌が美しい。ザンスカールに比べて、ラダックのこのあたりの風景は「たおやか」だと思う。


明日進んでいく方角。中央左に見えているスキー場みたいな山はゴレップ・カンリ5980。ストックカンリは右の端っこの方に見えている、と思う。


高所順応の散歩から戻ってきて、テント村から見る夕映え。中央はゴレップカンリ。ちょっと上がったり下りたりするだけで、風景は変わるものだ。


ティーテントの前にたたずむロバ。ちなみに食事はこのティーテントで、ここに住んでいるスタッフが作ってくれる。この夜はトゥクパ(うどん)だった。

散々な初日だった。サントッシュは暑かったせいだろうと言う。そうだといいのだが。
テントのフライが破れていて、メッシュの部分から風が吹き込み、この夜は寒かった。

2日目に続きます

 

一部再開しました

いいち、クリーマ、そしてリンコルの新店を再開しました。
旧店はまだ少し時間かかります。

うちで扱っているものの季節性としては既に外しつつありますが、
またよろしくお願いいたします。

 

きのう借りてきた小説を読み始めましたが、垣根涼介の『ワイルド・ソウル』に似たなんとも言えない疾走感を感じています。『ワイルド~』はほんとすごかった、読んだ時は興奮した、こんなすごい作家がいたのかと思いました。ほかのものを読んでみると「ん?」だったりするんだけど、いやそれなりに面白いけど、こういう渾身の一作ってあるんだと思います。浅田次郎だったら『蒼穹の昴』、高橋なら『邪宗門』、開高健なら『夏の闇』かなぁ、もちろんそれぞれの読者に、それぞれの「この人のこの一作」があるのですよね。

また読み終えたら感想など。

ではまた

あれれ?

どうにもこうにもふわふわ目眩が収まらないので、昨日は薬を朝晩の2回のんでみました。いつもは朝か夜の1回にしていたのですが(眠くなる薬のため)、思い切って。昨夜の段階ではダメでしたが、今朝起きると少しいいような・・・。

というわけで帰国後ずっと行きたかった美容院へ行きました。シャンプーはなし。仰向けはほんと怖いので。
前髪が目にかかるとそれだけでイライラしてしまうので、さっぱりしました。よかった。

帰りに図書館に。
久しぶりです。もしかしたら1年とかそういうスパンで行っていなかったかも。
イトヤマ大先生の新作があるかな? お、あるある、借りよう。
と、ろくに見もせずに借りてきたはいいのですが、
「あれれ? なんか見覚えがある。うーん、雪かきか。読んだことあるじゃないか!」
てなことで、既に読んだ本を借りてきてしまいました。がっかり。

そういえば書棚を見ていて思い出したんだけど、昨夜はどこかで本を探している夢を見て、その時に「浅田次郎浅田次郎」と呪文のように唱えていたんだっけ。
浅田大先生も相変わらず次々と書いておいでのようで、未読の背表紙のものを何冊かパラパラしてみましたが、
「う・・・、今は戦争ものはつらい」
「さりとて現代ものもなぁ、この路線はつらい」
とかで、借りずじまい。

小川洋子さんと、あと今まで読んだことのない作家の小説が新刊のところにあったので、借りてみました。
体調と相談しながらですが、そろそろ復活したいです。ではまた

ブーイングやめて!

気がついてチャンネルをWOWOWに変えたときにはもう表彰式になっていて、セリーナさんが「ブーイングやめて!」と言ってました。
最初は、黒人である彼女に対してブーイングがあったのかなと思いましたが、そうではなくて、勝ったオオサカさんへのブーイングってこと? それとも審判や大会運営側へのブーイング?
試合中にセリーナさんがキレまくったそうで、後味の悪い試合だったとか。私はテニスはまったく詳しくない(点の数え方も知らない)のであれですけど、とにかく表彰式でブーイングをするというのはよくないよねぇ。テニスのファンってお行儀がいいのかと思ってたけど違うんだな。

と、そんな話はどうでもよくて、すごかった、オオサカさん!
優勝おめでとう!

さて私はですが、金曜日になんとか歯医者に行ったはよかったけど、歯医者って椅子倒したり起こしたりされるんだよね、ちょうどその日は特に「仰向けアウト」だったので、かなりフラフラになりました。予定していた美容院は取りやめて、知人の別荘に台風の被害チェックに行きましたが、思っていたよりぜんぜん被害(庭中に枝が落ちているかと)はなく、安堵。
結局まだ休んでおり、土曜日にちょっと思いついてPCのモニタの高さと位置を変えてみたり。今日は以前よく犬を連れて行っていた散歩コースに行ってみたりしました。近くに水道管を通す工事をしていて、道が変わっていてちょっとびっくりしました。

 

 あと、こんなの買った
出発前に既に壊れていた仕事場のCDラジカセ。親のところに置いてあったのもチェックすると動かなくなっており、新しく買いました。仕事をしながら聴くためのものなので、高機能なものは求めておらず、また、繊維を扱うので常に繊維ボコリがある中での作動ですから、高価なものも置きたくない。で、こんなの。もう「カセット」はないのでCDラジオ。驚くほど軽く、すぐ壊れそうな造り。もうちょっとしっかりしたものを作ってくれればいいんですけどね・・・。
今日はこれで、(知ったかぶりの)大相撲中継を聴きました。
NHK、相変わらずまったく映りませんよわが家は。だから御嶽海の活躍も見ることができないんですよ。ほんと、この状態で集金に来るNHKって何なの? もちろん映らないんで払ってないけど(それでも法的には払わなきゃいかんのでしょうけど、だって、映らないんだよ?物理的に。受像機は持ってるけど映らないんだよ?・しつこい)
いまわが家で映る局の平均打率(映る確率)は、テレ朝とTBSが6~7割ほど、NHKとフジは0~1割、日テレも2~3割。衛星以外何も映らない時もしょっちゅうです。ほんとひどいな~。

 

色々とやりたいことはあるのですが、ふわふわ目眩も侮れない。
まぁ焦らずに、いこうと思います。
ではまたです