B.C到着・2018ストック・カンリ登頂記2

歯医者に行って、顎関節症治療のためのプレート(マウスピースみたいなもの)を入れることになりました。頭痛、肩こり、目の疲れ、めまい・・・。これらは顎関節症から(も)来るらしく、そういう流れになりました。更年期とかいろいろなことが絡み合っているから、原因はもちろん1つじゃないと思うけど。
20代前半にもプレート使ったことあるのを思い出しました。その時は大学病院の歯学科に「とんでもなく強情な親知らず」を抜くためにふつうの歯医者から紹介状持って行き、行く度に顎が外れちゃうのでプレートを使うことになりました。
でも1本でも歯を治療してしまうともう合わなくなるので、半年くらいで使わなくなったかな? 顎関節症は治りもせず、悪化もせず、おつきあい中です。
まだめまい中ですが、四の五の言わずに朝薬を飲むことにしてなだめています。どうしても眠くなったら寝ればいいと・・・。そんなこんなです。

では、登山記録の続きをどーぞ。

2018ストックカンリ登山記(2) ラダックザンスカール旅行記その4

 

一夜明けて、モンカルモ4480の朝。
私 心拍108、血中酸素85
夫 心拍79、血中酸素84
私はもともと心拍数が多いので、かなり大きい数字になっている。

朝8時半に朝食。みんなでティーテントで食べる。
因みに、登山者は3つのグループに分けられる。
1つは、ガイド、馬、コックなどを連れた人たち。この人達は自分たちでテントを用意し、またキッチンテントも持ってきているので、テントサイトは一緒だがティーテントに来ることはない。最も高額な料金を支払う登山の形だ。
1つは、ガイドやポーターは連れているものの、それ以外の装備は持たずに来ている人たち。私たちもここに属する。殆どはレーのツアー代理店でアレンジしており、テントサイトに常設されているテントを使い、食事はティーテントで作ってもらう。宿泊と食事込の金額をテントサイトに支払う(ガイドが払う)。
最後が単独の登山者。テント持参の人が多かった。食事は自分たちで作る人もいるし、ティーテントで取ることもできるようだ。もちろん有料。

この朝、モンカルモでともに朝食をとった人たちは、ほとんどが登頂まで同じ行程になる。
朝食はチャパティとオムレツの簡素なものだった。
ほとんどの登山者は、レーに入って数日でここに来ている。具合が悪い人もちらほらいる。それでもみんな出発していく。我々も出かけよう。

モンカルモ~ベースキャンプ(2時間半)


遠くにストックカンリを仰ぎ見ながら、広い河原状の場所を歩いていく。
今日の行程は、モンカルモからベースキャンプまで。ガイドのサントッシュによると、2時間半から3時間ほどの道行きになりそうだ。


今日も何度も渡渉を繰り返す。渡渉は苦手だ。
サントッシュが渡りやすい場所を選び、自分が渡った後でサポートしてくれる。そのたびに右腕が引っ張られて五十肩が治っていく(笑)
大きな渡渉を終えたところで休憩。ストックカンリが近づいてくる。


野営に使えそうな石囲いがところどころにある。
晴れて気持ちのいい日だ。
昨日の苦しさが嘘のように、今日は調子がいい、というか普通に歩ける。
サントッシュが何度も時間を聞いては「今日はいい調子!」と言っている。


歩いてきた方角を振り返る。三々五々、抜きつ抜かれつ、たくさんの人がベースキャンプに向かっている。朝のティーテントにいた面々は15~20人だろうか。このまま今夜アタックする人もいるだろう。


登る者があれば下りる者も当然ある。
ベースキャンプからたくさんの人が下りてきており、馬もまた。
サントッシュは顔なじみのガイドを見つけては情報を聞いているようだ。


標高5000に近いところでも、こんな花が咲いている。


昔はここも氷河だったのではないかと思う。こんなモレーン状の地形を延々と上へ詰めていく。(これは後ろを振り返っている)


快晴だ!
遠くを人が歩いている、たぶん登っている人たちだ。
道という道はなく、それぞれ勝手に岩と石だらけの歩きにくいところを延々と歩いていく。


マーモットがいたよ!


巣穴へ一目散!


エーデルワイスの仲間


これはなんじゃろか

丘を回り込んだところにベースキャンプがあった。モンカルモよりもテントの数がずっと多い。これからもっと増えていくらしい。
モンカルモからちょうど2時間半。今日はいいペースで歩けた。サントッシュもほっとしているようだ。
標高4980m、ほぼ5000まで上がってきた。
到着後 私 心拍97 血中酸素89
夫 心拍95 血中酸素85

ベースキャンプ・ティーテント


食器が積み上げられているティーテントの内部。奥の垂れ幕の向こうがキッチンになっている。こちら側は広い土間のスペースで、端っこにマットなどが敷かれていて座れるようになっている。


コーラも、ミネラルウォーターも、なんとビールまで売っている。
水が50、コーラが70、くらいだったと思う。
因みにここは宿泊と食事で1500ルピーと書いてあった。


ランチを食べる。手前はポーター。奥の方にはインドからの登山客たち。
このベースキャンプは料理上手のコックがいると見えて、色々な料理を作って登山者を飽きさせない。ご飯とカレー、だけでなく、パスタやサラダなど、常に数種類の鍋が置かれて食べられる。インドに5週間いたけれど、ここの食事がいちばん美味しかった気がする。


氷河から流れてくる川の向こうにブルーシープの群れが来ていた。


ベースキャンプの下の方から全体を撮影。
中央あたりのブルーシートの三角錐っぽいのがティーテント。
正面奥の斜面に伸びている道が、ストックカンリへと続く登山道だ。
いま見えている「道の消えるところ」がストックカンリへの第一関門と聞いた。2番めが旧ABC(アタックベースキャンプ、昔は設営が許可されていたがゴミ問題で今は禁止されている)、3番めが氷河を渡ったところ、4番めが「ショルダー」、そして山頂。
登ってきた方角を見ている。この方向にずっとずっと行けば中国。

 

高所順応のため登山道を進んでみる

5000の地に宿泊するので、いったん登って、それから下りて夜を迎えるのがよい。これは高地を旅する者なら誰でも知っていることだ。私たちもサントッシュと一緒に、とりあえずは登山道を登り、道が消えていく丘(第一関門)まで登ってみることにした。午後2時頃に出発した。


午後になって日影となり、カンカン照りよりは歩きやすそうだが、なかなかどうしてこの道が簡単ではない。急傾斜の斜面に無理やり刻まれた徒歩道で、ともすれば転げ落ちそうなのだ。下も砂というか粉のような土の部分があり、歩きにくい。


あまりの歩きづらさに途中1枚も写真を撮らずに登ってしまった丘の上。というか尾根の上と言うべきか。稜線上になっている。わかりづらいが左手から登ってきて、てっぺんにいる。
中央がストックカンリ峰。
そこに向かってなだらかに下っていくように見える道が、登山道だ。


登ってきた側はこんな景色。
沢が見えているが、これを下っていったところにキャンプがある。かなりの傾斜ということがわかる、かな。


ベースキャンプを見下ろしてみた。見えている道は比較的なだらかな部分で、ここからそこまでの間が滑り台のような傾斜になっている。


遥か彼方の緑の部分は、レーにも近い町や村。ずっと向こうは中国。

丘の上までの予定だったが、私たちが元気だったせいか、もっと先まで行ってみることに。

なんで撮ったのかわからないけど・・・、こんなふうに赤っぽい斜面や黒っぽい斜面が次々と出てきて、いずれにしても急傾斜の斜面に作られた道は常に下に向かって傾斜していて、うっかり踏み外せばアウト、って感じの場所が続く。
ただ、第一関門の丘の上から氷河までは、比較的ゆるやかなアップダウンの繰り返しだ。


ABCに着いた。氷河がもう目の前に迫っている。明日はこの氷河を渡り、手前に見えている尾根の向こう側を登っていくことになる。


ABC のタルチョーと中国国境の山々(遠望すぎて見えない・・・)


左がサントッシュ、真ん中はポーター、右わたし。やたらと元気。


ふたりの写真をいま撮っておこう! とサントッシュ。
明日でもいいよ~、と言うと、登る時は真夜中で、下りてきた時は死んだようになってるはずだから、今しか撮れないんだ! と言われた。

来た道を引き返す。ベースから見える丘の上まではいいとして、そこからの下りがほんとに怖い。スリップしそうな場所がずーっと連続している。横歩きをしながら下りないと、ほんとうに転げ落ちるだろうと思った。


夕方、すこし雲が出てきているゴレップ・カンリ。

ここまで数日、この周辺の天気はよかったそうだ。そろそろ崩れるかもしれないと思った。
ベースに着いた時もそう思い、もしかして、今夜アタックするべきなんじゃないかと考えたりもしたが、サントッシュが「今日は休んでアタックは明日の夜」と決めたので、従うことにした。
実際、モンカルモから一緒にここまで来た人たちは、殆どが「明日の夜」登るらしかった。

夕方6時、「飯だ飯だ」と招集がかかる。
飯食って寝よう。

3日目に続く~

 

 

 

DAY1・2018ストック・カンリ登頂記1

リアルタイムではとっくに帰国しております。
今日の軽井沢はくもりのち雨で、気温も20℃に届かない予報でした。かなり涼しく感じます。
めまいが少し収まっているので、旅行記の続きをば。
順番としてはザンスカールトレッキングが先なのですが、記憶が新しいうちに登山の方を書いておこうかと思います。

ではどうぞ~

 

ストック・カンリ登山記(1)~ラダック・ザンスカールの旅その3

6153m(諸説あり)の北インド・ラダック地方の名峰ストック・カンリに、自身初の6000m峰としてチャレンジしてきました。
この山行の費用や装備などについては、最後にまとめようかと思います。
それでは初日からいきましょう。

おっとその前に地図をどうぞ。赤いサインが見えていたら、そこがストックカンリ峰の山頂です。見えていなかったらだいたい地図のど真ん中が山頂にあたります。レーからの距離感、近いですよね。こんなにアプローチが短い6000峰はめったにありません。STOKとあるのが、出発点であるストック村。ここから歩いていきます。

 

 

初日の朝のハプニング

ラダックの中心地レーに入ったのが7/15。
それから人探し、ザンスカールトレッキングなどを経て、いよいよストックカンリに向けて出発したのは8月3日の朝だった。

「んー、明日の出発はー、9時半でどう?」
前日の最終打ち合わせの後で、代理店の社長がこう切り出してきた。
「え? ちょっと遅くない? 普通もっと早いよね?」
「大丈夫、明日の行程はたいしたことないから~」
「そう・・・、まぁ大丈夫だよね、オーケーです」

こんな感じでアバウトに決めた出発時間。車はまず宿に来て私たちを拾い、それから代理店へ向かう。ここで昨日顔合わせ済みのガイドのサントッシュ、ポーターさんと合流。社長の指示で持っていく装備の最終確認とパッキング。

因みに、今回の登山は日本からのツアー登山ではなく、現地でいくつか話を聞いた中で最も信頼できそうだと感じた代理店でアレンジしてもらった。私たち2人に対してガイド1人、ポーター(アシスタントガイドとも呼ぶ)1人。テントも寝袋も持っていかないため、私たちがポーターさんに預ける個人装備は大してない。最終アタックの時にはポーターさんも山頂まで上がる、つまり2対2というこれ以上ない贅沢なアレンジである。どちらかが途中で下山する場合、そちらにもサポートを付けたいという希望をきいてもらった。

私たちがここで借りるのは、12本爪ながら紐でぐるぐる縛り付けるタイプの軍用アイゼン。日本からわざわざ持参したセミワンタッチのアイゼンは「重すぎるし、冬山用の靴にしか付けることができない」という理由で却下。ちなみに冬山用の靴も却下されている。
アイゼンのほかピッケルもレンタル。そして社長は酸素ボンベを用意してくれていた。

「酸素ボンベを使う時は、まず自分が吸って助かること。自分が助かってから他の人を助けてください。いいですね!」

まさか酸素を持っていくとは思っていなかったが、これを聞いてちょっと緊張した。
今日のランチも社長が買ってきてくれて、装備も整い、出発。
スズキマルチという小さなワンボックスで、目指すはストック村だ。
出発してすぐ、助手席のガイドが振り向いて、

「今日はダライ・ラマがレーの街に来るんです。途中で出迎えたいんですけどいいですか?」
「もちろん。へー、法王がレーにね、それで兵隊がたくさん出ているんだ」

レーの街はいつもよりもたくさんの兵隊があちこちに立っていて、何かあったのかと思っていたところだったが、法王が。数日前にチョグラムサル(レーの郊外のチベット人居住区)で法要があったのは知っていたが、その流れでレーでも何かあるのかも。

車は広い道路をチョグラムサル方向へ走っている。ドライバーが車を脇道に入れ、駐車した。そして私たち5人は広い道へ取って返す。と、何やら左の遠くに車列が!
「来た来た、急いで急いで!」
私たちはダッシュで広い道を渡り、向こう側の少し高くなっている歩道に上り、運転手が用意していたカタ(白い絹のスカーフ、本来なら法王に捧げて贈り返されるのが最上だが、状況的に無理)を広げて横断幕のようにして皆で持ち、車列を出迎えた。

「2台目です!」
サントッシュが教えてくれた。車列はスピードを緩めもせず速めもせず、4~50キロくらいだろうか? 近づいてきた。
このあたりは人家もなく、私たちのほかに出迎える人もいない。
1台目が通り過ぎる。そして2台目の助手席に、確かにダライ・ラマさんが。他に誰もいないから、私たちの方を見てにこにこと笑い、いつものように合掌しながらその手をひらひらと、振っているではないか。私も思わず同じように合掌しつつ、しっかり右手を振ってしまった。

車列はあっという間に通り過ぎて行き、あとに残された我ら5人。
特に現地の3人は大興奮で、大喜びだ。
「ユー・アー・ラッキーマン! 今日からのエクスペディションも絶対にサクセスするね!」
とサントッシュに20回くらい言われた。

ダライ・ラマさんは御年80をとうに越えてはいるが、まだまだお元気そうで何よりだった。私個人にとっては、1993年にダラムサラでお会いし、その翌年にたしかホテル・オークラでのパーティーでお見かけして以来、24年ぶりに間近に見る法王さんである。もちろん年は取られたが・・・。

サントッシュが言うように、今回の山行は成功するような気もしたし、いやいや待て待て登頂率わずか3割の山なんだぞと思ったり。そんなこんなしながら、ストック村の出発点に到着した。

初めてストックカンリ峰を同定する


ストック村の出発地点。川の向こうにたくさんの馬がいた。これから荷物を積んで出発していくのだろう。


「ストックカンリが見えてますね!」
サントッシュに言われて見上げるその方角には、白い山が2つ。左の方かなと思って聞いてみると、違う違う、右の、ちょこっと頭だけ見えているあれですよと言う。

わかりにくいので拡大してみたが、これがストック・カンリなのだと。

「まさか~♪」(ツマ)
「嘘だろ?」(オット)
「あんなの登れるわけないじゃん!」(フタリ)

実際それは、エベレストにも等しい「登れるわけない」レベルで遥か彼方に聳えており、私はサントッシュが冗談を言っているのではないかと、その日ずっと疑っていた。
ストックカンリの画像はさんざん見ていたのに、いざ実際に見てみるとそれが登山の対象とはとても思えなかった。


高巻き道を行くサントッシュ。ラダックはこんなふうに美しい。道はこの川に沿ってずっと遡っていく。社長が言っていたように、たいしたことない道である。ザンスカールのトレッキングのほうがはるかに厳しいアップダウンの連続だった。
なのに・・・。
この日の私はどういうわけだかまったく歩けなかった。
足は鉛のように重く、背中のザックはせいぜい4~5キロだというのに、おんぶおばけと子泣きじじいとぬりかべがまとめて貼り付いているかのように重くて重くて泣きそうだった。ザンスカールではそれなりに快調に歩いていた。高度順応も問題ないはずだ。道は緩いアップダウンで、荷物も重くはない。なのになぜだろう。
サントッシュはこの日の私を見て、「こりゃ登頂は難しい」と思ったと思う。私自身が、これは無理なんじゃ、そもそもベースキャンプまでだって着くのかと思ったのだから。


お先に~、と馬が抜いていく。馬たちにはホースマンと呼ばれる馬方さんが複数ついていて、道を逸れる馬を連れ戻したり忙しい。
本日最大の難所、トントン・ラへの登りの途中で、来た道を振り返る。
広場にたくさん人がいるが、これは韓国からの大きなグループで、今日はここで泊まって高所順応しながら登頂を目指すのだそうだ。


美しいねぇ、ほんとうにラダックの風景は最高に美しかった。道が向こうに消えていっているように見えるが、サントッシュによるとそこは「ビューポイント」で「ぜんぜんたいしたことな」く、そして道はそこで終わっているのだそうな。


トントン・ラに着いた
たくさんのマニ石と祈りの旗タルチョーが美しいね。
タルチョーはチベット仏教圏でよく見かける。峠、橋、家の軒先、そういうところに渡して旅や家内安全を祈っているのだと思う。5つの色には「地・水・火」といった意味があり、たいていは馬の絵と経文が印刷されている。その馬はルンタ=風の馬という名を持ち、天を駆けて仏の教えを広く世界に知らしめる、と言い伝えられている。


トントン・ラから進む方向を見下ろす。ここからは下ってさらに谷を詰める。


下りきってまた川沿いを進む。トントン・ラまでもそうだが、渡渉は何度かある。石を伝って飛び越える。よいガイドならちゃんと手助けしてくれる。


美しいねぇ。

宿営地モンカルモ到着


テントが見えた、今日の宿営地モンカルモという場所に着いた。休憩含めて5時間半ほどかかったかと思う。標高4480m。十分に高いが、ザンスカールで経験済みのため高度障害はまったく出なかった。
因みに到着後に計った血中酸素濃度は、私90、夫83、問題なし。


モンカルモにはたくさんのテントが張られていた。その中の1つを借りる。中には寝袋も2つセットされていて、登山者は何も持ってこなくていいのである。
このテント、私たちは代理店で予約を入れていたので何の不安もなく使うことができたが、個人でふらりとここを訪れても借りられるのかどうかは不明。空いていればもちろん大丈夫だろうが、シーズンには大量の登山客が訪れるので満杯ということもありうるかと思う。その場合には大きなティーテントがあるので、その片隅などに寝かせてはくれるだろうと思うけれども。


テントで少し休んでから、夕方、高所順応のため近くの丘に登る。テント村からもストックカンリが見えていた。ここまで来てもあの山が登山の対象とはとても思えない。


影になってて見えづらいが、ブルーシープの群れがテントに遊びに来ていた。


テント村から100mほど高度をかせいだ。そこからのラダックの山容。色とりどりの山肌が美しい。ザンスカールに比べて、ラダックのこのあたりの風景は「たおやか」だと思う。


明日進んでいく方角。中央左に見えているスキー場みたいな山はゴレップ・カンリ5980。ストックカンリは右の端っこの方に見えている、と思う。


高所順応の散歩から戻ってきて、テント村から見る夕映え。中央はゴレップカンリ。ちょっと上がったり下りたりするだけで、風景は変わるものだ。


ティーテントの前にたたずむロバ。ちなみに食事はこのティーテントで、ここに住んでいるスタッフが作ってくれる。この夜はトゥクパ(うどん)だった。

散々な初日だった。サントッシュは暑かったせいだろうと言う。そうだといいのだが。
テントのフライが破れていて、メッシュの部分から風が吹き込み、この夜は寒かった。

2日目に続きます