下山は1日・2018ストックカンリ登頂記5

下山後、ランチの席でインド若者組と登頂を称え合う。ドイツ人親子はいないので、そのままもう下ったのかも。今日ベースキャンプに到着した人たちも大勢いて、登山の様子を聞かれたりした。今夜登る人、一泊して明日の夜登る人、色々だ。

雲が多くてちょっと嫌な雰囲気になってきた気がする

夕飯の時にはインド中高年2人組も下りてきて顔を見せていた。登ったそうだ。素直にすごいと思う。この2人が登ったのがいちばんびっくりした(高所順応のためのミニハイクで尾根に到達できなかったと知っているので)。大奮闘したのだと思う。下山したのは午後3時過ぎだったとか。お疲れ様でした、本当におめでとう!
下りたと思っていたドイツの親子もいて、ランチは疲れて寝ちゃっていたんだって。健闘を称え合う。
我々は、下山の時も非常にゆっくり下りてきた。ガイドのサントッシュが頻繁に休憩を入れ、写真を撮れ撮れと言ってくれた。早く下りてもすることもないし、目一杯この山を味わって行けばいいと、考えてくれたんじゃないかと思う。もちろん我々に高度障害がまったくと言っていいほど出ておらず、元気だったせいもある。
「下山してきた時には死人のようになっていて写真なんか撮れない」と言われたABC でも、元気に写真撮影をしていた。ガイドのペース配分が非常によかったのだと思う。

夕食後は就寝。ランチの後は結局暑くて寝られなかったので、さすがにすぐに寝た。
深夜ふと目覚めると、テントを叩く雨の音。まじかよ。お願いだから早く止んで!
この夜は、出発したものの早めに引き返したパーティーもあったと、後でガイドに聞いた。ここでは雨でも、上に行けば雪になっただろうと思う。それでも登った人たちがいるのだろうか、それについては知らないのだが。

朝になると雨は止んでいた。
わずかに青空も見えていたり。登った人たちがあまり危険なく登れていればいい。苦しく、怖かった第一関門への道を最後に撮影。
8時半にベースキャンプを出発する。


往きにも写真を撮ったあたりかもしれない。ストックカンリが見えている。往きに見た時は、
「あんなところどうやって登るんだ」
と思っていた。帰りに見たら・・・、
「どうやって登ったんだかわかんない」
だった^^;


スーパーガイド、サントッシュさんと。よいガイドさんでした。


モンカルモへの下り道。川も流れている。


ベースキャンプ方向を振り返ると、かなり雲が湧いています。今日の天気が心配だ


何度も渡渉を繰り返しながら、岩峰群の中を下って行く

たくさんの人達がモンカルモからも、ストックからも上がって来ていて、陽気なスペインからの団体とは全員とのハイタッチを強要されました。登頂のツキを分けろと、そういうことだったみたい。


レーでツアーアレンジした混成部隊に1人で参加していたインドネシアからの登山者。「アジア友好同盟~!」ってことで。


馬も下る


こんな花も咲いてる


この水は飲めるんだ、と湧き水を汲むサントッシュ


トントン・ラへの登り


沢沿いにたくさんのミントが


これは、かつて中国軍がこの地に攻め込んできた時に、当時のザンスカール国軍との戦闘になり、敵が撃ち込んできた銃弾の痕らしいですぜ。こんなところまで攻め込んできたんですな、中共は。


ザンスカール軍の砦の跡


そこまで登って中覗いた、銃眼が残っている


これが最後の難所、急登と急下り。
谷の出口に見えている緑のかたまりがストック村。途中にいる団体は韓国からの登山隊、我々と同じ日に登頂しました^^/
ところでこんな崖、往きに通ったっけ? とサントッシュに訊いたら、
「いや、そん時は下回って川渡って行ったから。今日は水量が多くて川が渡れないからこっちへ回った」だそうでした。

この下りきったあたりから小雨がぱらつき始め、ストック村が見える頃にはけっこう降ってきた。かっぱを着るまではいかないくらい。
ストック村の食堂の牛。久しぶりに普通に人が暮らす場所に戻った。
到着時刻午後1時。4時間半でベースから村まで下りた。


食堂の子ども


トイレ
ラダック&ザンスカールエリアでは、こんな感じです
テントサイトでは日本の工事現場用みたいな箱があり、中はこんな感じです


ガイドが電話で呼んだタクシーが、出発点に来てくれていて、雨の中大急ぎでストック村を後にしました。これは途中、車内から撮ったストックの旧王宮。

 雨のレー
レーに戻り、代理店に。社長以下スタッフに大喜びで出迎えられ、借りた装備を返し、しばらく歓談。ガイドのサントッシュは明日からカン・ヤツェへのエクスペディションが入っているとのこと。そっかぁ、もう会えないんだねと別れを惜しみました。精算のために翌日また来ることを約束してホテルに戻り、夕方散歩に出ると大雨になりました。しばらくカフェで雨宿り。

山はどうなっているのだろう・・・。ベースキャンプで会った人、今日の下山中にすれ違った人たちを思って心配になりました。今夜のアタックは無理だろうな、時間的に待てない人もいるだろうし、どうするんだろう。
天候はどうしようもない、旅行の日程を決める時にそんな先の天気などわかるわけがない、それはわかってはいるけど・・・。自分たちが幸運に恵まれただけに、出会った人たちにもどうか登頂のチャンスがありますようにと願うばかりでした。

次回は登山の総括やら費用やらのまとめをします。

ついに山頂へ!2018ストックカンリ登頂記4

ふと気づいたら、登頂からちょうど2ヶ月が過ぎていました。
8月3日に麓の村をスタートし、5日の深夜から登り始め、6日早朝に登頂しました。月日が経つのは早い・・・。

(ここから登頂記)

 

レーを出発してから3日が過ぎた。

初日 レー~ストック村~モンカルモ(テント泊)
2日目 モンカルモ~ベースキャンプ(テント泊)
3日目 ベースキャンプ周辺で体慣らしなど

3日目の夕食後に仮眠に入り、夜10時50分のアラームで起きる。出発は11時半なので急がず慌てず、寝袋を出て身支度をする。
上は登山用のアンダーシャツ(ハイネック)+ フリースパーカー  + ウルトラライトダウン + アウタージャケット(雨具兼用)
下は登山用の厚手のタイツ(歩行を助ける類のものではない) + 登山用ズボン + オーバーズボン(非ゴア)
それにフリースの耳まで隠れる帽子、ウールの手袋
ヘッドランプ
靴はごくごく普通のトレッキングシューズ(非ゴア)、靴下は登山用のウール、しかし1枚しか履けず一抹の不安

背負うのは自作のULザック。
水、行動食(チョコバーなど)、カメラ(コンデジ)、予備の電池、サングラス、オーバーグローブ くらいを持った


既に登っている2つのパーティーが確認できる。ガイドたちと合流し、装備の最終確認。時間は11時半を数分回ったところだ。
ガイドの合図で出発。
気負いもないし緊張もない。ただ淡々と歩いていくだけだ。

暗闇の中をひたすら進む

空には満天とはいかないまでもおびただしい数の星が瞬いている。ヘッドランプの明かりのみを頼りに、ベースキャンプに着いた日に歩いた第一関門、尾根上の峠へ向けて登っていく。先頭をサントッシュ、次が私、夫、最後をポーター。ベースキャンプから見えていた先行パーティーの明かりは、いつの間にかわからなくなっていた。あるいは私が上なんか見上げなかったのかもしれない。
何度かの休憩を入れながら標高を上げていく。
出発から20分ほど経った頃か、サントッシュに促されて振り返ると、たくさんのライトが一団となって登り始めていた。おそらく韓国からの登山隊だろう。
幅30センチあるかないかの道を、とにかく登る。
不意にライトで照らされて驚いて顔を上げると、2人の登山者が道から少し逸れたところで休憩しており、我々はそれを抜く形になった。そこからわずかの登りで、尾根上の峠に着いた。ここには7~8人の人たちが固まっていて、ここからは前後しながら進んで行くことになった。

なんとなく記憶している地形のとおりに道は続く。標高が上がったせいか出発時よりも気温が下がっているように思える。今のところ寒くはない。
ABC到着、時刻は午前1時ほぼジャスト。
「いいペースだ、問題ない」とサントッシュ。ABCからは氷河のすぐ脇にあたる大きな石がゴロゴロしている河原のようなところを進んでいく。道がない場所もある。やがて氷河に到着。
ここでアイゼンを装着する。対岸までかなりの距離があり、その間には少なくとも2本の大きなクレバスがあると聞いていた。ザイルは結ばず、サントッシュに遅れないように氷河の上を歩いていく。ガイドとポーター2人で手分けしてクレバスを渡れそうなルートを探す。ようやく幅が狭まっているところが見つかり、まずガイド、次に私、夫、ポーター、と順に飛んで渡る。サントッシュが目一杯向こう側から差し出している手を、飛びながらつかんで向こうに引っ張ってもらう感じで2度クレバスを越えた。
さらに氷の上を歩いて行き、ようやく足元が石のところに到着。氷河を渡った。アイゼンを外し、適当な場所にデポする。
ほかにライトの明かりは見えず、暗闇の中ですこし休憩。特に寒さは感じない。風もほとんどない。

地獄のような上り坂が待っている

誰に訊いても、氷河を渡ったところからの登りは地獄のような角度と距離だ、と言っていた。いよいよそれが始まる。靴紐を確認し、その登りにかかる。まずABCあたりから見えていた手前の尾根を越えるのだと思う。この登りにかかったあたりから、急に先行するパーティーの明かりがあちこちに見え始めた。遮っていた斜面を回り込んだのかもしれない。あるいは氷河を渡るところでみんなバラバラになり、我々が意外に早く渡ったので追いついた部分もあるのかも。わからないが。

いきなり始まるかなりの急斜面。大きな岩が行く手をふさぎ、両手も使いながら遮二無に登っていく。その急斜面を過ぎると、斜度は多少緩やかになり、細かく折れながら延々と細い踏み跡が続いている所になる。
時々他のパーティー(殆どは最初に出会った7~8人のグループ)と出会う。抜いたり抜かれたりする。誰もほとんど口を聞かず、黙々と登っていく。
何しろ暗闇で稜線も見えないため、いったいどこまで続くのかわからない登りを延々と進むのは辛い。少し登っては止まって呼吸を整え、また進む。サントッシュが辛抱強くこちらのペースに合わせてくれるのがありがたい。

氷河を渡ったあたりから何となく怪しかったポーターが、遅れ始めてそのうちどこにいるのかわからなくなった。サントッシュは待たずに進んで行く。
何度か雪渓にも出くわした。カチカチに凍りついた上のトラバースは正直アイゼンが欲しいレベルだったが、ガイドが常に下部に入ってくれて、何とか渡る。氷、岩と砂礫、また氷、再び岩・・・。繰り返す。
登るにつれてどんどん呼吸が苦しくなる。一度に歩ける歩数が減っていく。立ち止まっては休み、また進む。早く夜が明けないかと、そればかり考える。自分がどこにいるのか確認したい。
サントッシュのヘッドランプが切れてしまった。しばらくは明かりなしで、その後はスマホのライトで足元を照らしながら進む。
「見て、あんな所に人がいる、迷ったんだ」
言われて見上げれば、はるか左斜め上にライトがいくつか光っている。そしてそこととんでもなく離れた右斜め上にもライトが見える。どうやら右のライトが正解らしい。登りの前半では何となく道がわかったが、途中からはどれが道なのか、まったくわからないところをひたすら登ってきた。たまに足元に飴の紙などが落ちていて、少なくとも誰かが通ったことのある所だと安心したりしていた。

いったいどこまで続くのか、さらに登り続けていると、少しずつ東の空が白み始めてきた。うすぼんやりと、なんとなく山の形が見えるような気がする。気温はどんどん下がり続け、登っているのに寒さが堪えてきた。
寒い、辛い、苦しい・・・。


この夜、というかこの朝、最初に撮った写真。どこだろう、よく覚えていない。まだ稜線には到達していないと思うが、いやもう到達していたのか、まったくわからない。


下からずっと見上げていたゴレップカンリの氷河が、自分の下にある。ずいぶん登ったのだ。


朝日が昇り始めている。たぶん4時半を少し過ぎたあたりだと思う。

ようやく稜線に出た。
出た途端にすさまじい風が襲いかかってくる。吹き飛ばされそうな風だ。やっと稜線に登り詰めたのに、休むことすらできない。サントッシュがすごい力で私を引っ張り、少し離れたところの岩陰に引きずり込んでくれた。ここでようやくしばし休憩。この強風の中、ここから両側が切れ落ちた稜線上の綱渡りのような難所が待っているはずだ。

「俺たち、登れるのかな?」 珍しく夫がきいている。

「ワンハンドレッド パルセント!」

何を言い出すのかと言わんばかりにサントッシュが返している。当たり前じゃないか、ここまで来て登れないわけがないだろう、と、言葉にはしないが言っている。そう聞いた瞬間に、なぜかぶわっと涙が出そうになった。

ザイルを結んで最後の難関、キレットから山頂へ

そこでザイルを結ぶことになる。ポーターはいないからハーネスがない。直に結び合う。そしてキレット状の岩場の通過があり、崖を蟹歩きで這って歩くような場所があり。怖い。怖いのだが、いま思い出そうとしても具体的にどんな場所だったのか思い出せない。
ザイルが見える。稜線上で休んでいるところかと。


もうじきだとは思うが、遠い遠い遠い。これは後ろを振り返っているはず。

ドイツ人の親子パーティーが下りてきたのに会う。稜線に出る登りの後半で完全に置いていかれ、以後出会っていなかったが、ずいぶん速く登ったのだな。
「がんばれがんばれ、もう少しだもう絶対行けるから!」
励まされても声も出ず、ハイタッチするだけですれ違う。
吸っても吸っても苦しい。10歩歩いては立ち止まり、両手を膝について肩で、というよりも全身で呼吸をしてしまう。ノロノロ運転だ。歩いても歩いても先に進まない、ましてや上になんか登っていない気がする。

また急な登りにさしかかる。インドの若者3人組が下りてくる。
「あと5分、いや5分もかからないかな、もうすぐそこだよ!」
励まされ、なんとかかんとか涙目で急傾斜の斜面を這うようにして登り切る。そこは稜線で向こう側がすっぱりと切れ落ちている。ということは登ったんだ、これが山頂なんだ。
へたりこみそうになる私を、サントッシュがすごい力でザイルを引っ張り、右へ右へとたぐり寄せていく。もう登ったのに何で・・・。引きずられるがまま、そちらについていくと、鮮やかなタルチョーの山が目に入った。あぁ、これが山頂だ、こっちだったのだ、でももう間違いない。
登ったんだ、というよりも、もう登らなくていいんだ、と思った気がする。
サントッシュが笑顔で手を広げて待ち構えている。何も考えられず、ただそこに抱きついていった。

おめでとう、おめでとう!
今あなたがいるのは、6153mだよ!
わかる? 6153、山頂だよ、おめでとう!

私はサンキューサンキューと返しながら、今度こそその場にへたりこんだ。
おそらくあの登りきったところでプツンと切れてしまったら、こちらの山頂まで来るのにはえらく時間がかかったに違いない。前しか見ていないから、そこが終点だと思ってしまう、おそらくたくさんの登山者がそうなのだと思う。だから休ませずにそちらへ引っ張って行ってくれたのだ。
8月6日、時刻は午前6時10分。
出発前にサントッシュから、7時間から8時間くらいで登れるんじゃないかと聞いていたが、それよりも幾分早く6時間40分余りで登ったことになる。

それにしても、夜が明けてから、山頂に向かって登っているのに、その登っている方向を写した写真が1枚もないのはなぜなんだ!


これが山頂のタルチョーの山。6153m(諸説あり)。
夜が明けてんのにヘッデンそのまま、ザックも下ろしてない。


ゴレップカンリと氷河がずいぶん下に感じられる。
おそらくこの氷河の手前に見えている斜面を下からずっと登り、稜線に出て、稜線伝いに登ってきた、のだと思う。氷河を渡ったあたりははるか下であり、ここには見えていない。


山頂には雪があった。タルチョーの端っこが雪に埋もれている。


快晴ではなかったが、広大なラダックの山々、ザンスカール、遠く中国国境やパキスタン国境方面の山々も見えていた。サントッシュがひとつひとつ教えてくれたが、何一つとして覚えてはいない。

サントッシュが誰かと電話で話しているなと思っていたら、レーの代理店の社長で、「おめでとう、吉報が届くのを待ってたんだ」と言われた。電話が通じるなんてすごい。
山頂には15分ほどいただろうか。風が強くて寒かった、ひたすら寒かった。自撮り大好きのサントッシュが、ピッケルを構えてポーズしながら写真撮ってたり。稜線上の山頂の端っこまで行って写真撮ったり。向こう側はスッパリ切れ落ちた断崖絶壁だから怖いのなんの。

下山だ、慎重に行こう

下り道は先頭を夫、次を私、最後がサントッシュで、ザイルを結んで慎重に。ストックを使いながら、滑りやすい急斜面をほぼ横歩き状態で下りていく。
驚いたことに、キレットにさしかかるあたりで南インドからの中高年男性2人組に会った。昨日第一関門にすら到達できずに心配していた人たちだ。なんと登ってきていた! かなり疲労が濃く、「あとどのくらい?」と訊かれて、「30分もかからないと思う、あと1つ坂を登ったら山頂だから」と励まして別れる。
さらにキレットを通過し下ってショルダーと呼ばれる地点で、韓国隊とすれ違う。
そこからの長い長い下りで、一度夫が滑落しかかり、二人で止める。サントッシュが瞬間倒れて制動したので、私も弾かれて倒れただけとも言える(笑)。サントッシュは満足そうに「訓練が役に立った! 俺がしんがりにいる意味がこれでわかったよね?」と。


ショルダーから少し下りたあたりから、下りていくところを見ている。左下の雪渓の奥に道のようなものが見えているが、つまりあそこに向かって下っていくわけだ。右上から流れ落ちてくる氷河の、写真では最も左(下流)のあたりを目指して下りていく。目が眩みそうな斜面だ。よくこんなところを登ったもんだ。


これはもう相当下ったあたり。氷河がすぐそこに見えている。右手の氷河(雪渓)は、もっと上の方で何度もトラバースした。向こうに見えているのはインドからの登山者、ノーガイドなのかな? 途中から後ろをついてきた。うーん? この人達は登らずにショルダーで引き返したのかもしれない。なぜなら、ショルダーより上では会っていないから。


氷河を渡る。表面がザクザクした氷で、その下はツルツル。下流方向を見ている。


飛び越えたクレバスの下はごうごうと流れる水、そしてえぐられた氷の側面。落ちたら間違いなく助からないと思う。


氷河が運んだでっかい岩


氷河上から見上げるストックカンリ


氷河下流方向の遥か彼方、中国国境の山々


氷河を渡り終えてやれやれ、の図


ABC の少し向こう(ベースキャンプ寄り)で休憩。ガイドと、ガイドの友達がしゃべりたそうだったので


第一関門の尾根の峠まで、こんな感じの道が続く


第一関門尾根の峠からベースキャンプを見下ろす。
昨夜出発したのが11時半、現在時刻11時。ようやく帰ってきた。
最後のこの急斜面、サントッシュの後ろに続いて、道ではないところ(道は滑りやすい)を、富士山の砂走りのように転げるように下りていった。

ベースキャンプ到着11時20分。
何人かのキャンプスタッフと言葉を交わし、祝福され、テントに入って着替え、そのままランチまですこし寝た。

登頂記1 レーからモンカルモ
登頂記2 モンカルモからベースキャンプ
登頂記3 ベースキャンプ滞在

B.C滞在・2018ストックカンリ登頂記3

(ラダック&ザンスカール旅行記その5)

ベースキャンプの朝

3日目の朝が来た。
ざっと振り返ってみると、こんな行程。
1日目 レー~ストック村~モンカルモ
2日目 モンカルモ~ベースキャンプ
そして本日が3日目だ。
標高4980m で、朝起きてすぐに血中酸素濃度を計ってみると、

私 102-78
夫 85-88

おぉ、私がめっきり落ちている。
けれど高山病のような症状はまったくなく、起きて動き出せばすぐに回復した。
サントッシュにも数値を報告しておいたが、「あぁ、ぜんぜん普通、まったく問題ない」だそうだ。自分でもそう思う。


ここまで荷上げしてきた馬たちは、しばしの休息タイム。お客たちが登って下りてくるまでは、多分ここに留まっていると思われる。

朝食はティーテントで午前8時。
朝からなかなか豪勢な食事だった。
人は多く混雑している。昨日到着した組、一昨日の夜に登って今日は下山する組、の2つのパターンが混在しているからだ。モンカルモは一般的には登りの時しか泊まらないので、そこにいたのは全員がこれから登る人たちだったわけで、人数もそんなに多くはなかった。
ランチとディナーの時間には、下山組はもういないけど、昨夜登って下りてきた組がいるので、やはり混んでいた。

インドの若い女性に話しかけられた。一昨日の夜に登ったのだそうだ。私たちは今夜だよ、と告げると、「ガイドさんはいるのよね?」と訊かれた。「うん、ガイドとサブガイドがいる」と答えると、安心したようだった。
彼女は残念ながら登頂できず、ショルダー(肩)と呼ばれる所でリタイアしたそう。
「もうね、とにかく眠いのよ。本当に本当に眠いんだから。私だけじゃないの、全員が眠くて眠くて、それに高度障害もあったのかなぁ、ちょっと狂ったようになっちゃって、ストックで殴り合っちゃった」
おそらく、「眠るな!」と、殴り合っていたのだと思う。
彼女のパーティーは、半分が登り、半分は途中で下山したらしい。
「あなたたちは登ってね、グッドラック!」
と言い残して、彼女たちは下山して行った。

南インドからの若い男性ばかり3人の組は、1人がモンカルモで高山病になってフラフラしていて苦しそうだったが、何とかここまでやってきていた。
「どう? 体調は大丈夫?」 と訊かれ、
「うーん、少しだけ頭痛がする」 と答えると、
「うんうんわかるわかる、みんな一緒だから大丈夫だよ、水をたくさん飲んでね」
と、キラキラ光る目で見つめられてオバサンなんだか困っちゃったです。ほんとは頭痛もないんだけど、みんな高山病で苦しそうだったから、「なんともないよ」とは言えなかったです、ごめんね。

(9/25追記)
私たちに全くと言っていいほど高度障害が出ないのには理由があります。
1. ラダックに入ってから3週間近く経過している(その間ずっと3500以上)
2. ザンスカールトレックを既に終えており、4000~5000も複数日経験
3. 日本の居住地が1000mの高地のため1000m分のアドバンテージあり
以上の理由から高度障害が出ていないのであり、もし、ラダックに入ってすぐにここに来ていれば、高度障害は必ず出ます。出ないほうが不思議です。
(追記終わり)

 

アイゼン訓練とポーターの反乱w

さぁ~、今日もちょっと出かけるよ~。と、サントッシュが呼びに来た。
まずは我々の靴とアイゼンのサイズ調整。


サントッシュに指示されて、靴とアイゼンを合わせているポーター氏。

そうそうそういえば忘れていたが、前日、氷河まで行って戻ってくると、このポーター氏が我々のテントにやってきて、
「私は山頂には行きません!」
と言い出したのだった。
「はぁ??????」(目が点)
「なぜなら、靴もないし、ジャケットもないし、ヘッドランプもないし、手袋もないし」
「いやいやいやいや、私にそんなこと言わないで。そもそも山頂まで行く契約で来てるんじゃないの?」
「知りません、私はポーターだからここで終わりです」

話が違うじゃないか。ガイドとサブガイドをつけて、トップとしんがりをその2人にまかせて、ザイルを結んで安全に登山する予定だったのだが?

我々はネパール・ヒマラヤやラダックなどでかなりの回数のトレッキングをした経験があるが、基本的に荷物は自分が持って動いていたので、ポーターという職種の人を雇った経験がほとんどない。後でヒマラヤ仲間に聞いたところ、これはポーターがよくやる手なのだそうだ。そうして値段を吊り上げていく、ということだ。
まぁお金の問題だろうとは見当がついたが、それは我々の管轄ではない。
「あなたのボスと話をして」
「ボス? ボスはレーに・・・」
「もうここまで来てるんだから、ボスはガイドのサントッシュでしょ、彼と話して」
と、もう話に取り合わずに帰したのだった。サントッシュとは同じテントで一夜を過ごしたはず、話し合いはうまいことまとまったのだろうか。

サントッシュが「じゃ、行きましょ」と、アイゼン2足とザイル、ハーネスをひょいと肩にかけて、昨日行ったのとは逆方向にあたる丘の方へ歩き出す。我々も後を追う。ゴレップ・カンリの氷河から流れ出す白っぽく濁った川を石伝いに渡り、丘を登っていく。丘をゆっくりと回り込むように登り、ベースキャンプが見えなくなるあたりまで行く。これからアイゼン歩行とザイルワークの訓練だ。


アイゼンを装着してみたところ。軍用の払下げ品とのこと。こんなふうに紐で靴に縛り付ける。でも立派に前爪もある12本アイゼンなのだ。


夫にも装着。

それからしばらくアイゼンを付けたままあたりを歩き回った。
さらにハーネスを装着して、ザイルをそこにきちんと固定する訓練。我々は完全に素人なので、いちばん簡単な方法を教えられ、ひたすらそれを練習した。
そして制動訓練も!
「I’m folling!」
と叫びながら私と夫が交互に斜面に落ち(倒れるというか)、その瞬間に残る1人とサントッシュが確保する訓練だ。大真面目なのだが、いま書くとちょっと笑える。いや笑い事じゃないのだけど、英語で「落ちた!」なんて言う間もなく落ちていくに違いないだろうなと思って。


来た方向を見ている。この谷に沿ってベースまで上がってきたのだと思う。


いろいろと立派なヒマラヤ山脈の山々が見えている。サントッシュがひとつひとつ名前を教えてくれたが、まったく覚えていない。これは中国国境方面。


訓練場から見上げるストックカンリの雄姿。
手前に左から尾根が切れ落ちてきて、その尾根に左下から筋が伸びているが、この筋が昨日進み、そして今夜進むことになるストックカンリへの道だ。この道が尾根にぶつかるところが、第一関門の峠。今も人が登っている、高所順応のための登高だ。


自分がいる場所も入れて撮ってみる。こちら側の丘から下りていくと川があり、それを渡ったところがベースキャンプ(ぎりぎり写っていない)。そしてそこからずーっと、画像中央の斜面を左下から真ん中あたりに向けてストックカンリへの道が続く。
この谷を詰めればゴレップ・カンリだ。

標高5000mの花たち

はぁい、じゃぁ訓練終わったから、花の写真撮ったりして遊んで~。
と、サントッシュに促されて、花の写真を撮ったので羅列してみる。


これはお香として焚くための植物だそうで、実際、私たちのテントの真ん前にこれを取りに来ている村人が布テントを張っていた。テントの横にはこの植物が広げられ、天日干しされていた。生きている状態でも触るととてもいい香りがした。


ひゃぁ、遠くまで来たぞなもし

あとは夜までひたすら待つ・反乱2

ほんじゃ、帰るよ~。
サントッシュの後に続いて、訓練場からキャンプに戻る。
サントッシュは、モンカルモでもベースでも、高所順応のために登っていく時には、いつも手ぶらだ。ほかのガイドはみんな大きなザックをわざわざ背負っている。何が入っているのかはわからないが、サントッシュは手ぶらでぶらぶら歩いていくのが面白い。


ベースキャンプ全景
ストックカンリが少しだけ見えている、かと思う。ベースまで下りると見えなくなる。
サントッシュに言わせると、それはよいことなのだそうだ。見ていると、「あんなところに登れるわけがない」と思ってしまうから。いざ登っていく時には、上を見上げてもいいけれど、絶対に「あぁ無理!」とか「登れるわけない」「難しすぎる」「怖い」とは思わないでくれ、それが登頂への大事なこと、と教えられた。

戻ってすこし休んで、ランチ。ランチは軽め、ディナーはたくさん、食べてくれと指導。
ランチの後はすることもなく、眠れればいいのだがテントは暑くてとても寝られない。暑い暑いとゴロゴロ七転八倒。そうこうするうちに、昨夜登ったグループが三々五々下りてくる。登れたのか、途中撤退なのかはわからないが・・・。

南インドから来たという富裕層っぽい中高年の男性2人組が、尾根の上の第一関門へと足馴らしのためだろう、ガイドと登っていくのが見える。片方が高山病だろうか、まったく動けず、下から見ていてもハラハラする。ここでこの調子では、失礼だが登頂は無理だろうと思えた。一人は尾根まで行ったようだが、一人は登らずに下りて来ていた。


午前中は曇っていて心配したが、午後は雲も切れて(だから暑いのだが)、青空が増えてきた。


ゴレップカンリも美しいよい山だ


人がたくさん尾根から下りてきた。時間が遅すぎるので、高所順応のために尾根まで登った人たちだろう。

我々が寝ているとポーターがやってきて、
「私は山頂へは行きません」
とまた同じことを繰り返してきた。
我々は眠らなければならないのである!
いいかげんむかっ腹が立ったので、手袋がない靴がないジャケットがないライトがない、自分は一日800ルピーでガイドは1500ルピーでそれなのに自分が山頂に行くのはおかしい、と言い募り続けるポーターを制して、
「もうしゃべるなうるさい! ガイドと話せと言ったでしょう、ガイドと話しなさい!」
と突き放すと、あっさりガイドの所に行き、ものの数分で戻ってきて
「やっぱり行きます!」
だって!(笑)
たぶん追加料金を払うと言われたのだろうけど、あまりの豹変っぷりには笑う。
因みにティーテントには大量のプラブーツがストックされていて、ガイドたちはみなここの靴を借りて登っていくようだ。ライトだの何だのは、キャンプのスタッフに借りることもできるだろうし、正直言ってまるで心配はないと思う。
すごくおもしろい人間観察ができた。


だいぶ日が暮れてきた。テントは昨日より増えた。初日に見かけた韓国からの大きな部隊が到着したせいもある。キャンプのスタッフによれば、最盛期にはもっと増えて、川の対岸にまでテントが並ぶらしい。そこまでの最盛期じゃなくてよかった。

夕食は6時にティーテントで、指導のとおりにたっぷり食べた。今夜登るモンカルモからの顔なじみたちと、出発時間の確認。私たちは11時半だが、11時の組、12時半という組、いろいろだった。若干ずらしながら出発していくのだろう。インドの若い子たちは10時半とトップの出発らしく、富裕層の中高年組はなぜか12時と我々より遅い。ガイドもいろいろと考えて時間を決めているのだろうが、ちょっと不思議だった。でもみんな、やる気満々である。
みんなと、「がんばろうね!」「次に会うのは山頂だぜ!」などと声をかけあう。昨夜登った「登頂先輩さん」たちからは、「登れよ!」「絶対行けるぞ!」「幸運を!」などと余裕の激が飛ぶ。ちょっと体育会っぽいノリになってきた。トイレに行ってテントに戻る。
そこでさらに食う「かに雑炊」。ティーテントでお湯をもらってきて、ふやかして食べた。おいしかった。

10時50分に腕時計のアラームをセット。
昼間整えておいた装備を最終確認。
そんなに時間はないけれども、寝る!

ここまで来てもまだあまり実感はないのだが、泣いても笑っても、今夜アタックするのだ。行けるところまで、とにかく歩いて登ってみよう。
登頂した人たちかが盛り上がっていてちょっとうるさかったが、耳栓をして少しは眠ったと思う。

いざ。

次へ続く

B.C到着・2018ストック・カンリ登頂記2

歯医者に行って、顎関節症治療のためのプレート(マウスピースみたいなもの)を入れることになりました。頭痛、肩こり、目の疲れ、めまい・・・。これらは顎関節症から(も)来るらしく、そういう流れになりました。更年期とかいろいろなことが絡み合っているから、原因はもちろん1つじゃないと思うけど。
20代前半にもプレート使ったことあるのを思い出しました。その時は大学病院の歯学科に「とんでもなく強情な親知らず」を抜くためにふつうの歯医者から紹介状持って行き、行く度に顎が外れちゃうのでプレートを使うことになりました。
でも1本でも歯を治療してしまうともう合わなくなるので、半年くらいで使わなくなったかな? 顎関節症は治りもせず、悪化もせず、おつきあい中です。
まだめまい中ですが、四の五の言わずに朝薬を飲むことにしてなだめています。どうしても眠くなったら寝ればいいと・・・。そんなこんなです。

では、登山記録の続きをどーぞ。

2018ストックカンリ登山記(2) ラダックザンスカール旅行記その4

 

一夜明けて、モンカルモ4480の朝。
私 心拍108、血中酸素85
夫 心拍79、血中酸素84
私はもともと心拍数が多いので、かなり大きい数字になっている。

朝8時半に朝食。みんなでティーテントで食べる。
因みに、登山者は3つのグループに分けられる。
1つは、ガイド、馬、コックなどを連れた人たち。この人達は自分たちでテントを用意し、またキッチンテントも持ってきているので、テントサイトは一緒だがティーテントに来ることはない。最も高額な料金を支払う登山の形だ。
1つは、ガイドやポーターは連れているものの、それ以外の装備は持たずに来ている人たち。私たちもここに属する。殆どはレーのツアー代理店でアレンジしており、テントサイトに常設されているテントを使い、食事はティーテントで作ってもらう。宿泊と食事込の金額をテントサイトに支払う(ガイドが払う)。
最後が単独の登山者。テント持参の人が多かった。食事は自分たちで作る人もいるし、ティーテントで取ることもできるようだ。もちろん有料。

この朝、モンカルモでともに朝食をとった人たちは、ほとんどが登頂まで同じ行程になる。
朝食はチャパティとオムレツの簡素なものだった。
ほとんどの登山者は、レーに入って数日でここに来ている。具合が悪い人もちらほらいる。それでもみんな出発していく。我々も出かけよう。

モンカルモ~ベースキャンプ(2時間半)


遠くにストックカンリを仰ぎ見ながら、広い河原状の場所を歩いていく。
今日の行程は、モンカルモからベースキャンプまで。ガイドのサントッシュによると、2時間半から3時間ほどの道行きになりそうだ。


今日も何度も渡渉を繰り返す。渡渉は苦手だ。
サントッシュが渡りやすい場所を選び、自分が渡った後でサポートしてくれる。そのたびに右腕が引っ張られて五十肩が治っていく(笑)
大きな渡渉を終えたところで休憩。ストックカンリが近づいてくる。


野営に使えそうな石囲いがところどころにある。
晴れて気持ちのいい日だ。
昨日の苦しさが嘘のように、今日は調子がいい、というか普通に歩ける。
サントッシュが何度も時間を聞いては「今日はいい調子!」と言っている。


歩いてきた方角を振り返る。三々五々、抜きつ抜かれつ、たくさんの人がベースキャンプに向かっている。朝のティーテントにいた面々は15~20人だろうか。このまま今夜アタックする人もいるだろう。


登る者があれば下りる者も当然ある。
ベースキャンプからたくさんの人が下りてきており、馬もまた。
サントッシュは顔なじみのガイドを見つけては情報を聞いているようだ。


標高5000に近いところでも、こんな花が咲いている。


昔はここも氷河だったのではないかと思う。こんなモレーン状の地形を延々と上へ詰めていく。(これは後ろを振り返っている)


快晴だ!
遠くを人が歩いている、たぶん登っている人たちだ。
道という道はなく、それぞれ勝手に岩と石だらけの歩きにくいところを延々と歩いていく。


マーモットがいたよ!


巣穴へ一目散!


エーデルワイスの仲間


これはなんじゃろか

丘を回り込んだところにベースキャンプがあった。モンカルモよりもテントの数がずっと多い。これからもっと増えていくらしい。
モンカルモからちょうど2時間半。今日はいいペースで歩けた。サントッシュもほっとしているようだ。
標高4980m、ほぼ5000まで上がってきた。
到着後 私 心拍97 血中酸素89
夫 心拍95 血中酸素85

ベースキャンプ・ティーテント


食器が積み上げられているティーテントの内部。奥の垂れ幕の向こうがキッチンになっている。こちら側は広い土間のスペースで、端っこにマットなどが敷かれていて座れるようになっている。


コーラも、ミネラルウォーターも、なんとビールまで売っている。
水が50、コーラが70、くらいだったと思う。
因みにここは宿泊と食事で1500ルピーと書いてあった。


ランチを食べる。手前はポーター。奥の方にはインドからの登山客たち。
このベースキャンプは料理上手のコックがいると見えて、色々な料理を作って登山者を飽きさせない。ご飯とカレー、だけでなく、パスタやサラダなど、常に数種類の鍋が置かれて食べられる。インドに5週間いたけれど、ここの食事がいちばん美味しかった気がする。


氷河から流れてくる川の向こうにブルーシープの群れが来ていた。


ベースキャンプの下の方から全体を撮影。
中央あたりのブルーシートの三角錐っぽいのがティーテント。
正面奥の斜面に伸びている道が、ストックカンリへと続く登山道だ。
いま見えている「道の消えるところ」がストックカンリへの第一関門と聞いた。2番めが旧ABC(アタックベースキャンプ、昔は設営が許可されていたがゴミ問題で今は禁止されている)、3番めが氷河を渡ったところ、4番めが「ショルダー」、そして山頂。
登ってきた方角を見ている。この方向にずっとずっと行けば中国。

 

高所順応のため登山道を進んでみる

5000の地に宿泊するので、いったん登って、それから下りて夜を迎えるのがよい。これは高地を旅する者なら誰でも知っていることだ。私たちもサントッシュと一緒に、とりあえずは登山道を登り、道が消えていく丘(第一関門)まで登ってみることにした。午後2時頃に出発した。


午後になって日影となり、カンカン照りよりは歩きやすそうだが、なかなかどうしてこの道が簡単ではない。急傾斜の斜面に無理やり刻まれた徒歩道で、ともすれば転げ落ちそうなのだ。下も砂というか粉のような土の部分があり、歩きにくい。


あまりの歩きづらさに途中1枚も写真を撮らずに登ってしまった丘の上。というか尾根の上と言うべきか。稜線上になっている。わかりづらいが左手から登ってきて、てっぺんにいる。
中央がストックカンリ峰。
そこに向かってなだらかに下っていくように見える道が、登山道だ。


登ってきた側はこんな景色。
沢が見えているが、これを下っていったところにキャンプがある。かなりの傾斜ということがわかる、かな。


ベースキャンプを見下ろしてみた。見えている道は比較的なだらかな部分で、ここからそこまでの間が滑り台のような傾斜になっている。


遥か彼方の緑の部分は、レーにも近い町や村。ずっと向こうは中国。

丘の上までの予定だったが、私たちが元気だったせいか、もっと先まで行ってみることに。

なんで撮ったのかわからないけど・・・、こんなふうに赤っぽい斜面や黒っぽい斜面が次々と出てきて、いずれにしても急傾斜の斜面に作られた道は常に下に向かって傾斜していて、うっかり踏み外せばアウト、って感じの場所が続く。
ただ、第一関門の丘の上から氷河までは、比較的ゆるやかなアップダウンの繰り返しだ。


ABCに着いた。氷河がもう目の前に迫っている。明日はこの氷河を渡り、手前に見えている尾根の向こう側を登っていくことになる。


ABC のタルチョーと中国国境の山々(遠望すぎて見えない・・・)


左がサントッシュ、真ん中はポーター、右わたし。やたらと元気。


ふたりの写真をいま撮っておこう! とサントッシュ。
明日でもいいよ~、と言うと、登る時は真夜中で、下りてきた時は死んだようになってるはずだから、今しか撮れないんだ! と言われた。

来た道を引き返す。ベースから見える丘の上まではいいとして、そこからの下りがほんとに怖い。スリップしそうな場所がずーっと連続している。横歩きをしながら下りないと、ほんとうに転げ落ちるだろうと思った。


夕方、すこし雲が出てきているゴレップ・カンリ。

ここまで数日、この周辺の天気はよかったそうだ。そろそろ崩れるかもしれないと思った。
ベースに着いた時もそう思い、もしかして、今夜アタックするべきなんじゃないかと考えたりもしたが、サントッシュが「今日は休んでアタックは明日の夜」と決めたので、従うことにした。
実際、モンカルモから一緒にここまで来た人たちは、殆どが「明日の夜」登るらしかった。

夕方6時、「飯だ飯だ」と招集がかかる。
飯食って寝よう。

3日目に続く~

 

 

 

DAY1・2018ストック・カンリ登頂記1

リアルタイムではとっくに帰国しております。
今日の軽井沢はくもりのち雨で、気温も20℃に届かない予報でした。かなり涼しく感じます。
めまいが少し収まっているので、旅行記の続きをば。
順番としてはザンスカールトレッキングが先なのですが、記憶が新しいうちに登山の方を書いておこうかと思います。

ではどうぞ~

 

ストック・カンリ登山記(1)~ラダック・ザンスカールの旅その3

6153m(諸説あり)の北インド・ラダック地方の名峰ストック・カンリに、自身初の6000m峰としてチャレンジしてきました。
この山行の費用や装備などについては、最後にまとめようかと思います。
それでは初日からいきましょう。

おっとその前に地図をどうぞ。赤いサインが見えていたら、そこがストックカンリ峰の山頂です。見えていなかったらだいたい地図のど真ん中が山頂にあたります。レーからの距離感、近いですよね。こんなにアプローチが短い6000峰はめったにありません。STOKとあるのが、出発点であるストック村。ここから歩いていきます。

 

 

初日の朝のハプニング

ラダックの中心地レーに入ったのが7/15。
それから人探し、ザンスカールトレッキングなどを経て、いよいよストックカンリに向けて出発したのは8月3日の朝だった。

「んー、明日の出発はー、9時半でどう?」
前日の最終打ち合わせの後で、代理店の社長がこう切り出してきた。
「え? ちょっと遅くない? 普通もっと早いよね?」
「大丈夫、明日の行程はたいしたことないから~」
「そう・・・、まぁ大丈夫だよね、オーケーです」

こんな感じでアバウトに決めた出発時間。車はまず宿に来て私たちを拾い、それから代理店へ向かう。ここで昨日顔合わせ済みのガイドのサントッシュ、ポーターさんと合流。社長の指示で持っていく装備の最終確認とパッキング。

因みに、今回の登山は日本からのツアー登山ではなく、現地でいくつか話を聞いた中で最も信頼できそうだと感じた代理店でアレンジしてもらった。私たち2人に対してガイド1人、ポーター(アシスタントガイドとも呼ぶ)1人。テントも寝袋も持っていかないため、私たちがポーターさんに預ける個人装備は大してない。最終アタックの時にはポーターさんも山頂まで上がる、つまり2対2というこれ以上ない贅沢なアレンジである。どちらかが途中で下山する場合、そちらにもサポートを付けたいという希望をきいてもらった。

私たちがここで借りるのは、12本爪ながら紐でぐるぐる縛り付けるタイプの軍用アイゼン。日本からわざわざ持参したセミワンタッチのアイゼンは「重すぎるし、冬山用の靴にしか付けることができない」という理由で却下。ちなみに冬山用の靴も却下されている。
アイゼンのほかピッケルもレンタル。そして社長は酸素ボンベを用意してくれていた。

「酸素ボンベを使う時は、まず自分が吸って助かること。自分が助かってから他の人を助けてください。いいですね!」

まさか酸素を持っていくとは思っていなかったが、これを聞いてちょっと緊張した。
今日のランチも社長が買ってきてくれて、装備も整い、出発。
スズキマルチという小さなワンボックスで、目指すはストック村だ。
出発してすぐ、助手席のガイドが振り向いて、

「今日はダライ・ラマがレーの街に来るんです。途中で出迎えたいんですけどいいですか?」
「もちろん。へー、法王がレーにね、それで兵隊がたくさん出ているんだ」

レーの街はいつもよりもたくさんの兵隊があちこちに立っていて、何かあったのかと思っていたところだったが、法王が。数日前にチョグラムサル(レーの郊外のチベット人居住区)で法要があったのは知っていたが、その流れでレーでも何かあるのかも。

車は広い道路をチョグラムサル方向へ走っている。ドライバーが車を脇道に入れ、駐車した。そして私たち5人は広い道へ取って返す。と、何やら左の遠くに車列が!
「来た来た、急いで急いで!」
私たちはダッシュで広い道を渡り、向こう側の少し高くなっている歩道に上り、運転手が用意していたカタ(白い絹のスカーフ、本来なら法王に捧げて贈り返されるのが最上だが、状況的に無理)を広げて横断幕のようにして皆で持ち、車列を出迎えた。

「2台目です!」
サントッシュが教えてくれた。車列はスピードを緩めもせず速めもせず、4~50キロくらいだろうか? 近づいてきた。
このあたりは人家もなく、私たちのほかに出迎える人もいない。
1台目が通り過ぎる。そして2台目の助手席に、確かにダライ・ラマさんが。他に誰もいないから、私たちの方を見てにこにこと笑い、いつものように合掌しながらその手をひらひらと、振っているではないか。私も思わず同じように合掌しつつ、しっかり右手を振ってしまった。

車列はあっという間に通り過ぎて行き、あとに残された我ら5人。
特に現地の3人は大興奮で、大喜びだ。
「ユー・アー・ラッキーマン! 今日からのエクスペディションも絶対にサクセスするね!」
とサントッシュに20回くらい言われた。

ダライ・ラマさんは御年80をとうに越えてはいるが、まだまだお元気そうで何よりだった。私個人にとっては、1993年にダラムサラでお会いし、その翌年にたしかホテル・オークラでのパーティーでお見かけして以来、24年ぶりに間近に見る法王さんである。もちろん年は取られたが・・・。

サントッシュが言うように、今回の山行は成功するような気もしたし、いやいや待て待て登頂率わずか3割の山なんだぞと思ったり。そんなこんなしながら、ストック村の出発点に到着した。

初めてストックカンリ峰を同定する


ストック村の出発地点。川の向こうにたくさんの馬がいた。これから荷物を積んで出発していくのだろう。


「ストックカンリが見えてますね!」
サントッシュに言われて見上げるその方角には、白い山が2つ。左の方かなと思って聞いてみると、違う違う、右の、ちょこっと頭だけ見えているあれですよと言う。

わかりにくいので拡大してみたが、これがストック・カンリなのだと。

「まさか~♪」(ツマ)
「嘘だろ?」(オット)
「あんなの登れるわけないじゃん!」(フタリ)

実際それは、エベレストにも等しい「登れるわけない」レベルで遥か彼方に聳えており、私はサントッシュが冗談を言っているのではないかと、その日ずっと疑っていた。
ストックカンリの画像はさんざん見ていたのに、いざ実際に見てみるとそれが登山の対象とはとても思えなかった。


高巻き道を行くサントッシュ。ラダックはこんなふうに美しい。道はこの川に沿ってずっと遡っていく。社長が言っていたように、たいしたことない道である。ザンスカールのトレッキングのほうがはるかに厳しいアップダウンの連続だった。
なのに・・・。
この日の私はどういうわけだかまったく歩けなかった。
足は鉛のように重く、背中のザックはせいぜい4~5キロだというのに、おんぶおばけと子泣きじじいとぬりかべがまとめて貼り付いているかのように重くて重くて泣きそうだった。ザンスカールではそれなりに快調に歩いていた。高度順応も問題ないはずだ。道は緩いアップダウンで、荷物も重くはない。なのになぜだろう。
サントッシュはこの日の私を見て、「こりゃ登頂は難しい」と思ったと思う。私自身が、これは無理なんじゃ、そもそもベースキャンプまでだって着くのかと思ったのだから。


お先に~、と馬が抜いていく。馬たちにはホースマンと呼ばれる馬方さんが複数ついていて、道を逸れる馬を連れ戻したり忙しい。
本日最大の難所、トントン・ラへの登りの途中で、来た道を振り返る。
広場にたくさん人がいるが、これは韓国からの大きなグループで、今日はここで泊まって高所順応しながら登頂を目指すのだそうだ。


美しいねぇ、ほんとうにラダックの風景は最高に美しかった。道が向こうに消えていっているように見えるが、サントッシュによるとそこは「ビューポイント」で「ぜんぜんたいしたことな」く、そして道はそこで終わっているのだそうな。


トントン・ラに着いた
たくさんのマニ石と祈りの旗タルチョーが美しいね。
タルチョーはチベット仏教圏でよく見かける。峠、橋、家の軒先、そういうところに渡して旅や家内安全を祈っているのだと思う。5つの色には「地・水・火」といった意味があり、たいていは馬の絵と経文が印刷されている。その馬はルンタ=風の馬という名を持ち、天を駆けて仏の教えを広く世界に知らしめる、と言い伝えられている。


トントン・ラから進む方向を見下ろす。ここからは下ってさらに谷を詰める。


下りきってまた川沿いを進む。トントン・ラまでもそうだが、渡渉は何度かある。石を伝って飛び越える。よいガイドならちゃんと手助けしてくれる。


美しいねぇ。

宿営地モンカルモ到着


テントが見えた、今日の宿営地モンカルモという場所に着いた。休憩含めて5時間半ほどかかったかと思う。標高4480m。十分に高いが、ザンスカールで経験済みのため高度障害はまったく出なかった。
因みに到着後に計った血中酸素濃度は、私90、夫83、問題なし。


モンカルモにはたくさんのテントが張られていた。その中の1つを借りる。中には寝袋も2つセットされていて、登山者は何も持ってこなくていいのである。
このテント、私たちは代理店で予約を入れていたので何の不安もなく使うことができたが、個人でふらりとここを訪れても借りられるのかどうかは不明。空いていればもちろん大丈夫だろうが、シーズンには大量の登山客が訪れるので満杯ということもありうるかと思う。その場合には大きなティーテントがあるので、その片隅などに寝かせてはくれるだろうと思うけれども。


テントで少し休んでから、夕方、高所順応のため近くの丘に登る。テント村からもストックカンリが見えていた。ここまで来てもあの山が登山の対象とはとても思えない。


影になってて見えづらいが、ブルーシープの群れがテントに遊びに来ていた。


テント村から100mほど高度をかせいだ。そこからのラダックの山容。色とりどりの山肌が美しい。ザンスカールに比べて、ラダックのこのあたりの風景は「たおやか」だと思う。


明日進んでいく方角。中央左に見えているスキー場みたいな山はゴレップ・カンリ5980。ストックカンリは右の端っこの方に見えている、と思う。


高所順応の散歩から戻ってきて、テント村から見る夕映え。中央はゴレップカンリ。ちょっと上がったり下りたりするだけで、風景は変わるものだ。


ティーテントの前にたたずむロバ。ちなみに食事はこのティーテントで、ここに住んでいるスタッフが作ってくれる。この夜はトゥクパ(うどん)だった。

散々な初日だった。サントッシュは暑かったせいだろうと言う。そうだといいのだが。
テントのフライが破れていて、メッシュの部分から風が吹き込み、この夜は寒かった。

2日目に続きます