手術から1か月が経過しました。あっという間でした。もうそんなに経ったのかと思います。
以下傷の状態の話など、要注意
傷口はもちろんすっかりふさがり、心配はなし。とはいえ痒みは傷口とその周辺にかなりある。神経痛のような痛みは胸の上部から脇、腕にかけて。いちばん強いのは胸の上部、そのため衣服が擦れるとたまらん。
つっぱり感も続いている。少しずつ減ってはいる。
時々ズキーンという痛みが傷に来る。
脇の傷はいわゆる「縫った!」傷だが、胸の傷はV字谷のような感じ、地震の時の大陸間プレートが、の図のように窪みがすーっと走っている感じだ。これでいいのかどうかはわからないが、多分どーしようもない(^^;
傷は昨日からアトファインという絆創膏と、シリコンゲルみたいなやつを貼りつけるタイプのものにしてみた。両方ともアマゾンで。
肩の可動域はあるところまで戻ったらその先に行かない状態。まったく同じになるにはまだ時間が必要らしい(まったく、は無理なのかもね)。
味覚障害はかなり戻ったが、右側の「ぜんぶ泥を噛んでいる」のはまだ続く。
痛い痒いピリピリするつっぱる、こういうのはあるけれど、かなり普通の生活に戻れているのを実感しています。今日は畑で少し耕してみました。最初は痛いけど慣れる! 畳2枚分くらいだけどしっかり耕せたのでよかった。
昨日ミシンを数時間動かしたせいで、夜寝てからごく軽い眩暈が来ました。久しぶりに度の強い眼鏡をかけて、手元を凝視したせいだと思います。やめてみた薬のせいも多少はあるかもしれませんが、焦らずにいこうと思います。
**
入院していた4人部屋はナースステーションから最も遠い部屋でした。病棟はステーションを真ん中に左右にウイングのように広がっており、中央にはラウンジのような、お茶を飲んだり座ったりできる場所がありました。そういうところを手術前は好奇心やら何やらでうろうろし、ひたすら廊下を歩き。手術後はちょっと弱弱しくなりながらもやはり暇なのでうろうろしてました。
作務衣姿の60代後半くらいの男性とよく顔を合わせました。何の病気かな、ラウンジでは趣味の工作のようなことをされていました。
ある日私がお茶を飲みに行くと、退院されるらしい私服姿の男性がいて、私を見るとニコニコして「やっと退院できますわ! 長かったですわ!」と。作務衣の男性だったのでした。服が違うとわからない……。私は「おめでとうございます!」と言葉を返し、その方は足取りも軽く(ほんとに軽いの)退院して行かれました。
タイトルの歌詞です。病院童、というあの方の歌ですが、私の中では不思議歌の分類に入っていて、特に琴線に響くようなことは何もありませんでした。あの方の博愛ぶりには頭が下がるけどそれだけでした。
それが入院してみると、「あぁ、うー」と、わかる。
まさか自分が。
まさかこんな病気に。
病棟にいる制服を着ていない人は全員、そう思いつつ生きている病人です。
まさかすぎる人生が 行ったり来たりする、という歌詞そのままに、少し元気のある病人は廊下をひたすらあっちへ歩き、引き返し、している。
病気になんかならないほうがいいに決まっている。癌から逃げきれる一生のほうがいいに決まっています。
でも、逃れられなかったのだからせめて、今まで知らなかった世界を垣間見た、くらいのお土産はあってもいいかな。
因みに私のベッドは廊下側でした。窓側だと開放感も明るさもあるけど、今はコロナのせいもあるのかベッドを囲むカーテンを完全に引いているので、廊下側はひたすら閉塞感ばかり。故に廊下側ベッドの人のほうが、廊下うろうろ率は高いような気がしました。
廊下側になるか窓側になるかは二分の一の確率。乳がんは九分の一。二分の一を当てられないのに、なんで九分の一は当てちゃうのか、と、しみじみ思ったりして(^^;
昨日、工房で久しぶりに音楽再生装置のスイッチを入れたら、アルバム「親愛なる者へ」がスタートしました。前回ここで終わっていたらしい。これには大好きな「小石のように」が入っていますな。サビが高音でめげるから歌いづらいけど。
おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い
ではまた