どうにも寒くて体が・・・

動かん。
寒くて湿気てるのが神経に悪いみたいです。
梅雨明けはまだでもいいのだけど、中休みが欲しいですね。
洗濯物も大物が溜まってるですよ。

知人のブログを久しぶりに見たら、おや、みゆきさんの次冬の予定が出たらしいですねー。
年明けの1月からコンサートだって。
10都市だって。長野はないかなぁ。

年明けか~、これは微妙。
どうするどうする。

 

5月だったか6月だったか? に受けた婦人科検診の結果が届き、問題なしでした。町民検診の結果はまだです。また驚愕の結果が来てしまうのだろうか。

ではまた

寒いです!

今日の軽井沢の最高気温は16℃とか。午後外の寒暖計を見たら14.5℃でした。異常に寒いです。フリースを着ています。まじか・・・

 また来たイノシシ
昨日の朝、こんなことになってました


なんと電柵も突破しまして・・・。ありえん。夫に見てもらったら、手で触ってもビリビリしないけど、チェッカーだと流れてると。そんなことってあるのかな? どっちみちビリビリしないなら駄目じゃん???

 草取り
昨日、ちょっと止んでる時間があったので草取りをしてみました。
午後からしっかりと雨になりました、また無駄だった・・・

 本日の藍
藍畑の中の割と生育がいい方に属します。だいぶ大きくなってきましたね


キジの母親。私を警戒してます。近くにヒナが3ついます(写ってない)

藍の畑に家族で入っていたらしいです。夫が発見し、私がカメラを持って行ったらもう囲いの中にはいませんでした。すぐ脇の石の上にメスが。

夕方、友人来訪。お母さんへのプレゼントのワンピースを選びに来てくれたんだけどちょうどよさそうなのがなく、注文してもらいました。
その後しゃべって。

この鬱陶しい天気はいつまで続くのかー。ではでは

新作とか

昨日からの雨が降り止まず、終日雨の軽井沢でした。
寒い・・・。

 

新作です

 藍染めフレンチ

 更紗のタックワンピース

藍染めの方は、一昨年に染めておいた生地で作ったもの。
もう一度染め重ねようかと思いましたが、そう思ったのは縫ってからだったので、せっかく別布で襟ぐりを始末したのが無駄になる(見栄えも今一つになる)ためやめて、このまま出すことに。
どうもパキッとした紺に染まっているのが好まれるようなのですが、私はどちらかというとこういう微妙な色のほうが好きだな。たぶん合成藍だとこういう色にはならないと思ったりもします。
うーん、ただ合成藍はどんどん進化していると思うので、もういろんな色、洗ってもあまり色落ちしないとか、そうなっているのかもしれません。わからん。

上海で、アメリカから渡中してきていた布の研究者グループに偶然会って話をする機会がありました。その時に聞いた話。
インドから輸入されているいわゆるインド藍、インディゴ・ブロックを取り寄せて調べてみたら合成藍だった(!)(混じってた、だったかな)
アジア各地と日本で、この人ならば絶対に大丈夫! と誰もが信じている藍染め作家・工房の製品をこれまた調査してみたところ、いずれも合成藍が必ず使われていた(!)(比率についてはともかくとして)
結論 もはや藍染めは死んだ
だ、そうでした。
もちろん、まだ生きていると思います。アジアでも日本でも、ほんものの藍はまだあるはずです(現にウチにはあります)。でも、流通している藍染め、また原料藍の大半が既に純粋な植物藍ではないというのは厳然たる事実。純粋な植物藍はごくごくごくごく少なくなったと考えるのが妥当でしょうね。

実際私も藍染めを求めてアジア各地を経巡っているわけですが、どこを訪ねても、微妙なんですよ・・・。確かに藍は庭先に育っていたりする(見せるためにね)。藍瓶もそれらしいものがあったりする。でも・・・・・・? この?マークが消せない。
一度だけ、世界的に布フェチに有名なラオス・レンテン族の藍布を買ってきて、日本で調べてもらったことがあります。ある村のものは混ざりものでした。ある村はまだ植物藍オンリーでした。
もはや信じられるものは殆どない。いま植物藍の村も、3年先、5年先には合成藍に切り替わるのではないか、それが流れとしては自然です。
それで、それなら自分がやるしかないなと、藍染めを始めたというわけです。原料も自分が作れば100%混じりけのない、藍の茎さえ入っていない「すくも」を作ることができるわけですからね。

と、そんな話。
藍にはいろいろな御託があって、灰汁で建てたものだけが本物の藍染だという人もあります。私はそこのところは、正直そこまでこだわらないですな。灰汁で建てることもあるし、状況によって建たなければ化学薬品の力も借ります。
このあたりは有機農業なんかにも通じる話かもと思います。
与えるものが化学的であれ有機的であれ植物が吸収する時には分子レベルなのだろうから、チッ素とか、リンとか、そういうものになったものを吸収する。であるならばそれがもともと有機である、化学である、ということにどんな意味があるのか私にはわかりません。土に対してよい悪いということならなんとなくわかる。有機物を投入するほうが土はふかふかのよい土になっていく気はする。

今週も梅雨空が続き、気温なんかもう、週の半ばには12~13℃なんて予報も出ているくらいです。どうなってんの・・・。なかなか藍仕事に手がつけられません。
ではでは

 

今日も曇天

ずーっと曇天で気が滅入る今日このごろです。
今日も長野や松本方面は晴れたりしたらしい(予報だけど)のに、軽井沢だけは曇り時々雨。関東の雨が軽井沢まではかかってしまうんですな。

 毎日これだからー

 畑もこんなことに
草を削っても雨が降ると大半が生き返ってしまうから、と言い訳しているとこうなります。生き返っても何でも削ったほうがいいんだろうけど、土も湿ってるしやりにくくて。

昼頃ちょっと薄日が射したので、我慢できずに1畝分草削りしました。
そしたら夕方から雨になりました(>_<)

 最初に蒔いたトウモロコシは穂が出た

 キャベツ君たち
だいぶ虫にも食われましたが・・・。割と大丈夫な株もあります

 藍もだいぶ成長

 しょ、しょぼい!

あと3週間ほどで収穫を迎えられたらいいのですが、今年は8月に入ってからになるかな? ここから猛ダッシュしてくるか、どうだろう。

昨日は最高気温が19℃、本日も大差ないかと。週間予報を見ても20℃にいかなさそうな日が続いています。
そんなわけで藍もまだ様子見中です。建てることと、すくも作りの両方を、梅雨が明けたら始めたいと思っています。もう少し気温があればいいんだけど・・・。

あと今日は桃を見回って、見落とした枝などの摘果をしました。そろそろこれが最後と言いたいんだけど、見落としが結構ある。うーん。また、残した桃もはっきり虫が入ったとわかるものは落としてしまいます。今年はどうなるかな。

ではー

いつの間に・・・

7月に。
もう今年の半分が過ぎてしまったということに驚く。
それなのに寒くて夜はちょっとだけホットカーペットをつけました。まだ仕舞っていないという^^; でもこんな風にほんのすこしだけ使う、的なことがあったりするのですわ。

東京は朝すごい風雨だったようですが、軽井沢はそこまで酷くはならず、深夜は降っていたように思いますが朝はほぼ止んでました。日中もほぼ降らず、夕方から少し霧雨っぽく降ってきた。
明日も夕方は降りそうなので、梅雨空続く、ですね。

引っ越し前から縫いかけていたものを仕上げ。
しかし、まだ環境に慣れないのと、今まで分散していた布が一箇所に集められたおかげで、かなり重圧が(!)。
布を一箇所に集めたい、というのはもうだいぶ前からの宿願だったにも関わらず、いざ集まるとすごい・・・。見えないように、というのは嘘で光に当たると色あせするので布で隠しているにも関わらず、すごい存在感です。
布に圧倒されて、一人おたおたしてしまい、次に作るものが思い浮かばない。

だんだん慣れていくとは思いますが、あ、慣れないと困るですが。

気を取り直して明日は何か、とにかくしかけようと思いますー。

天気もずっとこんなだし、なかなかからっとなりませんな。

こんなの見つけたので貼ってみます。歌が上手、香港の人かな?
(繁体字なので台湾の人かも)
先日議会に雪崩込んで少し空気が変わった感がありますが、香港の自由が損なわれないこと(これ以上、だけれども)を望みます。ここで使われてる画像は数年前の雨傘運動のときのものかと思われます・・・

ではでは

降りそで降らない・・・

どんよりとした一日。梅雨だからまぁこんなものでしょうが、このところずっとこんな感じ。夜からは雨になり、明日の朝までは降る予報ですが。

ガビ鳥(画眉鳥?)が最近よく来て鳴いています。
そうそう、数日前にポストの近くに行くとやけに騒がしい。近づいてよくよく聞いてみると、中で鳥の鳴き声が複数。まだ巣立ってなかったんだ! ちらっと入口から覗いてみたら、ヒナらしきものが動いてました。
無事に巣立つといいですにゃ。

今日は朝のうちに裁断とアイロンに使っている台を移して、ほぼ引越し作業終了~となりました。
疲れた・・・。

2本めのきゅうりがなっていたので収穫、暴れだしたので誘引。
ミニトマトに実はなっているものの色づく気配なし。
ナスはまだ実も見えず、ピーマンはごく小さな実が着き始めたところ。
毎年こんなかな~、この遅さは寒冷地ならではですね。
もう全部避難させたはずのところにまだ藍がちらちらいるので、周囲の草をむしっておきました。そうでないと刈ってしまうので。そのうち移動させたほうがいいかな。

午後から雨、夕方から雨、夜には雨、的予報が続くので草削りもできず、そうこうするうちに畑は雑草に覆われていきます。びっしり生えてる、あんなに削ってたのに。
特に重点的に駆除しているのは、数年前に畑を借りて藍を育てた時に、おそらく刈り取った藍と共にここへ持ってきてしまった数種の雑草。ここにはない種類なので、まずいなと思ってる。見つけたら即座に抜いてます。根絶したい。

では

引っ越し中・蒸し暑い

片付け作業も終盤に入ってきて、引っ越しも同時進行で始めました。そうでないと1ヶ月くらいかかりそう^^;

昨日から生地を移動させていますが、出てくる出てくる・・・。
あぁ昔こういう生地持ってたよね、使ったなぁ、というような古いものから、そうでもないものまで。そして端布の山に相変わらず押し潰されそうになる。
端布の山にはしばらく手を付けずにおこうと思います。落ち着いたら。

 

本日のびっくり!

高いところにある戸棚の中から出てきた、父が子どもの頃の通知表やら習字やら勉強ノートやら教科書みたいなものやら。
もうほんとにびっくりです。
私はこういったものを一切もう持っていません。
実家というものがそのままある人なら、そこにある可能性もあるでしょうが、私はとっくに実家消滅してて多分その時にすっぱり処分したはず。
父はまぁほんとにすごい、こういうのを取っておいたってほんとに。
しかも転居のたびに持ち運んだのだから!

山本中将って山本五十六さんかなぁ?
それにしても昔は「オリッパ」なんて言い回しをしていたんですねぇ。
父は昭和3年の生まれですから、まぁ軍国教育を骨の髄まで叩き込まれた世代ではあるわけですね。

 国民精神総動員!
って書いてある。「学校と家庭」という小冊子の赤い文字。
尋常小学校3年というと、父8~9歳頃、昭和11~12年頃でしょうか。もうすでに国民総動員だったのかー。まぁこの年(昭和11年)に2.26事件ですから。
ということは、先日発見した手記で、祖父が天保銭制度が廃止されたとして記述をやめた時期とほぼ同時期です。
不思議な符合だこと。

それにしても、捨てにくいものを・・・、いえ、おもしろかったですが。
そのまま元いた場所にお戻りいただきました。さすがにちょっと処分するには気が進まない。

代数や幾何のノートも出てきて、何やら難しげなことがたくさん書いてありました。父は数学も得意で、私も中学の頃はよく教わりました。教わったけどまったく得意にはならなかったなぁ。この点も父には似ませんでした^^;

引越し作業はたぶん明日には終わらせられると思います。もうちょっとだ。加油。

親の家片付け大作戦

何日か続けて片付けをしています。
几帳面な両親だった(母はまだ健在ですが)ので、多分、数十年ものの堆積がある古い実家の片付けに比べればずっと楽だとは思うものの、でもやっぱり自分以外の人のものって片付けるのは心理的な負担がありますね。

そんな中でも意外な発見があったりします。

1. 父の宅建免許が出てきて、え、持ってたの? と思ったこと
2. 父の会社関係のファイルの中になぜか私のお琴の免状が! 初段と中級(?)を卒業したことになってました。子どもがほんの3~4年やっただけですから、始めたらすぐに取れるのがきっと中級なんでしょうね。でもそんなのを父が保管していたなんて驚きました
3. 母方の祖父が書いたと思われる自分史のようなものを発見。ほんの数年前に書かれたものだと言われても不思議はないようなきれいな紙、筆跡。丁寧できれいな文字、明治の人らしく森鴎外かと思うような文体でした

母方の祖父の話は、ちょうどこの1週間ほどの間に、旅の友人としていたところでした。職業軍人でビルマ戦線にも関係があった(と記憶)、というようなことを、インパール作戦の白骨街道が正式に開いたことに絡んでやり取りしていました。
そこへ持ってきて、父の書棚からふらっと現れた原稿箋。最初は父が書いたのかと、でも字が違うような、それに内容も父とは思えず、では一体誰が? と何冊もあるそれを斜め読みしてようやく。祖父ではないかと。

祖父は私が生まれる前に亡くなっているので当然私の記憶にはなく、祖母も同じくなのと、母が自分以外の人間の話をまったくしない人だったために、祖父の話を聞いたことがない。かろうじて職業軍人だったと知っているだけでした。

だから私は、50代も半ばになって、初めて祖父という人に出会った、のでした。
書かれた言葉というのは、まさしくその人そのもの、生身の人間。突然目の前に現れたので驚いたし少なからず動揺しました。そこにあるはずのないものだった、ということも大きい。三女である母のもと、しかも母ではなく父が持っていたというのはどういうわけなんだろう。

祖父は陸軍幼年学校を出て(戦争遺児の貧困家庭対策のようなものだったらしい)軍人になり、大尉まで昇級した後に陸軍大学校に入り、卒業。いわゆる天保銭(組)です。そして2.26事件によってこの天保銭制度が廃された、という記述を最後に自分史はふっつりと終わっています。そこからは「幸福について」とか「子どもたちに望むこと」などの雑感がいくつか綴られているので、戦争そのものについては書くつもりがなかった、書かなかった、ということだと思われます。ですから祖父が実際にどのように戦争に関わり、どこに行き、何をしていたのかは全くわかりません。大尉になってから終戦まで10年以上あったので、少佐、中佐、と階段を登ったかもしれません、わからないけど。

生きているうちに会えたら聞いてみたかったことがたくさんあるなと思いました。そして人の一生って、こんなに短時間で、まったく不明になってしまうものなんだなぁと。語り継ぐ人がいれば違うとは思うのですが。「おじいさんはこんな人だったよ」「よくこんなことを言っていた」などという話を母から聞いていれば、私の中で祖父は生きていたのじゃないかなと思います。そうであれば「初めて出会った」などとは思わなかっただろうな。

いろいろと考えさせられた出来事でした。

 

片付け作戦はまだ続く予定。片付いたら、私の工房をそちらへ移します。

軽井沢の本日は曇りときどき晴れ、強風、でした。気温もけっこう上がっていたかと思います。明日以降も梅雨空が続きそうですね、ではまた

 

台風?

台風が発生して未明に関東あたりに接近しそして抜けていったらしい本日。
軽井沢は朝以降はほとんど降らない1日でした。
午後スマホに「大雨接近」と来たけど降りませんでした。

今日は美容院。ずっとうるさかったのでスッキリした。
ホームセンターで梱包のテープなど必要なものを買って、どっかでお昼を食べて帰ろうかと、初めて大戸屋に行ってみた。あるのは知ってたけど行くのは初めて。
タブレットで注文とか! カラオケ屋かと思った。
ご飯を普通盛りにしたらけっこう多くて食べ過ぎた^^;

 初きゅうり
もしかすると1番果は大きくしちゃいけなかったかな? うろ覚え。
収穫しました。

 だいぶ育ってきた
でも収穫まではほど遠い。今年は梅雨明けには間に合わないかも

 バラさん

 バラさん

 バラさん

 バラさん
これはアプリコット色の花が咲くので珍しい、らしいので買った苗。

 ブルーベリー
店前のブルーベリー。熟期が遅く、例年はあまり期待しないし、今ひとついい実が取れないのですが、今年は主力たちがカイガラムシの被害にあって気息奄々なのでこちらに期待してます。

 

午後、父の遺品整理。
時々やっているのですが、なかなかはかどりません。写真とかつい見てしまうしね。それにしても父は本当に几帳面な人で、写真などもちゃんと1冊ずつファイリングされていて、捨てるに忍びない。父のこういう几帳面なところを受け継げばよかったのになぁ~。どうしてこうなった。

私は整理してくれる人もいないのだから、常日頃から自分でちゃんとしておかないとなと思いつつ、頭の中と一緒でごちゃごちゃの部屋で今これを書いてます。
遺品の整理をこんな時期に思い立ったのは、少し生地をそこに収納しようかと考えたので、です。これから軽井沢といえども暑い時期が来るので、夏場はそこで仕事をしてもいいかなと。今の仕事場は屋根裏のため、暑い時はすごく暑いので。

そうそう、高いところにあって今までちゃんと見たことがなかった棚から、オリンパスのOM-1が出てきてびっくりしました。父ちゃんOM-1なんて持ってたの? 知らなかったな、忘れただけかな。往年の名機ですからね。明日ちゃんと見てみよう。

ではまた

久々に親指問題

本当に久しぶりですね、親指ファンの皆さんいかがお過ごしですか?

今使っているパソコンWindows7の挙動がおかしくなり、新たに10を購入したという話はずいぶん前に書きましたが、実はまだ入れ替えをしていません。
なぜか。
めんどくさい。

というのともうひとつ、うっかりというか何というか、キーボード用のps/2ポートのないPCを買ってしまいました。あるいはもうPS/2ポートは絶滅したのかもしれませんが。

親指偏愛マニアの私は、新しいPCでも絶対に親指キーボードを使いたい。でも古いキーボードなのでポートは当然PS/2。こいつをUSBに変換すればいいだけに思えるかもだけど、意外と相性が難しいらしく、踏み切れないでいます。
また、Win7まではネット上で「親指キーボードをつないだ」という情報を得られたのですが、今回は得られていません。さすがに絶滅してしまったのか親指シフターたちよ・・・。(親指シフターの中のRboard Pro使用者です、正しくは)

今でも一応親指シフトのキーボードは販売されているようです。このシフトを世に広めた富士通が細々と作り続けています。もう殆ど売れないんだろうけど、それでも一定数、私のような親指さんがいるのは確かだと思われます。親指でなければ日本語入力ができないくらいに熱烈な愛好家、というよりは、もはや親指と脳が直結してしまった人たち。
富士通あなたのせいよ・笑

私の親指歴は既に35年あまり。大学生の頃に新しもの好きの父親が当時まだ非常に高価だったワープロを買い、お前も使ってみろと言われて使ったのが最初。その後一時期はワープロオペレーターとしていろいろな企業に派遣で働きに行ったりしており、自分でもワープロを何台も買い、使ってきました。ライター時代ももちろん富士通OASYSですべての原稿を書いていましたね。
初めてパソコンを買った時には富士通以外選択肢には入れず、店員さんに「あ、キーボードは親指シフトで!」と堂々とのたまいまして^^; 富士通が作るワープロの進化系に親指シフトがないなんて想像だにしなかった。

今使っているRboard Proを買ったのはいつ頃だったのか。もう記憶にありませんが20年近く前かな? 最後に使っていたワープロがプロ用(企業用)で、そのキータッチにごく近く、うれしかった。その後、キートップをワープロのキーボードから外して入れ替えるという荒業もやりましたね。
そのときの記事はこちら
さらに理想的なキータッチになり、もはやこれ以外で日本語入力とか考えられない・・・。
とはいえ今、両親指ポンはできないんですけどねー(ワープロ時代の人にしかわからない親指シフト独特のキー操作)。できるように仕様を変更できるかもしれませんがそこまでは調べていない。

Windows10で今のキーボードが使えなかったらどうしたらいいんだろう。
試してみればいいのでしょうが、踏み出せないままズルズル。
最悪、現在市販されているキーボードを買うしかないのでしょうが、ベコベコしたやつに決まってる(なのに高い)かと思うと嫌だなぁ。

そういえばキーボード滴下用に買ったシリコンオイルはどこへ行った!

オチもないがではまた