西は梅雨入り

気がつけば6月。もう西日本は梅雨入りしたそうで、こちらも週間予報を見るといい感じに曇天が多い様子。曇天と雨が交互みたいな感じが最も望ましいです、今は野菜も藍もたくさん水を吸って育つ時期(だと思う)。
わが家に植えつけた藍も、根が少なくて(絡まって切れちゃった)心配しましたが順調に活着し始めた様子で一安心です。とにかくわが家だけの収穫でも昨年と同程度にはなるわけですから、しっかり育てたい。来月初めあたりには、藍建ての準備も始める予定です。

すっかり藍農家&藍染め屋さんみたいですが、他のことも何とかかんとかやっております。

今日は先日撮影したもののいまひとつ気に入らなかったもののやり直し。外で撮ってみましたが、やっぱり気に入らない・・・。ある程度忠実な色が出たとしても、魅力的な写真かというと違ったり。ほんと写真は難しいな。
それにしても、デジタルカメラというものが出来たから、気に入らんだのやり直しだの言ってますが、もしこれがポジフィルムだったら、とてもとても・・・・・・、こんな作業は無理でしたね。現像するまで出来がわからない、オートブラケット撮影(明るさを変えて数枚ずつ撮影する)とか冗談でしょという・・・。どれだけお金がかかることか。
などと考えつつ何とか撮影して、午後は画像加工とマーケットへのアップ作業。
夕方はやりかけだった白ものの縫製を2点仕上げて。
藍を建てるまでにはまだまだやっておかなければならないことが山積みです。

「夜を往け」を久しぶりに聴いてます。画像の加工やアップといったあまり頭は使わない作業の時には、よくみゆきさん聴いてるけど、もうちょっと元気出そうなアルバムを聴くことが多いかな。元気出そうなアルバム・・・・・・、どれだ?(笑)
今はものすごく、これの気分。

そうだ今日は6.4ですね。1989年の6月4日。その日北京で何が起きたか、未だに明らかにはされていない。400名弱の死者が出たことは認めているけれど、実際にその数なのか、行方不明者はどうなったのか、何もわからないまま。
それでもわずかに進歩はしていることはしているのです。事件の半年後に北京に行った時、街中に
「没有死亡一个人」 誰ひとりとして死んではいない  
という文字が踊っていましたから。
そのとき天安門広場を見に行って兵隊に取り囲まれて銃をつきつけられて安全装置を外された、という話はもう何度も書いたけれども、恐怖という感覚は持たなかった、ただただ頭真っ白。あの時撃たれていたら(その可能性は限りなくゼロに近かったと思いますよもちろん、脅していただけだと)、恐怖を感じる暇はなくわけわからんまま死んだのだろうと思う。
6.4(ろくよん)は、その時の体験とセットになって、記憶から消しがたい。
中国の民主化を私が生きている間に見ることがあるかどうかはわからないし、そうではない形で中国が今よりマシな国になっていくのかもしれないのだけれど、中国という国は・・・・・・、うーんなんとも。

ではではまた