栗染め生地

栗の葉染め・銅媒染

下に敷いているのが、染める前の白無地。マスタードイエローに染まりました。いい色に染まった♪

生地はこんな感じ、シャンタンとワッフル

先日染めたどうだんの色がどうも薄くて気に入らないので、染め重ねようかと考えています。ほかにもまだ白生地があるし、明日あたり、2度めの染めになるけど、先日の染液で煮染めする予定です。

それが終わったらいよいよ栗のイガ君たちの出番です。今日家の裏で少しイガを拾いました。まだまだこれからが本番ですが、ぼちぼち集めて、溜めておきたいな。たぶんイガのほうが濃い色が出せるのではないかと思うのですが、こればっかりはやってみないとわかりません。

藍もまだ重ねたいものがあるし、うーん忙しいぞ。
でも指の関節がぶよぶよしてきたので、絞る方法を何か考えないと。

あと、こんなの作りました
タイの手織り木綿、かなりざっくりした粗織りの生地、後ろスリット開き、前は小さくタック、ポケットと見返し部分はインドの木版更紗木綿にしました。

ではまた

栗染め媒染

台風が去って、今日はお昼前から晴れました。
先日の栗染め(イガが落ち始めた時期の葉と枝少し)、煮染めから2日経ったものを、今日は引き上げて媒染しました。鉄媒染すると何でもかんでも灰色になってしまうので、銅媒染。こちらは何でもかんでも黄色になるけど(笑)
明るい色がいいなと思ったので銅にしてみました。
乾いてみないと何とも言えませんが、結構いい色になった気がします。

今回染めたのは、白生地3点。
どれも木綿で、まったく織り模様のない平織と、少し織り模様のあるものと、そしてワッフル。
今すぐ何にする、って決めてはいないのだけど、少しずつ溜まっていくのは楽しいです。

縫製後の染めは、縫い目の部分が3枚4枚と重なって厚くなっている、そこが染まりづらいのが難点です。今のところ。特に藍。藍は付着染料なので、内側には染み通って行かないため、余計に縫い目の部分(折伏せ縫い)が白っぽく浮いて見える。ちと残念です。
草木染めにした場合は、どうしても、ムラや染みのようなものが出ます。これを完全に避けるにはどうしたらいいのかわかりません。で、正面ど真ん中に染みがきちゃったら困るので、今のところ生地で染めてみています。

散歩に出るまでもなくわが家の庭を見渡しても、すでに紅葉が始まり、栗も落ち始めています。
ぼちぼち、栗のイガを集め始めないと。
そのうちにはヤシャブシも拾いに行く予定です。ヤシャブシは、多分わが家にはないんじゃないか、これは近くの森で探します。1ヶ所知ってるんだけど結構遠くて、徒歩でしか行けない場所でもあり、どこか近くにないかな。

明日も晴れる予報、ではまた

軽井沢地デジ難民

今さらですが、相変わらずわが家では地デジが受信できないことが多いです。
今朝も「マッサン」を見ようとテレビをつけたら、「現在休止中です」とかいうふざけた文字が黒画面に浮かび上がっていました。皆様の公共放送が朝の8時に放送休止するわけもなく、受信状態が悪いのです。

朝の楽しみが奪われる。
あまちゃんの時もそうであった。

それにしても、全家庭に受信料納付義務がある公共放送が、物理的に映らないって、これはどう理解すればいいことなのか。
もちろん、地デジ化に当たってはアンテナもブースターも最新最強のものに交換したし、わざわざ電気屋さんに来てもらってアンテナもちゃんと美ヶ原に向けてもらった。敷地内のそっち方向の樹木は伐採した。
それでも映らん。
もはや自助努力の範囲はとっくに超えている、と思う。

まぁ別にいいっちゃいいのだが (だから今日まで放置しているわけだけど)、日本全国津津浦浦まで降り注いでいる、皆様の公共放送の電波がうちには降ってないってのが気分悪いです。

難視聴対策の秘密のコード(地デジが衛星で見られるってやつ)を聞こうと総務省に電話したこともあるけど、ここはそのマップに載っていないからダメだそうで、
だって映らないんですよと、どんなに訴えてもコンクリ頭の役人の下請け姉ちゃんに伝わるはずもなく。

あ、それで最近来ないのか、NHKの集金人・・・・・・。

台風は軽井沢ではあまり影響なく、もちろん雨と風はそれなりだったけど怖いと感じるほどではなく、過ぎて行きました。明日から数日は天気が良さそうです。ではまた

台風接近中

朝から雨が続く軽井沢。夜になって風も強くなってきたようです。
これから明日の日中いっぱいくらいが、最も酷い時間帯になりそう。
木が倒れたりしないといいな。

倒木の敗者復活戦、を歌わなくても、倒れた木はほんとに芽を出すんですよね。林に一歩入るとそういう木がたくさんあります。数年前の台風で根こそぎ倒れた木も、根の一部が地中にあれば生きる。植物は強いです。

屋根のある作業場ではない、完全に青空作業場で染めをしているので、雨が降れば作業は中断です。それでも2度ほど傘をさして様子を見に行き、浸けている布を動かしたりしてきました。それでもムラになるかなぁ、ほんとは今日の午前には引き上げて媒染するところなんだけど、さすがにこの天気では・・・。せめてものムラ防止に、動かすことをするわけです。
ついでに藍のバケツにも、少し気付け薬を入れてかき混ぜておきました。

昨日の作業は、一部洗濯機を使うという方法を思いつき、実行したのですが、それでもやはり大きな盥でゆすいだり絞ったりという作業は複数回重ねてしなければならず、それをいちいち屋内でというのは無理があり。
そんなんで手作業でやっていたら、指の関節がいたまりました。
絞るって、かなり指と手首の力を使うものなんですね。
今日はいい休みになりました。明日も強制休養になりそうですが。

エボラ出血熱が猛威を振るっていますが、日本の薬が効いたんだとか。やりましたね。で、この薬を作っているのが富士フィルム(子会社だったかも)。フィルムとかカメラとかだけじゃないんですね。まぁもうフィルムの時代はほぼ終わってしまったけど。ベルビアというリバーサルフィルムがつとに有名で、発色がものすごく鮮やかだというので、特に山関係のカメラマンはこれを使う人が多かったのではないかと思います。私は逆に鮮やかすぎるような気がして、まぁほんとはベルビアって高かったからだと思うけど、名前の無いただのフィルムを買ってました。でもいつも富士でした。
カメラ本体も、工事現場用の通称フジドンや、35ミリ単体で驚くほどよく写るTIALAを愛用していたなと思いだしました。フジドンは防水防塵手巻きなので電池がなくても撮れるという優れ物で、ヒマラヤや砂漠みたいなところに行くなら必ずサブ機として持って行っていました。
今はサブどころか、カメラを持たずにどこかに行くこともある、時は流れました。別にほかに撮影できるもの(スマホとか)があるから、ではなく、撮影する意欲が出ないこともある、ということです。

旅の前には、数十本のリバーサルフィルムをヨドバシで買ってきて、1個ずつ箱を開けて中身を取り出し、フィルムケースからも取り出し、むき出しのフィルムの状態で丈夫なビニール袋に入れて、機内持ち込みのカバンに詰める。懐かしいなぁ。ついでにフィルムケースは薬入れとして愛用しました♪

ではでは、また

予定外

朝の時点では、今日は先日購入した未精錬の生地を精錬して、一部を藍で染めてみようかと思ってました。精錬のためには竈を設置して(移動式竈なので)大鍋にぐらんぐらんと湯を沸かす必要があります。竈の設置は大変そうだったので夫を呼びに行くと、店の前で栗の枝下ろしをしていました。
大量の栗の葉っぱと枝・・・・・・。
何かしなければいけないような、何か絶対にしなければいけないような、何? 何だろう?

草木染めだ!
栗染めをやらなければ!
だってこんなに大量の葉っぱがある!

というわけで急遽、栗染めもやることにし。
精錬作業。
栗の葉っぱの煮出しを2回。
染液集めて精錬した生地を入れて1回。
と、計4回、断続的ではありますが火を焚いて、火の番。
その合間に藍染も。

オーバーワーク、完全に。
ヨルハラコワレッタ。

今日も何の写真も撮らないままガンガン作業を進めてしまいました。
藍染は、だいぶ力が落ちてきたなとは感じますが、まだ青が出ます。もう少し頑張ってもらうかな。

明日は雨、台風も接近中です。御嶽山に大雨が降らないことを祈ります。ではまた

久々に新作など

ものすごく時間が開いてしまいました。その間いったい何をやっていたのか。
染め物に夢中だったり、染めの前準備で縫い絞りをやっていたり、染め用に縫ってたり、あとは、何???
まぁいいか~。

タッサーシルクの生地で縫ってみたワンピ

タイの絣で縫った前開きのチュニック

タッサーの方は、割とごわっとした感じでものすごくハリがあるので、服には向かないかなぁと思いながらも勢いで縫ってしまいました。向かないってことはないけど、単品で着るのはちょっとやめといたほうが、と思ったので、まぁつまるところ、自信満々じゃないよっていう意味合いで、すこし安めにして店に出してみました。

こういうことをネットショップに書く時に、どんなふうに書くかいつもけっこう(これでも)迷うのですが、今回は、
「すこし安めにお出しします」
という表現にしました。つうか何も考えてないっぽい。
今は素人さんでもネットショップのレビューなどで、「お安く買えてうれしかったです」なんて書く時代でござんすが。な~にが 「お安く」 だよっ! と、いつも思う。
怒りっぽい。

枕~♪

ウメ、この1週間ほどちょっとお腹の調子が悪くて心配しましたが、人間の整腸剤や下痢止めで様子を見ながらカステラなど食べさせていたら、ほぼ復調してきました。ほんとは人間の薬はダメとか聞きますけど、ウチはいつも使っちゃう、マネはしないでください。

首を反らしたりもするようになった

お腹に邪魔なものがあった時は、やはり動きが制限されていて可愛そうだったなと思います。今はいろんな姿勢もとれるし、後ろ足で耳を掻いたりしているのを見るとほっとする。できなかったことだから。

明日は午後から雨の予報です。ではまた

見てますか?

昨日から始まった公共放送の朝ドラマ、観ている人はいるかなぁ。
事件や事故のニュースが多く、朝から暗い気分になってしまう今日この頃ですが、これから半年間は日曜日を除く毎日、素敵な歌声が届きますんですのよん。聴きやすくてとてもいい歌だと思う。美男美女のドラマなので楽しめそうです。主人公のエリーさん、アメリカの人らしいけど、ちょっとみゆきさんに似てるなって思う瞬間がある。ちと不思議。

てふてふ荘へようこそ   乾ルカ

アパートをめぐるお話。それぞれの部屋の住人たちの、それぞれの話が展開するオムニバス形式の小説でした。まったく知らなかった作家の、まったく期待せずに借りた本で、最近やられることが多くて、今回もそうでした。大上段にふりかざした刃では、あまり人は斬れないのかもしれないですね。
☆4  読書は楽しいです、と、あらためて思いました

バウルを探して   川内有緒

バングラデシュからインドの西ベンガルのあたりに伝わる、謎でありそしてバングラディシュの人々の魂の音楽とも呼ばれる「バウル」を探して旅をしたノンフィクション。著者は元国連職員。新田次郎賞を取っているので読んでみたら、とてもよかったです。冒険行でもない、放浪ものでもない、期間がきちんと決まっていて、カメラマンがいて通訳がいて、という旅を、こんなふうにおもしろいと思えるのは筆力のなせる技かと。
☆4  バウルか、一度聴いてみたいけど多分その機会はないんだろうな

バングラデシュには1度しか行ったことがなく、その時は国の情勢で行きたかった場所へも行けず(許可が出ず)、コルカタからダッカを陸路で往復しただけの1週間ほどでしたが、とにかくリキシャの群れが強烈で。それと、どこへ行っても、とにかく囲まれて、見られました。あんなに見られたのって、80年代終わり頃の新疆ウイグル自治区以来でした。危険な感じではないんだけど、見られるので疲れました。それと食べ物が辛かった。
あれからもう15年近く経っているので、どう変わったかなぁ。いつかまた行ってみてもいいかなぁ・・・・・・。

明日は捜索活動が再開できるといいですね、御嶽山。二次災害は絶対に起こしてはならないけど。
ではまた

大災害

噴火を最初に知った時に想像したよりもはるかに大きな災害になってしまいました。
死者は40名近くに上るのではないか、もしかすると上回ってしまうかもしれません。登山届を出さずに登った人がいれば、未確認というかカウント外になってしまうと思うので。
山岳遭難、山岳事故の歴史上、もしかすると最悪のものになるのかも。
(八甲田山事件は軍の事故と考えれば)

火山の麓に暮らす者として、今回の事故はほんとうに怖ろしいものでした。映像を見ても、生還した人の話をテレビやネットで見聞きしても、ほんとうに怖ろしいですね。戦場と同じですもん、弾に当たるか当たらないか運任せというあたり。すぐ横にいる人に当ってばたばた倒れていくのを気配で感じながら動くこともできなかったろうと思います。
熱かったろうね。
ほんとうにお気の毒でした。

紅葉の盛り、いちばんの観光シーズン登山シーズンの、好天に恵まれた土曜日の、正午直前。朝から登った人たちがちょうど到着してお昼ごはんを食べようか、という時間帯です。なんという酷いことを天はするのか。平日だったら、夜だったら、雨だったら、こんな大きな被害にはならなかった。
亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

それにしても、私は御嶽山には登ったことがないので知らなかったのだけど、火口のとても近くにたくさんの営業小屋があるんですね、意外な感じ。まぁ富士山にだって小屋はたくさんあるわけだけど。浅間山にはたしかない? 下から見る限り小屋らしきものは見えないし、話に聞いたこともないので、火山だからそうなのかと思ってました。
地震が増えていたのなら、せめて火口付近、山頂エリアだけでも立入禁止にはできなかったのかと思いますね。死者の大半は山頂で巻き込まれたようです。浅間はそういう規制をしている山(規制と解除を繰り返す)なので、なおさらそう思います。

山の事故はつらいです。ではまた

(追記)
その後ちょっと調べてみました。
浅間山は活火山のため、火口から4キロ以内に小屋はない、のだそうです。御嶽山だって活火山なのに・・・・・・? 過去の噴火歴が関係するのでしょうか。
浅間山登山道には、噴火の際に逃げ込む頑丈な金属製? の土管のようなもの、が設置してあるそうです。写真で見ましたが、これなら噴石も貫通しないかなと思いました。こういうものが御嶽山にもあればよかったのに・・・・・・。何を言っても後の祭りなんだけど。
また、浅間山は現在火山レベルは1。御嶽山と同じですが、しかし、浅間山は現在も登山禁止です。小浅間、石尊山までは登れるけど、その先はダメ。御嶽山はよほど「噴火しない」と思われるに足る理由の有る火山だったのかな。

御嶽山噴火

お昼前に御嶽山が噴火、死傷者が多数出ているようです。
好天の土曜日、よりにもよって・・・・・・。
無事の下山を祈ります。

最後に浅間山が噴火してから何年経つだろう。
忘れた頃にやってきますね。
少しは浅間にも影響などあるのだろうか。

新しいアルバムに入る曲名のINDIA GOOSE、気になったのでちょっと調べてみたら、グースってがちょうだけではなく、ガンのこともそう呼ぶのだとか。だとしたら、インドガンってことなのかも?
インドガンはチベットからヒマラヤを越えてインドに渡る鳥で、高度9000米ほどまで上昇できるのだとか。飛行機のように高いところを飛べるなんてすごい。

20年以上昔ですが、マナスルを一周したことがあり、その時に上空を群れで渡っていく鳥を見たことがあります。マナスルの北西の峠のあたりで、ちょうど「この谷をこのまま進んだらチベット・・・・・・」とか、一瞬悪いことを考えかけたようなエリアでした。その山旅は、雑誌の取材だったので日本語のできるガイドさんや、私のような大馬鹿者が国境を越えたりしないように監視する政府の役人なども一緒でしたが、そのガイドさんに鳥のことを聞いたら、しばらく考えてから

「カラスです!」

いやカラスではありません、ガンだったと思います、いやカラスだったの・・・・・・?

とりあえず、
インドのがちょう・・・・・・何となく暢気で牧歌的な感じ(ずんぐりむっくり)
インドガン・・・・・・クールでかっけぇ~(シャープなお姿)
というような棲み分けです。

どーでもいい話で。
今日は先日染めたままにしてあったドウダン染めを媒染。銅媒染でほんのりピンクになるはずが、またしても黄色。先日お会いした染めのプロの人も、銅は茶色系になることが多いんだけどね~と、不思議がっていたけど、我が家の植物はなぜかみんな銅媒染すると黄色くなるですよ。どうしてかな? 時期の問題かな?
ではまた

だから変化に気をつけろと

あれほど言ったのに、最後の仕切りの時に言ったのに、あーぁ・・・・・・・・

鶴竜、新進気鋭の逸ノ城に立ち会いの変化で瞬殺される。
この怖いもの知らずの新人はやってくれる。横綱相手に変化! 並みの力士にはできないことだわ。やってはいけないという無言の圧力を感じない、スケールのでかい新人だ。いい意味で空気読まない。モンゴル人ということもあるかもしれないけど、うーん、それだけじゃない気がする。
三役昇進も大関昇進も横綱昇進も、最短記録を作りそうな、まさに四股名の通りの逸材って感じだ。
しかし、湊部屋とはまた渋いお部屋なのね・・・・・・。どこに出稽古に行っているのかな。
明日の白鵬戦が楽しみですにゃ。テレビ映らんけど(笑)

今日ちょっと手持ち無沙汰な時間にパソコンで遊んでいて、そういえばフェイウォンは最近新曲など出したのかな、と思ってぐぐっていたらば。こんな曲を見つけました。新曲ってわけではないけど、2年ほど前の曲で、映画「致我??将逝去的青春」(ぼくらの過ぎ去った青春に捧ぐ)の主題歌だそうです。
メロディーがとてもきれいで、そしてフェイ・ウォンの声がまた、すごく澄んでいてきれいです。こんな風に素直に歌うって意外と珍しいような気もする。よかったらどうぞ。

この曲を聴いていたら、サイドバーみたいなところに聞いたことのない曲が他にもあったので、「願」という曲を聴いてみました。のっけから、真言? 呪文? サンスクリット? みたいな感じのもにょもにょがバックに聞こえ、なんじゃこりゃと思っていたら、最後の方では「オムマニペメフム」! チベット仏教の真言が・・・・・・。

2011年に青海省、四川省、雲南省の、チベット圏を旅した時に、漢族女性のチベット仏教僧をたくさん見かけて、ものすごく驚いたことを思い出しました。漢族の人が、チベット仏教寺院に出家して修行するなんて、一昔前には想像もつかないことだったのではないかと思います。仏教、それも密教であるチベット仏教に救いを求める漢族が増えてきたということと、片方には、それを取り込んでお金にしようとする商魂たくましい寺院が出現してきた、ということかと推察しますが、違うかもしれない、なんとなく感じただけです。

フェイ・ウォンに戻ります。
オムマニペメフムでのけぞりつつ、さらに先へ進んでみると、なんとこの人、あの「般若心経」を、西洋人のオーケストラをバックに歌っていたり、カルマパ17世の長寿を願う歌なんてのを歌っていたりして、本当にびっくり。カルマパ17世は亡命してるから、それより前のことなのか、それとも、「あれは亡命じゃない」と言いたがっていた北京政府が17世不在のまま決行した式典だったのか、どっちなんだろ? 年号の記載などがなく、不明でした。

さて。
この週末は天気がよさそうです。洗濯や畑仕事や染め物など、溜まりつつあることを片付けないと。
ではまた