ろく・よん

今年も巡ってきた「ろく・よん」。
1989年に北京で起きた天安門事件(過去にもあって「第二」とするべきだという説もありますが)から22年です。

88年に初めて中国に行き、北京は行かなかったけれど、2ヶ月近くかけてシルクロードの果てまで行きました。生まれてはじめての一人旅で、ひっちゃかめっちゃかだったけど、無事にやってこれたのは、懐の広い中国人民のお蔭だったと今でも思っています。
89年は4月に香港にいて、胡耀邦の死去を知りました。香港は悲しみに包まれ、結局名誉回復されずに死んだ彼を人々が悼んでいました。帰国して、天安門闘争のニュースをテレビや新聞で見ながらドキドキしたりわくわくしたりして、この日を迎えました。
89年10月に訪れた北京では、「誰一人として死んではいない」というプロパガンダが踊っていました。人民解放軍の兵隊さんありがとう、という地方の子どもからの手紙が街路に張り出されていました。私は天安門広場を訪れてその兵隊たちに10分ほど身柄を拘束されて銃をつきつけられるという怖い思いをしました。

中国はこれからどうなっていくのでしょうか。
中国は20世紀最大の実験であると、誰かが言っています。その実験は21世紀に入ってもまだ続いている。


ラハナム村の藍布で作ってみたジャケット


暗いけど、晒を栗のイガで染めて作ったタンクトップです


撮影用のリンゴの枝にあったセミの抜け殻。エゾニイハルゼミ、そういえば今日、初鳴きを聴きました。

今日は午前中、行方不明の布を探しながら仕事場を片付け。整理整頓は苦手ですね、オットほどではないけどw
そうとう混乱していた生地類が整頓され、そして最後の最後に行方不明の布が出てきました。とりあえず、見つかってよかったです、掃除する機会にもなったし。
午後は友人が寄ってくれてちょっとしゃべって、それからパターン1つ作って、1着分裁断しました。
「作っても作っても売れなくちゃ困っちゃうよね、在庫増やしてばかりで」
と友人に言うと、
「いいじゃないの腐るわけじゃないんだから」 と言うておりました。そうだね、生ものは大変だよね。

サメのうたを引用しようかと思ったけど、あまり度重なるとうざいかと思い自重します。

ではまた