雨が続いて気温も低い軽井沢。昨日の最高気温は12℃くらいで、夕方に薪ストーブを焚いた。今朝もお向かいの煙突からは煙が出ている。私も今、電気ストーブをつけてPCをいじっているところ。
このところブログの更新もぽつりぽつりで、仕事もあまりしていない様子に何か変と思っていた方もあるかもしれません。いつもなら、どっかに行っていました、となるのだけど今回は違いまして。
乳がんの告知を受けました。これからしばらく、お付き合いをしなきゃなりません。手で書く日記を断念して長いので、ここで自分のためにも経緯を記録していこうと思います。苦手な方はご自身で判断してくださいね。
告知まで
4/25 年1度ずつ受けているマンモとエコーを受ける。実は前年に「来年で卒業できるかもしれませんね」と言われていたので、自分では卒業する気満々で行っていた。検査後のドクターの歯切れが悪く嫌な予感。一昨年新たに見つかり、昨年は確認できなかったものが、今年再発見で少し大きくなっている。たぶん10ミリくらい。周辺に石灰化が見られるので、精密検査をすすめられた。
5/25 エコー下マンモトームという精密検査を受ける。この日まで1か月あってここがきつかった。わずかに切開するけれども縫合が必要なものではなく、日帰りの検査。麻酔を打った次の瞬間にはもう検査のためのかなり太い針が入ったので驚いた。麻酔って一瞬で効くんですか? 痛かったら麻酔の追加もできますよ、と看護師さんには事前に言われていたけど、そんなのどのタイミングで? いつならできるの? と思っている間にバチャンバチャンと音がして激痛、その時に多分組織を切り取っていたのだと思う。術中ずっと手を握る係の看護師さんがいた。
検査後の状態はかなりいい方だったと思う。痛みや内出血もそんなに酷くなかった。
6/13 検査の結果を聞きに行った。受付で自分の番号が印字された紙をもらうのだが、1件の予約のはずが2件入っており、その時点で「あー、癌だったんだな」とわかった。いつものドクターから説明を聞く。3つの組織を切り取り、3つとも癌細胞が見つかった、とのこと。乳がんには「顔つき」のような種類があり、その中ではグレード1という、最もやさしい顔のものではないか、という検査結果だということだった。
そのまま1時間ほど待って治療担当のドクターに会い、これから行っていく治療について説明を受ける。全摘と部分摘、どちらにしますかと訊かれたので、「幸い早期に見つけているようなので部分摘で」と答えておく。ドクターも「うん、それでいいでしょう」と。部分摘にすると、手術後の放射線がセットだと考えてくれと言われた。週5回を5週間、25回の照射をする、ということだ。この通院が難しいなどの理由で全摘を選ぶ場合もあるらしい(もちろんこの理由以外で全摘すべきケースも多いと思う)が、私は自営業だから通えますということで。
そこから入退院サポートセンターなる場所に案内され、外来とは切り離される。この瞬間から私は入院が決まっている患者、外来患者ではない、ということになるみたいだ。
血液検査、尿検査、身長体重(体重減ってて驚いた)、血圧、心電図、肺のレントゲンをこの日やった。
薬剤師との面談、今のんでいる薬の確認。今のんでいるのは、アシノン(胃薬)とレクサプロ(疼痛治療剤)、それとバセドシキフェン(骨系)だが、骨系の薬はたぶん血液に何か作用があるらしくて、看護師から止められたので以後のんでない。
看護師から今後の検査のスケジュールと入院説明。入院までに4回の通院が必要で、その度に検査や担当医師との面談(家族同席)、麻酔担当医師との面談などがスケジューリングされている。
告知後のこと
町役場に電話して、限度額認定証というものについて相談。14日に出かけて書類を記入、すぐに発行された。
以前はいったん自分が支払って、後から還付される「高額療養費制度」だったのが、今は退院などの時点で引いてもらえるとのこと。自分の住民税の枠で限度額が決まる。自営の場合。
入院保険の確認。女性疾病特約に当てはまることを確認。手術と入院に対して保険が使えそうだ。それから放射線治療に関しても、50グレイを越える場合は手術として扱われると教えてもらう。
書類を郵送してくれる。診断書は必要なく、退院時に出る診療明細書のコピーを添付。
ざっとこんな感じ。
初めて町の健診で引っ掛かってからもう12年は経っている。ずっと年1で検査、一度離れてまた引っかかって戻り、一時は半年で検査ということも。いつかはこうなるとどこかで思っていた部分もあって、そんなに落ち込んではいない。きちんと治療が進んでいくことを願うばかり。自分でもできることはしていこうと思う。妹みたいに仲良くしている子から「パン禁止令」が出たのでご飯だけ食べている・笑
癌の告知は受けたけど元気です。ではまた