尊富士がすごいなぁ

昨日大けがをしたと聞いていたので、今日は休場で、1差の力士の勝敗待ちになるのだろうと思っていたのに、出てきて相撲取って勝っちゃった。
なんだかすごい人が出てきた。
青森の五所川原の人だそうで。五所川原といえば太宰治(正確には当時の金木村出身)とか、五所川原線のイメージだ。高校を卒業する直前に行ったことがある。受験だったんだけど(^^; あまり人が受けない弘前大学を受けに行って、「ハッコウダユキフカシ」になってしまった遠い記憶。試験を受けた後で五所川原線でそっちの方を回って秋田まで行ったのかな、竜飛にも行った、もう詳しくは覚えてないや。石炭(?)ストーブが燃えている列車に乗ったのは覚えている。

昨日、床暖の業者が雪の中来て、途中ではまって夫が救出しに行ったりし、とりあえず機材交換になって直った。この業者がとんだ狸爺でしてね……。まぁ直ったからいいんだけど。ちょっともやる。

今日は吹き抜けから事務部屋に引っ越し。PCを動かして、いつもの状態に戻った。やっぱり落ち着く・笑 ほんの3mほどの移動なのに。
事務部屋は机が大きく、目の高さに棚もあるので、色んなものがそれなりにちゃんと置いてあって便利。モニタもダブルになるし(そんなには使わないけど)。
それから工房に行って、昨日の作業のためにどかしておいた棚を戻し、そこに入っている主に接着芯や裏地の筒を整理しながら元通りにする作業。すこし仕事する気になったので、1つパターンを作ってみた。
昨年の秋以降に作ってまだ撮影もしていないものが多分あるので、まずそのあたりから始めようかな。

 『日暮れのあと』 小池真理子
短編集。手練れの小池真理子さん。どれもおもしろく読んだ。どれにもそこはかとなくエロスが入ってるのもこの人らしいなぁと思いつつ。帯にある「過ぎてみれば、全部、どうってことなかった……」だけど、私はまだそんな境地には至らないな、修行途中です。
☆4 気分が落ちている時には読まない方がよさそうです

おもしろく読んだのに、気分的にはさらに下がったような。あいかわらず低空飛行が続いている。
インド&タイの旅行が、今回はものの見事に惨敗としか言いようがないものになったのが尾を引いている。旅自体はまぁ別にいつもと同じなのだけど、特にインドは、もう二度とごめんだと思ってしまった。毎回言ってるけど、今回はほんとのほんとに、ほとほとうんざりした。若い頃なら「それも旅の一部」であったものが、もう許容できなくなった自分を確認したし、ともかく、1988年の時点ではほぼ同レベルであった中国の進化ぶりに比べてこれは一体何なんだと、我慢ならなくなった。布も、もはや行かなくてもいいと思えてしまい……。
そもそもインド国鉄のアカウントが作れないとか、そういうのも地味に効いたと思うし、帰国便を自分ではビジネスを買ったつもりで乗る1週間くらい前にインドで「まさか間違えた、っつうかやられた!」と気付いた時には「焼きが回った」と心底落ち込んだ。タイではPM2.5にやられて風邪を引き、初めてなので楽しみにしていたシラチャという町が今一つ自分には合わないことがわかり、なのに連泊分払ってしまったので居続けになり……。
と、うんほんとに、焼きが回ったわと思ったのだった。

これらの一連の気分としか言いようがないものはまだ続いてはいる。
それでも帰国後10日ほどで観に行った中島様のコンサートでは「それで終わりにしちゃうわけ?」と言われた気がしたし、この頃はまたグーグルマップを眺めることも再開した。
今までは、人のやらない旅をすることが、自分にとって大事だった気がする。より難しく、より過酷な(笑)ルートを行くことが、ゲームで関門を一つ一つクリアしていくような(ゲームはやらんけど)楽しさでもあり、やれれば達成感もあった。
まずそこを卒業しようかなと、そもそもおこがましいわと。
手始めにタイの、今まで通過したことしかないバンコクから南に下がっていく路線を、ちんたら行ってみようかなと、かすかに計画中。布は関係しないし、何も求めない。こういうことから、浮上するルートを作りたい(まぁ結局これしかないんでね(^^; )

今日は気温が10℃を超えて、畑の雪もずいぶん消えた。4月になっても雪が降る土地だけど、春来い早く♪
ではまた

(追)
PC引っ越してた時に中島様ファンクラブからの封筒が出てきて、「振り込め用紙?」と思いつつ開けてみたら、バースデーカードだった♪
今月59になった。同級生たちは来月から続々と還暦に! そして私はこの誕生日の遅さが災いとなり逃げ切り失敗、「国民年金65歳まで払えやコラ!」と言われそうな気がしてならない今日この頃です。