すっきり晴れたわけではないけれど、降らない1日。日も射して気温は21度ほどまで上がりました。畑も一安心。
みーさまのファンクラブから会報が送られてきました。初めての会報です。不定期発行らしい。
このファンクラブは1987年発足と書いてあるから、それまではファンクラブはなかったのかな?
会報は今号で100号の、記念だったみたいです。クリアファイルの小さいのが入ってたけど、何に使える大きさだべか・・・w
カイラスから20年、と先日書きましたが、みーさまに出会ってからは31年です、多分。15か16だったので。女子としては極限まで短くした髪で、セカンドを同期3人で争ってて、「セカンドの3猿」と呼ばれていた頃のことでした。前年の日本一という看板が重くて重くて・・・・・・。私はいつも、皆から一歩も二歩も遅れをとっていて、気がついたら背番号がなくなって、次に気がついたらユニフォームもなくなってた(笑)。1年くらい気を失ってたみたいです。
ソフトボールをやるために、親の反対教師の反対全部振り切って入った高校だったのに、選手としてはそこにいられなくなって、その日からマネージャーになるしかなくて、16やそこらの子どもには結構酷だったな。
みーさまが沁みるわけです。ぐれるわけですw
一緒にセカンドを争った子は、ある日突然学校に来なくなり、その日カントクが家に行ったら夜逃げしてたって。前日までまったくおくびにも出さなかった、いま思っても見事でした。というか、どんだけ異常な世界だったんだよ、私のいたクラブ。子どもが部活から逃げるために一家夜逃げ。orz
同期にもう1人、忘れられない子がいます。精神を病んで部を除籍されて2度留年して結局は退学しました。卒業して数年はその子の噂を聞く機会もありました。完全にあちらの世界に行ってしまって、全く会話も通じない、と。今はどうしているのか、同期の消息をまったく知らない私ですが、その子のことだけは今も気になります。同期の中でただ1人、学校が始まってから入部してきた子で、そしてただ1人、私よりも下手でした、初心者だったから。できない奴、下手な奴には生きる価値がない、そういう世界でした。彼女がもしいなかったら、私が彼女の道をたどったかもしれないと、今も思います。
なんで昔話をしているんだろうかw
あぁそうか、会報に100号の歴史が写真で紹介されていたからか。
そんでもって、みーさまが沁みたという話ね。
さてさて。
昨日作ったパターンで今日は1枚、前から気になっていた生地で縫ってみました。どうかなぁ、ちょい微妙。やはり生地は難しいです。当たり前だけど、生地のよしあしですべて決まってしまう。
また考え考えやることにします。
明日の土曜日、追分の草越街道のほうにあるキャボットコーブさんというカフェで、山の畑友人が朝市を開くそうです。朝収穫した新鮮な有機野菜が並びます。レタスとかほうれんそうとか。お近くの方はぜひ行ってみてください。友人ブログにも詳細が載ってますので、リンクしておきますね。こちらから
明日は晴れて気温も今日より上がりそうです。ではまた