こたつで「一会」

夕方買い物に行って戻ってから、何となく「一会」を観始めました。そうそう、その前に、夫が録画しておいてくれた相米監督の映画「東京上空なんたら~」というのを観ようとしたのですが、なんか合わないのでやめたんでした。で、「一会」を。
少し前にテレビを買い替えて、録画ができるようになり、画面も少しだけ大きくなりました。でもそうなると、「DVDの画質じゃ物足りない・・・」という贅沢な不満が頭をよぎり、ヤマハの思う壺にハマっていくと・・・(笑)

西には西だけの正しさがあるという 東には東の正しさがあるという ♪

という歌の一部分を聴きながら、これはやっぱり東西冷戦の只中もしくはまだその名残が強かった頃に作られたのかな? とか考えたり。
今ググったら1995年か・・・、終結してから6年も経っているとすれば、この場合の西とか東というのはもっとぼんやりとした概念なんだろうな。ぼんやり? いや何と言うか、いろんなものに例えることができる、というような。

何でそんなことを歌を聴きながら考えたかというと、数日前に私の高校時代の恩師から珍しくメールが届き、私も教わった国語の先生が亡くなられたとの知らせがありまして、そこからいろんな記憶を辿ったりしている中でベルリンのことにも思いが至り。
何度か書いたことがあるのですが私は高校時代に国語科の教諭たちに救われた経緯があり、中でも亡くなられた先生には2年間現国を教わり、また、本の話、映画の話など、色々していただきました。特に今でも覚えているのが、開高健の『夏の闇』を、ぜひ読んでみろと勧めてくださったこと。当時私はあまり開高には目が行っていませんでしたが、これをきっかけに読むようになりました。
この本の中で、当時まだ分断されていたベルリンが出て来る。環状線という電車に乗った主人公とその愛人(アイレン)が、「いま西」、「いま東」、「また西」・・・という会話をするのがラストシーン。その状況が把握できにくく、つまり、環状線に乗ればそのように東西を行来してしまえたのか? 危険はないのか? 下りなければ問題はないのか? 駅はないのか? 今もよくわかってない。

ベルリンの壁が崩れた時、私は中国の大理という小さな田舎町にいました。メールも携帯電話もない時代。テレビも国営放送しかなかった。で、テレビは滅多になかった。そんな中、大部屋に泊まっていた誰かが持っていた短波ラジオに皆がかじりつくようにして、そのニュースを聞いていました。英語ができない私は、出来る人から又聞きしました。少なくともその時、明るい空気はどこにもなかったのを思い出します。誰もが沈痛な、これからどうなってしまうのか、という表情をしていた。特にヨーロッパからの旅人たちが。
これをきっかけにドイツが統合され、ソ連邦が崩壊していき、世界は本当に大きく変わりましたね。少なくとも今の若い人には、東が、西が、という考え方はピンと来ないかもしれません。

トランプ大統領が就任し、世界は保護貿易主義の方向に舵を切りつつある、そんな不穏な情勢です。世界中で人々が、論ではなく力を求め始めている。長いことみんな我慢してた、たぶん。それはタブーだった。でもそれが解放されつつある。欧州でも続々と極右政党が台頭しているとか。歴史は繰り返す、というけれど。

そんなこんなまとまらないまま。ではまた

2件のコメント

  1. >世界中で人々が、論ではなく力を求め始めている。長いことみんな我慢してた、たぶん。それはタブーだった。でもそれが解放されつつある。

    ああそうか…と、腑に落ちました。
    なんてうまい分析&表現なんでしょ。
    こんなふうに言葉にしてもらえると、スーっと、わかった気がするね。
    ありがとう。

  2. おばかちんの書くことなので読み流してね!
    でも何となくさぁ、世界ははっきりとまずい方向に向かい出したって気はする。
    冷戦の頃がいちばん安定していたという・・・、そんな懐古主義にうなづいてしまう。
    でもそれは東の人たちの極端に制約された人生という犠牲の上にあったんだよね多分。
    とにかく世界の平和を祈るわ、それしかできないわ・・・。

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