BlueToothで幸せに

昨年買い換えたCDラジオ、SDカードのデータも読み込めるので便利だと思って選んだのですが、かなり不都合がありました。
CD = 普通に聴けるけど、取り替えるのがめんどくさい(今までと同じ)
SD = 聴けるけど、止めたところを記憶してくれないので毎回ファーストアルバムから聴く羽目に。途中を聴くためにはダイヤルを回すのだけど、こればっか回してたらすぐに壊れそう・・・。
結局、とても古いアルバムか、新しいアルバムか、そこからたどったとしてもせいぜい50曲とかそんなもんで我慢していました。

で、電源を入れてからCD→USB→AMラジオ、てな感じで切り替えていくのですが、そこに見慣れないB●?という文字があることに気付く。●は判読できない・・・。何だろうと調べてみるとどうやらBlueToothのことらしい。
滅多に使わないけど、前にタブレットと小さいキーボードをつないだことがあるので、きっと無線なんだろうと。

てことは、スマホとつながるんじゃ???

ていうか、何で今ごろ気付いてるんだよ???

早速、もはや使うこともなく文鎮と化していたI-POD君を引っ張り出して充電し、電源を入れてみたら見事に接続成功!
これで何の心配もせずにどんなアルバムでも聴けるようになりました。
うはははは、と不気味に笑いながら今までは奥すぎて聴けなかった「夜を往け」なぞをポチ、とやるとちゃんと流れる。幸せな気分で仕事をしています。

技術の進歩はすごい。問題は人間の側にあった。とにかく問題が解決できてよかった。

 

コカイン事件。
コカインとヘロインと覚醒剤が全部別個のものだとは知らなかった。みんな一緒くただと思ってました。
コカインはコカという植物の葉から作られるとか。植物性だからヘルシーってわけじゃないところが何とも・・・。
コカは昔、仕事でチリ側のパタゴニアに行った時、牛追いの人の家(または仕事小屋)で飲ませてもらったことがあります。単なるお茶として。その人たちは飲めば元気になると常飲しているらしかった。特に美味しいとかまずいとかの記憶はなく、草の味だったな・・・。(そして当然ですがこのお茶を飲んだからといってラリパッパになったりはしません念の為)
パタゴニアを回っているとアルパカにもよく出会いました。最初こそ「わーアルパカだ!」と車を停めてみんなで写真撮ったりするのですが、そのうちすっかり見慣れてしまい、ただの風景の一部になった。
昨年のラダック&ザンスカール行の時には、マーモットがそれとまったく同じでした^^;

どうして! 何ということを! どう責任を取るつもりなんだ!

とタレントやコメンテーター陣が姦しいのですが、んなこと本人が一番わかっていただろうし、今もそうだろう。それでも抜けられないから薬物は怖いのだし、それなのにそんなものとぶつかってしまう人の運命みたいなものもあるんじゃないかな。そんな気がする。
そしてこういう人にこそ、いつかまた表舞台に戻ってきてほしいなと思う。99.9999%、それ以上の確率で、普通の人は知らない闇の底を、見たであろうから。それがどんなものであったかを見せてもらうことはできないけど、こんな風に地獄を見た人には、その人にしか出来ないことがあるはずだと思う。

さて、花粉の飛散はまだ始まったばかりでこれからどんどん酷くなっていくというのに、だるくて眠い。春眠暁を覚えず。ひたすら惰眠を貪ってしまう今日この頃です。花粉のない場所に行きたい、この時期は。
ではまた

 

 

花粉来る、読書とかいろいろ

日曜日にうっかり林の方にノーガードで散歩に行って、モロに今年の花粉症が始まりました。徐々に来ているのはわかっていましたが、トリガーがそこだったという感じ。単に飛散量がどかっと増えたのかもだけど。
もう本当に、毎年同じことを思うけど、何とかしてほしい。国策で花粉の出ない杉に植え替えるとか、杉は伐採しちゃって別のもの、災害に強い広葉樹に植え替えるとか、できるんじゃないのと思うのですが・・・。くだらんことに使う予算があるのならここへ回してくれー!

 

   『アグルーカの行方』 角幡唯介

先日の『極夜行』に続いて同じ作家の本を読みました。時系列としてはこちらのほうが先に行われた旅です。
19世紀初頭に行われた北極探検(というかここを通過する航路を探していた)の中で、隊長以下129名が全員死亡するという悲劇が起きた。どこでどのように人びとが死んでいったのか解明されていないのだけれども、その当時後続の探検隊がイヌイットから聞き取った証言の中に、アグルーカ(大股で歩く人の意)が生きて国へ帰ったはず、というものがあったそうだ。アグルーカとは誰で、その者は遭難地点からどの方向へ向かい、どこでどうなったのか。その足跡を追いかけようとした探検行の話。
単独行ではなく相棒がいたせいもあり、こちらのほうが読みやすかった。
☆5 文句なしにおもしろい

そうそう大事なこと一つ。
私に会いに来た早稲田の学生さんはこの人じゃなかった、ということがハッキリしました。この本の中にありました。学生の時に成都に行ったのはチベット西部カイラス山狙いではなく、ツァンポー(ヤル・ツァンポー、チベット東部を源とする大河)探検のためだったそうです。よかった、なんだかほっとした。
というのは、私はこの作家をすごくいいと思っていて、というかこんなに面白いノンフィクションの書き手で自身も旅をしている人間は初めてだなと思っているんだけど、その人間に対していくら遠い昔の話とはいえ、「けっ! くっだらねぇ!」とか思ったなんてちょっと、やだなと思ってましたの。よかった。

今日は午後歯医者、その後荷物の発送と買い物。花粉が飛んでいるのでいずれも行動はささっと素早く、ぐずぐずせずに車に乗って帰る、的な。春が来るのはいいのですが、花粉は憂鬱だなー。

馬齢をひとつ重ねました。ではまた

暖かい

今日は晴れて気温も上がり、暖かい1日になりました。
窓を開けて掃除。冬の間はできないことの一つです。布の山に侵食されつつある自分の仕事場も少しだけ片付けました。
最高気温は10℃ちょっとかな? このくらい上がると洗濯物も外に干せるし、今日は久しぶりに布団も干せました。
でも花粉が忍び寄って来ているので・・・。ここから先は花粉対策で布団は外に干せなくなるなー。

 

 『雲上雲下』 朝井まかて
小説のカテゴリーとしてはファンタジーになるのか。昔話をモチーフにした不思議でおもしろい世界がぐいぐい広がっていく小説でした。
語り手が草で、聞き手が子狐、そこに絡んでくるのが山姥。というあたりでもう、うふふって感じだ。いろんな日本の昔話が出てくる。タニシに嫁入りする話、笠地蔵、龍の子太郎・・・。
とても楽しい良作だと思うが、最後の方でかなり教条っぽくなるというか、現代社会への警鐘的側面が強くなり、こんな風にまとめて落としてくれなくてもちりぢりばらばらのお話のままで一向にかまわんのですが、と思った。
☆4.2 猫寺の話に不覚にも落涙

では

 

今夜も雪?

これから明日の朝まで雪の予報。
また積もるのかな・・・。

 花の影 中国映画1996年公開

チェン・カイコーの20年以上前の映画です。録画してあったのを観ました。
主演がレスリー・チャンと、コン・リー。
1920年頃の中国上海が主な舞台で、王道の悲恋ものでした。
レスリー・チャンはこの約7年後に自殺しています。コン・リーは押しも押されぬ大女優になりました。第一次中国映画全盛期の作品によく顔を出しており、日本で言えば吉永小百合とかそんな感じかも?

コン・リーといえば、何と言っても芙蓉鎮、と今回もまた間違えました。
芙蓉鎮は、リュウシャオチン。ほんと何でコン・リーだと思い込んだのか、そしてその間違った記憶がなぜ抜けないのか!

 芙蓉鎮 1986年中国映画
これを観たのは岩波ホール、大学1年だったか2年だったか、どちらか。
何しろ中国が共産党バンザイ以外の映画を作り始めたばかりの頃で(だと思うんですけどね)、そして初めて文革に向き合った作品として大きく取り上げられました。文革は今でも触らないほうがいい題材ですよね、あまり見ないし聞かない。
なんとしても生き抜くという、たしか「豚になっても生き抜け」という名台詞があったと思いますが、中国人の強さしたたかさが強烈に迫ってくる映画でした。
朝外を見て皆が黄色い帽子を被っていたら自分もそうする、皆が赤い帽子を被っていたら自分もそうする、それが中国人だと昔聞いたことがあります。だから文革の時に起きたような悲惨なことが比較的簡単に起きてしまうのだと、この映画を観ても思います。
日本人はそうではない、とも思いませんが。もちろん。
機会があったらもう一度観たいんだけど、なかなか出合いませんね・・・。

因みにこのリュウシャオチンのほうは巨額脱税容疑で捕まった経歴あり。今は復活しているようですが、ファン・ビンビンみたいですね^^;
ファン・ビンビンはどうなったのか。あの最後に撮ったらしいたしか軍が関係する映画はどうなったのか。

この芙蓉鎮、撮影されたのは湖南省の「王村」という実在する村。1993年頃にこの場所を台湾の友人に教えてもらい、行こうとして行けなかった。ある程度の推測はできていましたが、村の名前までは私にはわからなかったな。
2000年代に入ってから、そうだ行ってみようかと調べてみると、既に旅行ブームが始まっていた中国でここはすっかり観光地となり、行っても楽しくなさそうだったのでやめました。あの時行っておけばよかったな~とどれほど後悔したことか。たしか2度、チャンスはあった。1993年(多分)と、1996年。特に96年のときはごく近くまで行っている、というかモロにここを通過したはずですが、長旅の後で疲れ果てており、列車を降りて行く踏ん切りがつかなかった。
ほんと今でも後悔してます。石畳の続く美しく静かな村を歩き、米豆腐なるものを食してみたかったです。米豆腐そのものは、中国のあちこちで似たようなものを食べたことがありますが、なんせ芙蓉鎮の米豆腐は映画の主人公の家業であり、めっぽう美味いと評判だったのですから。

あ、冷蔵庫に杏仁豆腐があるんだった。ではまた

 

 今朝の雪

昨日降った雨が夜には雪に変わり、今朝は7~8cmに積もっていました。これくらいだとさすがに除雪車は来ないです。実際気温も高くなり、日が当たる場所はほとんど溶けました。

昨日は定期検診で医療センターへ。とりあえず今回はクリア。次回の定期検診が半年早まって、少し早めにチェックしましょうということになりました。
いや~な検査なのでそれは嫌ですが、こうしてチェックしてもらっておけば安心です。
まぁ、そうやっている間にぜんぜん別の場所で・・・、なんてこともごく普通にあるのでしょうけれどね。

今日は確定申告を提出しに行き、久しぶりに軽井沢のアウトレットに行って買い物。なぜか買おうと思っていたものとは違うものを買っている、買い物あるあるですな。

 『口笛の上手な白雪姫』  小川洋子

この世とも別の世ともつかぬ場所で、ひっそりと生きている何ものかを切り取ってそっと手のひらにのせて差し出してくれているかのような短編集。
この孤独、寂寥。
小川洋子ワールド。この人にしか書けない世界。
☆4.5 しみじみと、読むことを楽しむ

明日はまた雨になる予報、夜は雪かな

極夜行~勝負をかける旅

 『極夜行』 角幡唯介

4ヶ月も太陽が昇らずその間真の闇に包まれるという北極圏を旅したノンフィクション。著者の本はこれで3作目だと思うが、期待を裏切らない探検家であり、そしてその体験をここまでの文章に昇華できるすごい物書きだと思った。単独で、犬1匹だけを連れて、闇の中を歩き続ける旅。平らな地面の上ではなく、平らな氷の上でもなく、ゴツゴツと障害物だらけの場所を橇を引いて行く。デポした食料はシロクマに食われ、最後の最後には犬を食うしかないと覚悟を決める壮絶な日々。この旅の理由を新たに生まれる、生まれ直す、というところに落とすあたりはさすがだった。
☆5 読んでみて。

本作の中で触れられていたのだが、大学生の時にこの人は成都に行ったことがあるらしい。おそらく1995年前後の話だろうと思う。その頃に早稲田の探検部が成都に行くということは、十中八九チベット狙いではないかと思う。
そこまで考えてふと、もしかして私はこの人に会ったことがあるかもしれないと思いついた。
あれは1994年を挟む前後数年のことだ。早大探検部の学生3人がチベットの話を聞かせてほしいと言ってきた。最初は断った。私以外に適する人間がいると思ったし、その頃既にパニックを患っていて知らない人間には会いたくなかった。
でもどうしてもと言われて嫌々会った。有意義な話なんかできなかったと思う。探検が終わったら報告書を送ると言われたが、送られて来ただろうか? 記憶にはまったくない。

そもそも私はこの手の連中が嫌いだった。身も蓋もないけれども。
何をいい若い衆が3人も雁首並べて人の話なぞ訊いているのかと。
おなごが一人で旅した場所に自分らは3人で行くのだろう、何をびびっているのかと、とっとと行けやと。行けばわかるだろうと。行く前にわかってどうすると。状況は刻々と変わるし私が会った人間に彼らが会うわけもない、彼らが会う人間に私が会っているわけもない、訊いたってしょうがないじゃないか。
もちろん理解はしている。彼らにとって私に会うのは部の決まりごとでクリアすべきハードルの一つ。あの人にも会った、この人にも会った、準備万端、ということだ。そして計画書を作り、OBが関わっている企業を回って金と資材を集めて出発していく。

けっ、くっだらねぇ!!!!!
くっそおもしろくもねぇ!!!!!

自分が遊びに行くのに、よくもまぁ他人様のところに金だのモノだのくれろくれろと言いに行けるなと思う。金は稼ぐもんだ貯めるもんだ、バイトをいくつも掛け持ちして死に物狂いで貯めた金でやる旅じゃなければそこに意味なんかついてこない。他人の金を入れたら旅は死ぬ。
尤も時代はどんどん進み、今ではインターネットを使って募金を集めることが当たり前に行われているらしい。昔はそれでも、誰かのところに行って頭を下げた、恥をかいた(植村直己がそれが出来なくて苦労したのは有名な話だ、しかし植村直己の時代は1ドル360円、この頃個人の資金だけで遠征しろというのはまこと無理な話であり、私はそれすら否定しているわけではない)だろうが、今ではそれもなしに人は他人様の金を当てにしているらしい。
なんということだろうね・・・。

話が逸れた。
そう、会ったことがあるかもしれないな。少なくとも私が会った探検部の面々は、この人の知己ではあるだろうと思う。
だからどうしたという話ではない。そういうことがあった、というだけの話。
で、探検部とかそういう人たちには後に何人も会ったことがあり、誰も彼も気持ちのいい人だったので、今はまったく偏見を持っていないので念の為。

あとがきで、「人には勝負をかけた旅をしなければならない時がある」というようなことが語られていて、うんうんと頷きながら読んだのだが、よく考えてみると、勝負をかける旅をする、などということは一般の人、99.9999%の人にはないのではないかと気付いてふとおもしろかった。
うんうんと頷いたのは、私にも勝負をかけた旅があったからだ。探検部が話を聞きに来た旅だ。地図すらないに等しかったネパールの西端からヒマラヤを越えてチベットに入り聖地カイラス山を巡った旅である。密出国密入国禁足裁判罰金刑ビザなし移動と、色々あった旅だった。彼の極夜行とはあまりにもスケールが違うが、私も私なりにこの旅には勝負をかけたし命もかけた。綿密に計画を立て(実際にはそんなものは何の役にも立たなかった)、現地の情報も出来る限り集めようとし(集まるわけがなかった)、伝手をたどって特殊なビザを取ろうとし(結局取れずにどツボにハマった)、装備道具類を吟味して買い揃えて(これは普通にうまくいった)旅に臨んだ。
何とか無事に拘束されることなく(中華人民共和国を、ビザなしで数週間旅したわけなので出国地点で拘束されるのが普通だろう)香港に抜けて旅を終えた時、自分は今後これを超える旅をすることは決してないだろうと思った、そのとおりになった。幾度か試みたことはあるが、まったくダメだった。
いま自分はあの頃の旅や自分をなつかしく思い出す。新たな旅をしかけようという気持ちはもう殆どない。旅はできる、それはわかっているが、命さえ失うかもしれないがどうしてもやりたい行きたいそれによって自分は人生を変えてみせると思うような旅は、もう二度としないしできないのだ。

そんなことをつらつらと考えた。
著者もこれを超える旅をすることは難しいと書いている。冒険も探検も、もはややりつくされてしまい、新たな「極地」を探すことは難しいだろうと思う。それでもこの人には旅をしてほしいし書いてほしいものだ。

※著者はスポンサードを受けずにこの旅をしている。私は基本的に他人の金を入れた旅は旅として評価しない。仕事としては普通に評価するけれども。私は既に古い人間であり、カチカチの石頭なのだ。

布の迷宮

お客さんから問い合わせがあり、急遽探したカディの生地。
これが見つからない・・・・・・。
今は店は閉めているから、生地も全部自宅に来ているのだけど、倉庫にしている部屋に衣装ケースでびっちり積まれていて、とても一人では探せずに夫にレスキューしてもらった、それでも見つからない。
散々探して、結局、作業場の土布を立ててしまっているダンボールの中に、混じって立っているのを発見しました。

店に品出しをする時期が来たら、今年はとにかくこの倉庫を片付けて、生地をもう少しわかりやすく保管できるようにしようと決意しました。
生地もある程度は店に出していたけれど、今年はどうするか、出さずにこちらに保管しておくかもしれません。そのほうがネズミくんの害からは守れるので。

 それなのに増やす!

先日日暮里で買ってきた生地、全部で22mのやつです。もっと買った気がしていたけど、こんなもんかな???
白生地が10mと多めで、しかも割と目が詰まっているキャンバスだったので重かった。ほか写っている無地はバイアステープ用に買ってみた木綿です。
基本的に服を作る時には、その同じ生地でバイアスも取るのですが、私が使用するアジアの生地にはバイアスに向かないもの、厚かったりもろかったりするものもあるので、そういう場合には別生地で作って使います。薄手で肌触りのよさそうな生地を選びました。

柄の生地は衝動買い!
販売するものは作らないけど、何作ろうかな~?

日暮里の生地屋さんはどこも魅力的で、私も見て歩けば欲しいものばかりです。あれも欲しいこれも欲しい、これはスプリングコート作ったらよさそう、こっちの無地は何色か合わせてかばんにしたらかわいいだろうな~、あーこれはパンツにぴったりじゃないの、などなど、妄想は尽きません。
しかしわが家には既に布の迷宮もしくは密林が。布好き主婦たちが押入れに溜め込んでいるであろう生地の数十倍もしくはそれ以上の規模で。

バイアス! バイアスにする生地を探しに来たんだぞ!

と、何度も自分に言い聞かせ、この程度に収めてみました。
最後に小鳥だけは許した・笑

確定申告もようやく、最後にもう一度「最初からやり直し」になっちゃったけどとにかく書類作成が終わりました。来週出しに行きます。
ではまた~

リルトーキョー! 鳴り止まないよ・・・♪

雨ふりに傘をさす

2月27日は夜会の最終日。自分が当選したチケットで観た今回最初、で、最後になりました。

楽しい「夜会」。
初体験。
終盤の歌って踊っての舞台にはワクワクする。
ミラーボールなんかもキラキラしちゃって、盛り上がることこの上なし。

解き放て! 解き放て!
と、最後に2度歌われる「放生」だけれども。
みゆきさんが解き放たれちゃった感じがした(笑)

そして私自身も、ひとつ長い間拘泥してきたことから解き放たれようと決めました。いや決めたのはもうちょっと前で少しずつ準備して今もまだ途上ではありますが、少なくとも拘泥すること、そのような状態からは脱しようと決めて、そちらに進んでいます。
だからこの歌を聴きながら、「うんまぁこれでいいんだ」と思ったことでございました。

終演後にまた知り合いの方たちと一杯。
ジンギスカンでした。
わたしジンギスカンって生まれて初めてでして、前回は生まれて初めて「牛タン」なるものを食したのですが、なんだか初めて尽くしだったな。
「羊肉=ヤンルー」ならね、中国の特にムスリム圏では食べているのですが。
そういえばジンギスカンというディスコダンスがありましたっけね・・・。

赤坂で泊まって、またまた日暮里へ。今回も白生地中心に、バイアステープ用の無地なども合わせて22mほど購入。前回も同じメーターだったので、このくらいの量が私の許容量なのかと思います。これ以上持とうと思えば持てるけど、歩いて駅戻って電車乗って乗り換えて、となるとこんなもんだと。
雨だから空いているだろうと思ったらどっこい混んでて驚いた。生地を全部デカ目のディパックに押し込んで担いで駅まで。

それから友人宅に寄っておしゃべり。
巷にあふれる間違った日本語について話が弾む。
間違っているとは言い切れないものの違和感のある言葉についても。
「人々に夢や勇気を与えたい」← オマエ何様だよ!
「・・・うれしく思います」← 皇族か!
「勇気をもらいました!」← 違う違うそれはもらうもんと違う
・・・、というようなことです。
あんまりそういうのが氾濫しているので、もしや自分のほうが? と思うこともあったりするけど、大丈夫やっぱりおかしいのはあっち、と確認できてよかった・笑

歩き回った木曜日はいちにち雨で、傘をさしてあちこちうろうろしました。電車に乗るにも折りたたみの傘をたたんでコンビニの袋に入れたりして、ただでさえ荷物が多いのにまた荷物が増え・・・。ふだん雨の日はよほど用事がなければ外に出ないし、出たとしても車なので傘をさして歩くということが皆無に近い。なんとも新鮮な、ああそうそう雨の日ってこういうものだったよねと思えた1日でした。

浅草今半のすき焼き重弁当をお土産に買ってきたのはいいけれど、昨夜は私、今日は夫がお腹を壊し、ほんとに高価なものを食うとテキメンにこれだ! やっぱ私たちにはすき家の牛丼がお似合いだわ!
というところでではまた。

シルバータイム

ちょっと間が空いてしまった美容院に行ってきた。
ずっと通っていたところは早くて安いのはまぁまぁだがとにかく下手な人が多く、下手なだけでなく雑さが目立ってきたので昔通っていた方に数年ぶりに行ってみた。
午前11時頃に着いたかと思うのだが待っている人多数で、少なくとも30分は待つと言われたが、出直すのもめんどうなので待つことに。
待った・・・。
1時間半近く待ってようやくシャンプー台にたどり着く。
案内してくれた人がもはや懇願調で「機械でもよろしいでしょうか???」と訊いてきたので、「いいですよ」と素直に洗車マシーン(笑)に。
ある時期までパニック障害があり、閉所というよりは「ゆるやかな拘束」が発作の引き金になっていたため、この機械は大嫌いというよりも忌避すべきもので、実際忌避していた。それが嫌でここはやめたんだったと思いだした。また、このような場所で待つという行為そのものが引き金になるので、ほとんど待たない空いている(下手な)ところに行っていたのだった。
今現在パニックはどうなったのかというと、鈍感力が増したせいか既にほぼ克服したと思う。20年ほど付き合ってしまったが、ようやくおさらばできたと思う。今日はその確認も兼ねての洗車マシーン。ちょっと汗はかいたけど(まぁ気持ちのいいものではないからね)、恐怖などはなく、成長した(退化したともいう)自分を実感した。

それからカット台に座ってまた待ち、ようやくカット。
「久しぶりに来たらすごく混んでてびっくりした!」
「あ~、そうなんですよ~、特に午後1時からはもう・・・」
そう、待っている間から気付いていた。老人が来ては「受付は1時からです」と言われ、整理券のようなものを渡されて待っている。
はて、受付は1時からとはどういうことか? ここは病院なのか?
と不思議に思ったのだが、午後1時からはシルバータイムとやらで、65歳以上は激安になるらしい。1時からでも早く来て順番を取りたいのは人の常。そんなわけで12時過ぎからはどんどん老人が溜まっていったというわけだ。
「午後は混むので避けたほうが・・・」
「あぁ、じゃぁ思い切って夕方のほうがいいのかな?」
「夕方はパートさんが帰ってしまうので・・・」
「じゃ、朝?」
「朝もすごく混みます、11時から30分くらいが一番・・・」
「今日私その頃に来たんだけどな・・・」
とにかく、混んでいる、のだった。
人手不足、なのだった。
相変わらずデフレは続いている、のだった。

待ち疲れした。

懸案の確定申告もほぼできたと思う。あと最終確認をして、来週には出してしまいたい。それが終わると一段落になるので、3月にも入ることだし、またせっせと縫製しよう。

北の首領がベトナム到着。出迎えるベトナムピープルたちの無邪気なこと。こいつのせいであなたの国のかわいそうな女性が一人、人を殺させられた挙げ句に自分も死刑になろうとしているのにな・・・。有名人が大好きでスマホで撮りたい病は世界共通なんだな。

では

 

雪がない

あいかわらず雪が降らず、畑の雪もどんどん消えて行っているわが家です。建物の影などには残っていますが、道路もほぼ無雪状態。

このまま春が来てくれればよいのですが・・・。

雪がなくてもひまわりの種を出しておけば鳥もりすも大喜びで来ています。冬の楽しみですね。

この週末は確定申告の作業。
一気に整理して書類を作って終わらせるつもりでしたが、手こずってます。
去年は久々に2度も仕入れに出かけたのでその計上やら。
数字に埋もれそう、EXCELのありがたさを再認識しています。

何とか書類作成だけでも早く終わらせたい。

 

ドナルド・キーンさんが亡くなられましたね。
震災後日本に来られ、国籍も取られたと記憶しています。
日本文学を愛し、研究されたキーンさん。
私は国文学科を出てはいるものの、自分の興味のある時代のものしか勉強しなかったので、古い時代のことはよくわかっていません。
幅広い時代の文学を研究された方だと思います。源氏物語が出発点だったらしいし。この『百代の過客』(読売文学賞、日本文学大賞)は読んでみたいな。

ではまた