蜂にも注意!

今日は軽井沢も30℃越えたと思います。日中ものすごく照り付けて暑かった。5時過ぎて夕立が来ています。これでぐっと涼しくなるかなぁ。

コロナもすごいことに。
こんなに増えてしまうとは思わなかった。
どう防ぐって、防ぎようがないこともたくさんあると思いますが、頑張って何とか乗り越えていきたいですね。私もたぶん今は「基礎疾患あり」というカテゴリーに入っているので、気をつけたいと思います。
ドクターに「ワクチン4回目どうしたらいいですか?」と訊いたら、「うーん、放射線の間は免疫力も下がると思うけど、終了して少ししたら普通の人だからね! 打ったほうが気持ち的に楽なら打っていいよ!」という返事でした。「気持ち的に楽」って、退院時にも言われたけど、このドクターのキメ台詞なのね♪
あと、「終了したら普通の人」という言葉にも地味に救われました。
とはいえ、病理の結果は出ていないので、調べてみたらやっぱり……、ということはまだありうる。まだ、というのは私は温存で1か所切って上手に取るはずが、2か所切って山頂も取られちゃったから。術前に造影剤を入れての検査も2つしていても、見えないものがあったということで。油断は禁物です。それと、最悪のケースというか、悪い方に転がるという心の準備は常にしておかないとダメだなと思ってます。

なんにつけ一応は絶望的観測をするのが癖です♪ (あした天気になれ)

というのはさ、ダメだった時に簡単にめげてしまわないようにする、人の自分自身を守る本能みたいなものでもあると思います。

で、蜂ですが。夫が今朝、草刈り機を入れている物置の戸を開けようとして刺されました。私は畑にいて、無事。すぐに吸引するやつで引っ張ったけど何も出ず。ちょっと嫌な場所だったので、日曜でもやっている隣町の病院に行き、飲み薬を出してもらって帰って来ました。
忘れたころにやってくる蜂の襲撃。気をつけないと。

先日録画しておいた中国の現代版科挙と言われる「高考(ガオカオ)」についてのドキュメントを見ました。日本でいう共通一次試験(センター試験か?)。日本よりもはるかにはるかに学歴社会である中国。日本と違って農村部と都市部とでは戸籍が違い、農村部戸籍には種々の差別があるのですが、この「高考」にはそれら差別が及ばず点数のみの勝負。うまくすれば都市戸籍に移行していくきっかけがつかめるとあって、みんな命がけです。よい高校に入れるために親がその高校の近くに部屋を借りたり買ったりして付き添い、子どもはひたすら勉強する。「献身」という言葉をその当の子どもが使っていたけど、まさにそれ。
中国人の、子どもに対する溺愛ぶりは、日本のそれとも少し違うように感じます。「小皇帝」という言葉で揶揄された世代より少し後の子たちではないかと思うけど、しかし立派に「小皇帝(シャオフォンティン)」。
しかし本当に科挙のような……。みんな希望の進路に進めるといいね。

畑に出ていたので大谷選手の逆転3ランは見逃しました。その後また引っくり返されたので「ダメだこりゃ」と見なかったけど、最終的にもう一度引っくり返して勝った模様。エンゼルス、もう少し頑張ってくれ。

傷は少しずつたぶんよくなっている。でも左胸のかなり大きな範囲に鉄板が入っているような、痛みやツッパリ感(これは脇、腕まで続く)はまだまだ。この手術の後に神経痛のようなものになる患者も多いとか。少しずつでもよくなりますように。

ではまた

 

湯治ちょっとだけ

刀傷に効くと有名なとある山間の温泉に湯治に行ってきました。よく考えたら早すぎたかも!(^^; まぁいいか、一応入浴許可は出てるし。
冷たい温泉です。さすがに熱いのに浸かるのはちょっと自信がない。武田信玄の隠し湯、全国各地に伊達政宗の、とか、源頼朝の、とか、色々あるんだろうな。
温泉はまぁよかったんですが、宿が酷すぎる! 掃除が大嫌いな夫婦が経営している宿、とわかるように大書しておいてほしい・笑 未だかつて日本でこんなに掃除してない宿に泊ったことはない。まじでインドかと思った!

因みにインドは。今はわからないけど少し前までは「外に出て働く」のは男だけとほぼ決まっていたので、宿の清掃スタッフなんかも全員男性で、当然気は回らないし何もしませんの。だから汚いんだけど。安かった時代は許せた。今はクオリティ変わらずに値段5倍みたいな感じで、許せなくなってきたなぁ。
その泊った温泉宿もブロック割を当て込んで正直法外な値段だった。こういう経営者もまだまだいるんだなぁ、でも温泉郷そのものが静かに腐りかけている感じで、いずれ消えてしまうんだろうな、それもまた仕方がない、抗わないのなら溶けて消えて行くんだ。

帰路、夫のリクエストでアマプラミュージックの「演歌劇場」みたいなやつ。1番、北島三郎「与作」。2番、石川さゆり「津軽海峡冬景色」。3番、吉幾三「酒よ」みたいな感じ! 夏の陽射しに合わないことこの上ない。「天城越え」とかもう何なのこれ、ドロドロすぎるんですけど!
野辺山辺りまできて、同じくアマプラ無料版のみゆきさんに変更して、ほっとする私。夏の高原になんてぴったりなの、「わかれうた」とか(笑)。
そこは冗談だけど、しばらくまたみゆきさん聴いてなくて、久しぶりに聴いたら沁みました。「ヘッドライト・テールライト」なんてほんと大好きだなと改めて。

**

病気になって店もいま休んでいたりしていますが、多くの方(直接知っている人とお会いしたことはないもののメール等のやり取りはしている方)からご心配、お気遣い、激励をいただきまして、あらためて感謝申し上げます。

色んな人からメールなどで「頑張れ」「頑張ってください」と激励されて、その時思ったのが、「私はそう言われてちっとも嫌じゃないな」ということでした。

何年か前になりますが、これまたその十年以上前に病を得て入院していた友人を見舞った時に、私が「がんばって」と言ったらしく、そのことを長い間記憶に留めていたと言われたことがありました。私には記憶がなく……。帰り際にでも「じゃぁね、頑張ってね」とでも言ったのかな。何にしても闘病を頑張れということではなく、入院していることそのものが大変だからがんばって、と言ったのだと思う。
でも言われた方は嫌だったわけで。
申し訳ないと謝りましたが、それ以前から私の社会不適応ぶり(そんな酷いかなぁと思うんだけど(^^;)を度々指摘する相手だったこともあり、その「頑張れ問題」も私の人としてのダメさの一例として出されたこともあり、反省し謝った後で縁を切りました。
もちろん、人としてダメな部分がたくさんあるのはわかっているけれども、よい部分だってあるだろうと。それはあなたもそうなんじゃないかと。あなたにも素晴らしい部分と私が思う人としてダメな部分と両方あるじゃないかと。あなたは100で私はゼロなのか? あなたは人としてダメであるが故に見下している私を教え導く、そういう関係性で私と付き合ってる? と、何かそういうものが私の中にも降り積もっており。そうなりました。
その一件があって以来、誰かを軽々に見舞ってはいけないし、もし行ったとしても口チャックだな、でもだとしたら何のために行くのよ、つまるところ見舞いには行ったらだめということか。と、何となく思っていました。そういう機会はコロナ禍もあってなかったんだけど。

で、最初に戻る。
私はちっとも嫌だと思わないなぁ、頑張れと言われれば腹筋1000回やっちゃう体育会脳だからなんだろうか?(笑)
それは冗談ですが。そうではなくて、「頑張れ」と言う相手の真意を、私は捻じ曲げて解釈しないから、なんじゃないかと思います。100%の善意、あるいは善なる心から、その言葉が出てきていると私が感じ取っているから、なんだと。感謝こそすれ、他に何か思うことがあるだろうか。私はありません。
それに実際、頑張るわけで。普段とは違うことをしたりされたり、病気にならなければ切らないところをズバズバ切られるし、傷跡も残るし異形の者にもなる、放射線とやらも浴びるし、場合によっては抗がん剤も。それが「頑張る」じゃなくて何なんだろう。
と、私は思います。
もちろんそうではない人がいることもよくわかる。健常な人に「頑張れ」なんて言われたくない、と思うこともあるだろうし、これ以上何を頑張れと言うんだと思うこともあるのだろう。たいして付き合いのない相手に「大丈夫だよー、悪いもの切れば治るんでしょ、頑張ってね」なんてノーテンキに言われたらカチンとくるだろうと思う。病気の深刻さにも大きく関わる、発病直後の池江璃花子選手に「頑張れ」と言うバカはいない。

病気に負けずに元気になってほしいと願った私の真意が伝わらなかったのはなぜなんだろう??? 何か余計なことを言ったのかな。言葉って本当に難しいなと、つくづく。いや言葉なのかな、不明だし知りたいとも思わないけれど。
何にしても私自身は、誰かにお見舞いの言葉をかける時には、とても気をつけて言葉を選ぼうと思うようになりました。気をつけすぎて余計なことを言うのがまた私なんだけど……(^^;
でも。そうだとしてもそこまで含めて、というのは少々相手に失言があったとしても、それでも言葉なんかじゃない相手の気持ちを汲める、受け止められる人になりたい、とも思います。

いつも思うんだけど。
言葉なんか、でもあるし、でも言葉しかない、でもある。そのどちらをも、わかる人間になりたい。

癌にもいろいろあるけれど、乳がんは手術がスタートだとよく聞きます。再発や転移がとても多い癌らしく、通常は5年で終わる再発チェックも乳がんは10年らしい。放射線や抗がん剤やホルモン治療などを何年にも十数年にもわたってやっていく患者さんも多いです。
私はまだ今後の方針が決まっていないけど、たぶん最初にやるのは放射線。5週間はけっこう長いし、凶悪な光線に焼かれるので痛そう。痛い痒いしんどいとここに書くと思います。
「案外ヘタレだな、頑張れ」と思ってくださって大丈夫。頑張れと思われて私はまったく傷つきません。むしろ「よし、頑張ろう」と思う。

以上、励まされるのが好きな女の「病人への頑張れ問題」に関する愚考でした。

そうそう、暑さと共にコロナが急速に、激しく、広がっています。軽井沢でもつい何日か前に90人を越える数が出ていました。人口比では驚くような数かも。どうぞお気をつけて。
ではまた

 

 

1時間開店

生地の店に問い合わせがあり、ぜひ欲しいとのことだったので数日前にちょっとだけ開店。その人が購入したのを確認してまたすぐに閉店(^^;
まだやる気がなかなか……。
どんな感じかなと思いつつ作業して、昨日の通院の時に病院のポストに投函。もう到着したとの報告をさっきもらった。

クリックポスト、翌日に着くとはすごいな。
因みに私の故郷世田谷区行きだった。発地は佐久市。

術後の話。
昨日あたりから、患部が痒い! 寒気がするくらい痒い!
傷なのか、テープかぶれなのか、今のところわからない。あと、ドクターにも言われた「体液が少し溜まっている」部分なのかもしれない。そこは触るとかなりパンパンな感じで、熱を持っているように感じる。

昨日は術後の半透明のテープを剥がした後で、茶色い紙っぽいテープ(マイクロポアスキンテープ)を貼ってもらった。放射線が始まるまでは自分で数日おきに貼り替えるよう指示され、処方箋のようなものを書いてもらって病院内の売店で購入してきた。
ヘパーデン結節が酷い時に細いものを指に巻いているが、それの太いやつ。これがかゆみを引き起こしているのかどうかはまだわからない。剥がしてみた時にかぶれていれば、別のテープを探さないとだめだと思う。

氷で冷やすとだいぶマシ。冷却作戦で乗り越えるしかないか。

今日、今年初めて、キジの親子連れを庭で見た。母親と子供が3羽。
例年だとブルーベリーの木に親が飛び乗って実を落とし、みんなで食べるのが恒例行事だが、今年はやっていないように思う。ブルーベリーの収穫も少しずつしている、去年までは収穫しようと思うと食べ尽くされていた。

土砂などを運ぶネコと呼ぶ一輪車を庭に置いておくと、雨が降って水が溜まり、鳥たちのお風呂になる。毎日たくさんの鳥がやってきては水浴びをしているのを見るのは楽しい。梅さんには気をつけて! といつも声をかけている。

術後の傷の養生に、冷泉というかぬる湯がいいらしいので、いろいろ調べてみている。武田信玄の隠し湯はこの一帯あちこち、どこにでもあるみたい。
熱いお湯に浸かるのはどう考えてもよくなさそうだが、ぬるいのにゆっくりというのはよさそう。
ゆっくり焦らずに養生しようと思う。次の治療に向けて体力も必要だし。

ではまた

 

退院後最初の外来

退院から9日、手術からは12日で、今日は外来通院。入退院支援室からは退院と同時に離れたようで、普通に外来の受付で通れた。
10時半の予約だったが、かつて見たことがないほどの混雑ぶり。通路にまで椅子を置いて人が座っている。何だろう???

私は予約の20分遅れくらいで呼ばれたのでよかった。
今日は傷口のチェック、テープ剥がし。術後すぐからずっと貼ったまま(一度貼り替えたかな? 記憶なし)の半透明のようなテープを剥がす。痛いかと覚悟していたけど、そうでもなかった。
「糸、切りますね」
えっ、抜糸あるの? 聞いてないよ!
と思ったが、どうやら体の外に出ていた端っこの部分を切る、ということらしく。今は抜糸が必要ない溶ける糸で縫うらしいので、私もきっとそうだと思う。
引っ張ってチョキン、で終わり。
体内の傷から出る血液や体液のようなものが傷の部分両方(胸と脇)に少し溜まっているけれど、抜くほどではないからこのままで、ということだった。自然に吸収されていくから大丈夫、とのこと。
今日は割とさわやかな顔をしていた主治医さんだけど、きっと朝はいつものように8時には病棟で回診してたんだよね。お疲れさまです。
精算機に診察券を入れたら普通に入院費も合算して出てきたので、何の苦労もなく支払えた。

心配していた腕上げテストはなかった(^^; まだまだ上がらないので怒られるかと思った。

次回は8月に入って少し経ってから、病理検査の結果を聞きに行く。これが運命の分かれ道なわけだ。この病気になった人はみんなが通る分岐点。
中でも鍵を握るのは、浸潤か非浸潤か。
次に切り取った悪いものの断面に悪い細胞がなかったか。あれば取り切れなかったことになる。
もし浸潤だったとしたら、女性ホルモンに対して陽性か陰性か、抗がん剤適用になるのかどうか、などなどのさらに細かい分かれ方があって、治療方針が決まっていく。
また待ちの時間が来てちょっとつらいが、気を紛らわせながら過ごしたい。

この病気になると、下着などもそれまでとは変えないといけなかったりして、そういう細かいあれこれもある。今日は帰りにしまむらに寄ってみた。
入院前に前開きの下着(ゆるっゆるサイズのやつ)やタンクトップでカップ付きみたいなやつは何種類か買って試してみている。今日もそういうのを着て行った。診察の都合上推奨されている。前開きのトップスはあまり持ってなくて、自分で縫った真っ赤なインド更紗のアロハシャツという! 結構浮いた格好で行っちゃったけど病院だから何でもアリかと。
放射線が始まると照射部分が強い日焼けのようなことになり、日焼けしてるのに毎日さらに重ねて照射されるという、なんか嫌がらせみたいな(^^; ことになるらしく。そうなると「擦れ」がいちばん痛いと看護師さんに聞いて、どんな服で毎日行けばいいのか考え中だ。ちょうど暑い時期だし。

まだだいぶ時間があるので、今日は買わず。放射線の現場で他の人の服装とか看護師さんに聞けたりもするかと思う。

あとはツルヤに寄って帰宅。
今日も雲は多いもののおおむね晴れで、夏らしい感じになってきた。
術後の体調としては、毎日どんどんよくなっています!

ではまた

追肥、じゃがいも掘り

昨日、今日とようやく晴れてきた軽井沢。これで夏になるのかな?

朝のうちに畑仕事をすこし。

夏野菜に追肥
少し草削り
ニラの苗がまぁまぁ出来たので本植え
じゃがいも掘り(夫)
花のエリアが雑草ですごかったので草取り

鍬を振り下ろすのはまだちょっと怖いけど、三角ホーでちょこまか削るくらいなら傷にもほとんど影響を感じずにできる!
こういうのもリハビリの一部と思って頑張りたいと思います。
藍さんも葉むしりならまるで大丈夫でできると思うから、収穫しようかな。

作業1時間半で、さすがに疲れを感じる。出来るは出来るけど、まだ元通りにはもう少しかかると思うので、様子を見ながら少しずつ。

 

*

「書くことって、何ですか? ヤマネさんにとって何ですか? どうして書くんですか?」
と、少し前に私より一回り以上年下の人に訊かれた。
書く、とは言っても、今の私は以前に比べればまったく書いていないけど(^^; 昔は書いていたなぁ、持ち込むとか売るとかそういうのなくても書いていたと思う。旅を始めてからの数年はその記録をせっせと書いていたし、それ以外にもなんやかやと文章を書いていた。そういえば同人誌に参加してたこともあったっけ。ワープロしかない時代だったせいもあるかもしれない。

15ほど前に私生活で色々あり、その頃に書くことから遠ざかった。ごく一部の依頼原稿やこのブログなどを除き、まったく書かなくなった。書くことの意味を失った、自分自身の言葉に対して無条件に持っていたある種の自信を失った。
言葉には力がある、と私は信じており、実際力のある言葉を発する人はいくらもいることも知っている。自分もその端くれだと、多分そこまでの自分は思ってたんだなぁ、おこがましい話だけど。でも違ったと、その時知って、以来、自分という人間を表に出すことを、その前よりもさらに避けるようになったと、振り返ってみて思う。
そもそも私は、言えないから書く、人間だった。開高健が何度か書いているけど、誰かと楽しく会話して別れて階段の踊り場まで来た時に、「あぁあの時はああ言えばよかった、こう言うべきだった」とはたと気付くという、それに近い。私の場合は階段の踊り場じゃなくて家に帰って何日かしてから、だ。頭の回転が遅いから、ポンポンとその場でものを言うことができない。
書くことも避けるようになって、うまく言えないが、まるっきり深海魚みたいな感じになっていたと言えば言えるかもしれない。その間も旅もしていたし、布も集めていたし、服も作ったし売ったし、山にも登ったが、ではそれらを書いたかというとほとんど書いていないというのが、その証左と言える気がする。

病気になって、すこしまた書くようになった。
それはなぜかというと、私は頭の中で考えているだけではちっともダメで、書くことで初めて現実を整理し、把握し、受け入れる。そういうタイプの人間だから。
ということはこの十数年、私はそこまでの切迫した状態にはならずに過ごした、ということでもあるかもしれない、いや多分そうだ。

病気になった。おそらく初めて死を間近に感じた。人はいつか死ぬ、そんなことは5歳の頃から知っているが、間近に感じたことはたぶん初めてなのだと思う。誰もがきっとそうだと思う。
しっかりしなきゃと、気持ちが少し切り替わった。そんなに時間は残っていない、とも気が付いた。今すぐどうこうなるとは思っていないのはもちろんだが(乳がんの早期発見早期治療は5年後の生存率が100%に近い)、「まだ癌になっていない人」よりは、私の方が死に近いのは事実だと思う。私の方が先に死ぬということではなく。そうではなくて、死という概念に近づいたのだと思う。

どうして書くか。いま私はなぜこれを書いて、過去十数年の間なら間違いなく消去していたものをそのまま公開するかというと。
現実を受け入れて、これからどうするべきかを真剣に考えるため。
そして、私が私であるため。それを自分に再認識させるため。です。

ではまた

うなぎ

明日が土用だときのうテレビで見て、今夜はうなぎにするつもりです♪

朝は雨が降ってて、ちょっとがっかりしていたらその後晴れてきて、退院後初めて買い物に行きました。
最初は産直野菜のお店、黒ニンニクがあったのでそれと、あとはレタスやブロッコリーなど。黒ニンニクは滋養強壮によさそうなのと、普通のニンニクだとお腹を壊す私でも食べられるかもしれないと思って実験。いけそうだったら秋にうちの畑にニンニクを植えてみようかと。

折角の新車(いや中古車だけどな)なので、佐久の農業試験場の方に走ってみて、ヤギや羊など眺めました。このエリアは風景が北海道っぽくて、この数年の間に知ったのですがいい所です。農業じゃなくて畜産試験場かも。
今まで乗っていたバンは前がないけれど、今度の車は前がけっこう長い。さらに幅もバンよりも広くて、運転はなかなかに難しそう(私には)。夫も慣れるまでは慎重に慎重に。あと、1800ccなので加速がよく、今までとかなり感じが違います。坂道もすいすい(バンだとウィーーーン、と苦しみつつもまったく加速しない)。
時計もちゃんと出ているし。あと、速度表示がデジタルなのが初めて、エアコンがダイヤルじゃなくてボタン式でオート?みたいなのも初めて、使い方を覚えるまで時間かかりそう。せっかくのブルートゥースもまだ使ってない(^^;

車に乗るとシートベルトを必ずするわけですが、乳がんの手術をした人にはこれがけっこうネックでして。私は左側なので、助手席に座るとちょうど患側をベルトが通過しつつ締め付けてくるわけです。運転席ならたぶん平気だと思うけど運転はしない(笑)。少なくとも今はね。
で、これを少しでも楽にしましょうということで、極小サイズのクッションのようなもの(大きな針山のほうが近い)をシートベルトにセットする、そういうものが乳がんサバイバーさんによって作られていると知りまして。1つお願いしてみたものが届き、使ってみました。
肩のあたりにこれがくるようにして、ベルト全体がすこし浮くような感じで使ってみました。直接当たらないというだけで恐怖心が薄くなり、大変ありがたかったです。

図書館に寄ってあまり読みたいものは見つからない(本の側からも言ってこない)けど数冊借りて。スーパーでうなぎがたくさん出ていたので購入。
長いこと自分でうなぎを買ったことがない。最後にうなぎを食べたのはいつだろう。一度取材先でご馳走されたうなぎの骨が喉に刺さるという大失態を犯したことがあり、高価でもあり、うなぎとは縁がなかった。倹約して旅にお金を使うという暮らし方が当たり前になっていて、何となく日本ではお金を使わなかった。
でも、こういう大きな病気を初めて経験して、すこし考え方が変わった。「あぁあの頃うなぎくらい食べときゃよかったよ」と思いながら死にたくない、と、思うようになって(^^;
ちょっとバカっぽいけど事実でして。
メメント・モリ、ですね。

入院していた病院の近くを通りました。私は5日入院して退院してふらふらしているけれど、病院には毎日新しい患者さんが入り、手術があり、術後のケアがあり、退院までのフォローがあり、と、止まることなく流れているものがあるんだなぁと思いました。ほんとに「病院に住んでるでしょ」と訊きたくなるドクターもいたし、そういう皆さんのおかげで私はともかく悪いものは取ってもらえた。ありがたいことです。

しかし痛いなぁ。いつ頃まで痛いんだろう。

ではまた

 

納車

朝8時に納車。
元々は取りに行く予定にしていたのだけど、何しろ公共交通機関がほとんどない地域のため、時間がすごくかかる。今持っている車で行けば、帰りは私も運転してこないとダメで、さすがに自信がない。
ということで電話して納車をお願いしたというわけです。

写真はないですが、なかなか見かけない車です。ぜんぜん人気が出なかったやつらしい。私も車探しを始めてから1度だけこの車の後ろについたことがあり、「これ何だろう? 」と近づいて名前を見ましたが聞いたことのない名前で。
カローラルミオンという車。知らないでしょ?
多分もう生産していないのではないかと思います。BBだっけ、あれを少し大きくした感じで、乗り込みやすく、座りやすい、今の私にぴったりな車。

ディーラーさんから購入。中古はやっぱりディーラーさんが安心です。前にも書きましたが今は新車が出来ないので中古車の価格も上がっており、ちょうどいい感じ(7~8年落ちの5万キロ以内)だと200万越えしてきたり。それなら何年か古いのに乗って、世界が落ち着いたら新車にしてもいいかと考えました。13年落ち、でも5万キロ以内。購入からずっとディーラーさんで車検を通していた。という点でかなり安心感がありました。あと、夏冬タイヤがかなり新しい年式で付いていた、そして何より、四駆だった!
てことで決めた車です。

午前中、四苦八苦して任意保険を申し込みました。サイトでぜんぜん進めなくてエラーが頻発するので電話したりして、やっとこさっとこできました。これで明日から乗れます♪

敷地の中で少し動かしてみたけど、静か~♪ びっくりです。うちの商業バン君は既に20年乗っていて、バンだから音も結構するので。
来月から5週間、とにかく毎日病院まで行かないといけないのですが、少し楽に通えるかなぁと思います。
病院と言えば今日請求書が届きました。来週、術後最初の外来があるので、その時にまとめて支払おうと思います。

午後遅くに雨。まだカラっと晴れない天気が続きます。
そうそう、今日は知人から、みゆきさんに関するうれしい噂(情報かな?)を教えてもらい、元気出ました! ありがとうございます!

ではまた

術後1週間

早いもので今日で1週間経過。
切った傷口が痛いというよりは、縫合によって引っ張られて攣れているところが痛い。傷口の痛みは減ってきているのだと思います。
最高に攣れているのは脇の下の体の前の方。健常であってもなんか筋張ってるというか、そういう部分があるけど、そこですわ。そこを押さえながらだと、もう120°は腕を上げられていると思います。

あと3週間ほどで180°にいかないと困るらしい。
放射線が仰向けバンザイらしく……。
できるかなぁ。
できるようにリハビリを頑張らねば。

大事なことを一つ備忘録として書いておきます。
術後、味覚障害が起きまして、今も味覚はおかしく(感じないわけではない)、特に右側は何を噛んでも口の中いっぱいに柔らかい泥を詰め込まれているような感じがする。何を食べても基本まったく美味しくない(^^;

ちょっと調べてみた範囲では、全身麻酔の時の挿管で長時間舌が圧迫された状態になったことによる副作用のようなもの、ではないかなぁと思います。
術後、出される食事が不味くて不味くて、何を食べているのかもわからんような。目で見て脳が把握したものと食感が違うので、混乱しました。ただ、「不味いせいだ」と思ってしまい、ドクターにも告げなかった。不味いは不味いかもしれないけれど、それより何より自分がおかしかった(^^;
次回の診察の時に報告だけはしておこうかと。
どうせどうにもなりませんけど!(口腔内の異常と付き合って早や3年と8カ月)

まぁ、というよりは、術後の数日なんて傷の痛みとか傷を見ちゃったショックとかでも正常化バイアスフル稼働で「こんなものたいしたことない」と思う努力とか、そういうもので頭が一杯だから、異常が起きてるなんて思いもよらなかったですはい。ひたすら「病院食が不味い」と思ってたー。

あと、救命救急士さんがやったから、ということでもないと思う。誰がやっても事故が起きることはあると思います。これが事故かどうかは微妙だけど。たまたまそうなった、というだけです。私の舌が大きいとかあるのかもしれない(^^;

今日はMLBのオールスターゲーム。なのに放送は地上波のみ。わが家の地上波は春から秋にかけてはほぼ映らないので見られませんでした。夜BSでやるらしいけど、リアルタイムで見たいんだよー。残念。

雨が上がったので畑を見て、ナスやピーマンを収穫したり、トマトを誘引したり芽欠きしたりといった作業、下の方だけ。あとちょっと草取りなどして、桃のなってはいるものの樹液が吹いたりしているのをハサミで落としたり。
少しずつ元の生活に戻っていきたいと思います。放射線が始まるとまた別の不自由さなどが出てくると思うので、それまでがインターバル休憩だと思う。
ではまた

退院3日目

手術からは6日目。今夕方の5時前だけど、6日前のちょうど今頃は、麻酔が効き始めて外科医たちがメス持ってスタンバイした頃。
ここまであっという間だったような、長かったような。

今日は朝からというか昨夜から雨で、気圧も低いのか痛みで目が覚めた。
寝ている間は固まっているので、動き出すのがきつい。そろそろと動いて少しずつ慣らして、朝食後に鎮痛剤。効いている実感は全くないけど、まぁ気休めみたいなものかな。
バッサリと刀傷(違うか)が2つあるのでやっぱり痛くないわけはないです。片方は切って中を攻めたので縫い合わせる傷はそんなに難しくなさそう、片方は広範囲に皮膚や肉(リアルでごめん)を取り去っているので、引っ張って縫っているはず、考えるほどに痛い……(^^;

まだお風呂には入れず、毎日シャワー。こうして少しずつ、自分の傷にも慣れていくのだと思う。時薬とはよく言ったものだなぁと思う。

0期非浸潤でも全摘、という例は結構あるようで(因みに私は全摘ではない)。非浸潤だからおとなしくその場にとどまっているイメージなんだけど、実際はそうではなくて、乳管の中を木の根のように広がっていってしまうものらしい。私の場合もまさにそれで、温存するはずだった部分を失った。
それなのに!
非浸潤だと上皮内癌とやらで、がん保険が下りなかったりするらしいんだよね。
もちろん非浸潤で本当に軽く済む人もたくさんいる。殆どわからないくらいの傷や凹みで終了できる人もいる。それはそうだけど、でも、切ってることは切ってるわけだし、私のように「浸潤であっても温存できることが多々ある」部分を失うこともあるわけ。
それなのにがん保険が下りないって、酷いなと思う。私は入っていなかったからいいけど、自分と同じ目にあった人が下りないのは気の毒すぎる。納得もいかん。何とかならないのかな。

私が非浸潤だったかどうかは実はまだ確定してはいなくて、来月上旬頃にわかる予定。取り去ったものを病理検査して、初めて確定するようだ。取り切れたか取り残したかも(あくまでその場所だけの話だが)それでわかる(難しいものですなぁ)。

痛みがあるとはいえ、毎日少しずつよくなっています。腕もずいぶん上がるように。75°くらいはいけそうな感じ。
明日はすこし晴れ間もありそう、結局いつもと同じく日照時間の少ない7月になっていて、こりゃまた野菜が高値になったりするんじゃないかと思う今日この頃。わが家のナスは今のところ大豊作で、ミニトマトは色が付かない。
ではまた

帰国しました♪

今日帰国。
主治医の先生に「どうする? 今日でも明日でもどっちでもいいよ? 気持ち的に大丈夫だったら今日帰る?」
てな感じで。
気持ち的には病院にいるから安心、という段階は既に過ぎたかしらと思ったので、帰国を選びました。

手術は開始が2時間遅れ(既にその時点でドクターたちはヘトヘト?)で5時前に始まり、9時前に終了したようです。予定より長かったのでとても心配した(もちろん後から所要時間を聞いて、それからです)。予定になかったこともやることになって、長引いたのだと思います。ドクターたちは最善を尽くしてくれたと思います。最良の方法をその場で選んでくれたのだと信じてるから、実際自分の身に起きたことにも納得してます。
時間はかかるのかもしれないけど、受け入れて。
とにかく今出来ることをしてもらって、これからも今できる治療をしていくんだな、ということですよね。

自分よりも大変な手術をする方にも検査の所で会ったし、言葉は交わさなかったけど同じ部屋に私よりも大きな手術をして明日退院する人もいました。4人部屋は快適でした。今は挨拶もしないし会話もないですけど。自分のところに来た回診の群れが斜め向かいのベッドに向かえば「あぁあの人も同じ病気なんだな」とわかる、その程度。

それにしてもドクターや看護師やその他たくさんの働く人たちがいて、生まれて初めて、心の底から、医療に携わる人たちに感謝しました。トイレで倒れても車いす持って来てくれるし、ほんとにお世話になってしまった。
手術室で麻酔が効き始めるまでの時間や、術後ベッドごと運ばれて各種の管が機械につながって明滅してたり、確かに病院って戦場みたいだと思った。

残念ながら病院童の姿はお見かけすることなく……でした。
ではまた