昨日今日と2日連続で29.8℃。
何か大きなものの力が働いているのだろうか……(^^;
忖度されている気がするが勘違いなんだろうか。
とりあえず暑い。
下界はもっと暑いのでどうぞお気をつけて。
『方舟を燃やす』 角田光代
1950年生まれの女性と、1967年生まれの男性、この二人の話が交互に続いていく小説。67年といえば私とほぼ同世代と言っていいだろう。ノストラダムスの大予言や口裂け女など「あぁわかる」「あぁそうだった」と思うことが多くて、特に面白いわけじゃないけどどんどん読める。時代は進んでコロナ禍までが描かれる。まったく縁のない二人に接点が生じ……。おそらくコロナ禍の只中に書かれたのだろう。何を信じ、何を選択し、そして……。
☆4 どの時代のどんな人も、何もわからないままやってきた
面白い本では全くなくて、むしろつまらない部類に属すかもしれない。それなのにそこここに自分の断片がいるような。自分の細胞の1つ2つがそこにいるような感じがするのがこの作家のうまいところだと思う。
「信じること」の意味を問う小説らしい、帯によれば。
「信じる」か……。具体的に何かを信じているかといえば、多分ない。宗教はもちろんだが思想信条のようなものでも信じていることはない。考えていることはあっても信じることはない。人は信じるものを持つことが普通なのかな? たとえば家族愛とかそういうことも含めたら信じるものがあると言える人が多いのだろうか。
私は高校に進学する時に血迷ってさしてうまくもない球技をやるために学校を選んでしまった。そこは頭のおかしい人たちの住む場所で、「先生を信じて命がけでついていきます!」と毎日何百回も叫んでいるような(実際に叫んでいたわけではないが)(いや時々は叫んだが)、そんな場所だった。
「先生を信じる」って、どういうことなんだろう……? 今でもよくわからないんだなこれが。信じていなくても信じていると言わなければ生き残れなかったから信じていると言っていた、だから「信じる」という言葉は無意味になってしまったな。
大学の時にはしんにょえんに嵌った同級生がいた。白いものでも師が黒だと言えば黒なのだそれが信仰なのだと言っていた。バカみたいだと言ったらそれっきり縁が切れた。今も元気で信仰しているのだろうか。
この間タイへ行った時、山の中の温泉でのんびりしていたら、たしかエホバの人(もちろん日本人)が突撃してきて危うく神の話をされるところだった。
細かいところは覚えていないけど、「最後の時に後悔する」というようなセリフをその人が言ったのね。こちとら温泉に入ってて。あぁこの人は「最後の時に自分は、自分だけは救われる」って信じてるんだ! と思った。ちょっとした衝撃だった。
この小説のタイトル、なぜ方舟を燃やすのか。方舟とは何か。
なかなかに考えさせられる。タイトルの付け方もうまいな。
今日、大谷選手が33号ホームラン、9回2アウトから。
多くの人と一緒に私も叫んだわ「遅いよ!」
その前の2アウト満塁の打席の時に出ていればね~~~(^^;
ではまた