ふと気づいたら、登頂からちょうど2ヶ月が過ぎていました。
8月3日に麓の村をスタートし、5日の深夜から登り始め、6日早朝に登頂しました。月日が経つのは早い・・・。
(ここから登頂記)
レーを出発してから3日が過ぎた。
初日 レー~ストック村~モンカルモ(テント泊)
2日目 モンカルモ~ベースキャンプ(テント泊)
3日目 ベースキャンプ周辺で体慣らしなど
3日目の夕食後に仮眠に入り、夜10時50分のアラームで起きる。出発は11時半なので急がず慌てず、寝袋を出て身支度をする。
上は登山用のアンダーシャツ(ハイネック)+ フリースパーカー + ウルトラライトダウン + アウタージャケット(雨具兼用)
下は登山用の厚手のタイツ(歩行を助ける類のものではない) + 登山用ズボン + オーバーズボン(非ゴア)
それにフリースの耳まで隠れる帽子、ウールの手袋
ヘッドランプ
靴はごくごく普通のトレッキングシューズ(非ゴア)、靴下は登山用のウール、しかし1枚しか履けず一抹の不安
背負うのは自作のULザック。
水、行動食(チョコバーなど)、カメラ(コンデジ)、予備の電池、サングラス、オーバーグローブ くらいを持った
既に登っている2つのパーティーが確認できる。ガイドたちと合流し、装備の最終確認。時間は11時半を数分回ったところだ。
ガイドの合図で出発。
気負いもないし緊張もない。ただ淡々と歩いていくだけだ。
暗闇の中をひたすら進む
空には満天とはいかないまでもおびただしい数の星が瞬いている。ヘッドランプの明かりのみを頼りに、ベースキャンプに着いた日に歩いた第一関門、尾根上の峠へ向けて登っていく。先頭をサントッシュ、次が私、夫、最後をポーター。ベースキャンプから見えていた先行パーティーの明かりは、いつの間にかわからなくなっていた。あるいは私が上なんか見上げなかったのかもしれない。
何度かの休憩を入れながら標高を上げていく。
出発から20分ほど経った頃か、サントッシュに促されて振り返ると、たくさんのライトが一団となって登り始めていた。おそらく韓国からの登山隊だろう。
幅30センチあるかないかの道を、とにかく登る。
不意にライトで照らされて驚いて顔を上げると、2人の登山者が道から少し逸れたところで休憩しており、我々はそれを抜く形になった。そこからわずかの登りで、尾根上の峠に着いた。ここには7~8人の人たちが固まっていて、ここからは前後しながら進んで行くことになった。
なんとなく記憶している地形のとおりに道は続く。標高が上がったせいか出発時よりも気温が下がっているように思える。今のところ寒くはない。
ABC到着、時刻は午前1時ほぼジャスト。
「いいペースだ、問題ない」とサントッシュ。ABCからは氷河のすぐ脇にあたる大きな石がゴロゴロしている河原のようなところを進んでいく。道がない場所もある。やがて氷河に到着。
ここでアイゼンを装着する。対岸までかなりの距離があり、その間には少なくとも2本の大きなクレバスがあると聞いていた。ザイルは結ばず、サントッシュに遅れないように氷河の上を歩いていく。ガイドとポーター2人で手分けしてクレバスを渡れそうなルートを探す。ようやく幅が狭まっているところが見つかり、まずガイド、次に私、夫、ポーター、と順に飛んで渡る。サントッシュが目一杯向こう側から差し出している手を、飛びながらつかんで向こうに引っ張ってもらう感じで2度クレバスを越えた。
さらに氷の上を歩いて行き、ようやく足元が石のところに到着。氷河を渡った。アイゼンを外し、適当な場所にデポする。
ほかにライトの明かりは見えず、暗闇の中ですこし休憩。特に寒さは感じない。風もほとんどない。
地獄のような上り坂が待っている
誰に訊いても、氷河を渡ったところからの登りは地獄のような角度と距離だ、と言っていた。いよいよそれが始まる。靴紐を確認し、その登りにかかる。まずABCあたりから見えていた手前の尾根を越えるのだと思う。この登りにかかったあたりから、急に先行するパーティーの明かりがあちこちに見え始めた。遮っていた斜面を回り込んだのかもしれない。あるいは氷河を渡るところでみんなバラバラになり、我々が意外に早く渡ったので追いついた部分もあるのかも。わからないが。
いきなり始まるかなりの急斜面。大きな岩が行く手をふさぎ、両手も使いながら遮二無に登っていく。その急斜面を過ぎると、斜度は多少緩やかになり、細かく折れながら延々と細い踏み跡が続いている所になる。
時々他のパーティー(殆どは最初に出会った7~8人のグループ)と出会う。抜いたり抜かれたりする。誰もほとんど口を聞かず、黙々と登っていく。
何しろ暗闇で稜線も見えないため、いったいどこまで続くのかわからない登りを延々と進むのは辛い。少し登っては止まって呼吸を整え、また進む。サントッシュが辛抱強くこちらのペースに合わせてくれるのがありがたい。
氷河を渡ったあたりから何となく怪しかったポーターが、遅れ始めてそのうちどこにいるのかわからなくなった。サントッシュは待たずに進んで行く。
何度か雪渓にも出くわした。カチカチに凍りついた上のトラバースは正直アイゼンが欲しいレベルだったが、ガイドが常に下部に入ってくれて、何とか渡る。氷、岩と砂礫、また氷、再び岩・・・。繰り返す。
登るにつれてどんどん呼吸が苦しくなる。一度に歩ける歩数が減っていく。立ち止まっては休み、また進む。早く夜が明けないかと、そればかり考える。自分がどこにいるのか確認したい。
サントッシュのヘッドランプが切れてしまった。しばらくは明かりなしで、その後はスマホのライトで足元を照らしながら進む。
「見て、あんな所に人がいる、迷ったんだ」
言われて見上げれば、はるか左斜め上にライトがいくつか光っている。そしてそこととんでもなく離れた右斜め上にもライトが見える。どうやら右のライトが正解らしい。登りの前半では何となく道がわかったが、途中からはどれが道なのか、まったくわからないところをひたすら登ってきた。たまに足元に飴の紙などが落ちていて、少なくとも誰かが通ったことのある所だと安心したりしていた。
いったいどこまで続くのか、さらに登り続けていると、少しずつ東の空が白み始めてきた。うすぼんやりと、なんとなく山の形が見えるような気がする。気温はどんどん下がり続け、登っているのに寒さが堪えてきた。
寒い、辛い、苦しい・・・。
この夜、というかこの朝、最初に撮った写真。どこだろう、よく覚えていない。まだ稜線には到達していないと思うが、いやもう到達していたのか、まったくわからない。
下からずっと見上げていたゴレップカンリの氷河が、自分の下にある。ずいぶん登ったのだ。
朝日が昇り始めている。たぶん4時半を少し過ぎたあたりだと思う。
ようやく稜線に出た。
出た途端にすさまじい風が襲いかかってくる。吹き飛ばされそうな風だ。やっと稜線に登り詰めたのに、休むことすらできない。サントッシュがすごい力で私を引っ張り、少し離れたところの岩陰に引きずり込んでくれた。ここでようやくしばし休憩。この強風の中、ここから両側が切れ落ちた稜線上の綱渡りのような難所が待っているはずだ。
「俺たち、登れるのかな?」 珍しく夫がきいている。
「ワンハンドレッド パルセント!」
何を言い出すのかと言わんばかりにサントッシュが返している。当たり前じゃないか、ここまで来て登れないわけがないだろう、と、言葉にはしないが言っている。そう聞いた瞬間に、なぜかぶわっと涙が出そうになった。
ザイルを結んで最後の難関、キレットから山頂へ
そこでザイルを結ぶことになる。ポーターはいないからハーネスがない。直に結び合う。そしてキレット状の岩場の通過があり、崖を蟹歩きで這って歩くような場所があり。怖い。怖いのだが、いま思い出そうとしても具体的にどんな場所だったのか思い出せない。
ザイルが見える。稜線上で休んでいるところかと。
もうじきだとは思うが、遠い遠い遠い。これは後ろを振り返っているはず。
ドイツ人の親子パーティーが下りてきたのに会う。稜線に出る登りの後半で完全に置いていかれ、以後出会っていなかったが、ずいぶん速く登ったのだな。
「がんばれがんばれ、もう少しだもう絶対行けるから!」
励まされても声も出ず、ハイタッチするだけですれ違う。
吸っても吸っても苦しい。10歩歩いては立ち止まり、両手を膝について肩で、というよりも全身で呼吸をしてしまう。ノロノロ運転だ。歩いても歩いても先に進まない、ましてや上になんか登っていない気がする。
また急な登りにさしかかる。インドの若者3人組が下りてくる。
「あと5分、いや5分もかからないかな、もうすぐそこだよ!」
励まされ、なんとかかんとか涙目で急傾斜の斜面を這うようにして登り切る。そこは稜線で向こう側がすっぱりと切れ落ちている。ということは登ったんだ、これが山頂なんだ。
へたりこみそうになる私を、サントッシュがすごい力でザイルを引っ張り、右へ右へとたぐり寄せていく。もう登ったのに何で・・・。引きずられるがまま、そちらについていくと、鮮やかなタルチョーの山が目に入った。あぁ、これが山頂だ、こっちだったのだ、でももう間違いない。
登ったんだ、というよりも、もう登らなくていいんだ、と思った気がする。
サントッシュが笑顔で手を広げて待ち構えている。何も考えられず、ただそこに抱きついていった。
おめでとう、おめでとう!
今あなたがいるのは、6153mだよ!
わかる? 6153、山頂だよ、おめでとう!
私はサンキューサンキューと返しながら、今度こそその場にへたりこんだ。
おそらくあの登りきったところでプツンと切れてしまったら、こちらの山頂まで来るのにはえらく時間がかかったに違いない。前しか見ていないから、そこが終点だと思ってしまう、おそらくたくさんの登山者がそうなのだと思う。だから休ませずにそちらへ引っ張って行ってくれたのだ。
8月6日、時刻は午前6時10分。
出発前にサントッシュから、7時間から8時間くらいで登れるんじゃないかと聞いていたが、それよりも幾分早く6時間40分余りで登ったことになる。
それにしても、夜が明けてから、山頂に向かって登っているのに、その登っている方向を写した写真が1枚もないのはなぜなんだ!
これが山頂のタルチョーの山。6153m(諸説あり)。
夜が明けてんのにヘッデンそのまま、ザックも下ろしてない。
ゴレップカンリと氷河がずいぶん下に感じられる。
おそらくこの氷河の手前に見えている斜面を下からずっと登り、稜線に出て、稜線伝いに登ってきた、のだと思う。氷河を渡ったあたりははるか下であり、ここには見えていない。
山頂には雪があった。タルチョーの端っこが雪に埋もれている。
快晴ではなかったが、広大なラダックの山々、ザンスカール、遠く中国国境やパキスタン国境方面の山々も見えていた。サントッシュがひとつひとつ教えてくれたが、何一つとして覚えてはいない。
サントッシュが誰かと電話で話しているなと思っていたら、レーの代理店の社長で、「おめでとう、吉報が届くのを待ってたんだ」と言われた。電話が通じるなんてすごい。
山頂には15分ほどいただろうか。風が強くて寒かった、ひたすら寒かった。自撮り大好きのサントッシュが、ピッケルを構えてポーズしながら写真撮ってたり。稜線上の山頂の端っこまで行って写真撮ったり。向こう側はスッパリ切れ落ちた断崖絶壁だから怖いのなんの。
下山だ、慎重に行こう
下り道は先頭を夫、次を私、最後がサントッシュで、ザイルを結んで慎重に。ストックを使いながら、滑りやすい急斜面をほぼ横歩き状態で下りていく。
驚いたことに、キレットにさしかかるあたりで南インドからの中高年男性2人組に会った。昨日第一関門にすら到達できずに心配していた人たちだ。なんと登ってきていた! かなり疲労が濃く、「あとどのくらい?」と訊かれて、「30分もかからないと思う、あと1つ坂を登ったら山頂だから」と励まして別れる。
さらにキレットを通過し下ってショルダーと呼ばれる地点で、韓国隊とすれ違う。
そこからの長い長い下りで、一度夫が滑落しかかり、二人で止める。サントッシュが瞬間倒れて制動したので、私も弾かれて倒れただけとも言える(笑)。サントッシュは満足そうに「訓練が役に立った! 俺がしんがりにいる意味がこれでわかったよね?」と。
ショルダーから少し下りたあたりから、下りていくところを見ている。左下の雪渓の奥に道のようなものが見えているが、つまりあそこに向かって下っていくわけだ。右上から流れ落ちてくる氷河の、写真では最も左(下流)のあたりを目指して下りていく。目が眩みそうな斜面だ。よくこんなところを登ったもんだ。
これはもう相当下ったあたり。氷河がすぐそこに見えている。右手の氷河(雪渓)は、もっと上の方で何度もトラバースした。向こうに見えているのはインドからの登山者、ノーガイドなのかな? 途中から後ろをついてきた。うーん? この人達は登らずにショルダーで引き返したのかもしれない。なぜなら、ショルダーより上では会っていないから。
氷河を渡る。表面がザクザクした氷で、その下はツルツル。下流方向を見ている。
飛び越えたクレバスの下はごうごうと流れる水、そしてえぐられた氷の側面。落ちたら間違いなく助からないと思う。
氷河が運んだでっかい岩
氷河上から見上げるストックカンリ
氷河下流方向の遥か彼方、中国国境の山々
氷河を渡り終えてやれやれ、の図
ABC の少し向こう(ベースキャンプ寄り)で休憩。ガイドと、ガイドの友達がしゃべりたそうだったので
第一関門の尾根の峠まで、こんな感じの道が続く
第一関門尾根の峠からベースキャンプを見下ろす。
昨夜出発したのが11時半、現在時刻11時。ようやく帰ってきた。
最後のこの急斜面、サントッシュの後ろに続いて、道ではないところ(道は滑りやすい)を、富士山の砂走りのように転げるように下りていった。
ベースキャンプ到着11時20分。
何人かのキャンプスタッフと言葉を交わし、祝福され、テントに入って着替え、そのままランチまですこし寝た。
登頂記1 レーからモンカルモ
登頂記2 モンカルモからベースキャンプ
登頂記3 ベースキャンプ滞在