ラダック・ザンスカールの旅その1

リアルタイムではもう帰国していますが、思い出しながら旅の模様をお知らせしようと思います。
台風が去って、天気も回復傾向でしょうか?
軽井沢はまだ雲が多く、ときどき風も出ています。
では旅の様子をどうぞ。

 

ラダック・ザンスカールの旅その1

2018年7~8月にかけての5週間、北インドを旅行しました。
これからしばらくの間、この旅行の記録をアップしていきます。
まず初回の本日は、日本を出てからラダックの都・レーまで・・・

最初にまずはラダックの場所を。
こんな感じの場所にあります。赤いマークが見えるかどうか不明ですが、見えていたらそこがレーの位置。見えていなかったら、「ジャンムー」の文字のすぐ右横がレーです。
インドの最北端に位置し、パキスタン、中国チベット自治区と国境を接し、というか国境が確定されてなくて未だにモメているエリアです。

 

成田から北京経由デリー


北京空港のラウンジ。今回は中国国際航空のビジネスを使いました。
帰国時の荷物許容量がすごく多いので、現地から発送することなど考えるとビジネスがいいかなと。あと、帰国時は絶対に体調を崩していると思ったので、楽できるように。

機内サービスは普通です。特にすごくいいわけでもなく、悪いわけでもなく。
本当に一般的なビジネスクラスのサービスだと思います。
食べ物もおいしかった。お酒は飲まなかったのでわからないけど・・・。


デリーのごった返す(でもないか)、ターンテーブルのところ。
行きはすんなり、さっさと出てきました。

デリーに着いたのは深夜の2時前だったかな?
遅延もなく安心しました。
乗り継ぐGO AIRは5時40分発、そうとう時間があるのでまずは国際線のターミナル内で休みました。外に出てしまうと椅子はほとんどないので、メトロの始発を待つなら出ないほうがいいのかもしれないです。外に出たところにも、時間調整の人はたくさんいて不安はありませんでした。

デリーからレーへ


翼を上げて~

GO AIRもほとんど遅延なく飛びました。ターミナル2はターミナル3からすぐ近く、カートを押して歩いていけるところにありました。


雲海と山のてっぺんがちらちら見えています。
ヒマチャルプラデシュか、既にザンスカールに入っているのか・・・。


雲が切れてきて、下界が見えてきました。
見渡す限りの荒涼たる高地と、そこから聳える山、山、山。
あぁ、ヒマラヤ圏に来たんだな~と、実感する瞬間です。
画面中央あたりには大きな湖も見えていますね。

着陸する直前、レーの空港付近です。
丘が見えていますが、スピトクかな?
25年前にはこのスピトクからマルカ谷へのトレッキングを開始しました。なつかしいな。

レーの町並み

レーの空港では、入境書のようなものを1枚記入します。
空港から町へはタクシーで。一律350ルピーでした。
タクシースタンドまで行ってもらい、そこから歩いてゲストハウスを探しました。
ずいぶん歩いた、荷物が重くて大変だった。1泊目の宿は予約していったほうがいいかも(笑)。
わかっちゃいるんだけどね・・・・・・。

宿はライブラリーロードからちょっと横道を入ったところにある、SHINGEIの宿に。
たまたま1軒の宿に聞きに入って、満室と断られて出てきたところを、2階から手招きされました。ちなみに宿の名前は別にあるのですが、ここの管理人(マネージャー?)がネパリで、Shingeiっていうんです。で、すっかりホテルshingeiに(笑)
1泊1000ルピー(1800~1900円くらい)。
いや高いですね~~~。びっくりです。
でもレーはどこもこんな感じ。探せば800台とかもありましたが、wifiがないとか、まぁいろいろ。Shingeiが憎めないヤツだったので、結局レーではずっとここに泊まりました。


Shingeiの宿の門前で寝る犬

 旧王宮を見上げるメインバザール
こんなふうに整備された公園のようになっていました。ホコ天ですね。


夕方、涼しくなると人が湧いてきてこの賑わいに。ツーリストも、ナンパしようとしてる若い子たちも、坊さんも、ごっちゃごちゃです。


小道の牛。車の通れない路地があちこちにあり、うまく使えると便利。


もうシーズンに突入してるというのに、どこもかしこも建設ラッシュでした。
とにかくホテルを作ってました。
そんなに作って大丈夫かいな・・・?
足場が木の棒で縛っただけ!

 あちこちで見かけた綿糸
手紡ぎの綿糸に見えるのだけど、これを何に使うのだろう?
木綿を織るって、この地域ではあまりないことに思えるのだけど。どっちかというとウールなんかを織っているイメージ。


食べかけちゃってますけど^^;
最初の食事、Shingeiおすすめのラマユルレストランで。フライドライスとトゥクパ(麺)。
このレストラン、2~3回行ってそこそこよかったんだけど、最後に行ったときにネパリの店員がチップせびってきて、以後行かなくなりました。
インドでチップは基本的にない。けれど欧米人たちが広めたので、旅行者が利用するような場所では支払うことも多いです。多くはお釣りの一部を置いてくる感じ。ただしそれは、こちらの気持ちであって、要求されるものではないと思うのでね。
ネパリはあちこちで働いていますが、調子に乗ってるのもいるのでそのへんは・・・。

レーの標高は3600を少し割り込む程度です。
つまり、富士山の山頂とほぼ同じです。
さすがに血中酸素濃度は・・・、私は初日はまったく下がりませんでした^^;
夫はいきなり80台前半まで落ちましたが、私のほうが反応が遅いのかな。
町中の薬局で一応ダイアモックスを入手。夫はしばらく服用しましたが、私は数回でやめちゃった。高度障害は今回ほとんど出なかったので。
もちろん、ほんのわずかの傾斜の坂道を歩くだけで「ゼーハー」なりますけど、頭痛などは起きませんでした。

レー初日はメインバザールあたりをふらふらと歩いたのみで終了。
つづきはまた次回

夏草や・・・

ああ 夏草や 夏草や

さすがに真夏に5週間も留守にすると、雑草がとんでもないことになりますね。
写真左端は通路で、オットが本日草刈りした部分。
中央部分は果樹とその向こうが畑なんだけど、畑の雑草はでかいのはヒトの背丈くらいになっています。栄養もいいし、育ち放題に育った。

午後というか夕方、この雑草の波に埋もれてしまった小さな果樹とかぼちゃの救出作戦に乗り出しましたが、体力がまったくない状態なのか、ほんの小一時間で胸のランプがピコピコ「ウルトラの星へ帰れ」と言い出したので早々に撤収。シャワーを浴びて人心地。
いやまったく、暑いのはしんどいですな。
冬になると寒いのがしんどいけどね(笑)。

そういえばじゃがいもはどうなったかな。

 

インドに行くといつもそうですが、今回も最後に胃腸炎になりました。
その最後というのが、デリー~北京の機内だったという、我ながら見事な。
そこまで本当によく持ちこたえたものです。一度けっこうまずい状態になりかけましたが、そのときはインドの下痢止め一発で効きました。
ただ帰国してまでインドの薬をのむかというと、ノー、ですね。強すぎるし、正直安全性には疑問だらけ。
と言いながら、延々とインドの風邪薬と抗生物質までのんでしまったので、しばらくは注意しながら生活しなければ。と思っています。
まだ咳も下痢も止まらず、そうそう、帰国直後に計った時は「1.3キロしか減ってない」と思った体重が、そこから2キロ落ちましたわ~。何なの。

詳しいことはおいおい書いていきますが、とにかくインド。
まぁいろんなことがありましたー。
物価がおそろしく上がってぶったまげましたし。
なのに中身まったく変わってないしね。
生地の仕入れという部分ではもう本当に難しく、魅力も失せつつある。何より質が落ちたものを3倍の値段で買うというのは・・・。
これはちょっと、全体的に自分の仕事を見直していかなくちゃいけないなと、痛感させられました。

世界は変わっていく。
ほんの数年前までは、「安いアジアで仕入れたもので商売をする」ことが可能だったけど、もしかすると既にその方程式は成り立たなくなっていたのかも。
そしてその流れはどんどん加速していき、そのうちにインドもタイも日本と物価がさほど変わらなくなる。それでもいいものがあればいいけど、かつての日本と同じでものすごい勢いで人々は手仕事から離れつつある。

さてどうしましょうかね・・・。
なんてことを考えながら旅の後半、デリー~ジャイプールを過ごしました。

 

デリー~レー
機内よりヒマチャルプラデシュとザンスカール境あたりの上空か 2018.07.15

山はいいんだけどね~♪

ではまた~

 

お久しぶりです

たいへん長らくご無沙汰しました。
7/14~8/19、この間インドに行っていました。
パソコンも持っていかなかったので、こちらの更新はまったくしないまま。
時々ここで「ツイッター~」と書いていたのはそのせいでして、ツイッターで現地のいろんなことなど書いてました。

帰ってきてしまえば、すべては夢の中の出来事のようです。

インド旅行のいろんなことは、おいおい書いていくつもりです(いつもそう言ってそれっきりだったりするが^^;)

今は最後の最後に来た胃腸炎と。
こちらは旅の前半からずっとお友達の咳と。
この2つをなんとかしたい。
週末にクラス会があるんだけど、今んとこ行ける気がしない(>_<)

ではでは、とりいそぎ無沙汰のお詫びまで。
台風が来るようですね、今年は暑かったようですし、みなさまお体に気をつけてください。
ではまたですじゃ

今日から猛暑の予報

長野県もあちこちで30℃、または35℃超えになるらしい、との予報。
3連休もかなり暑くなりそうで、来軽者も増えるかもですね。

こちらが暑いのはただ「暑い」だけですが、被災地にとってはまことに酷なほんとうの酷暑です。どうかお体に気をつけて、急がなきゃいけないことも多かろうけれども休み休み、していただきたいなぁと思う・・・。外野からすみません。

わが家ではそろそろじゃがいもの葉が黄色くなってきたので、電柵設置!
やっとかないとイノブーが来てきれいさっぱりなくなります。
かぼちゃも引きずり回してぶん抜いてくれます。
さすがにスモモは・・・、登ってまでは食べません。
スモモはクマくんの牙城ですな(笑)

時に、今季は新作夜会だとHPで発表されてました。
新作夜会・・・・・・!
しかも年が明けてから・・・・・・!
二重にびっくりだ。
コンサートだろうなーと思ってたし、11~12月のチケットを取りたいなと思っていたし。
いやー微妙。どうする。
まぁ抽選とかも9月頃らしいし、まだまだゆっくり考えよう。

ではまたです

全員救出、よかった

チェンライの北で洞窟に閉じ込められた少年たち、全員が救出されたそうでよかったですね。
発見された時も、まさかと思ったし。
その後、数ヶ月かかる予定と聞いていたので、次々と救助されていくニュースに驚きました。
その救助活動の中で落命したダイバーさんがいたことが、本当に残念でした。
子どもたちと一人の大人は全員が無事に出てこられてよかったですね。
暗いニュースが多い昨今、明るいニュースでした。

夜、PC部屋にいたところ、
裏の林でパキパキ、ガサガサ、パキパキ、ガサガサガサガサ・・・

出たっ!
ツキノワグマのゴローさんです。
姿は見えないけど、こういう動きをする大きな獣はたぶんクマだと思う。あ、カモシカかも ???
ちょっとわからないけど、久しぶりに獣の物音を聞きました。

それから数分後に近所で犬が鳴いていましたので、気配が届いたのかもしれませんね。スモモはまだまだですが、偵察に来たかな。

ではまたです

CDからPC、MP3へ(メモ)

すぐにやり方がわからなくなってしまうのでメモっておきます。

CDをセットして、WMP(Windows media player)で「取り込む」

取り込んだアルバムは、WMP上と、あともう一箇所Cドライブの「名前」「マイミュージック」「な~アルバム」の中にすんなり入らずに、さらにもう1階層下に入り込んでいるので検索。見つかったら本来いるべき場所に救い出す。

その音は別形式で入っているので、MP3に変換。今はflic flacというソフトを使っている。これで変換して、スマホなどに転送して、出来上がり。

 

ふぅー、やっと去年のアルバム「相聞」を取り込めた。
滅多にやらない作業なので、毎回手間取る。
なぜか「常夜灯」もできていなかったのでやっといた。

あれれ、でもタブレットに取り込んだらアルバムは解体されて曲だけがずらーっと並んでる・・・。やだな~こんなの。
スマホの方は何とかアルバム毎になっているような? でも取り込めていないのがあるみたい、何だろう、やっぱ難しいな・・・
はぁ~。
もはやついていけん。ハッシュタグとか何なのそれ、だもんな~レベル。

ではまた

今日も雷雨・いろいろ

晴れて暑くなり、午後には雷が始まり、午後遅くには激しい雨と雷。思わずPC関連のコンセントをすべて抜きました。
昔、落雷でいろんなものが壊れ、その中にはPCも。すぐに必要だったので近くで買いましたが、たしか14万とかして。後に火災保険でカバーされると聞いてがっくりきたのを覚えています。我が家ではほかにも、電気のコンロも壊れ、壊れたままだましだまし使っています。

王女末央(びおう)がきのうで終わりました。
長かった。
同じ展開が続いて飽きました。いい加減もうそのパターンはいいですから! というのが多かった。悪いこと起きる→必ず現場に末央がいた証拠が→陛下の前に据えられて「真犯人が他にいる証拠を3日以内に探し出さねばお前を処刑」→末央とその協力者たちが真犯人を探す→助かる・・・
でもまぁ、この末央役をやったティファニー・タンさんですかね、この人は好きなタイプの美人だったので許してあげてもいいです。

結局、私が「死んでほしい」と願った者たちの大半は最終回まで生き残り、そこで死ぬという思いがけない展開でした。写真の南安王もそう。
今日から次のドラマが始まってはいるが・・・。一休みしたい。

タイ・チェンライ県で洞窟内に閉じ込められた少年たちの救出が思いがけず早く進行していてよかったですね。洞窟はチェンライからはかなり遠い、ほとんどメーサイにあります。メーサイからちょっと南下して、西へ、ミャンマー国境へ行った方角。まさか全員が生きているとは思わなかったし、そして数ヶ月かかると言われていたのにもう半分以上救助されたとは。
よかったです。タイの子どもたち、よくがんばったね。
一人、ダイバーが亡くなったのは本当に残念でした。

最近ツイッターを再開してみたのですが、なんと私はダライ・ラマさんをフォローしていたということを思い出しました。つい先日83歳のお誕生日を迎えられたそうです。ツイッター開かなかったら気付かなかったな。
/lingkhor3

雷はだいぶ遠ざかりました。そんな歌があったなぁ。遠雷。ワッペイさんにも同名の小説がありましたよね。
しばらく晴れるような予報。被災地の暑さを思うと。
ではまた

 

晴れて雷雨

おや、一度書いたのが消えちゃった・・・。

雨が続いた軽井沢も今日は晴れて暑くなり、夕方から雷が始まって夜には雷雨になりました。
西日本を襲った大雨による災害は甚大なものだったのですね。テレビが映らず、ネットもあまり見なかったので今朝になるまでよくわかっていませんでした。
降れば二次災害の怖れが高まるし、晴れれば猛暑になる。
皆さんおつかれだと思います、一日も早く元に戻っていけることをお祈りします。

南の海では次の台風も発生したそうで。
予定通りならどんどん西へ行きそうですが。
激甚災害が増え、気候変動について人類は本当にまともに考えなくちゃいけないんだと痛感します。

 

話変わって。
この一つ前に書いている和巳さんですが。
「書いてくれてありがとう」と書いてしまい、書きながらなんか変だなと思いつつもそのまま上げちゃったのですけど、やっぱり違和感がある。
彼は好きで書いていた、書くしかなく書いていた、書くことにより生きていた、のであって、その時に、誰かのために書くとか読者のためにとか、なかったと(あったかもしれないけどごくわずかだったと)思うんですよね。
となるとそれに対してありがとうは変だろうと。
ありがとうじゃなくて、「よかったね」と。あなたが身を削って書いた言葉が今も読まれ何かを与え続けている、それは言葉を書く者にとってそれ以上ないよろこびだから、ただ「よかったね」と伝えたい。

また話変わりますが今年のみゆきさんは夜会みたいですね。年が明けてからになるようです。年明けか~。ずいぶん先ですが、でもお元気ならよかった。
ではまた

 

オウム真理教とは何だったのか

朝、テレビを見ていたら、オウムの教祖だった麻原彰晃の死刑執行がテロップで流れました。その時は彼だけが執行されたのかと思いましたが、夕方になって他にも数人執行されたと。
20年以上かかって一つの区切りというのかな、そういう段階に来たということなのでしょうか。

それにしても、オウム真理教とは何だったのか。
なぜ優秀な人たち(こそ)がこぞって入信し、あのような小汚くどう見ても下劣で姑息な男を信奉してしまったんだろうか。
あの男には、人を魅了する何かがあったのだろうか。
そもそも「信じる」って何だろう。

宗教はむずかしい。
高橋和巳に『邪宗門』という長編小説があり、ある新興宗教が邪教として弾圧されればされるほど信者たちは団結し、孤立しようとも信仰を守ろうとする、いっそう社会は排除しようとする、いっそう信者は頑なになる・・・。そして結局は破滅してしまうのですが(高橋の作品ですから)。
オウム真理教が姦しかった時期はよくこの小説が引き合いに出され、埋もれていた高橋和巳の作品が世に知られて少しだけうれしかったのを思い出します。この小説は彼の作品の中で最も小説として読みやすい、つまりある程度おもしろいものの一つであることは間違いないと思うので。

私はたぶん、麻原彰晃を一度だけ見たことがあると思う。
中野の駅前で。選挙の時。見かけたと思う。
あとはラサにいた時に、麻原がいるとかいたとか、そんな噂を聞いた。
上九石村(?)の教団に警察がなだれ込む直前の週には、たまたまNHK ラジオの朝の番組に1週間連続で出てチベットの話をするという仕事があり、「なだれ込んだらその瞬間に番組は終わって報道に切り替わるので」と言われていて何だか毎日ドキドキしてた。結局私のその1週間にはそれは起きなかった。

今でも麻原を信仰する組織があるらしいけれど、彼らの中ではどんな風にストーリーが出来ているんだろうか。
まわりが何を言ったって聞くわけはないから仕方がないけど、ああいうことを再び起こすようなことがなければいいと、ただそれだけ思います。

 

大雨は落ち着いたかな、軽井沢はもう止んでいます。
ではまた

 

メール不具合修復

友人からスマホのGmail宛にメールが届き、返事を書きたいのだけどスマホでは・・・、と思って自分のアドレスに転送したのに届かない。
おやおやおや?
この時使ったアドレスは店で使っているドメインのアドレス。
これが届かないって、まずすぎるでしょ!

ということで急遽サーバーをチェックし、プロバイダをチェックしてみたところ、プロバイダ側で迷惑メールに振り分けていやがることが判明。
頼んでもいないことをなぜやるのか。
どうでもいい本物の迷惑メールはぜんぜん弾かないくせに。

迷惑メールから外すのがまたしちめんどくさかったけど、何とかできたと思う。
テストメールを自分に向けて30本くらい送信した、疲れた。

一応プロバイダの迷惑メール受信箱にはほとんど入っていなかったのと、ドメイン宛にメールをいただくことはあまりないかと思いますが、もし「メール出したのに返信がない・・・」ということがありましたら申し訳ありませんでした。
いちばんの問題は、海外の友人にこのアドレスを知らせているので、メールもらってたとしたら受け取れていないということに。もうほんとに、何なんだろう、以前はクリーマの「受注メール」だけを見事に迷惑メールに振り分けてくれやがってて、本当に迷惑したし、いい加減にしてもらいたいです。