オウム真理教とは何だったのか

朝、テレビを見ていたら、オウムの教祖だった麻原彰晃の死刑執行がテロップで流れました。その時は彼だけが執行されたのかと思いましたが、夕方になって他にも数人執行されたと。
20年以上かかって一つの区切りというのかな、そういう段階に来たということなのでしょうか。

それにしても、オウム真理教とは何だったのか。
なぜ優秀な人たち(こそ)がこぞって入信し、あのような小汚くどう見ても下劣で姑息な男を信奉してしまったんだろうか。
あの男には、人を魅了する何かがあったのだろうか。
そもそも「信じる」って何だろう。

宗教はむずかしい。
高橋和巳に『邪宗門』という長編小説があり、ある新興宗教が邪教として弾圧されればされるほど信者たちは団結し、孤立しようとも信仰を守ろうとする、いっそう社会は排除しようとする、いっそう信者は頑なになる・・・。そして結局は破滅してしまうのですが(高橋の作品ですから)。
オウム真理教が姦しかった時期はよくこの小説が引き合いに出され、埋もれていた高橋和巳の作品が世に知られて少しだけうれしかったのを思い出します。この小説は彼の作品の中で最も小説として読みやすい、つまりある程度おもしろいものの一つであることは間違いないと思うので。

私はたぶん、麻原彰晃を一度だけ見たことがあると思う。
中野の駅前で。選挙の時。見かけたと思う。
あとはラサにいた時に、麻原がいるとかいたとか、そんな噂を聞いた。
上九石村(?)の教団に警察がなだれ込む直前の週には、たまたまNHK ラジオの朝の番組に1週間連続で出てチベットの話をするという仕事があり、「なだれ込んだらその瞬間に番組は終わって報道に切り替わるので」と言われていて何だか毎日ドキドキしてた。結局私のその1週間にはそれは起きなかった。

今でも麻原を信仰する組織があるらしいけれど、彼らの中ではどんな風にストーリーが出来ているんだろうか。
まわりが何を言ったって聞くわけはないから仕方がないけど、ああいうことを再び起こすようなことがなければいいと、ただそれだけ思います。

 

大雨は落ち着いたかな、軽井沢はもう止んでいます。
ではまた