-12℃で冷え冷え

昨夜、お風呂を入れようとしたら途中でお湯が出なくなり、給湯器がとうとう壊れたかと焦った。ちょうど同じような寒さの所に住む友人が同じ状態になったと聞いたばかり。うちはその後やり直したら無事に出るようになった。でもこの寒さで給湯器は危ないので、昨夜からはつけっぱなしにしている。間欠泉みたいにボーボーうるさいけど仕方がない(^^;

今日は-12~-1、という真冬日だった。寒さが身に滲みる。
次の冬はぜひともタイあたりの南の国で過ごしたい。向こうで仕事もしようかと最近考えている。タイ出張事務所、妄想タイム。

今日も写真の取り込みを継続。今日は昨日も取り込んでいた1996年のゴーキョピークのネガを取り込んだ。
この頃は、ポジフィルムとネガフィルムの両方を使っていた。ポジは高かったし、複数持って行くカメラに全部ポジというわけにはいかなかった。それゆえネガフィルムもそれなりの数があり、一度焼いたからもちろん見てはいるけどそれっきり。いい機会なので、もう全部のフィルムをデジタル化してしまおうかと!

ただ、ネガフィルムはスリーブのままなので作業はやりやすいのだが、ポジは切り出しという作業を既にしている。ポジはいいものを切り出して四角いケース(マウント)に入れて、それを焼いたり保管したりしていた。当然、切り出さなかった大量の残ポジがあるわけで、これはぶつ切りになってたりして取り込むのが厄介そう。
でもやらなきゃね……。

 

謹賀新年

今年は丑年、これ使えばよかったよ


こっちはヤク、雪のバッティ(山小屋)でお出迎え

 まじめにやってる写真
どこだろう? ピークではない、ザック背負ってるから


急遽ナムチェバザールで買った毛糸の帽子、手袋はカラー軍手、靴はごく普通の5000円以下の気に入っていたトレッキングシューズ。これで雪の中を1週間くらい歩いた。毎日ずぶ濡れになって、凍傷になったらどうしようかと心配した。ならなかった。

そろそろ、もしもヒマラヤに行くなら、ゴアテックスの靴を履いてもいいかなと思える年になったと思う。


ヒマラヤの虎と呼ばれたアンリタさん、奥さん、私
アンリタさんは絶対笑わなくて……。何カット撮ったことか。なのに1枚も笑ってない(^^; いや笑ってるのか?(笑
ずっと若いアパ・シェルパさんの方が知名度が高く、アンリタさんは不器用で人に騙されちゃったりしたんじゃないかと思う。アパさんの立派なホテルが建設中なのをターメ村で見たが、アンリタさんは簡素な家に住んでいた。
スペイン隊を連れて山に上がる前日だった。「行けそうですか?」と訊いたら、「今頃クライミングの練習してやがる、ダメだろ」と笑っていた。
「連れてってやろうか?」と訊かれて、「無理無理」と笑ったら、「背負って行ってやるよ、あんたは背中で酸素吸ってろ」と。実際それができてしまいそうな人だった。

アパ・シェルパさんは21回エベレストに登り、アメリカに移住したそうだ。数年前に山岳事故で亡くなったというニュースを目にした気がしたのだが、今ちょっと検索してみたが出てこないので、同じ名前の別人だったのだろう。この記録は既に別のシェルパによって抜かれている。

2020年はヒマラヤ界隈も静かだったことだろう。観光客が来なければ小屋もガイドもポーターも収入がない。世界中で同じようなことが起きている。補償などという概念がそもそもないであろうこのような貧国の人々が、この禍を何とかしのいでいけますように。

昔の写真とかネットつながらないとか

ここ何日かは真冬日の超厳寒が続いている軽井沢。朝の最低気温は-10℃を下回り、日中ももちろんマイナスのまま。
今年はほんとに寒いと思うけど、いつもこうだったっけ?

さて、この数日はパソコン様との息が合わず、ご機嫌取りに忙しかった。
事の発端は、あまりの寒さに北側にあるPC部屋を出て南の吹き抜け部分に移ったこと。これと同時に例の無線ルーターのケーブルを長いものにして吹き抜けのど真ん中に持って行こうとした。
そしたらネットがつながらなくなった……。
どうもLANケーブルのカテゴリーを5eから6にしたのが原因らしい。他に原因は見当たらない。ルーターの方は大丈夫かもしれない(実際に飛んでいたのだが、なぜかタブレット=✖、スマホ=〇だった)。モデムから3本のLANケーブルを出して、2階PC、1階PC、そして無線ルーター、なのだが、一時はすべてがつながらなくなって焦った。切り分けたりするのに時間がかかり、ほぼ1日がかりで復旧。疲れた。
次には古いスキャナーを引っ張り出してつなげようとしたらつながらない事件。これはWIN10用のドライバを入れて、起動をやり直しているうちに半日くらいで直った。

今はせっせと古い写真を取り込んでいる。何年も前にやりかけて、途中でやめてそれっきりになっていた(^^; 特にポジフィルムは20年で劣化、と聞いていたのに、既に25年以上が経過したものもある。
そんなわけでせっせと。この機会を逃したらもう次はないかも。

せっかくなのでちょっと写真など。

 1995年8月香港にて
25年と5か月ほど前のお写真でございます
定かではないがラッキーG.H近くのバス停だと思う

この時は、バンコクから香港までオール陸路で行けるかどうか、のチャレンジ旅だった。持ち込む気満々でやった旅。当時はまだ、できるという情報はなかったんだよね。ネットとか当然ないしさ。タイ~ラオスの国境も開いてから間もなかったし、ラオス~ベトナム国境、ベトナム~中国国境、これが越えられるかわからなかった。
なんたってラオスビザを取るのにラオス大使館に電話すると、怪しい旅行社(片言の日本語を話す中国人だった)を紹介されて、まずそいつから送られる大量のツアー情報をFAXで受け取らなきゃならず、ツアーは要りませんビザだけでと平身低頭して買わなきゃいけなかった、2万円以上した、そんな時代の話。今はタダですよ、タダ!
帰国後、例の(笑)猿岩石が逆ルートで……(撃沈)

完旅としてはどこにも通らなかったが、ラオス1国に絞って書いた原稿がアウトドア系以外の雑誌に載せてもらえてよかった。もちろんその稿料の数倍の旅費を使っちゃったのでまるっきり赤字だけど、当時も今も、黒字の旅をしようという発想はなかったし、事前にお金をもらうこともしなかった。だってねぇ、じゃあ何のために働いてるのさ? 旅するためでしょ? って話だ。

 

 1996年4月ネパール・ドーレ村あたり

これも持ち込み企画にした旅だったんだけど、色々あって持ち込んだことは出来なくなっちゃって、仕方なく成り行きでゴーキョ・ピークに行った時のもの。4000以上に行く気はなかったので装備が足りず、カトマンズでいろいろ借りたのを覚えている。大雪だった。写真はおそらく4200辺りではないかと思う、定かではない。
自分がメインに据えていた企画はダメになったけど、エベレストにその時点で10回登っていたアンリタさんへの取材が雑誌に載った旅になった。
しかしうれしそう。たぶん雪の中を半ラッセルで歩き続けて着いた村、での1枚ではないかと。この頃のヒマラヤは本当によかった。

旅はいいな~。
早く普通に飛行機が飛んで、チケットが買えるようになってほしい。
ではまた

続く感染増

東京では一気に2500なんていう数が飛び出してきて、長野も80近くて過去最高。コロナの感染はもう止めようがないのかなぁと思えてしまう。
緊急事態宣言も出されたけど……。
ビジネス関係者の入国は継続するらしい。
先月お会いした医療関係の知人は、国内の旅行云々よりも、感染が急増した直前に何があったかと見ればそれは入国制限の緩和だったんだよね~、と言っていらした。外国からどんどん入って来るものを、国内の移動でどんどん地方に拡散させた、という感じなのかな、素人考えだけど。

うまく多くの人が抗体を獲得していることを願うしかない、のか。
欧米でもまったく歯止めがかからず拡大しているようだし、いやいやいやいやもうまったく……。今せっせと打っているワクチンの効果が目に見え始めるのはいつ頃なんだろう? 今はそれに期待するしかないのかと思う今日この頃。

寒波襲来で、風が強かった。雪が混じると吹雪状態。
明日の最高気温が氷点下4℃とかで、コロナも凍るだろ(笑)

今日は自分の旅サイトをいじっていたら、画像の三分の一ほどが消えるという恐ろしい目に遭い、何とか午後一杯かけて救出したというか、ほぼ復元した。が、ウォーターマークっていうのが一部は消え、一部はデカくなって残るという変な状態。でもこれまたいじると画像消えるかもしれないんで、もうこのままにする。
そういう不思議な動きをするので、この手のものは怖い。
総目次を作っていて、そこのサムネイルにまでウォーターマークが入るのを阻止しようとして、そんなことになった。
一応、その総目次はこちら

私はほんとにヒマラヤが好きだったんだな~とか、ヒマラヤと中国(チベット狙い)がほぼ交互に来てるわ~とか、思いながらの作業。昔の旅はよく覚えているのに、意外と1990年代後半から10年、15年、くらいの記憶が薄い。
旅以外の、旅を支える土台の部分があちこち崩れたり水が噴き出したりして、その補修に追われていた時期なのだろうと思う。それでもちょこちょこと旅はしていたからえらいというかなんというか。
それにしても画像がまったく見つからない旅があるってことに愕然としている。ショック。どこかにあるんだろうか。

まだ風が吹いている。ではまた

PC仕事いろいろ

私の持っている古いi-pod、なんと、amazon music に互換性がなくて入れられないことが判明した。そりゃ古いけど。ショック。64GBもあるのに(関係ないが)。こうしてあちこちに、これは出来るけどあれは出来ない、あれは出来るけどこれは出来ない、的ないろいろが溜まっていってしまうのかと思った。
今使っているタブレットではamazon musicが使え、昨日届いた小さな機械をミニコンポにつなげると、うまくbluethoothとやらで無線で飛ばし、音楽を聴くことができてよかった。とりあえず。

で、賀状印刷だ。さすがに今さらかと思って寒中見舞いを発注しようとしたところが、どうもピンと来ず。それならコンビニで印刷をしてみようかと思って準備もしたが、慣れない機械もどうよとちょっと二の足を踏んで、結局、自分のプリンターで印刷した。うちはレーザープリンターを使っていて、これ、葉書を印刷するとものすごく反るので嫌だったんだけど、今回使ったのは比較的薄いタイプだったので、あまり反らなかった。もちろん反ってはいるが。

んで、宛名書き。もう、手で字を書くのが本当に下手で苦手で、印刷しようと思い立ち、エクセル(じゃないけど風のやつ)で住所録を作って、ラベルメーカーのソフトでやろうとして、散々つまづいて、ようやく出来た。こんなに苦労するなら手書きでも、と何度思ったかわからないけど、次回以降もこれで使えるならいいなと思って頑張った。頑張らないと出来なくなってきた、のでもあると思う。理解力とか、落ちてると思う……。

 『のろのろ歩け』 中島京子

北京、上海、台湾という3つの中国圏を訪れた日本女子の小さなラブストーリーみたいな感じの、短篇3つが入った本だった。
まぁそれなりに面白く、とはいえ特にどうということのない、よくある女流作家のほんわか小説。片言の中国語をカタカナで書いている場面も多く、これ中国語わからん人にはわからんじゃろうと思ったり。
あと、著者が訳を誤解しているわけではないのは承知の上だが、「慢慢走」からの発想としてのこの表題は違和感がある。「のろのろ」ではない。「ゆっくり」だ。この違いは大きいと思う。
因みに、「慢慢走」はしばしば「慢走阿!」などと簡略化したり最後にアを付けたりして使われるが、私の経験からは、飯食った店を出る時とか、泊まった宿を出立する時に、そこの人からかけられる言葉だ。それも、ほとんど言葉も交わさなかったなんていう店ではかからない。少し話をした店なり宿なりで、その話をした相手から親しみをこめてかけられることが多い。「気をつけて、ゆっくりお行きなさいよ」という意味だ。今は多分、こんな言葉を耳にすることも少なくなったと思う。
☆2.5 北京の白い服はおもしろかった

 『小松とうさちゃん』 絲山秋子

こっちを取っておいてよかった。年末年始読書の最後を飾るのはやっぱ絲山秋子だ。
表題作と、ほかに短篇が2つ入った本。表題作だけだと思ってたので、ちょっと驚いた。50過ぎた男女の恋愛物語。この作家にはちょっと珍しい感じ。
とっても普通で、特に深い感慨とかはないんだけど、とはいえやっぱりうまいなとあちこちで思わされる。ネトゲとか、戦闘ゲームみたいなものを知らないので、知っていたらもっとリアリティを感じつつ読めるのかもしれない。
☆4 普通もまたよし

この年末年始は、PCや機械関連のことと、読書で終わった。昨年ほとんど読めなかったので、まとめて読めてうれしい。特に笙野頼子を読めたのは、自分の精神状態が悪くないことの証左なので、うれしかった。ヘビーなものも多かったが、最後にちょっと力の抜けた絲山秋子で終われて満足。

週末にかけて寒波が来るらしい。このへんも気温がさらに下がりそう。
ではまた

音系改造計画

昨年末にPCに部品を入れたりして改造(?)し、スピードがとても速くなり快適になった。同時にいつかやらなければと思っていたHDD内の迷路を探検し、整理した。色々な階層に同じものが入っていたりする、開けたことのない古い蔵みたいなことになっていた(^^; これはこれでスッキリしたし、だいぶ空きスペースも出来て、これもスピードアップにはつながるのではないかと思う。

で、気をよくして、今度は音系でも色々やってみようかと計画中だ。

1つは、隣家までwi-fiを飛ばし、せっかく入っているアマゾンプライムの音楽を工房で聴けるようにしたい作戦。さすがに永遠にみゆきさんだけというのも、いくらなんでも化石すぎないか、とちょっと思ったので(^^;
今のところまったく飛ばないので、ハイパワーのルーターを購入しなければならないのか、それとも別の方法があるのか、検討中。まずはLANケーブルを1本買って、今使っているルーターを家の中心部分に設置しようと思う。それにより現在よりも壁1つ抜ける。これで弱くても渡り廊下まで電波が飛べば、そこに中継器を置いたらどうかなと思っている。

2つめは、1階にあるミニコンポで、同じくアマゾンの音楽を聴きたい作戦。
このミニコンポはBluetoothに対応していないので、今のままでは聴けない。買い直さないとダメかなと思っていたところ、今さっきググってみたら、2000円くらいの機械をくっつけることで聴けるようになるらしい、早速注文した。

音系でも少し進化したい新年だ。

 『垂直の記憶』 山野井泰史

すいません今頃読みました。
山に興味がある人ならだれでも知っている、世界的な登山家である山野井氏の山行記。氏はそれはそれは先鋭的なアルピニストで、世界中のとんでもなく難しい壁をたくさん登った人だ。それもほとんどが単独登攀、そして私の大好きな自力(スポンサーを極力つけない)での山行をする人。この本の最後にあるが、2002年にギャチュン・カン(ヒマラヤ)の登頂後に雪崩に巻き込まれ、もう誰もが生還を諦めた後に自力で(同行していた奥さんを助けながら)下山したウルトラスーパーな人だ。ただこの事故で指をだいぶ失ってしまい、その後は超先鋭的な登山からは引いているのだろうと思う。それでもあちこち登っていて驚かされる。
すさまじい山行の数々なのだが、読後は本当にすがすがしい。山に出会ってよかったね山野井さん、という気分だ。
☆5 いやもう☆とかありえない世界です

著者とは同年生まれ、一度ヒマラヤのナムチェ、そしてゴーキョでお見かけしたことがある。2006年だったかな。内気なわたくしは声などかけられませんでした。
登山家が山に行く。どうして? 危険なのに? などと思ったことはない。彼らは山に行かなければならないから行くのだと思う。もちろん内なる欲求として、必然として。
それにしても生きて帰ってくるこの人はすごいな、奥さんももちろん。

私もさっそく、今年最初の散歩に行った!

明日は仕事始め。昨年末に撮影した画像の整理あたりから始めようと思う。
ではまた

おっと忘れるところ。時間差ついちゃってもうダメだねと思って中継も見ていなかった大学駅伝、母校が13年ぶりの大逆転勝利だった。それにしても13年も遠ざかっていたとは驚き。せんだんりーん、せんだーんりん! おめでとう

2021年スタート

新年おめでとうございます

あいかわらず激寒の軽井沢で正月を迎えた。昨年の今頃はインドの南部におり、毎日カレーばかり食べて楽しく過ごしていたことを思うと、コロナ禍によってあっという間にこうなったことにあらためて衝撃を受ける。
今年は少しでもよくなってくれれば。
願いは小さく。

 『拳の先』 角田光代

表紙絵でわかるようにボクシングの話。ぜんぶ読んでから、実はこの小説には前作となるものがあったと知り、あらら……。
ボクシングにはまったく興味がなく、フィリピンのパッキャオがなかなか面白いということを知っている程度だが、そんな自分にも十分楽しめる小説だった。ボクシングってとりわけストイックな印象だが、そのとおりらしい。誰もが階段を上に登っていけるわけでもなく、どんな強者にもいつか終わる時が来る。そんな当たり前のことを、おもしろく読ませてくれた。
主人公は出版社の編集者。そこにボクシング本を書きたいと接触してくる鼻持ちならない作家やら、ジムに通う子供やらのサイドストーリーも絡んでくる。タイのムエタイの話などもあり、楽しめた。
☆4.5 だけど、だけど、それ、書くならお前だろっっっっ!!!

(↑ 読んだらわかると思う・笑)

 『チーム・オベリベリ』  乃南アサ
オベリベリとは現在の帯広をさすアイヌの言葉。その帯広、十勝の原野を最初に開拓した晩成社という組織があったらしく、その開拓史とも呼べる小説。
チーム・オベリベリとは、晩成社の中核を担った3人の若者のこと。その中の1人の妻(キリスト教系の女学校を出た才媛)が語り手となって小説が動いていく。3人それぞれに性格も立場も異なり、徐々に軋轢を生み、友情に変わりはなくとも組織としては瓦解していく。厳しい自然、次々と離れていく(遁走・失踪・死別)開拓者(小作農)、アイヌとの関り、などなどが物語られ、一気に読了した。こんなに分厚い本読めるかなと思ったが、面白くてまったくの杞憂だった。
厳しい自然にみんなで立ち向かっていく、という綺麗話ではない。晩成社には出資者があり、そもそも言い出しっぺはその出資者グループの家系の者だ。勧誘されて参加した農民たちは所詮小作農でしかなく、収穫がなくても年貢を納めなければならない。収穫物がなければ借りて払うことになる。そうして逃げることも帰ることもできずに農地に縛り付けられ、借金だけが膨れ上がっていく。言い出しっぺは早々に開拓地を諦めて別の土地で新たに開拓を始め一貫性がない。チームの1人(語り手の兄)は晩成社に見切りをつけて別の土地に行き、残る1人(語り手の夫)は酒に逃げ、本来の弱さ故にあっちにもこっちにも首を突っ込み(つまりは自分の足元を顧みることがない)。そんな中、語り手であるカネは黙々と神に仕え、周囲の子に学問を授け、畑に出て生きて行く。
☆5 この時代の女の強さときたらどうだよ!

今もそうかな? 笑

結局、持てる者が持たざる者をうまいことだまくらかして自分たちだけが利益を享受できるようにシステムを作ってしまう。それは今の方がわかりづらくなってはいるが、今も昔も変わらないのだなと思った。
それにしても主人公のカネさん。この時代に学があるというだけですごいのだが、結局のところは男にとってのこれ以上ない都合の良い女、でもあるわけで。良妻賢母滅私奉公みたいな。それはもちろん明治になってすぐの話だからこうなんだろうけど。本当に本当にダメな男の妻を描いた同じ時代の北海道を舞台とする『地の果てから』のほうがすがすがしい読後感だったなと思う。

今年は昨年よりも読書をする年にしたいと思う年の初め。
ではまた

今年も残りわずか

残すところ9時間くらいになった2020年。
コロナ一色に塗りつぶされたかのような一年だった。その中でももちろん色々なことがあり、色々なことを考えたり悩んだり迷ったりした。


八ヶ岳

野辺山あたりから。冠雪した山の美しさは独特だといつも思う。

 鳴沢あたりから富士山
今年は雪が少ないらしい、例年の姿をよく知らないのであれだけど

29日に知人の別荘にまたまた出かけてきた。薪が調達できなくて、という話を聞いたので、我が家のものをお持ちした。年末年始、心おきなく焚いていただきたい。


帰り道、野辺山あたりから群馬県境方向
残照が山に当たり、その上に月が出ていた。ベストタイミングから数分遅れになってしまい、残念だった(^^; 林があったりしてなかなか撮れなかった

 中国はここにある~貧しき人々のむれ  梁鴻
そんな2020年最後に読んだのがこれ。原題は「中国在梁庄」、(「中国は梁庄にあり」)。
取材は2009年、2010年に中国で上梓されたものの日本語訳。インテリ中のインテリである著者が自身の出生地に数か月滞在し、家族や知人から様々な話を聞き取ったノンフィクション作品。梁庄は河南省にある典型的な農村である。3つの姓の家がその村の中核を成し、その他の姓の無力な家々を周囲に置き、ただただ貧困にあえいだ時代から共産革命、文革、改革開放と、時代に翻弄されてきた。
文革時代に著者の父が批判される側であったエピソードが興味深い。同じ姓、つまり親戚に糾弾され、しかし嵐が去ればまたその親戚と付き合うという、あまりにも不条理な「村で生きるということ」。その連なりの中で著者の母は怒りのあまり憤死している。農民が農地を離れざるを得なくなった90年代以降の政策(失策)や、元気なものは全員出稼ぎに行って村には老人と、老人に押し付けられた孫たちしかいないという現在。出稼ぎに出た者は村に家を建てるが、住む人もなく廃墟になっていくという矛盾。
中国という国の底知れなさが、淡々とした「聞き取り」の積み重ねから立ち上がってくる。
☆4.5 大変意義深い良書であった

中国は2028年までにアメリカを追い抜き、世界最大の経済大国となるそうだ。この本の取材が行われたのはもう10年以上前になるわけだが、今現在も農村が取り残されている実情に大きな変化はないように思う。中国は農民の国だったのに、いつの間にか農産物輸入大国になっている。農民がなぜ農地を離れるのか、その答えの一つが書かれていて興味深かった。今では農民に過酷な税を強いることはなく、むしろ助成金が出たりするそうだ。そのへんは日本と一緒だと思った。
20世紀最大の実験と呼ばれた中国の社会主義は、これからどこに向かうのか。経済至上主義によって破壊された民族の精神性のようなものは、今後回復されるのか。取り残された人々に恩恵が行きわたるのにあとどのくらいかかるのか。
相変わらず、中国からは目が離せないなと思う。これほど外から見て面白い(興味深い)国はあまりない。

来年はもうちょっと本を読みたいな。

2021年は、今年よりはよい年になることを願って。
コロナの終息と渡航自由化を祈りたい。
よい年をお迎えください。

PCその後の変更など・メモ

SSD増設、旧内蔵HDDのまっさら化の後で行ったことのメモ
SSD=C   HDD=E

1.Windowsの一時キャッシュ(Temp)を、CドライブからEドライブへ移動
具体的には、コンパネ→システムとセキュリティ→システム→システムの詳細→プロパティ→環境変数 のTEMPとTMPをいったん削除。システム環境変数内のTEMPとTMPをそれぞれ編集からEドライブ内TEMPへ書き換え

2.firefoxの一時ファイルの保存場所をEへ移動
firefoxでabout:config  から入って、下記を
browser.cache.disk.parent_directory を E:\Temp に替えてみた

3.HDDのデータ整理
長い間、とりあえず保存し続けたものが複雑に散らばっている状態。同じものがあちこちに置いてあったりする。バックアップも複数回分があるので、900GBくらいになっている。重複しているものを整理し、捨て、古いバックアップはチェックの上で丸ごと捨てる作業中。
既に内蔵HDDにある程度コピーしているが、最終的にほぼ同期できる状態を目指している

以上、作業メモ

(追記)

ほぼHDDの整理終了

Cドライブ SSD OS、システムなど
Eドライブ HDD   内蔵、画像やあらゆるデータ
Gドライブ HDD  外付け Eドライブと同期して保存

というシステム環境にした。

 

仕事納め

新しく引き出し式の整理ケース(工具とかパーツとか入れるようなもの)を買ったので、色々なものを整理したり片付けたりしながらの一日。機械類を動かしたので、配線コードなども確認していちばん動きやすく邪魔にならないように配置してみた。
ボタン類は区分けされている大きな箱のようなものに種類別に入れているのだけど、いつの間にか混ざったりしているので全部出して整理。ものすごく小さなものが多いので、けっこう大変だった。まぁまぁ仕分けできたので満足。
先日撮影した無地生地の山を、今までは畳んで積んでいたのだが下にあるものを出すのに大変すぎるため、一定の幅で巻いて立てて置くようにしてみた。

ざっと掃除機をかけて、コンセント類を全部抜き、仕事納めにした。
来年は今年よりは頑張らないとな~、と思っとる。

今年は結局、対前年比で3割減くらいとなった。来年は、昨年並みに戻したいと思っているけど、まぁこればっかりは相手のある話なので。希望としてはそういうことで。

 『さあ、文学で戦争を止めよう』 笙野頼子
『タイムスリップ・コンビナート』で芥川を取ってる人なんだけど、借りてきても読めないことも多かった、これは数年ぶりに完読できた。
いわゆる私小説に属するものかとは思うのだけど、主軸になっているのはTPP反対。それからもちろん戦争反対だし、ネトウヨとか萌えエロとかヘイトとかそういうのにも反対。あとは猫ばなしと、自分の病気の話(難病を患っておいでだ)、家族の話(毒親毒家族らしい)、などが、かなり支離滅裂に(自由奔放なのか)縦横無尽に語り尽くされている。ある意味狂ってる。
でもおもしろい。あぁ~、これでいいのか~。と思ったりする。書くという行為はこんな風に自由なんだな~と思わされる。
もちろん作家本人は計算し尽くしてこれを形作っているのかもしれないのだが、率直に言ってかなり狂気を感じる。いい意味で、もちろん。
☆4 こういう作家もこういう文学も当然あっていいと思う

あまり知られていない作家だと思うけど、この人、芥川だけでなく、三島も野間も取ってる。野間なんて新人と本賞と両方取ってて、すごい作家。だけどかなり色んな意味で常軌を逸しているところがあり、相当に読者を選ぶと思う。たぶん根強いファンが多いはず。私は何度も読み進められなくて撤退したけど、図書館で見ると気になって借りずにいられない不思議な作家。
多くの作家がそうであるように(もちろん例外はあるのだろうが)、この人も文学に対して実に真摯だと思う。真摯すぎてどっか行っちゃうんだな。

さあ、文学でコロナを止めよう (無理か)

ではまた

やっとこチューンアップ成功

本日午後5時10分頃に、ようやくトンネルを抜け出して今回のSSD換装(増設)作業が終了。なんとかうまくいった模様だー。ドはまりした。

昨日、メモリ増設。
SSDをPC内に配線して収め、HDDからクローンコピー、直接は無理だけどSSDだけの時、またBIOSで指定した時はちゃんと起動していた。あとは「起動の順番を指定する」ことだけだと思ったのが昨夜終了時。

本日、まずHDDを外してみて、SSDだけでちゃんと独り立ちして起動するかを都合5回くらい確認した。
BIOSで順番を指定しようとしたがまったくうまくいかない。順番を指定するプロセスにどうしても行けない、それを起動してもただ単にPCがブートするだけという状態に。
さらに詳しく調べてみると、どうもHDDはきれいにしてしまった方がいいらしい。
自分では、HDDにそのまま各種データ(大事なものはもちろんバックアップ済みだが、なんだかわからないものがたくさん入っている)とOSを、万が一のために残しておけたらな~と思っていたのだが、それは不具合の原因になるらしく。
ってんで、ここまで異様に時間がかかっていたわけだが、最後にもう一度、本当にSSDだけで起動するか確認して、それからHDDをクリーンし、フォーマットした。

そして起動してみた。OSはSSDにしか入っていないのだから、SSDから起動するはず、と思いきや、なんと恐怖のブルースクリーンになって、「修復が必要です」になってしまった。こうなるともうさっぱりわけがわからず。てかHDDまっさらにした状態でこれ言われても(><) BIOSも立ち上がらないし。
最初はクリーンインストールするつもりで、マイクロソフトからUSBメモリにwin10を入れていたので、これを使って修復モードに行くことができ、コマンドプロンプトとやらを打ち込みまくって対処しようとしたが、たくさんのサイトで紹介されている

bootrec /rebuildbcd     → cドライブにOSが見つかり→ブート一覧に追加しますか? でイエスを入れても「指定されたパスが見つかりません」になってしまってお手上げ。
ここらへんはもうドはまりで、別のPCで検索しては全部コマンドを試すみたいな感じ、でも全然抜けられない……。

ここで有馬記念を見に席を外し……。

さらにはまりまくりで、ようやく、解決策が見つかった、やってみたら直ったのがこれ。

あ、その手順の前にブートローダーを見た方がいいかもしれない、これでdeviceとosdeviceがunknownになっていたら、が前提かも。

bcdboot c:¥Windows /l ja-JP

これが神様コマンドだった。「ブートファイルは正常に作成されました」と出たら終了し、起動してみたらあっさりちゃんとWIN10が起動できた。

いや~、SSD換装、簡単にできるという情報もたくさん見ていたけど、やってみたら想定外のことも次々と起きて、大変だった。やはりメーカーによっても少しずつ違うのだろうし、とにかくいちばん大事なのは、絶対に失ってはならないデータはバックアップ取っておく、ということですな。

それと、懐具合に余裕があるなら大きなサイズのSSDを買って、四の五の言わずにHDDから全部コピーしてしまうほうが、迷うところが少なくなってよいかもしれない。私はHDDが1TBもあってまだまだ余裕だったため、これを活かさない手はないと思ってしまったけど(^^; あと既に外付けHDDがあるので、2台外付けにするのは嫌だったのね。

で。

とっても速くなった ✌

あとは、まっさらになった内蔵HDDに外付けHDDからデータを戻して、ついでにこの内蔵と外付けのHDDをかなりの部分で同期しておいたらいいかなと思ってる。でもそれは明日以降……。キーボードが変らしいのも後で。

 今回必要だったパーツ類
SSD本体、メモリ、SATAケーブル、電源2また分岐

 蓋開けるとPC内ってこんな感じ

 邪魔なもの外してからメモリ増設した

 これがSSD

このへんに無理無理はめこむ

 赤いのがSSD

そんなわけでこの年の瀬にお疲れ。ネット上のたくさんの情報に助けられた。

ではまた