追肥、じゃがいも掘り

昨日、今日とようやく晴れてきた軽井沢。これで夏になるのかな?

朝のうちに畑仕事をすこし。

夏野菜に追肥
少し草削り
ニラの苗がまぁまぁ出来たので本植え
じゃがいも掘り(夫)
花のエリアが雑草ですごかったので草取り

鍬を振り下ろすのはまだちょっと怖いけど、三角ホーでちょこまか削るくらいなら傷にもほとんど影響を感じずにできる!
こういうのもリハビリの一部と思って頑張りたいと思います。
藍さんも葉むしりならまるで大丈夫でできると思うから、収穫しようかな。

作業1時間半で、さすがに疲れを感じる。出来るは出来るけど、まだ元通りにはもう少しかかると思うので、様子を見ながら少しずつ。

 

*

「書くことって、何ですか? ヤマネさんにとって何ですか? どうして書くんですか?」
と、少し前に私より一回り以上年下の人に訊かれた。
書く、とは言っても、今の私は以前に比べればまったく書いていないけど(^^; 昔は書いていたなぁ、持ち込むとか売るとかそういうのなくても書いていたと思う。旅を始めてからの数年はその記録をせっせと書いていたし、それ以外にもなんやかやと文章を書いていた。そういえば同人誌に参加してたこともあったっけ。ワープロしかない時代だったせいもあるかもしれない。

15ほど前に私生活で色々あり、その頃に書くことから遠ざかった。ごく一部の依頼原稿やこのブログなどを除き、まったく書かなくなった。書くことの意味を失った、自分自身の言葉に対して無条件に持っていたある種の自信を失った。
言葉には力がある、と私は信じており、実際力のある言葉を発する人はいくらもいることも知っている。自分もその端くれだと、多分そこまでの自分は思ってたんだなぁ、おこがましい話だけど。でも違ったと、その時知って、以来、自分という人間を表に出すことを、その前よりもさらに避けるようになったと、振り返ってみて思う。
そもそも私は、言えないから書く、人間だった。開高健が何度か書いているけど、誰かと楽しく会話して別れて階段の踊り場まで来た時に、「あぁあの時はああ言えばよかった、こう言うべきだった」とはたと気付くという、それに近い。私の場合は階段の踊り場じゃなくて家に帰って何日かしてから、だ。頭の回転が遅いから、ポンポンとその場でものを言うことができない。
書くことも避けるようになって、うまく言えないが、まるっきり深海魚みたいな感じになっていたと言えば言えるかもしれない。その間も旅もしていたし、布も集めていたし、服も作ったし売ったし、山にも登ったが、ではそれらを書いたかというとほとんど書いていないというのが、その証左と言える気がする。

病気になって、すこしまた書くようになった。
それはなぜかというと、私は頭の中で考えているだけではちっともダメで、書くことで初めて現実を整理し、把握し、受け入れる。そういうタイプの人間だから。
ということはこの十数年、私はそこまでの切迫した状態にはならずに過ごした、ということでもあるかもしれない、いや多分そうだ。

病気になった。おそらく初めて死を間近に感じた。人はいつか死ぬ、そんなことは5歳の頃から知っているが、間近に感じたことはたぶん初めてなのだと思う。誰もがきっとそうだと思う。
しっかりしなきゃと、気持ちが少し切り替わった。そんなに時間は残っていない、とも気が付いた。今すぐどうこうなるとは思っていないのはもちろんだが(乳がんの早期発見早期治療は5年後の生存率が100%に近い)、「まだ癌になっていない人」よりは、私の方が死に近いのは事実だと思う。私の方が先に死ぬということではなく。そうではなくて、死という概念に近づいたのだと思う。

どうして書くか。いま私はなぜこれを書いて、過去十数年の間なら間違いなく消去していたものをそのまま公開するかというと。
現実を受け入れて、これからどうするべきかを真剣に考えるため。
そして、私が私であるため。それを自分に再認識させるため。です。

ではまた