年金事務所

年金事務所に行ってきた。先週に続いて2度目。
揃えた書類を出して、あとは1枚(複写式)書類を書いた。窓口の人がぜんぶ教えてくれるので、言われる通り書けばよいだけ。
「証書の欄、[なし]で」
「はい(マルを付ける)」
あれ? 証書持ってきてるけどなぁ? まぁいっか(^^;
たぶん証書がない場合の方が多いと思われる。私だって年金証書なんて持ってないよ、年金手帳ならあるけど。

手続き終了。あとは最終的に何か通知が来るらしい、それは特に必要とかではないので、まぁざっとこれで終わりということらしい。

1つ済んだ。
あ~疲れる。

東御の道の駅に寄って、りんごとぶどうを買ってきた。

ではまた

田中投手、日米通算200勝おめでとう!

草むしりとか

午前中に少しだけ、畑や庭の草取り。8月以降はほぼほったらかしだった。

病院で逆流性食道炎の薬が出て飲み始めてから、「食道が痛い」という症状はほぼ消えていて、私ほんとにそれだったんだと思っていたところが、昨日は朝からその症状が酷くて気分も悪く、珍しく昼寝した。昼寝は滅多にしないというか出来ない。PCに向かっていて眠くなったとしても、横になったらバキバキに目が冴えてしまう。たまに座ったまま寝てる時はある(^^;

ではまた

施設を退去

前回でほぼ片付けは終わっていた施設の部屋。今日出かけて、施設の人と部屋の最終確認をして、退去となった。
バネット一車分の荷物は搬出したものの、結構な処分品が残った。何もかも取っておくからである(^^; 手紙やら、各種団体からのレターやら冊子やら、もうほんとに呆れるくらいすべて取ってある。そういう印刷物がかなりの山になった。大量に自宅に持ち帰ったにも関わらず! 処分費用がいくらになるか怖ろしい。

最後に預けてあった小口現金や今月の色んな領収書などを受け取った。
事務の人たちがいる所と、現場のスタッフがいる所に、それぞれ軽井沢っぽい、信州っぽいお菓子を持参して、お世話になりましたと伝えてきた。

一度家に向かって走り始めてしまい、途中で「病院の支払いを忘れた!」ことに気づき、引き返して入院費の支払い。コンビニでレンタル品(病衣とか)の支払い。

施設へは、碓氷峠を下りて国道を安中辺りまで進み、そこから榛名方面へ入って行く片道1時間半の道。ずいぶんこの道を通った。多分もう、二度と通らないだろう。ただ高崎に行くのであればまっすぐ国道を行けばいいのだから。父母が健康型の施設に入ってから(最初は常住ではなかった)22年になる。まぁとにかく、よく通ったと思う……。22年って、私の人生の三分の一じゃないか。気が遠くなりそうだ。

帰りに役場に寄って、保険関係の手続きが完了となった。来週の年金の手続きに備えて戸籍抄本も取った。私と母の関係を証明するためには、私の戸籍抄本を取ればいいのだとわかった(常識?)。
さらにホームセンターに寄って、今月末が期限の町の商品券を使って買い物。レジの人に「ギリギリですね! 間に合ってよかったですね!」と、ほめられる(違うか)。

大したことはしていないようにも思うのだが、一つ一つのことには不安・心配がセットになっていて(書類が出来ているかちゃんと受理されるかとか)、消耗する。きちんと進展している感覚が全くない……。
ではまた

 

NHK 解約するのに 30分

NHKを解約するためにはネットではなく電話しなければならない。それが繋がらない……。最近はどこもそう、繋がらない。まだ0120だからいいけど、0570だっけナビダイヤルとかいうやつだとほんとうんざりを通り越して頭にくるよね。
10分かそこら待ってようやくつながった。
そこから話が進まない。
まぁこっちも悪い。お客様番号→わからない、電話番号→ない、住所1→ない、住所2→ない、住所3→ない…………。の、ないない尽くし。1つのアクション毎に「保留」にされてしまい、変な音楽を延々聞かされる。最終的に銀行口座で契約を発見してもらえたからよかったが、それにしても時間がかかる。まったく心当たりのない番地で登録されていたらしい。

この電話の相手の人は、もしかすると私より上かと思う男性だった。まったく仕事に慣れておらず、「あっ!」「あっ!」「えっ!」「あのっ!」と話が進まないこと進まないこと。途中からだんだん気の毒になってしまった。何でこの仕事に配置されてしまっているの……。無理なんじゃ……。と。
まったく回らないかつ早口でお悔やみやらお礼やらも言わなければならない。客側も録音されているがスタッフももちろんそうで、マニュアル通りに言わなければ注意されたりするんだろうと思う。

なぜ高齢者が働かなければならないのか……。なんて考えてしまった。

後はだらだらと片付け作業の続き。
やらねばならない書類の整理や確認やそういうこと。

15年前の父の逝去の際には、もう少し手際もよくやれた気がする。まだ40代半ばだったし、頭ももうちょっとしゃっきりしてた。喪主(各種届出また請求をする人として書類に記載する人)が配偶者である、ということもあったか。配偶者ではなく住所も違うと手続きが増え書類が増える。
今は脳と口と体がバラバラで、昨日もあちこち行くのにスマホを忘れるとか、ボロボロである。

*

今日もまたドジャースは安定のリリーフ陣崩壊での負け。と思ったら10回のピンチをよくもまぁ切り抜けて、辛勝。今日は佐々木投手も投げたとか。よかったみたいでよかった(何だこの日本語)。

ではまた

寒いんですけど

今日の最高気温は17.7℃とか。涼しい通り越してもはや寒いです。
極端な気温には困る。
寒暖差アレルギーなのか秋のイネ科なのか、風邪ではないけどくしゃみばかりしています。掃除してないせいもある(^^;

午前中に町の役場と、小諸市まで行って年金事務所。
役場では保険証は返せたんだけど、4枚も記入項目が多い書類を渡され、現場で書ける気がしなくて持ち帰りになる。書けるけど、後でもいいかと思った。
年金事務所は戸籍抄本を忘れて突撃してしまい、あらためて必要書類などが書かれた紙を受け取り、来週の予約をして帰って来た。旅のことなんかは鬼のように検索しまくるくせに、こういうことは「現場に行けば何とかなるだろう」「現場に行くのが一番確実」と思ってしまうのが悪い癖だと思う。
まぁ、年金事務所は他にも書くべき書類があって渡されたし、どのみち1回では済まなかった(もちろん準備万端整えたら1回でいけます)ということで気を取り直したいと思う。

あとは持ち帰った遺品の整理をぼちぼちとやっている。
時間がない人の場合は、もちろん全部そのまま処分してしまうというのもありだと思うし、それでいいと思う。
でも時間の余裕がある私の場合、色々なものを仕分けながら整理していく時間もまた、必要なのではないかと思う。父が書いたものや、母が書いたもの、メモや手帳、1枚か2枚書きかけただけのノート、どこにでも潜んでいる不織布マスク、驚くほど小さく切り揃えられて小さな袋に入っている紙片、そしてありとあらゆる種々雑多なモノたち……。見なくてもいいし、見ない方がいいものももちろんあるが、これはこれで無駄な時間ではないように思う。

*

  『神去なあなあ日常』『神去なあなあ夜話』
三浦しをん著。

横浜で暮らしていた青年が高校卒業と同時に親と教師に騙されて三重県の山深い村に飛ばされ、林業に従事し村の人々に受け入れられ愛され、村人の一員として立派に成長していく、というお話だった。一種のビルドゥングスロマンで合っているか? 私も自分が住んでいる土地の森を開墾したことがあるので、木を伐る場面などはとても面白く懐かしく読んだ。そういえば私には、木から木へ渡りながらスギの枝打ちができる友人がいたっけな(今はトドみたいになっちゃって想像もできないのだが)。
☆4 現代のおとぎ話、それにしても「みんなたち」って何だよ!

作中、たびたび出てくる「みんなたち」という言葉が引っかかった。これはこの青年がパソコンでひそかに村での日々を綴っているという設定の小説で、青年はいないはずの読者に向かって呼びかけたり話しかけたりする。その時に「みんなたち、元気?」みたいな感じで。
いや、三浦しをんさんは手練れの書き手だから、間違っているはずはないんだけど、見慣れないもので……。

ではまた

片付け作業

朝から母の施設に行き、部屋の片付け作業。
全部そのままで「あとはお任せします」ということもできるらしかったが、聞かなかったけどずいぶん費用もかかるのではないかな?
それはいいんだけど私の母という人は、他人様に迷惑をかけたくないという気持ちが常人の10倍くらいある人だったから……。まぁここも私がやるしかないって感じ(^^; 大量にバネットに積んできた。

まだ健康型というホームにいた頃。そこから車で3~40分かかる病院に通院する必要があった母は、「施設の人に行ってもらうのは申し訳ないからあんたが来い」と。毎回。施設の人はボランティアで行ってくれるわけではなく、ちゃんと1時間いくらという費用が決まってた。私はホームまで行くのに往復3時間強、道が混んだりしたらもっとかかる。にもかかわらず私に来いと言う、そういう人だった。

請求が来ていた葬儀費用を支払ってきた。
葬儀費用(葬儀ではなく簡素なお別れ会みたいな感じ)はかなり高額なので、自分たちは事前にちゃんと準備しておいたほうがいいなと思った。母は献体なので火葬はしていない。無宗教で通した。
墓仕舞いをした友人は、最後は散骨にするそうだ。私もそういう感じで手配しておきたいが、頼んだ会社が潰れるとか最初の契約と違う高額な請求をされるとか色々ありそうで。日本もまったく油断ならない国になってきている気がする。

今週後半に各種役所関係の手続きなどできたらと思う。

 用九柑仔店

アマプラで見た台湾のドラマ。都会の暮らしに疲れた青年が生まれ故郷に戻って祖父が経営していた雑貨屋を継ぎ、幼なじみや近隣の人たちとほんわか暮らす、話。ほんわかだけではなく所々にけっこうドロドロなところもあって。でも最後はほんわか、おとぎ話みたいなドラマだった。原作は漫画。原語で読んでみたいかな、勉強になりそう!

ではまた

一気に秋

この数日とても涼しくて、長袖生活に戻った。
ここの夏は本当に短く、半袖なんて2カ月あるかないかだ。

明日の最低気温予報は、10℃…………。

日も短くなってきて、しんどい季節。
ではまた

曇り→雨→曇り

昼過ぎに1時間くらいだったと思うが雨が降った。その後も天気雨みたいに時折パラパラしていた。

雨の前に友人が寄ってくれた。多謝、であります。

2か月に1度の通院日。特に検査とかするわけではなく、眠剤調達日となっている。通院と通院の間に一度、処方箋だけ出してもらうことになっている(眠剤は30日の処方制限があるので)が、先月は諸々忙しく行けなかった。半分に割って服用するなどして凌いでいた。
7月の通院後、例の「きゅうりを食べると食道が痛い」という謎の症状が始まり、それはスイカ、メロン、桃、冷たいジュース、などにも広がったり、あるいはそういうものとまるで関係ないものを食べても「食道が痛い痛い」となることがある。ということを相談してみた。
昨年12月の胃カメラの所見をチェックしてみてくれて、
「あぁ、ありますねぇ、食道裂孔ヘルニア、うんうん」
「えぇぇぇぇぇ? 何ですかそれは!?」
胃の上の方が、食道の方に飛び出してしまう、本来腹腔内にあるべき胃の一部が胸腔の方に行ってしまうことなんだって。割とよくあること(高齢者や肥満の人に多い)らしく(^^; 症状がない人も多いのだとか。私も今までは症状がなかっただけで、だいぶ前からそうだったのかもしれない。肥満ではないがまぁまぁ年齢は行っているからなぁ……。
ピロリ菌だけではなかったのね、しかし今回初めて聞いたわそれ。
で、逆流性食道炎だろうということで、ランソプラゾールなる薬を出してもらって本日終了。次回予約11月。薬を買って帰宅。

午前中、梅さんが左の前足を痛そうにしていた。多分、落ち始めた栗のイガでも踏んでしまったのだろう。メガネをかけて見てみたが刺さっているものはない。病院から帰ってきて梅を見たら、もう普通に歩いていた。

ではまた

 

 

 

 

近況報告

妙に間を空けてしまった、何となく書く気にならなくて。

9月11日に母を見送った。
家に帰ってから、9.11から何十年~というフレーズを何度か目にし、そうか今日はその日だったんだなぁと思った。

亡くなる前の1週間ほどはほぼ毎日病院に行っていた。
早朝に電話が来て駆けつけ、1時間ほどの時をその場で過ごすことができた。延命も蘇生もしない選択をしていたから、病院の人も誰も来ず、私と夫だけでその時を迎えました。穏やかな最期だったのが救いでした。

仏教に「四苦」という言葉がある。生老病死。生まれて(生きて)老いて病んで死ぬことが人の苦しみだと。その通りだなとつくづく思う。生きることも死ぬこともままならないものだ。

施設の退去や各種手続きなんかがたぶん山積みだけど、少しずつしか出来そうもない、慌てずやろうと思う。そんなわけで引き続き仕事は休みたい。

今日は近所の美容院に2か月ぶりに行ってきた。最近ぱたりと姿を見なくなったキツネの話になった。ウチが最後に見た時は、夫によると目がよく見えないような仕草だったと。ご近所界隈でも愛されていたキツネだが、最近の目撃情報が殆どなく、皆さん心配しておられるらしい。野生動物は簡単に死んでしまうのかな。春先来ていたタヌキも夏以降まったく見なくなってしまった。
なんて話をしていたら、夜になってそのキツネがやってきた。やはり目はあまりよくなさそう? 以前ならデッキに乗って来たりしていたのになぁ。出してやった魚や肉を食べて帰ったと思う。

そんなです。
ではまた

 

2本

起きたらXに大谷選手今日ホームラン2本のニュース。
菅野投手には災難だった……
何だかんだと打って数字を上げてくるのはさすがとしか。

午後は群馬の病院、施設にも寄った。

そんなとこ